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July 31, 2008

地球岬=ポロ・チケップ=親なるもの断崖

 10年ほど前、ご近所に新古書店が開店したとき、異様な感じのマンガを見つけました。レディコミふうの絵で、かなりぶ厚い一冊。北海道室蘭の遊郭を舞台に、遊女や芸妓たちの壮絶な人生を描いたもので、立ち読みしててもアタマの後ろあたりが熱くなるのを感じました。

 この作品、曽根富美子『親なるもの断崖』(1991年主婦と生活社)です。あとから調べてみると、1992年度の日本漫画家協会賞優秀賞を受賞している作品じゃないですか。

 そのときは全二巻のうち一冊だけしか手にはいらず、後半が読めないままになっていたのですが、昨年末にこの作品が文庫化されました。

●曽根富美子『親なるもの断崖』第1部、第2部(2007年~2008年宙出版、宙コミック文庫、各750円+税、amazonbk1

 

 昭和2年、青森県から室蘭の幕西遊廓に売られてきた少女四人。室蘭は当時も製鉄の町として栄えており、彼女たちは遊女や芸妓として生きてゆくことになります。

 第一部は彼女たちを中心に、遊廓の生活が活写されます。主人公となるのは、11歳のお梅。その後彼女は幕西遊廓ナンバーワンの売れっ子女郎となりますが、その将来に待ち受けているのは過酷で悲惨な運命。第二部は梅子の子どもがお話の中心になり、時代は戦争をはさみ昭和33年の売春防止法施行までが描かれます。手塚作品に比肩しうるほどの堂々たる大河マンガ。

 女性向けマンガらしくメロドラマ要素もありますが、それを除いたとしても歴史の重みが読者の心を打ちます。はっきり申し上げて絵は古典的少女マンガないしレディコミっぽくてもうひとつ。ハダカがいっぱい登場するマンガなのですが、そのもひとつの絵のため、女性のハダカはずいぶんさむざむしく感じられます。それが内容に合っていて、意図せぬ効果といいますか。

 タイトルの「親なるもの断崖」とは、室蘭の景勝地、地球岬のことです。アイヌ語で「ポロ・チケップ=親なる岬」と呼ばれていたのが「ポロ・チケウエ」と変化し、「地球」の文字があてられたとのこと。

 ここでの断崖は、人間を拒絶する北海道の自然であり、生活のため子を売る親であり、女性を支配する男性であり、国民を蹂躙する国家です。

 著者は室蘭出身。本書を読むと、この遊廓の話を、悲しい女性の歴史を、全体主義の時代を、描きたい、描いて伝えたい、という意思が伝わってきます。おそらくいろんな制約があって、著者にとっても十分に描ききったとはいえないのではないかと想像しますが、この強い意思が本書を名作にしました。

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July 29, 2008

ブログ診断

ブログのお値段

というサイトによりますと、ウチのお値段はこのくらい。


My blog is worth $52,502.22.
How much is your blog worth?

 時価約550万円。おー、だれか買ってくれるかしら。ちなみにアルファブロガーの「たけくまメモ」になりますと、お値段は235,977.72ドルとなりまして、えーと、2500万円超です。


ブログ通信簿

 また、↑このサイトによると、わたしは放送委員だそうです。主張度1、ってことは、情報を右から左に伝えるだけなのか。だめじゃん。

     Photo


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July 25, 2008

桑田次郎版『バットマン』復刻!

 桑田次郎(現在は二郎)版『バットマン』については何回か書いてきました。

桑田次郎の「バットマン」
桑田次郎と平井和正
アメコミの戦後史

 1966年1月、アメリカで実写版バットマンのTV放映開始。これが本国では爆発的な大ヒット。同年4月からは日本のフジテレビでも放映が始まります。

 これに乗ったのが少年画報社でした。桑田次郎の描く『バットマン』は、月刊の「少年画報」では1966年6月号から、「週刊少年キング」では1966年23号から、ほぼ同時に連載が開始されました。

 とくに「少年キング」では、それまで桑田次郎/平井和正『エリート』という超能力アクションマンガを連載中でした。そうとう人気のあったSFマンガでしたが、1966年22号でストーリー半ばでムリヤリ終了してしまいました。その翌週号から始まったのが桑田次郎版『バットマン』。まあ日本でバットマンが描けるのは、桑田次郎しかいない、という判断だったのでしょう。

 バットマンやロビンのコスプレをした少年が「少年画報」の表紙を飾り、「少年キング」でもTVの実写版バットマンが表紙になりました。また「少年画報」の付録には、紙で組み立てるバットマンカーやらバットマンヘリコプターも。

