楽園から追放されたキャラクター『中春こまわり君』
山上たつひこ『中春こまわり君』(2009年小学館、1333円+税、amazon、bk1)が発売されてます。
超ヒット作品『がきデカ』(1974年~1980年)では小学生だったこまわり君。『がきデカファイナル』(1991年秋田書店)で再開されたときもまだ小学生でしたが、そのラストで彼は「うしろすがたのしぐれてゆくか」の句とともに山頭火の姿となり、読者の前から姿を消しました。そのこまわり君が成長して再登場。
2004年から2008年にかけて「ビッグコミック」に断続的に掲載されたものが一冊にまとまりました。本書の最初の部分では、マンガ家としての筆を折っていた山上たつひこのアシスタントとして、江口寿史、田村信、泉晴紀が参加したことも話題になりましたね。
日本のギャグマンガは『がきデカ』前と『がきデカ』後にはっきりと別れます。
こまわり君が自身の肉体を変身させてしかける悪ふざけに対し、被害者の西城君やモモちゃんは殴る蹴るで対抗します。狂騒的なボケとそれに対する攻撃的なツッコミの連続は、まるで戦いのようなハイテンション。『がきデカ』は、牧歌的な「ぎゃふん」を駆逐してしまいました。
そのこまわり君が成長してどうなったかというと。
これが普通に電器会社のサラリーマンをしているのでありました。「中春」とありますから、中年だけど青春、という意味なのでしょうが、その生活はあまり楽しいものではなさそうです。
妻はこまわり君の超人的能力に興味がないし、ひとり息子に教える猫式算数も気に入らない。さらに嫁姑のおりあいも良くない。イヌの栃の嵐は寝たきりになってますし、ジュンちゃんはダメ男とくっついて苦労している。あべ先生は男と別れ、すでに老境の域に。
たしかにこまわり君は今回も、昔と変わらない超人的な肉体変化と能力でトラブルを解決します。しかし爽快感はありません。こまわり君の周囲の環境や事件が、中年夫婦の別居、老人介護、離婚、ダメ男との腐れ縁、不倫、母娘の不仲、リストラ、成人病と、読者にとってもどよーんと感じられるリアルであるからです。ここはキャラクターがキャタピラにひかれてぺしゃんこになってもすぐ復活するような、ギャグマンガの楽園ではすでにないのです。
この世界でのこまわり君は、酒席で「アフリカ象が好きっ!」「八丈島のきょん!」「死刑っ!」をやってみせるのですが、彼の思いはこう。「おれは全身の血液が沈んでゆくのを感じた」 読者の気持ちとしても、なんともダウナーです。
本書のこまわり君は、最初のエピソードでは38歳でしたが、最後に収録されているエピソードでは42歳になっています。成長、というよりもむしろ老化です。山上たつひこは、こまわり君およびその仲間を利用して、マンガで老いを描く試みをしています。
こまわり君がかつてと同じギャグをやってみせても、彼らはギャグマンガの楽園、エデンの園をすでに放逐されています。彼らはもともと永劫回帰の時間の中、永遠の生命を持ったマンガのキャラクターのはずでした。しかし神である作者の手によって、止まった時間は流れだし、キャラクターは年齢を重ね、老いに向かっています。その先に待っているのは死、のはずです。
読者にとってあんなに大好きだったキャラクターたちも、すでに永遠の生命は保証されていません。もはやマンガとして笑えるかどうかは二の次。読者は彼らの運命に涙し、その場に立ちつくすだけです。これほど読者に挑戦的なマンガもちょっとありません。
Comments
「中春こまわり君」、雑誌掲載時に読みました。
第1回で衝撃的だったのが「光る風」のセルフパロディをやってたことです。
いや本当に恐ろしい人ですよね、山上たつひこ。
Posted by: ジャケボン | May 08, 2010 11:00 AM
うわぁ、がくた様、遅レスですがありがとうございます。
そうですか、1979年前後頃にそんな名著が生まれていたんですか。『戦後ギャグマンガ史』米澤嘉博ですね、さっそく図書館などで調べてみたく存じます。
Posted by: woody-aware | February 24, 2009 08:37 AM
> ギャグ漫画史を全体を見渡せる編集なり著作、研究書が欲しい所ですね。(笑)
米澤嘉博「戦後ギャグマンガ史」て名著が30年前に出てます。
