手塚治虫の「かわいい」論
今、日本は「かわいい」ものに支配されています。映画「ポニョ」がヒットしているのは、ジブリのブランド力もさるものながら、あの主題歌、ポニョという名前、そしてポニョの造形と、こちらのカワイイ心を刺激するものがそろっているから。
奈良のマスコットキャラ「せんとくん」があれほど非難されたのも、わたしたちが考える「かわいい」の基準に合わなかったからです。
「エロ」という何やらどろどろしてたはずのものも、すでに美少女系というかわいいものが席巻しています。一般のマンガにおいても、かわいくなければマンガじゃないと言わんばかり。
ですから、かわいくない系のマンガ、劇画やオルタナティブやアメコミは、今はずいぶん苦戦してますね。
さて、どういうものが「かわいい」のか、体系化、標準化することは可能でしょうか。「ひこにゃん」のどこがかわいくて、「せんとくん」のどこがかわいくないのか、これを言葉で説明するのはなかなかむずかしい。
さて、手塚治虫が日本の「かわいい」のルーツとは言いませんが、彼は意識して「かわいい」を追求してきましたし、日本の「かわいい」をリードしてきたひとりであることはまちがいないところでしょう。
手塚がかわいいについて書いたエッセイがあります。タイトルは「かわいらしさをどう表現するか」(「アニマ」1978年4月号掲載、講談社全集「手塚治虫エッセイ集3」に収録)。
手塚がお手本にした「かわいい」は、ディズニーのアニメーションでした。手塚は球体に注目します。
ディズニーや、その先輩たちが創案したアニメーションの画の技法は、じつは球体を基本にしたものである。(略)ところがこの技法ははからずも、そのキャラクターをかわいらしく、愛くるしくみせる、大きな要素にもなった。
基本になっている球体の、組み合わせの数が少なければ少ないほど、できあがったキャラクターはシンプルで、それだけかわいらしさが増すということだ。
きょくたんにいえば、球体一つで構成されたキャラクターがもっともシンプルで、もっともかわいらしく感じるということになる。
手塚は、オタマジャクシは球に近いからかわいくて、ミミズはかわいくないと書きます。そして球に近いということは、幼児に近いということでもあります。
われわれは無意識に、本能的に、初生児や幼児の愛らしさの類似点を、あらゆる生きものの子どもの中に認めて、かわいいの思いこむのではなかろうか。
すなわち手塚によると、かわいいキャラとは以下のようになります。
(1)単純な球に近い
(2)頭が大きく手足が小さい
次は眼です。手塚は眼を大きく描くのをすすめます。
大きな頭にこれも異様に大きな眼をつけることも多い。大頭にちいさな眼では、たんにおとなのミニアチュアにすぎないからである。
さらに手塚は、「かわいい」=「エロ」にも自覚的でした。
かわいらしさの中には、つねに女性的なエロチシズムの要素がふくまれているのだ。
ですから手塚キャラは、男性でもまつげが描かれています。手塚によると「幼児だけが持っているストイックなエロチシズム」を描くのには、まつげが良い小道具になるそうです。手塚が挙げている自作の例は、アトム、写楽保介、レオです。たしかにみんな男性ですが、大きな眼とまつげを持ってますね。
(3)大きな眼
(4)眼には女性的まつげ
さらに演出上の問題としては、
(5)かわいいポーズや動き
も重要。そのためにはキャラが動物の場合、それを擬人化する必要があるのですが、ディズニーのバンピでも、眉を持っていることや、白目黒目によるデリケートな眼の表現がされていることを指摘しています。
手塚治虫がサンリオのデザイナーなみに、「かわいい」を分析的に考えていたのがよくわかる文章です。
もちろん手塚説からこぼれてくるかわいいもいっぱいあります。ミッフィーやキティの眼は大きいとは言えませんし、無表情だし、ポーズがかわいいわけでもないし。現代の「かわいい」の奥は、さらに深いのでありました。
Comments
私が今まで散見した限りでは
「松本かつぢ」が戦前から「かわいい」を前面に押し出した
最初の人ですね。私も不勉強なので、かつぢ以前の「かわいい」
をご存知の方、いらっしゃれば是非ご教示ください。
マンガ以前、で考えますと円山応挙の「二匹の子犬がじゃれ合ってる」作品で、これ以外にまったく発見できないのです。テーマは明らかに「かわいいを追求してみました」のみで、それ以外
を描いていない、不思議な一点です。19世紀すら見ずに死んだ絵師の作品としてあまりに唐突で、同時代に見当たりません。けっこう有名な絵なので機会があればご覧下さい。明らかに「動物萌え」を意識して描かれてますから。
Posted by: みなもと太郎 | August 25, 2008 10:06 PM
sblogです、只今 漫棚通信ブログ版 さんの記事を拝見致しました、有難う御座いました。
頑張って下さい。
Posted by: sblog | August 22, 2008 07:11 AM
こんにちわ。
とても興味深いお話でした。
スティーヴン・ジェイ・グールドの『パンダの親指』という本をよろしければご参照ください。ハヤカワ文庫です。