 さらに少年画報社は、アメコミのバットマンを翻訳した「バットマン」という雑誌も1966年7月から1967年2月までに7冊刊行しています。

 ところが、日本でのTV版バットマンはコケちゃいます。あんまり人気が出ないまま1967年6月に終了してしまいました。まあなんつってもあのころ日曜夕方6時からには、「てなもんや三度笠」→「シャボン玉ホリデー」という怪物番組がありましたからねえ。

 マンガのほうも、TV放映終了に先立って連載終了しています。「少年画報」では1967年4月号まで、「少年キング」では1967年15号までで終了。

 その後「少年キング」では『エリート』の続編、桑田次郎/平井和正『魔王ダンガー』が1967年16号から連載再開したのですが、すぐに終わってしまいました。

 と、このように不幸な経過をたどった桑田次郎版『バットマン』ですが、作品としては、これがもう桑田次郎のシャープな線で描かれたバットマンが絶品。はっきり言って本国版アメコミよりかっこいいです。わたし大好きでした。

 この作品が復刻されることになりました。しかもアメリカで。

Bat-Manga!: The Secret History of Batman in Japan(2008年Pantheon Books)

Bat-Manga!: The Secret History of Batman in Japan Bat-Manga!: The Secret History of Batman in Japan

 タイトルは『バットマンガ!』。左がハードカバー版、右がペーパーバック版書影です。書影クリックでアマゾンに飛びます。2008年10月28日発売予定。

 いやー、なんというか感無量ですな。日本の古いマンガがアメリカで復刻されるとはね。

 しかしあれですな、こういう本は日本人の手でこそ出版すべきだったんじゃないかしら。かつてアップルBOXクリエートから復刻予定とされてたことがありますが、あれは結局出版されたのかしら。

 今回のアメリカ版の出版社Pantheon Books は、アート・スピーゲルマンとかクリス・ウェアとかダニエル・クロウズとかダビッド・ベーとか、オルタナティブ系のグラフィックノベルを出してるところ。

 編者のChip Kidd は有名なブックデザイナーですが、コミックブック、とくにバットマンファンとしても知られてて、そっち方面の編著書がむちゃいっぱいあるひとです。ウチの書棚にもこのひとの本があったりします。

 今回のアメリカ版は雑誌からの復刻だそうです。桑田次郎へのインタビューも載るみたい。

 ハードカバー384ページ、ペーパーバックで352ページという分厚い本です。ページ数のちがいは、ハードカバーは限定版で32ページの短編が収録されているから。こういう商売をするか。さすがに桑田次郎版『バットマン』エピソードのコンプリートはされていません。ただしChip Kidd の本はずいぶんポップで変わったブックデザインなので、この本もどうなってるか楽しみ。

 Chip Kidd と雑誌を提供したコレクターのSaul Ferris へのインタビューを読みますと、アチラでは桑田次郎はすでに「8マン」の作者として有名で、このインタビューでも「Kuwata-sensei 」と呼ばれています。

 また今回の復刻にはデビッド・マッツケーリ(「Batman: Year One 」のマンガ家)が一枚かんでるそうで、そうだよ、このひと日本滞在中に少年画報社を訪問してたんだよ。そして版権を持ってるDCコミックスも出版に好意的だったそうです。

 このインタビューでは、バットマンのおかげで「少年キング」の売り上げが伸びた、とか当時日本でのマーチャンダイジングは一過性だったが大成功をおさめた、てなことが語られてますが、それはちょっとちがうぞ。誰か教えてあげるように。

 ちなみにこのページにあるバットマンのオモチャみたいなのは販売されてたものじゃなくて、「少年画報」1966年7月号付録の「バットマン立体映写機」であります。

 日本語版(というのも何かヘンですが)が出版される予定はないそうです。コレクターのかたがた、ここは買いでしょう。

 最大の問題がお値段でして、定価がハードカバー60ドル、ペーパーバック29.95ドル。日本アマゾンで買うとほとんど値引きがないうえに、日本アマゾンによる本日のレートでは、それぞれ6606円と3677円です。こりゃ高い。アメリカアマゾンで買うと、今なら予約割引があって37.8ドルと19.77ドル。送料約9ドルを足しても日本で買うよりずいぶん安くなります(そのかわり到着までに一か月近くかかりますが)。うーん悩めるところであります。

