マンガはSFに限る『戦後SFマンガ史』
米沢嘉博による“戦後マンガ史三部作”というのがあります。
『戦後少女マンガ史』(1980年新評社)、『戦後SFマンガ史』(1980年新評社)、『戦後ギャグマンガ史』(1981年新評社)。発行日を見ますと、一年半のあいだにこの三冊、イッキに出版されています。
このうち『戦後少女マンガ史』が昨年文庫化されたのに続いて、『戦後SFマンガ史』も文庫になりました。
●米沢嘉博『戦後少女マンガ史』(2007年ちくま文庫、880円+税、amazon、bk1)
●米沢嘉博『戦後SFマンガ史』(2008年ちくま文庫、900円+税、amazon、bk1)
『戦後少女マンガ史』のほうは、少女マンガを初めてきちんと整理して記述した、まさに名著ですので、米沢嘉博構成の『別冊太陽子どもの昭和史 少女マンガの世界』1・2とあわせて、よく参照させてもらってます。
でも『戦後SFマンガ史』はすっごく昔に読んだことがあるだけ。今回、文庫化されたのを機に再読しました。いやおもしろい、こういう内容でしたか。すっかり忘れてました。
文庫で約400ページの本ですが、明治期の押川春浪に始まり1968年の雑誌「少年」の休刊まで、ここまでの記述が300ページ。この部分を実にじっくり語る語る。
この本の刊行が1980年で、1970年代のSFマンガ、スパイダーマンとかデビルマンとか萩尾望都は残り100ページに詰め込まれてます。本書のラストは、大友克洋『Fire-Ball 』と吾妻ひでおで締められます。本書の段階では、まだ大友の『童夢』も登場していません。
というわけで、「SFマンガ」史というよりも、少年向けSFマンガを軸に書かれたマンガ史でありました。マンガ史といっても、状況論よりも作家・作品論に重心が置かれています。とりあげられた作品は膨大で、著者の知識量はおそるべきものです。
SFマンガについて語るなら、記述の中心となるのは手塚治虫です。本書の前半でも当然ながら手塚が多く登場しており、この本は米沢嘉博による手塚治虫論として読むのも可能です。
著者によると、世界や物語を描く手塚SFは、少年キャラクターの弱さと記号的絵が弱点であった、という指摘は現代から考えても的確。1980年ですから手塚は存命ですが、そのころに書かれた手塚論としてじつに先進的です。
また、著者は雑誌におけるマンガ対劇画を以下のように表現します。
単純な線と落書きじみた絵の荒唐無稽でうそっぽい単純なストーリーのケバケバしい少年マンガは、リアルに描き込まれ疑似リアリズムでそれらしい社会性を持たされスピーディなコマ運びの劇画の迫力の前には、あまりにも子供っぽく軽かった。
このようにどちらかを称揚するわけでもなく、本書は冷静なバランス感覚で書かれています。
世界を描くSFマンガに対抗するのは、キャラクターを描くスポーツ・格闘マンガであるはずでした。しかし80年代以降描かれるようになった、ファンタジーやSFのような格闘マンガ、『ドラゴンボール』や『北斗の拳』は、SFマンガの系譜にどのように位置づけられるのか。米沢嘉博が存命なら、再版にあたりきっと加筆したでしょう。
今、本書を文庫で読める、というのはすばらしいことですが、複雑な気分でもあるのです。
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