『男組』のころ
昨日のBSマンガ夜話、池上遼一/雁屋哲『男組』の回、楽しく見ました。で、わたしもちょっとそのころのお話を。
●1970年代に空手やカンフーのブームというのがありまして、まずは、1969年からつのだじろう/梶原一騎『虹を呼ぶ拳』。これは「冒険王」連載でしたが、そのコンビのまま「週刊少年マガジン」に移動して、1971年から『空手バカ一代』。日本中のバカ中高生の間で大山空手がブームになりました。
1973年末に映画『燃えよドラゴン』公開。今度は全世界のバカ中高生がヌンチャクを振り回して、自分の頭に当てることになります。
そして1974年から「週刊少年サンデー」で『男組』の連載開始(連載終了は1979年)。中国拳法を前面に押し出した作品で、日本中のバカ中高生が「猛虎硬爬山!」とか叫びながらヒジ撃ちをしてました。
●池上遼一/雁屋哲コンビの最初の作品は『ひとりぼっちのリン』。1972年から1973年にかけて「週刊少年マガジン」に連載された競輪マンガ。なかなか人気がありましたよ。ただし当時の雁屋哲のペンネームは阿月田伸也(あ、月だ、深夜?)。
『男組』は、マガジンでのこのコンビがそっくりサンデーに引っ越して、誕生しました。引き抜き?
●池上遼一の絵を語るなら、『I・餓男』に触れてくれなきゃ。
小池一夫(最初のうちは一雄)原作の青年向けマンガ。『男組』に先立つ1973年、講談社の一般週刊誌「週刊現代」で連載開始。その後「劇画ゲンダイ」(講談社発行の青年向けマンガ誌)に移り、1975年からは小学館「GORO 」に連載。ほぼ『男組』と同時期の連載です。
「GORO 」はマンガ誌じゃなくてA4判のグラビア誌、しかも紙質がいい。この大きな本でアメリカが舞台のモノクロマンガを描いてたのですから、線はどんどんシャープになり、男はかっこよく、女性もどんどんエロくなる。
池上遼一の絵の完成は、『男組』よりも同時期の『I・餓男』のほうに顕著にあらわれてます。
●池上遼一の病気による長期休載は1977年のこと。このとき「週刊少年サンデー」でその代わりに連載されたのが、長谷川法世/雁屋哲『突き屋』。「GORO 」で代わりに始まったのが、あのエロい作品、叶精作/小池一夫『実験人形ダミー・オスカー』でありました。
Comments
デビュー作のペンネームが阿佐田哲也のパロディーなんですね・・・
Posted by: 夷 | June 22, 2008 01:32 AM