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June 30, 2008

わたしたちが知らなかった『マファルダ』

 日本には独自のマンガ文化がありドメスティックに完結してしまっているので、海外マンガはきわめて限られたものしか輸入されません。

 アメコミにしても、邦訳をきちんと読んだことがあるひとはまあ少数でしょう。BDになると、世界じゅうで読まれている古典的作品でも、タンタンのシリーズが日本で完結したのはつい昨年末のことですし、アステリックスはかつて講談社から一度邦訳されたことがあるだけです。

 というわけで日本は世界のマンガ情況からはほとんど鎖国状態、なのですが、それでもときどき意外な作品が邦訳されることがあり、ありがたいことです。

 で、これ。

●キノ『マファルダ 1巻 悪いのはだれだ!』(amazonbk1
●キノ『マファルダ 2巻 いつだって子ども!』(amazonbk1
(2007年、2008年エレファントパブリッシング、泉典子訳、各1600円+税)

 

 『マファルダ』はアルゼンチンのマンガ家、キノ Quino の手により1964年から1973年にかけて描かれた作品です。中南米やヨーロッパでは大ヒットして計2000万部のベストセラーになりました。アニメーションも制作され、日本でも1978年頃に「おませなマハルダ」のタイトルで放映されたことがあるそうです(→YouTube )。

 書影や英語版Wikipedia を見ていただければわかりますが、チャールズ・M・シュルツのタッチですね。ほとんどが四コマで構成されたコミック・ストリップで、これもピーナツに似ています。登場するのは主に子どもたち。主人公のマファルダは、アルゼンチン版の2巻で小学校に入学、六歳の誕生日を迎える、という年齢設定です。

 チャーリー・ブラウンが哲学的と言われるのに対し、マファルダは政治的。彼女が将来なりたい職業は国連の通訳、彼女が望むものは世界平和です。マファルダはいつも地球儀に話しかけ、世界情勢を憂えています。彼女の友人には、経済こそ最も大事と考えるマノリトや、金持ちの妻になり母になることしか考えていないスサニタがいてユニーク。これも世界の縮図ですね。

 1969年イタリア版が出版されたとき序文を書いたのはウンベルト・エーコで、彼はマファルダを「社会の現状に黙ってはいられない怒れるヒロイン」「現代の英雄」と呼びました。

 さて21世紀になり、このマファルダを日本でもやっと読めるようになりました。アルゼンチン版の1・2巻が日本語版1巻、3・4巻が日本語版2巻としてまとめられています(原書は全10巻)。

 こんな感じのマンガです。

 マファルダと友人たちのおしゃべり。
○ あんたの考えって尊いけど、でもやっぱりおめでたいと思うよ
● お金より文化のほうが大事だって考えたらおめでたいのかよ
● 銀行より図書館のほうが尊重される社会っていいじゃないか
△ それって過激派が考えることだよ!

 あるいはこんな感じ。

 マファルダが友人に本を読んであげています。
○ 「善良さは人間が持って生まれた性質です」
● それで意地悪のほうは? 生まれつきじゃないの?
○ ちがうの。これってどこにでもある作り話のひとつなのよ

 読んでげらげら笑うタイプのマンガではありません。ナンセンスやファンタジーの代わりに、皮肉と風刺に満ちているマンガ。当時の世界情勢やアルゼンチンの政治状況と無関係ではなく、現代の日本人にとって読みやすいとは言えない作品ではあります。

 ただしマファルダは決してかたくるしいマンガではありません。基本はもちろん「笑い」ですし、「かわいい」キャラクターとしても受容されています。マファルダの読者の多くはまちがいなく子どもたちです。スペイン語圏では、現代においても特別な地位にあるマンガだそうです。

 しかしこういう「政治的」なマンガを読んで育つかの地のひとびとは、日本人と違ったマンガリテラシーを持っているのじゃないか、なんてね。世界じゅうのいろんなマンガをもっと読んでみたいものです。

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June 28, 2008

これはわからん『ハタキ』

 野中英次の新作『ハタキ』1巻(2008年講談社、533円+税、amazonbk1)が発売されております。

 買ったままそのあたりに放り出しておいたら、ウチの中学生が先に読んじゃって、これはおもしろいと言うわけです。次に妻が読んでみたのですが、コッチはおもしろいのかどうなのかすらわからんと。