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July 23, 2008

道半ば

 ひとの体重の話なんかだれも興味ないと思いますが、Wii Fit を始めて本日で158日目であります。でもって現在まで体重は14kg 減少しました。

 ここで目標達成というわけではなくて、まだ道半ばなのですが、おまえいったい何キロあったんや、というご質問にはナイショです。

 別に特殊なことをしているわけではなく、食事療法と有酸素運動少しと筋トレ、というごくあたりまえの三種をやってるだけです。

 夕食は控えめに。あと酒のサカナは干し貝柱とかさきイカとかイカクンとか、量が少なくてすむものばかり。カロリーとタンパク的にはオッケーですが、塩分的には問題あり、ではありますが。ああっポテトチップスが食いたいっ。

 Wii Fit で体重をはかることは続けています。毎日仕事から帰るとWii Fit で体重測定してフラフープ10分、が習慣になっちゃいました。

 筋トレは週2回から3回。フィットネスクラブなどには行かず、家庭でやっております。クロム製のダンベルは家庭に置いておくとちょっと危険なので、砂鉄入りのソフトダンベル1.5kg 2本を片手に持って、計3kg として使ってます。ビンボくさくてすみませんねえ。

 マンガ読んでても、青木光恵や田丸浩史がやせたことがあるとか、田中圭一が半年で20kg やせたとか、そっち方面が気になって。おっと、自転車でむっちゃ減量した高千穂遙の記録、一本木蛮/高千穂遙『じてんしゃ日記』(2006年早川書房、1000円+税、amazonbk1)の続編、『じてんしゃ日記2008』(2008年早川書房、1000円+税、amazonbk1)もこっそり出版されてるじゃないですか。これも買わなきゃ。

 

 えー、年とってからの減量には問題点がありまして、ひとつは少しぐらい体重は減っても体形はあんまり変化しないので、ガマンが必要。もひとつは皮膚がのびちゃってたれてしまう傾向にあること。これはどうしようもないそうです。

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July 21, 2008

コンビニコミックを買ってみる

 コンビニコミックは1999年、小学館の「My Fisrt BIG 」に始まるそうです。最近は描き下ろし作品も増えましたが、わたしなどは買いのがしてた過去の作品にもういちどお目にかかれるのが楽しみ。

 かつて嶋中書店が出してたコンビニコミックのシリーズは、ずいぶん渋いラインナップでしたねえ。つげ義春とか水木しげるとか。作品のダブリも気にせず買ってました。

 でも販売期間が短いというのが基本ですから、長編などはふと発見すると現在発売されてるのが3巻ぐらいだったりして、ここから集めるのはちょっとなあ、ということになったりします。ですから1巻を見つけることができたときはラッキー。

 長編マンガをまとめてイッキ買いするのは、そうとうの思いきりが必要です。金額も、読む時間も、書棚のスペースも気になります。そのてん一冊ずつ定期的にそろえていくのは、心理的にずいぶんラクですし、ちょっとずつ本が増えていくのも楽しいものです。ウチのどおくまん『暴力大将』や『熱笑!!花沢高校』などは、これで全巻そろえることができました。

 このあいだ見つけて買ったのが、柴田ヨクサル『エアマスター』コンビニ版1巻。えっ、でもこれお話の途中から始まってる。

 コンビニコミックはこれがあるからなあ。それにお話の最後まで刊行されないこともあるし、油断できません。

 もひとつ、ちばてつや『のたり松太郎』コンビニ版1巻も今、発売されてます。わたしこの作品、1973年の連載開始のころずっと雑誌で読んでたのですが、最後のほうの展開はよく知らないのですよ。

 で、あらためて最初から読み直してみようかな、と思い買ってみますと、あれれ、連載第一回のオープニング、わたしの記憶と全然ちがってるじゃないですか。

 わたしの記憶では、19歳の中学生、松太郎が後輩からタバコをカツアゲするシーンがあったはずなのに、まるきりなくなってる。

 他の単行本や文庫を確認してないのですが、これって「中学生がタバコ」「恐喝」が問題視されてのカットなのかしら。それともわたしの記憶ちがいなのかなあ。 

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July 19, 2008

これはトラウマになります。石川球太『白昼夢』

 意外なところで意外なマンガにお目にかかりました。

 1970年「週刊少年キング」が、江戸川乱歩作品をマンガ化したことがあります。タイトルは「江戸川乱歩恐怖シリーズ」。

(1)横山光輝『白髪鬼』
(2)桑田次郎『地獄風景』
(3)古賀新一『屋根裏の散歩者』
(4)石川球太『人間椅子』
(5)石川球太『芋虫』
(6)石川球太『白昼夢』
(7)石川球太『お勢地獄』

