普通じゃない『神戸在住』
いろいろな意味で「普通」じゃないマンガ、『神戸在住』について。
●木村紺『神戸在住』全10巻(1999年~2008年講談社、457円~514円+税、amazon、bk1)
講談社「月刊アフタヌーン」に、1998年から2006年まで9年間にわたり長期連載されました。主人公は辰木桂(♀)、神戸にある大学に通う二年生。彼女の日常をたんたんとつづったマンガです。と思わせておいて、このマンガ、じつにたくらみにみちた、一筋縄ではいかない複雑な構造をもっています。
真の一人称マンガというのは、主人公の視野=コマ内の場面、という表現をするものだと思います。『神戸在住』はそこまでではありませんが、準一人称マンガといえるものです。
ほぼすべてのシーンは主人公が見聞したもの。主人公が知らないものは読者も知りません。ただし主人公の回想や伝聞の内容は、マンガ化されて読者に提示されます。
コマ内やコマ外に主人公のモノローグが記され、主人公=一人称の語り手であり、主人公の感情や意思がマンガを支配します。ここまではそれほど珍しくないとしても、『神戸在住』ではさらに、主人公=マンガの描き手=作者、ということになっています。
3巻20話に、サークルの部室を上から描いた絵が出てきます。ここのキャプションに、「その部室をもし上から見るとすればこんな感じだろうか」「まあなんとか雰囲気だけでも伝わればいいなと思って描いてみた」とあります。すなわち、このマンガを描いている作者=主人公であるという宣言ですね。
主人公=語り手=作者、しかも題材が日常生活、ということになりますと、当然読者は作品内容をエッセイ、事実であるとして読もうとしてしまいますが、ここがまず罠。もちろん作品はフィクションです。
通常のエッセイマンガなら、描かれた内容が過去のものだとしても、それを描いている作者の時間は現在のはず。ところがフィクションである『神戸在住』ではこのあたり自由自在。さらに雑誌連載が進むにつれ、現実とマンガ内を流れる時間がどんどんずれて、複雑なことになってきます。
マンガに描かれているのは大学二年生である彼女が卒業するまでの三年間です。マンガ内の時間経過は1998年から2001年春まで。
連載当初は、雑誌が発売される現実世界が1998年、マンガ内も1998年で、同じ時間が流れていました。ところが1巻で過去の回想部分などが描かれた結果、2巻の最初ですでに現実時間は1999年の夏、マンガ内では1998年の夏と、一年のずれができてしまいました。
この傾向はさらに進み、10巻の最終話が描かれたのが2006年春。マンガ内では2001年春ですから、ここで五年のずれ。
本来意図されていなかったであろうこのずれは、作品に思わぬ効果を与えることになりました。
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『神戸在住』のテーマのひとつに、震災があります。物語は1998年の神戸が舞台です。阪神淡路大震災は1995年のことですから、まだ三年しかたっていません。しかも主人公が住んでいるのが被害の大きかった長田区。
連載一回目から、登場人物が震災の体験を語るシーンが登場します。
第1巻後半では、多くのページをさいて本格的に震災と避難所の生活が描かれました。さらにこの避難所での同じエピソードが、第3巻で別の登場人物の視点から語り直されるというおもしろい構成をとっています。
すでに過去のものとなった事件をくりかえし回想するというこの手法は、当事者たちの心の動きだけでなく、語り手の感想やそれを聞く人間(主人公)の思いまでもが含まれ、登場人物の感情を重層的に表現することが可能となりました。
この回想手法を別のやり方で展開したのが、『神戸在住』の後半で描かれる、主人公の友人、日向氏の死のエピソードです。
6巻52話にこういうキャプションが書かれました。「日向さんの訃報が届いたのはまだ冬もおだやかな頃だった。これはその一月ほど前の出来事」 1999年の冬に日向氏が亡くなったことが読者に示されます。
穏やかな文章の調子から、作者は友人の死の衝撃からすでに立ち直っていることが推測できます。作者がこの回を書いたのは日向氏の死からかなり時間がたっていることがわかります。実際にマンガが描かれた現実時間は2003年です。
しかし、このあとに描かれるべきはずの日向氏が亡くなるエピソードそのものは、いつまでたっても描かれません。
その時期と話題をさけて、大学祭や進級など、前後のお話が続くばかりです。そして連載では10か月後になってやっと、連載三回を費やして、日向氏の死と主人公の悲しみ、そしてその克服が描かれることになります。
このエピソードの描写でも、現在の主人公=作者が日向氏の死を回想する形がとられています。主人公は食事も食べられないくらい落ち込みますが、彼の死を乗り越えて生きることができるようになります。
ここにいたって、読者は10か月の空白の意味を考えてしまいます。つまり、作者がこのエピソードを描けるようになるまで、これだけの時間がかかったのだ。主人公=作者自身なのだから、作者は日向氏の死を克服するのに10か月を要したのだ、と。
しかし、そんなはずはありません。これはフィクションです。作者は主人公でもないはずです。マンガ内で日向氏が亡くなったのは1999年で、マンガが描かれた現実時間はそれからずいぶん経過した2004年なのです。
マンガ内で日向氏が初めて登場したのは1998年。現実にこれが描かれたのも1998年。すべてが完結した今から見ると、初めから彼には不幸なラストが用意されていたように思えるのです。
すべては作者が最初から周到に計画した仕掛けです。
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『神戸在住』は、現実時間とマンガ内時間が同じ、という設定で連載が始まったマンガですが、しだいにその時間はずれていきました。そのため、エピソードを時系列に語るエッセイ型マンガから脱することにできました。作者はエピソードを語る順を変更することで、読者の感情を自在にあやつることが可能になりました。
これ以外にも『神戸在住』には、伏線はりまくって、さらにそれを回収しまくる、といったテクニックが縦横に使われています。その破綻のなさは、まさに驚くべきもの(林浩くんの学年設定がちょっと気になりますが)。
抒情マンガと読むのも可、神戸観光案内と読むのも可、震災マンガと読むのも可。ただしそれだけではない、仕掛けをいっぱいはりめぐらせたちょっと腹黒い(←誉めてます)マンガなのであります。
(注:わたしが考える作中の年代推定は、Wikipedia『神戸在住』の項のそれとは違ってます)
Comments
そもそもこの作品の作者って女性じゃなくて男性なんですよね?
その時点でフィクションなんじゃ?!
Posted by: くまぞう | December 08, 2008 11:27 AM
古典文学の「土佐日記」を思い出しました。
Posted by: トロ~ロ | December 07, 2008 01:33 AM
視点の一人称は無かったのですが、日常生活や具体的な地名などが目くらましになって、「これはエッセイ漫画やろか?それともフィクションやろか? モデルとかがいる半フィクションやろか?」と、私がかなり悩まされたのがサラ・イイネスの「大阪豆ゴハン」でした。
Posted by: Gryphon | December 05, 2008 12:52 AM