グールドは、最初ネズミそのもので「あんまりかわいくない」ミッキー・マウスが、人類に愛されて生き易くなるようまるっちくかわいく「進化(進化というのが生物の代替わりによって起きるプロセスだとしたら、ミッキー単独で進化というのは正しいかわかりませんが)」したた過程を、彼の専門である進化論の論文の形にまとめています。グーフィーはその役柄からか、あんまり幼くなっていないそうです。とても面白いですよ。
そういえば、小学生の頃、アラレちゃんや早川あおいちゃんがだんだん小さくなっていく過程が不思議だったことを思い出しましたよ。彼女らもまた自分の環境に適応していったのですね。
これまた長い書き込みで失礼しました。
Posted by: もにゅるん | August 19, 2008 07:23 PM
横レス失礼します。
動物行動学の知見からは哺乳類の幼児期における顔面容姿の相似が知られています。
哺乳類は(その名のとおり)親からの育児に全面的に依存する時期=幼児期、があります。
食事=母乳、安全=親の庇護など自然界でひとり立ちするまで比較的長い時間を要します。
それゆえ、哺乳類の幼児期の顔の特徴として、丸っこくて身体に比べて大きい顔、顔の下半分に目・鼻・口があつまっている=額が広くなる、目・鼻・口では相対的に目が大きい、などが例示されています。
こういう容貌の仔に対して、庇護と哺乳を行いたくなるという本能が「哺乳類の親」に備わっていると言われます。
アフリカでの観察事例では、親とはぐれた仔鹿と、子を失った猫科の肉食獣の母が、一緒に何日間かをよりそって過ごしたという事例があります。
一般に自然界の草食獣は立ったまま授乳し、肉食獣は横に寝そべって授乳しますので、この例では授乳することもできず、仔鹿は弱る一方だったのですが、肉食獣の母が留守にしていた間に、偶然に仔鹿は母鹿と再会して命を拾いました。
残された肉食獣の母親は呆然と臭いを嗅いでいました。
こういう子育て本能は、鳥類の場合では、鮮やかな朱色や赤色のひし形を見ると、その中心に餌を入れたくなる、という事例が知られています。「鮮やかな朱色や赤色のひし形」とは雛鳥が帰巣した親鳥に餌をねだっていっせいに口をおおきく広げた様子を意味します。
托卵という子育ての習性で知られるカッコウでは、雛鳥の口内が他の鳥よりお一層鮮やかな朱色をしていて、通りかかった他の鳥までが、つい給餌してしまう、などと言われています。
また雛鳥においては孵化して最初に見た動くものを「親」と認知して後を追うという「刷り込み=インプリンティング」という事例が良く知られています。
なお、我々「ホモ・サピエンス」は「イヌ」と並んで「個体差が著しい」ことでも知られています。
イヌの仲間は、オオカミ、コヨーテ、ジャッカル、リカオン、ディンゴ、飼い犬に至るまで、すべて交配が可能であり生物学的には「一種」です。
いわゆる「純血種、犬種」とは、人為的に固定された「特徴」に過ぎません。ニホンオオカミは日本列島という「島=アイランド」に適応したタイリクオオカミの小型の亜種であり、アメリカ南西部にいたアメリカオオカミもコヨーテとタイリクオオカミとの交雑亜種であったと推測されています。
アラスカなどではそり犬の身体能力が血統的に弱体化したときは、発情した雌犬をわざと自然のなかにつないで、オオカミと交雑させることで身体能力の血統的な回復を図るそうです。
同様に、ホモ・サピエンスは遺伝的に、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイド、オーストラロイド、の4タイプに分けることはできますが、すべてにおいて交配可能であり、生物学的には一種です。「人種」とは人為的あるいは自然条件的に固定された「特徴=傾向」であることは言うまでもありません。そのホモ・サピエンスの赤ちゃん、幼児は、前掲の傾向と特徴をみな備えていることは理解して頂けると思います。
えー、長い書き込みですみませんでした。
Posted by: トロ~ロ | August 13, 2008 02:54 AM
ぼくが、8月に行なった名古屋の女子大の
集中講義のレポート課題は4つの課題から
1つを選んで、書いてもらう形式です。
そのひとつに「かわいいカルチャー」があり、
彼女たちが、幼年時期から、現在まで
「かわいい」と思ったものは、何であったか?
その変遷史を書け~というものがあります。
さて、どんなものが出てきますか?
Posted by: 長谷邦夫 | August 13, 2008 01:00 AM
藤子・F・不二雄の短編漫画(「かわい子くん」)とかにもありましたけど、「赤ちゃんは大人から庇護を受けなければいけないから『かわいい』ことは生存の条件。逆に大人は、赤ちゃんをかわいいと思うことが本能的に植えつけられている。丸っこいものをかわいいと思うのは、生物学的に決まっているのだ」というような議論ってありましたよね。
あれは、ほぼ確定した科学的知見と考えていいのでしょうか。疑似科学といっちゃあ悪いけど、仮説のようなものなのでしょうか。
そもそもだれが最初に提唱したのでしょうか。
Posted by: Gryphon | August 12, 2008 07:12 PM