 古書マニア、とくに乱歩マニアには有名なマンガだそうです。

 このうち、横山光輝「白髪鬼」と桑田次郎「地獄風景」は、かつて角川ホラー文庫「ホラーコミック傑作選第5集 白髪鬼」(2000年角川書店、800円+税、amazonbk1)に収録されたことがあります。横山作品は今年の春に刊行された講談社漫画文庫「白髪鬼」(2008年講談社、780円+税、amazonbk1)にも収録されましたので、現役で読むことが可能です。

 

 問題は四作ある石川球太作品。

 今は谷口ジローの師匠としても有名な石川球太ですが、彼の代表作といえば、『牙王』(1965年週刊少年マガジン)と『原人ビビ』(1966年週刊少年サンデー)という大自然を舞台にしたワイルドな作品ということになるのでしょう。しかしこのかた、とても奇妙な『巨人獣』(1971年週刊少年キング)という作品も描いてらっしゃいます。これは石川球人の名義で1998年太田出版から再刊されました。

 乱歩作品をマンガ化した少年キングのシリーズでも、石川球太は少年読者を戦慄させまくったそうです。マンガ化された『白昼夢』がどんな絵だったかは、喜国雅彦が自分のコレクションを披露しているこちらのページで見られますので、コワがってください。

 江戸川乱歩/石川球太の四作品は、これまでずっとまぼろしの作品となっていました。

 で最近、少年画報社から東本昌平作品ばかりを集めた「ハルマン」という個人雑誌が発売されたのですが、この1号に、なーんとこのまぼろしの、江戸川乱歩/石川球太『白昼夢』が復刻されているではあーりませんか。

 なんでまたこんなところに、といいますと、この作品を東本昌平が子ども時代に読んで、強烈な印象を覚えてしまったからだそうです。でもねー、『キリン』=東本昌平ファンは、石川球太作品を読んでどう感じるんでしょ。

 江戸川乱歩による『白昼夢』は数ページの小品です。夢野久作が絶賛したこの作品ですが、マンガ化されても30ページ。今回の復刻は原稿紛失のため雑誌よりのスキャンですが、モノクロ部分もカラー化してあります。抑制されたカラリングで、これがなかなかいい感じ。

 炎天下で香具師がただただ口上を述べてるという作品です。この単調なはずの作品が、石川球太の絵によって、ラストでいかに怖くなるか。いやー、これはトラウマになりますね。東本昌平と少年画報社は、よくもまあこれを復刻してくれました。

 ああ、こうなると、江戸川乱歩/石川球太の『芋虫』が読みたいっ。これ実はわたしもうっすらと記憶にある作品なのですよ。どれだけ怖かったのか、も一度確認してみたくなります。

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July 17, 2008

娯楽としての盗作鑑賞

 栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史』(2008年新曜社、3800円+税、amazonbk1)読みました。

 いやどうもおもしろいのなんの。盗作ヲチがこんなにおもしろいものとは知りませんでしたねー。

 オビにある「盗作大全」というコピーにふさわしく、明治以来の日本文学における盗作事件を総まくりした本。とくに戦後の小説中心に書かれてます。

 本書でとりあげられている戦後の作品は、小説45作、その他ノンフィクション/エッセイ、翻訳、短歌、俳句、映画、TVドラマ、TVドキュメンタリー、シナリオ、歌詞など、となっております。

 これ以外にも、学術論文やら評論やら、さらに絵画、デザイン、マンガと、盗作として報道された作品はもっと多いはずですが、さすがにすべてに言及するのはムリ、というわけでそっち方面は本書ではパスされてます。惜しいことに唐沢俊一氏による漫棚通信ブログ盗用事件は載ってません。

 それぞれの作品については、わたしが読んでもこりゃ盗作やないやろ、と思うものも含まれてます。これは盗作というものが、盗作であると報道するメディアの問題でもあるからです。「盗作」「盗用」「剽窃」という言葉そのものが、法的に定義されているものではありません。

 さらに本書では「無断引用」といういまだに使用され続けている珍妙な言葉も、それぞれのマスコミ各社内で規定されているジャーゴンであると指摘されています。

 引用は無断でしてかまわないとあれほど言われていても、「無断引用」という言葉が生き残っているのは、あくまで出版各社の恣意的な使い分けによるもの。これはまちがいなく「盗作」、このあたりなら「無断借用」、この程度では「無断引用」というところでひとつ納得してくんないかなー、というわけです。なるほどそうだったのか。

 また日本の司法判断においては、マスコミで報道される「盗作事件」のほとんどは「法廷で争われたとしても著作権侵害にはおそらく問われないだろう」という文章も、実際の判例をくわしく提示してくれています。本書は、今後盗作を語るかたがたには必読の書となるでしょう。

