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January 19, 2009

マンガについて語ること

 子ども時代からマンガは読んでいたのですが、マンガをきちんと読もうと意識したのは1966年末に創刊された虫プロ「COM」を買い始めてからです。

 「COM」という雑誌は、こむずかしいマンガが載ってるいわゆるマニア誌でしたが、のちに日本のマンガ全般に影響を与えるような功績もいろいろありました。

 「ガロ」の白土三平『カムイ伝』に対抗して、「COM」のほうは手塚治虫『火の鳥』を掲載するために創刊されたという経緯があります。手塚自身が「創刊のことば」で、商業主義に毒されないマンガを、と語っていましたから、「COM」に掲載されるマンガは自然とオルタナ系のトンがったものが中心となります。

 とくに「COM」出身作家である宮谷一彦と岡田史子。このふたりが「COM」のカラーを決めました。

 宮谷一彦は「マンガのリアル」のレベルを変えたひと。そして岡田史子の心理描写はのちの24年組に大きな影響を与えました。

 さらに「COM」は、かつての雑誌「漫画少年」をお手本にして新人の育成を理念に掲げました。

 実際に「COM」出身作家は多士済々。宮谷一彦、岡田史子をはじめとして、青柳裕介、竹宮惠子、長谷川法世、やまだ紫、さらに、あだち充とか日野日出志とか松森正とか神江里美とか能條純一とか諸星大二郎とか大友克洋とか、もう書ききれないくらいのひとたちが「COM」に投稿してました。

 そして「COM」はちょっと変わった野望を持ってまして、全国のアマチュアファンサークルを統合するような全国組織を作ろうとしてました。「ぐら・こん」という名前で(GRAND COMPANIONの略です)、地方ごとに支部長を置き、ファン活動の拠点にしようと。

 ただしこれはいち出版社、いち雑誌の手にあまる事業でした。「COM」は五年という短期間で終了してしまい、「ぐら・こん」も頓挫します。しかし「COM」で目覚めたひとびとが中心になり、ファン活動はその後「コミックマーケット」として結実することになります。この経緯については、霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(2008年朝日新書)をお読みください。

 また「COM」は、「ガロ」よりも文字ページが多かった。各界のいろんなひとに「まんが」についてのエッセイを書かせたり、作家や読者をまじえた座談会を誌上に載せたり。つまり評論・批評の場を提供していました。

 これらの記事は、今読み直してみますと洗練されたものとはいえないのですが、「ガロ」系の石子順造や権藤晋の文章よりも、幼いアマチュアとしてはとっつきやすかった。そして、そうか、マンガに対するアプローチとして、文章を書くのもありなのか、と気づかせてくれたのが「COM」でした。

 おそらくわたしが初めて買ったマンガに関する文章の本は、尾崎秀樹『現代漫画の原点 笑い言語へのアタック』(1972年講談社)です。

 尾崎秀樹はもちろん大衆文学方面のひとですが、マンガについても積極的に発言していました。この本の半分は「COM」に連載されたもので、あとの半分は戦前からその当時までのマンガ紹介。これで古いマンガをずいぶん勉強しましたね。

 ただし、この時代のマンガを「笑い言語」と見るのは、残念ながらすでにズレてます。マンガの進歩はすさまじく、読者のほうも変化を迫られていたのです。

 「COM」の終了後、24年組を中心に少女マンガが勃興します。これに反応したファン雑誌が1970年代後半からの「だっくす」「ぱふ」「ふゅーじょんぷろだくと」「COMIC BOX」などでした。

 これらの雑誌はインタビューや書誌データも積極的に掲載し、プロ、アマ問わず、マンガ評がいっぱい。

 そしてこのころ主流になったのが、「ぼくら」「ぼくたち」を主語にして書かれるマンガ評。自分語りと言われるタイプのものです。作品を自分および自分周辺に引きつけて語る。これはねー、新鮮だったのですよ。おお、その手があったか、てなもんです。人間、自分のことなら話しやすい。

 代表的なのが村上知彦『黄昏通信(トワイライト・タイムス) 同時代まんがのために』(1979年ブロンズ新社、文庫化されたときのタイトルは『イッツ・オンリー・コミックス』)。実はわたしの「漫棚通信」というネーミングは、「黄昏通信」のマネであったりもするのです。

 ファン雑誌の出現と自分語りの流行。これでやっとアマチュアがマンガについて「自由に」語ることができるようになったわけです。

 そしてマンガ批評、第三の波が、夏目房之介の登場です。1980年代になり、夏目房之介はマンガ表現とは何かを正面から論ずることを始めました。それまでストーリー中心に語られることが多かったマンガ批評が、ここで大転換します。

 これ以後、マンガ批評はマンガ表現を無視しては成り立たなくなりました。マンガはマンガとして語られるようになります。

 そしてマンガ表現論の基礎研究となる『別冊宝島EX マンガの読み方』の発行が1995年。1996年から始まったTVの「BSマンガ夜話」も、夏目房之介といしかわじゅんが参加することで、マンガ表現を積極的に語るつくりになっていました。

 マンガ表現の進歩に対応して、批評のほうもやっとマンガ表現を語るすべを手に入れたことになります。さらにマンガを語るひとにとっては、何がマンガをマンガたらしめているのか、この根源的な問いをつねに意識させられることになりました。

 でもって、第四がインターネットの普及。だれもが不特定多数に向けて手軽に発言できるようになります。と同時に、検索エンジンの進歩で超巨大百科事典が登場しました。

 とくに書誌データはたくさんのひとがアップしてくれていて、ネット上で調べれば何とかならないこともない。

 とまあアマチュアの書き手にとって、敷居はどんどん低くなってきました。そこでわたしもちょっと文章を書いてみようと思ったのが2003年です。

 テーマはマンガ。文章のスタイルはあくまで娯楽の提供(のつもり)。文章を書き出してみて、レビューや作品評を書くのがいかに難しいかを思い知りました。ですから話題はウンチク系が多くなってます。

 というわけで現在にいたるのですね。

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Comments

編集者で、評論家の二上洋一さんが、お亡くなりになりました。少女マンガの評論もなさっていたと思います。

Posted by: misao | January 20, 2009 08:57 AM

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