手塚治虫の評伝
手塚治虫のことを調べるのは、もちろん彼が多くの傑作を描き、日本マンガの方向性を定めたからです。ただそれにくわえて、人格者にしてウソつき、ヒューマニストにして嫉妬深いことこのうえなし、という複雑な人間性も、興味が尽きないところであるのですよ。
竹内オサム『手塚治虫 アーチストになるな』(2008年ミネルヴァ書房、2400円+税、amazon、bk1)読みました。
新しく書かれた手塚治虫の評伝で、手塚の生活史中心に書かれています。
手塚治虫の伝記を書くとき、何が問題かといって、手塚自身が大量の文章を残していることであります。これがもうなんというか、韜晦というかウソというかホラというかハッタリというか、これらが多くて全然あてにならない。
いやもちろん自身の手になる文章ですから、真実もいっぱい書いてあるはずなのですが、手塚先生、話をおもしろくするために、自身を大きく見せたり、逆に卑小に見せたり偽悪的に書いたり、そんなことばっかりしてるのです。
さらにずっと年齢を二歳上に詐称し続けたひとですから、作品が書かれた年代や少年時代の思い出などは、読者のほうが計算し直さなきゃいけなかったりするわけです。
だもんで、手塚が書いたものと、家族や友人たちの証言が食い違うことが多い。資料が少ないのも困りますが、多すぎるのも困ったことであります。
本書は、手塚治虫自身の文章と、周辺のひとが書いた文章や講演、証言などを比較し、手塚の生活史を明らかにする試みです。参照された資料や取材は多岐にわたり、著者が手塚の同級生たちにインタビューもしてます。労作ですね。
これまでにいろんなひとが指摘し、他の文献などで明らかにされていた謎や食い違いが、本書で一覧できるようになっています。また書誌的な謎もいろいろとあります。
●いじめられっ子だったのは本当か
●めずらしいチョウを発見したのは本当か
●修練所を脱走したのは本当か
●戦争中にマンガを雑誌に投稿したのは本当か
●「桃太郎」でデビューしたというのは本当か
●「マアチャンの日記帳」連載のきっかけは何か
●酒井七馬との出会いはいつか
●「新宝島」の異本はいくつあるのか
●「ロストワールド」私家版はいつ何作描かれたのか
●ノイローゼになったのは本当か
などなど。
手塚没後現在まで、著者だけじゃなく諸氏の手によって、手塚治虫の生活史に関する研究がいろいろとなされてきました。本書は、その総括ともいえる本になってます。まとまった手塚の伝記としては、今後第一に参照される本になるのじゃないでしょうか。
本書の記述は1970年代初めまでが中心ですが、もちろん上記以外の手塚の生活史もきちんとこまかく書いてありますし、作品評も書かれてます。わたしのようなスレた読者以外の、手塚治虫に興味あるかたにもおすすめ。あまりに細かい考証部分もあるのですが、そういうところもおもしろいです。
疑問点がひとつ。
手塚治虫は昭和20年春に大阪大学附属医学専門部入学。医学専門部はもともと四年制だったのですが、終戦後の改正で五年制となります。手塚はマンガが忙しくて一年留年、六年かかって昭和26年春に卒業しました。そこからインターンがまる一年。そこでやっと国家試験の受験資格を得て、実際に受験したのは昭和27年春の第12回医師国家試験。
ところが本書では以下のように書かれてます。
手塚は一年目、マンガに時間をとられて医師免許の国家試験に落ちているが、二年目の昭和二七年七月一六日に、第一二回医師国家試験に合格している。
わたしの計算では、手塚は医師国家試験に落ちていないはずなのですが。
Comments
「東京新聞」(「中日新聞」)に書評を
書かされました。
あす、締め切りですが、昨日にはメール
添付で送信しました。
21日か?28日?に掲載かと思います。
記述の内容の誤りとか不明には触れていません。
(これは、ぼくなどのお仕事ではないんですしね)
ホメた部分と、書いてほしかったモノについてですね。
短い文章です。文字数は決められていて
はみだせませんし。
Posted by: 長谷邦夫 | September 16, 2008 08:36 PM