 この分野にはまったく先行研究がなかったそうです。となると本書はまさに空前の書でありまして、著者によるあとがきにはこのように書かれております。

参考文献がないということは事件のインデックスとなるものがないということであり、それはすなわち事件自体を自力で発掘していかねばならないということである。バベルの図書館、ならぬ国会図書館を最深部とする書物の海に素潜りするようなものだ。

 このように労作である本書で何がおもしろいかといって、なんつっても盗作(を指摘された)側のイイワケがおもしろくってしょうがない。

ぼくは、このような意見、つまり「薫くん」流にいえば、人の足をひっぱって自分の存在を主張するといった「品性下劣」な、めめしい発想をとてもお気の毒に思いますし、そのような発想がこうした形でとりあげられるというような時代の状況自体を問題だと考えているわけです。(庄司薫)

盗作だなんて、そんなことは決してありません。フォークナーは好きでした。好きでノートに書き移してみたり、暗唱してみたりしたほどですから、気づかない間に、自分の文章の中にまじりこんでしまったんだと思います。(西村みゆき)

まア過去の駆け出しの時代のことですし、なんとか大目にみてくださいよ。私の場合、原作より面白いかも知れないんですからね……。(大藪春彦)

 山崎豊子あたりになりますと、『花宴』の盗作事件のとき、

私は作家として一番許されない誤りをおかした自分の不明と不心得を恥じ、全面的に深くお詫びいたします。(山崎豊子)

と言ってたにもかかわらず、後年のインタビューで、山崎さんは前の“花宴”も盗用だったと認められますか? という問いに対し、

いえ、認めません。(山崎豊子)

とまあ、堂々たる前言撤回をおこなったりしてます。

 こういう盗作者側の態度というのは、多くは悪あがきとしか見えませんが、実際には盗作じゃなさそうな例も含まれてますから、問題はさらに複雑になります。このように盗作をめぐる、盗作者、被盗作者、擁護者、非難者たちが入り乱れて登場する物語、これがなんともおもしろいったらありません(当事者じゃなければね)。

 本書全体を通して、盗作およびその騒動は日本文学の発展に寄与したか、という著者の問題意識があるのですが、少なくとも本書によると、寺山修司の(盗作)短歌だけはその後に建設的影響を与えたみたいです。

 それにしても盗作するひとというのはあれですかねえ、夜中にゲヘヘとか言いながら人の文章を丸写ししたりネットからコピペして、文末をせっせと修正してるのでしょうか。それともあまりにアタリマエの行為すぎて、なんとも思ってないんでしょうか。

 ここはもう、本書では批判的に言及されている朝日新聞(盗作業界では、盗作スクープ好きで有名)の書評欄で、盗作家として著名な唐沢俊一氏にぜひとも書評をお願いしたいものです。唐沢氏ほど盗作者の内面にくわしいかたも、そうはいないはずですし。

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July 15, 2008

1970年代前半の貸本屋

 泉麻人『シェーの時代』(2008年文春新書)には1960年代の東京が回想されていますが、当時小学生だった著者の視界には、「貸本屋」が登場していません。1960年代以後、貸本屋は急速に衰退していったと言われています。

 わたしは1956年生まれの泉麻人とほぼ同年代です。あちらは東京のお坊ちゃん、わたしはすっごい田舎モノ(なんせ小学校に上がる前に暮らしてたのが阿蘇山の中腹、冬にツララがさがるような山村)なので、ちょっと比較するのもアレですが、地方都市には1970年代まで貸本屋が存在しました。

 ただし、幼稚園・小学生時代まではあそこはなんとなく暗くてコワイ、近寄っちゃいけないところと考えてました。ですからそのころ、貸本屋に足を踏み入れたことはありません。

 わたしが貸本屋によく行くようになったのは1970年代前半です。当時自転車通学をしていたわたしは、学校の帰りに一軒の貸本屋によく立ち寄っていました。

 飲み屋街のいちばん端っこ、かつての遊郭街のはずれになります。周囲にはさびれたホテル(連れ込み旅館と呼ばれてました)とかもあって、夜になると街娼やそのマネージャーであるところのばあちゃんたちが立ってるような路地。そこにその貸本屋がありました。

 間口も大きくて、奥にも広い店でした。明かりがはいるのは入り口のガラス戸だけ、右も左も全部書棚で、窓はありません。中央部にはテーブルがあり、そこにも多くの本が平積みになってました。突き当たりの奥にくもりガラスの引き戸があって、その奥が店主家族の生活の場でした。

