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November 08, 2008

テプフェール本邦初訳

 ロドルフ・テプフェール Rodolphe Töpffer をご存じでしょうか。現代マンガの祖と考えられている人物です。

 かつてわたしが書いたテプフェールに関する記事はこちら。

マンガを創った男:ロドルフ・テプフェール

 最近はササキバラ・ゴウ氏によるサイトで細かく論じられています。これは力作ですので、ぜひご一読をおすすめします。

まんがをめぐる問題


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 テプフェールこそ、今わたしたちが知っている「マンガ」を発明した人物と言ってもいいでしょう。

 絵と絵の間には枠線が引かれ、はっきり別のものであることが示されます。「コマ」という存在が誕生しました。複数のコマが並列に並べられ、その内部では順番に時間が経過していく。さらに場所も変化する。

 あるコマから別のコマに移動したとき、読者が時間が経過していると感じるのは、同じ人物(あるいは物体)がそれぞれのコマに登場しているのに、その人物のポーズや周囲に存在するものが変化しているからです。わたしたちは何かの変化をみて、時間を感じます。

 サンプルとしてこちらのサイトを見てください。

http://www.zompist.com/bob25.html

 ページの下のほうに六つの連続したコマが掲載されています。これがテプフェールの「ヴィユ・ボワ氏」です。

 失恋し首をつって死のうとしたヴィユ・ボワ氏ですが、縄が長すぎて失敗。戸外の恋人の声を聞いて思わず駆け出す。すると梁がはずれちゃった。梁を引きずって走るヴィユ・ボワ氏。梁になぎ倒されるひとが続出。街は大騒ぎです。

 下に書いてあるフランス語のキャプションやその英訳を読まなくても、話の流れがなんとなくわかるでしょう。しかもおもしろい。現代のマンガとほぼ同一のものが、テプフェールによって描かれているのです。

 コマ(1)と(2)にはヴィユ・ボワ氏が登場しています。コマ(3)には梁が初登場しますが、そこに結びつけられている縄は、すでにコマ(1)から読者の前に提出されていたものです。コマ(4)と(5)では梁と縄が大活躍。コマ(6)でヴィユ・ボワ氏が再登場しますが、彼の首には縄が結わえられたまま。

 ヴィユ・ボワ氏が登場しないコマ(3)(4)(5)でも、読者は縄の先に彼が存在することがわかるはずです。テプフェールのこの表現は、原初のマンガにしてきわめて高度なことをなしとげています。

 隣りあったコマには、ヒトであったり縄であったりしますが、必ず同じ物体が登場します。このおかげでわたしたちは、これらのコマ間で時間が経過していると読むことができるのです。

 連続したコマに同一人物が登場するということは、その人物のポーズや見る角度が変化しても、読者から見て同一人物であると認識できなければなりません。マンガ家は人物に何かしら特徴を与え、確かに同一人物だと示す必要があります。そして、何度も何度も同じ人物を描くことになります。必然的に読者はその人物と顔なじみになります。

 これこそキャラクターの誕生です。

 ヒトコママンガでも、別作品に同じ人物がくりかえし登場すれば「キャラクター」になります。しかし連続コママンガの場合、「必ず」キャラクターが存在します。というか、キャラクターがなければコママンガは成立しない。コママンガの誕生したときから、マンガとキャラクターは切り離せない関係なのです。

 さらにテプフェールは、「いっぽうそのころ……」という技法、すなわち時間は同じで場所だけ変化する、という表現までも使用しています。マンガは、時間と空間を自由に扱うことができるようになりました。

 近代マンガはテプフェールの手によって「ほとんど」完成しました。あとは、「フキダシ」が登場しさえすればわたしたちの知っているマンガになります。コママンガとフキダシの統合は、R・F・アウトコールトの『イエロー・キッド』によってなされたと言われています。


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 そして今回、テプフェールの代表作「ヴィユ・ボワ氏」が、ササキバラ氏の手で邦訳されました。まずは11月16日のコミティアで販売されるそうです。

テプフェールの本

 テプフェールの「マンガ」作品としては本邦初訳であります。ついに、ですね。マンガの歴史に興味あるかたは、どうぞ手にとってみてください。


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(付録)

 これまで Rodolphe Töpffer は日本語で以下のようにさまざまに表記されてきました。

●ロドルフ・テプフェール:ジェラール・ブランシャール『劇画の歴史』、ティエリ・グルンステン『顔が線になるとき』
●ロドルフ・テプファー:以前にネットで見かけた美術系の論文、ササキバラ・ゴウ「まんがをめぐる問題」
●ルドルフ・テプフェル:『アルプス徒歩旅行 テプフェル先生と愉快な仲間たち』、秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画』
●ルドルフ・テファー:スコット・マクラウド『マンガ学』
●ロドルフ・トプファー:小野耕世『アメリカン・コミックス大全』
●ロドルフ・トッフェール:雑誌「pen」2007年8/15号「世界のコミック大研究。」

 いっぱいありすぎて、どれを使うかわたし自身も迷っていたのですが、今回の『ヴィユ・ボワ氏』の邦訳では「ロドルフ・テプフェール」が採用されています。これを機に、わたしも今後は「ロドルフ・テプフェール」と表記することにしました。

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Comments

「キャラクターの誕生」の部分は「顔が線になるとき」を読んでの連想です。きちんとしたものにするにはもっと勉強しないといけないと思いますが。

Posted by: 漫棚通信 | November 09, 2008 10:12 PM

「キャラクターの誕生」についてのとても鋭いご指摘、これはテプフェールの重要な問題点のひとつだと思います。テプフェール自身が「観相学についてのエッセイ」やその他の文章で、それに関連するような問題意識を語っていますし、きちんと研究されるべきテーマだと思います。
それを広げて考えるならば、主人公の名前が作品のタイトルになっていることや(しかも神や英雄などではなく、普通の平凡な人間が主人公)、主人公の行動を構想することで結果的に物語が出来ていくという作り方(テプフェール自身がそう語っている)は、コマまんがの成立そのものに関わるだけではなく、やはり当時の「小説」というものが、背景として影響しているのだろうと思います。単なる「物語」ではなく、近代になって出現した「小説」を、絵で描こうとしたのがテプフェールですから(ホガースもそうでしたが)、このことを本格的に検討するには、「小説」や「人間」(=キャラクター)が抱え込んだ近代的な問題を意識する視点が必要になってくると思います。ゲーテがテプフェールを評価したことも、私は別の観点から触れましたが、やはりその面からの検討が必要でしょう。というわけで、本格的なテプフェール研究には、ヨーロッパの近代文学史が欠かせなくなりそうで……。私はそろそろ逃げたくなってきました、この問題から。

Posted by: ササキバラ | November 09, 2008 07:29 PM

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