さすがに30年前なんでいがらしみきおや吉田戦車への論考はありませんが。
図書館などで一読をお薦めします> woody-awareさま
あと「がきデカ」については、石子順造が「少年マンガに初めて大人のセックスを持ち込んだ作品」といったようなことを書いていた記憶があります。
あふりか象とか大根とか、勃起したペニスのメタファーが横溢してた作品でした。
ほかの「ハレンチマンガ」は裸は出るけど勃起はしませんでしたものね。
谷岡ヤスジでさえ「鼻血ブー」で置き換え。
吾妻ひでお「ふたりと5人」の哲学的先輩のナニは、あれはまったく別物ですし(笑)。
あ、ギャグのエポックと関係ないか。
「がきデカFinal」を見ますと、作者としてはそれでもセーブしてやってたようで。
「いや~んこまわり君」を今やるとシャレにならん描写になるというネタがありました。
しかし、自分の作品を冷静に見られる人だよなあ。
Posted by: かくた | February 17, 2009 10:49 PM
あぁ、強烈なボケとツッコミと“ノリ”ですか。思わず登場人物たちがギャグのお片棒を担(かつ)いで乗せられてしまうという……それなら、分かるような気が致します。
こどもの頃に随分と乗せられましたもんね(笑)。こまわり君には。それはアリアリと分かる話です。(笑)
ただし、どうやって『がきデカ』がギャグ漫画史上のエポックを築いていったかはまだ再考の余地があるような気が致しますけれど。一度根暗マンガのいがらしきみおとか私の知らない吉田戦車とかギャグ漫画史を全体を見渡せる編集なり著作、研究書が欲しい所ですね。(笑)
そう言えばこまわり君(『がきデカ』)に一番近いのは、『パタリロ!』のあの雰囲気かも知れないとふと思いましたね。強烈にボケてツッコンで来ますもんね。orz
魔夜峰夫(だったかな?)はもともと怪奇漫画をやってた人、山上たつひこも「マシンママ」とかシリアスものをやってた人ですね。そのギャグ漫画への転身ぶりというか、梅図かずおさんとかもそうですけど、なんでこんな変身ぶりが可能なの~@←みたいな視点からも見ると、大変面白いかと存じます。
Posted by: woody-aware | February 06, 2009 06:06 AM
漫才における「なんでやねん」というツッコミを、より過激にしてマンガに持ち込んだのが山上たつひこだと考えています。彼以後のギャグマンガでは、ギャグに対するリアクションはさらに過激になるか、逆にいかにそれを避けるか、ということを考えるようになります。説明するのがむずかしいですね。言葉足らずですみません。
Posted by: 漫棚通信 | February 05, 2009 09:55 PM
"テヅカ・イズ・デッド"で語られたように、山上たつひこによるギャグ漫画のパラダイムシフトを認めつつも、その前後を丁寧に見ていかなくてはならないのかも知れませんね。
Posted by: はんてふ | February 05, 2009 02:08 PM
「劇画オバQ」てのもありましたね。
ギャグ漫画家にはパラダイス・ロストを描きたい欲求があるのでしょうか。
「鬼面組」とか「かってに改造」とか。
読者も求めてるのかな。
「ドラえもん」最終回の都市伝説なんてのもありましたし。
Posted by: かくた | February 05, 2009 04:17 AM
ビッグコミックだったかに最近載った作品くらいしか触れた事が無いですが、あのこまわり君(『がきデカ』)を以ってギャグ漫画が前後2分されるとは卓見なのかどうかよくわかりません。
赤塚不二夫の革命はどうなのでしょうか、山上たつひこと山止たつひこ(秋本治)はどうなのか、少年ジャンプの赤塚賞はどうなのか、「1・2のアッホ」はどうか、吾妻ひでおはどうか、鴨川つばめは、いしいひさいちは…などといろいろ考えてしまいます。(苦笑) ギャグ漫画史をきちんと押さえて把握しないといけないですが、私にはあまり完璧に語れる力は無いのです。
それでもいろいろ考えました。そのきっかけになってくれました。この記事には有難うを申し上げたいです。
うっでぃ・あうぇあ//
Posted by: woody-aware | February 04, 2009 11:33 PM