 そのころはすでに貸本屋だけでは経営がなりたたなくなってたのでしょう、古書店を兼ねたつくりになってて、左の書棚が全部貸本、右の書棚が全部売り物の古書。

 貸本のほうはマンガはほとんどなくて、時代劇、アクションもの、恋愛ものなどの大衆小説ばかりでした。紙質もよくなかったなあ。でもあれだけそろうのけっこう壮観でした。あそこのお客は誰だったんだろう。場所柄からいって、飲み屋につとめるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちがお客だったのでしょう。

 読まれなくなった貸本も古書として売ってました。そのころになると、貸本用として作られたいわゆる「貸本マンガ」は貸本としてはもうほとんど読むひとがいなかったのでしょう、その手のマンガはほとんど古書として売られてました。でも本はそうとう汚くてねえ。当時のわたしはトンがった雑誌マンガを追っかけるのに夢中だったので、貸本マンガには目もくれず、買いのがした新書判中心に探してました。今思うともったいないことをしたものです。ああ、いくつかでもアレを買っておけば。

 わたしがその店でいちばん買ったのは、実は雑誌です。そこに行くとかならず、週遅れの週刊誌や月遅れの月刊誌が半額以下で手にはいるのです。週刊マンガ誌が発売してすぐに安く買えることもありましたし、月刊マンガ誌は半年ぐらい前のものまで、週刊マンガ誌も数か月ぶんはたいてい揃ってました。これも場所柄なんでしょう。

 美内すずえが描いてたころの「別冊マーガレット」や、一条ゆかり『デザイナー』が連載されてたころの「りぼん」は、全部ここで買いました。だってさすがに男子高校生には「りぼん」の付録なんかいりませんでしたからね。しかもコヅカイの少ない身にとって、安いのはありがたかった。

 高校を卒業してからは、この店から足が遠のいていましたが、ある日、前を通ってみるともう店を閉めてました。

 ウチにある虫コミックス版の水野英子『星のファンタジー』とか上田としこ『お初ちゃん』などは、表紙をビニールで補強してある貸本仕様です。

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July 12, 2008

マンガに対する批判と規制

 マンガというメディアには、どうしたって下品でジャンクな側面があります。時代の経過とともに表現が洗練に向かういっぽうで、下品でどこが悪い、ジャンクでこそマンガであると開き直る態度も存在します。

 となると、どうしたってマンガと社会は衝突することになるわけでして、今年になっても児ポ法改正の動きがあり、マンガもそのターゲットになっています。

 ただこれは避けられない運命とでもいいますか、マンガが下品でジャンクなものであることをやめない限り、すなわちマンガがマンガである限り、今後もずっとくり返されることになるのでしょう。

 じゃ過去はどうだったか。マンガが社会あるいは国家から批判、そして規制されてきた歴史というのを知ってみたくなります。ネット上にはAMI-Web のサイトに「日本でのマンガ表現規制略史」というありがたいものがありますが、書物として何かいいものがないかと探しておりました。わたしが最近読んだのはこれ。

●竹内オサム『戦後マンガ50年史』(1995年ちくまライブラリー、1400円+税、amazonbk1
●橋本健午『有害図書と青少年問題 大人のオモチャだった“青少年”』(2002年明石書店、2800円+税、amazonbk1

戦後マンガ50年史 (ちくまライブラリー) 有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった“青少年”

 ともにちょっと古い本ですが、まだ現役で買えるようです。あと多くの図書館にはいってるのじゃないかしら。

 『戦後マンガ50年史』はあとがきにもあるように、「“事件”を通してみた戦後マンガの五〇年の歩み」を書いた本です。

 「事件」の内容は主に、マンガ出版・流通・作品そのものが社会からどのように批判され非難の対象になってきたか、です。本書に書かれているマンガ批判とは、(1)赤本マンガ、(2)絵物語、(3)月刊誌時代のマンガ、(4)1955年からの「悪書追放運動」、(5)貸本マンガ、(6)マンガ週刊誌、(7)戦記マンガ、(8)雑誌で台頭してきた劇画、(9)そして本書が書かれた1990年代の大きなテーマだった「黒人差別」と「有害コミック」問題、など。

 個々の作品になると、残酷・差別・戦争・エロ・ジェンダー・モデル問題・著作権問題と、さまざまなトラブルもありました。それぞれについてはわたしも知識がありましたが、きちんとまとめて読んだのはおそらく初めて。

 歴史をていねいに追った労作で、少なくともマンガ批判に関する基礎知識は、この本で十分得られるのではないでしょうか。

 ただし、悪書追放運動などはマンガだけを対象にされたものではありません。古くは「不良週刊誌」なんつー言葉もあったそうです。そこで『有害図書と青少年問題』。

 こちらはマンガを含めたいろんな本に対する規制の動きを、経年的に細かく追っかけたもの。『戦後マンガ50年史』よりもさらにくわしい記述になってて、規制推進派の主張や行動がこまかく調べられてます。こっちはわたしが知らなかったことも多かったです。

