1970年代前半の貸本屋
泉麻人『シェーの時代』(2008年文春新書)には1960年代の東京が回想されていますが、当時小学生だった著者の視界には、「貸本屋」が登場していません。1960年代以後、貸本屋は急速に衰退していったと言われています。
わたしは1956年生まれの泉麻人とほぼ同年代です。あちらは東京のお坊ちゃん、わたしはすっごい田舎モノ(なんせ小学校に上がる前に暮らしてたのが阿蘇山の中腹、冬にツララがさがるような山村)なので、ちょっと比較するのもアレですが、地方都市には1970年代まで貸本屋が存在しました。
ただし、幼稚園・小学生時代まではあそこはなんとなく暗くてコワイ、近寄っちゃいけないところと考えてました。ですからそのころ、貸本屋に足を踏み入れたことはありません。
わたしが貸本屋によく行くようになったのは1970年代前半です。当時自転車通学をしていたわたしは、学校の帰りに一軒の貸本屋によく立ち寄っていました。
飲み屋街のいちばん端っこ、かつての遊郭街のはずれになります。周囲にはさびれたホテル(連れ込み旅館と呼ばれてました)とかもあって、夜になると街娼やそのマネージャーであるところのばあちゃんたちが立ってるような路地。そこにその貸本屋がありました。
間口も大きくて、奥にも広い店でした。明かりがはいるのは入り口のガラス戸だけ、右も左も全部書棚で、窓はありません。中央部にはテーブルがあり、そこにも多くの本が平積みになってました。突き当たりの奥にくもりガラスの引き戸があって、その奥が店主家族の生活の場でした。
そのころはすでに貸本屋だけでは経営がなりたたなくなってたのでしょう、古書店を兼ねたつくりになってて、左の書棚が全部貸本、右の書棚が全部売り物の古書。
貸本のほうはマンガはほとんどなくて、時代劇、アクションもの、恋愛ものなどの大衆小説ばかりでした。紙質もよくなかったなあ。でもあれだけそろうのけっこう壮観でした。あそこのお客は誰だったんだろう。場所柄からいって、飲み屋につとめるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちがお客だったのでしょう。
読まれなくなった貸本も古書として売ってました。そのころになると、貸本用として作られたいわゆる「貸本マンガ」は貸本としてはもうほとんど読むひとがいなかったのでしょう、その手のマンガはほとんど古書として売られてました。でも本はそうとう汚くてねえ。当時のわたしはトンがった雑誌マンガを追っかけるのに夢中だったので、貸本マンガには目もくれず、買いのがした新書判中心に探してました。今思うともったいないことをしたものです。ああ、いくつかでもアレを買っておけば。
わたしがその店でいちばん買ったのは、実は雑誌です。そこに行くとかならず、週遅れの週刊誌や月遅れの月刊誌が半額以下で手にはいるのです。週刊マンガ誌が発売してすぐに安く買えることもありましたし、月刊マンガ誌は半年ぐらい前のものまで、週刊マンガ誌も数か月ぶんはたいてい揃ってました。これも場所柄なんでしょう。
美内すずえが描いてたころの「別冊マーガレット」や、一条ゆかり『デザイナー』が連載されてたころの「りぼん」は、全部ここで買いました。だってさすがに男子高校生には「りぼん」の付録なんかいりませんでしたからね。しかもコヅカイの少ない身にとって、安いのはありがたかった。
高校を卒業してからは、この店から足が遠のいていましたが、ある日、前を通ってみるともう店を閉めてました。
ウチにある虫コミックス版の水野英子『星のファンタジー』とか上田としこ『お初ちゃん』などは、表紙をビニールで補強してある貸本仕様です。
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