 本書を読みますと、(1)「青少年を守る」というお題目のもと、(2)「悪いものは悪い」という思考停止の結果、(3)いろんな本の発行や流通がくりかえし規制されようとしてきたことがわかります。『戦後マンガ50年史』とあわせて読めば、表現の規制の歴史が立体的にあらわれてくる感じ。

 日本人は戦時下とGHQ による統制を経て、やっと表現の自由を享受できるようになりました。ただしそれは国民が勝ち取った権利というより、敗戦によって突然転がり込んできたもの、とも言えます。だからなのか、われわれは国家による表現の規制を簡単に求めすぎていないか。

 両書とも新聞や雑誌からの引用が多数あり、その時代その場で実際にどのような発言があったのかよくわかるようになってます。いや勉強になりました。

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July 09, 2008

田中圭一の新境地

 田中圭一の新作ふたつがほぼ同時発売。

●『プリンセス破天荒』(2008年アスキー・メディアワークス/角川グループパブリッシング、950円+税、amazonbk1
●『サラリーマン田中K一がゆく!』(2008年角川書店/角川グループパブリッシング、980円+税、amazonbk1

 

 ともに角川系からの発売です。偶然なのか(?)二作に関連性がありまして、前者はゲーム業界を舞台にしたサラリーマンマンガ、「電撃マ王」連載。後者はおもちゃ業界を舞台にしたサラリーマンマンガ、「コミックチャージ」連載。ともに田中圭一の経歴を生かした作品です。

 『プリンセス破天荒』は、零細ゲーム開発会社の三人組が、おばかなゲームをつぎつぎとプランニングするお話。

 ゲームのアイデアが勝負の作品です。彼らの企画はエロいものだったりエロいものだったりエロいものだったり。宇宙人とかも登場しますので、基本的にいつもの田中圭一作品。そのあたりにほったらかしておいて家族に見られると、ちょとまずいです。

 手塚治虫キャラと本宮ひろ志キャラが登場するのはいつものことですが、今回、福本伸行・西原理恵子・松本零士キャラなんかも登場してにぎやかなこと。

 で、『サラリーマン田中K一がゆく!』。こっちには驚いた。

 オモチャ会社「ヨイコトーイ」の新入社員、田中K一くんの営業マンとしての日々を描いたもの。まわりにいる先輩、同僚は変人ばかりですが、なんと(田中作品としては)エロがすっごく控えめで、ポジティブなビジネスマン成長物語になってます。

 著者あとがきによりますと、「総務部総務課山口六平太」みたいな作品を求められて描いた、「新境地」の作品であると。

 これが意外と、と言ってはなんですが、すごくいいデキです。

 サラリーマン仕事のネガティブな面の描写は最小限。仕事を一所懸命すること、仲間を信頼して目標を達成すること、それによる成功の喜び。なんせラストのモノローグが、「ヨイコトーイがあってみんながいる ……だからボクがいる!! これは確かなことだから」ですから。

 田中圭一がエロを描かないで、しかもそれがおもしろいとは。

 著者が意識的に自身の絵柄を変更したことは知られていますが、今回の脱エロ、ストーリー重視も、将来を見据えた戦略的なものだそうです。いやー、クリエイターでありかつプロデューサなんだなあ、と感心。

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July 06, 2008

1960年代リターンズ『シェーの時代』

 泉麻人『シェーの時代 「おそ松くん」と昭和子ども社会』(2008年文春新書、840円+税、amazonbk1)読みました。

 赤塚不二夫作品の中でも過激な『天才バカボン』や『レッツラゴン』は今でもよく話題になりますが、それらに先行する『おそ松くん』については語られることが少なくなってます。

 その赤塚最初のヒット作品について書かれた本。ただし新しいおそ松くん論、というよりも、『おそ松くん』に登場するキャラクターやエピソードをこまかく紹介して、さらにその背景にある時代の風俗や事件を自分の記憶をまじえて語ったもの。おそ松くん研究、という感じの本でしょうか。

 六つ子のうち、おそ松は要領のいいリーダー、チョロ松がスマートなサブリーダー、という指摘があったりします。「演じるキャラクター」としてのダヨーンのおじさんについてはこんな楽しい文章。

ダヨーンの芝居には重厚な人間臭が漂っている。イヤミやチビ太とくらべて、ギャラも安いに違いない。新劇畑から起用された、クセのある役者の風情が感じとれる。楽屋でも、一人なじめずに浮きあがっていたことだろう。

 そして、あのころまだ道ばたにあったゴミ箱や用水桶の話とか、背景に登場する円筒形のガスタンクは、現在のパークハイアットのところにあった東京ガスのものではないか、とか。もちろんTV番組や歌謡曲の話も出てきます。

 『おそ松くん』のサンデーでの連載が1962年から1969年まで。著者の小学生時代と重なる時期で、しかも赤塚が住んでいたトキワ荘は、著者の生家のご近所。懐かしモノのプロとしても、これは語っておきたかったのでしょう。

 マンガの読み方語り方として、マンガ内容に耽溺しつつ、かつ時代状況を見直すという、こういう態度は正しいと思います。わたしもお手本にしなきゃ。著者の記憶にたよるだけじゃなくて、当時の掲載誌であったサンデーや、他の週刊誌記事などもよく調べられています。

 わたしは著者と同世代ですので、まさに想定された読者としてストライク。楽しく読みました。ただしあまりに固有名詞が注釈なしに頻発しますので、若い読者がついていけるのかどうかちょっと心配。

 『おそ松くん』のどこが新しかったかというと、登場人物全員が(おとなも子どもも)悪ガキであったところです。登場人物はつねに役割をいれかえていて、いじめっ子であったり、いじめられても逆襲に転じたり。この丁々発止のやりとりこそ、同時代の他の「ゆかいマンガ」にないものでした。

 今ならまだ、竹書房文庫版全22巻が手にはいるはずです(→amazonbk1)。

 すこし気になったところ。ベビーギャングについて「昭和35年ごろから小学生の模擬ギャング事件(恐喝や窃盗)が世間をにぎわすようになって、幼少期の中村勘九郎を起用した映画も作られたはずだ」という記述がありますが、それなら事件に先行する岡部冬彦のマンガ『ベビーギャング』にも言及してくれなきゃ。映画の原作もこっちです。

 あと「週刊少年マガジン」創刊が、「週刊少年サンデー」創刊より10日早かったとありますが、しつこいようですが同日創刊ですのでよろしく。

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July 03, 2008

老いたり『美味しんぼ』

 大長編マンガ『美味しんぼ』の暫定最終巻、102巻が発売されてます。

●花咲アキラ/雁屋哲『美味しんぼ』102巻(2008年小学館、524円+税、amazonbk1

 

 暫定「最終巻」という表現は、ストーリー的にも山岡と海原の親子和解がなされ、究極と至高のメニューの闘いも一段落したから。ただし秋には連載が再開されるはずなので、次巻以後も何もなかったかのように続くような気もしますが。

 わたし、65巻あたりで脱落してましたので、今回ひさしぶりに102巻を買ってみました。

 ま、親子の和解テーマは、どうでもいい感がただよってます。これまで20年以上、えんえんとくり返されてきたことですし、ちょっと飽きちゃったかな。

 驚いたのは、花咲アキラの絵。しばらく見ない間に、登場人物全員の顔、横にふくれちゃってます。とくに栗田さん、えらく太ってしまってすっかりお母さん体形。102巻の書影でわかりますか?

 栗田さんもねえ、初期を読み直してみると今の顔と全然ちがいます。小さな鼻、アタマに比べて首もカラダも小さく、江口寿史みたいな典型的な80年代ラブコメキャラでした。時の流れは顔と体形を変えてしまいましたねえ。栗田さんがわかりやすい2巻の書影を並べときます。

 102巻でいちばん気になったのは、海原雄山。この枯れぐあいはどうよ。102巻書影にあるようにおだやかというかほとんど無表情。これがこの巻の最初っから最後まで続きます。全部コピーでもいいんじゃないかと思えるぐらい、ワンパターンの角度と表情です。

 初期の海原雄山、「女将を呼べッ!!」と大騒ぎするわ、出された料理をなぎはらうわ、フランス料理店にワサビと醤油を持ち込んで店の人間を激怒させるわ、あの極悪さとアクの強さはどこへ行ったんでしょ。

 作品としての『美味しんぼ』は、食文化をテーマにしたココロザシの高さ、そのマンガフォーマットとしての完成度など、まちがいなく名作だったし、ベストセラーにもなりました。

 しかし20年以上続けるとどうしても、老いたなあという感慨がわいてきます。ストーリーもそういう傾向がありますが、とくにキャラクター。彼らも年をとってくるものですねえ。


※『美味しんぼ』ほぼ全巻に対するコメントを書かれたかたの記事がコチラ
※かつてわたしが『美味しんぼ』を評した文章がコチラ

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