 で、わたしも読んだのですが、うーむこれはたしかにわからん。

 野中作品としては話題や登場人物がアッチコッチ行かずに、めずらしくずっとヒトネタで通してます。そのネタが書影にある、「ハタキ」と呼ばれる謎の生物。

 妻に養ってもらっているニートの主人公は、ある会社のモニターとしてこの「ハタキ」をペットとして飼うことになるのですが、こいつ、ブタのようでブタじゃない生物。いろんな奇妙な能力を持っていることが次第に明かされていきます。

 池上キャラが登場するいつもの脱力系ギャグとして、『魁!!クロマティ高校』や『未来町内会』のつもりで読んでおりましたら(実際にいつものギャグで話はすすむのですが)、突然、ホラー風味が混じってきて、読者はあれれ? と思うことになります。

 これはもしかしてホラー? でも作者が野中英次なもんだから、本気なのか冗談なのか、読者も迷うわけです。行き当たりばったりにやってんのじゃないのか、なんて疑惑もあって、これをホラーと思ってたら次回ですべてなかったことにされちゃたりするんじゃないか。信用できない作者だからなあ。

 しかし、物語は着実にちょっとずつ「ギャグかつホラー」方面に向かっているようです。まだ単行本になっていない雑誌連載での展開を見ますと、いよいよ主人公のアイデンティティの崩壊が始まる、かもしれないし、そうでないかもしれない(ああ、自分でもなに書いてんだか)。

 ドリフのコントで、「志村ー、うしろー」とか言ってたら、本格的にコワい展開が待ってた、みたいな感じ。と紹介文書いてても、実際にホラーになるのかどうなのか、やっぱわからん作品なのですよ。

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June 25, 2008

フェリーペ・スミスに注目

 ウチの近所の書店ではまったく見かけない講談社「モーニングツー」を、職場近くのコンビニで発見。買ってきました。

 今月号の表紙と巻頭カラーは、フェリーペ・スミスの新連載『ピポチュー』です。この作品におどろいた。

 オープニングでスプラッタとエロを見せておいて、突然オタクでナードな黒人少年の日常へ。シカゴに住む彼は日本のアニメ「ピポチュー」が大好きで、ピポチューのコスプレをしてコミックブックストアではたらいています。

 彼があこがれる夢の国・日本とは、「日本人はみんなやさしい」「日本ではみんながコスプレしてて…」「日本人はひとり残らずアニメを見てマンガを読んでるんだ」

 そんな彼がくじに当たって日本に行くことになる、というところで第一話の終わり。ところが日本ではヤクザどうしの抗争が始まっていて、シカゴの殺し屋(これがコミックブックストアの店長)がからんでいるという設定。次回へのアオリが「近づけば近づくほど遠くなる国 そこは本当に“オタクの楽園”なのか!?」

 おもしろそーっ、というのが第一印象です。ともかくシカゴの日常描写がすばらしい。退屈で暴力的で貧乏な日常に、自分の居場所を見つけることができない主人公。彼は自分がOTAKUSであることに誇りを持ち、ここじゃないどこか=日本にあこがれている。

 これは日本人であるわたしたちから見るとまるきり裏返しの設定で、しかも普遍性を持っています。ここじゃないどこかに行きたいのは、わたしたちだけじゃないのだ。

 次回以後、主人公が夢の国であるはずの日本で出会うのは、失望か暴力かファンタジーか。目が離せません。

 フェリーペ・スミス Felipe Smith は、TOKYOPOP から『MBQ 』(既刊3巻)を出版しています。TOKYOPOP のサイトで一部立ち読みできますが、こちらもコミックブックアーチストの主人公の周囲で起こる暴力の物語で、うんざりするような日常の描写があります。井上三太『TOKYO TRIBE 2 』が登場したりしてて、そうかあのアメリカーンな作品はアメリカでも読まれておったのか。(→amazon

 『MBQ 』でもそうですが、モノローグ=キャプションでつなぐ最近のアメリカグラフィック・ノベルとも違い、あきらかにコマ構成で読ませようとする日本マンガタイプの作品です。殴り始めてから殴り終わるまで2ページ以上もかかったり(『MBQ 』2巻)します。

 絵はリアルに進歩したカートゥーンタイプという感じ(この場合のカートゥーンというのは“子ども向けマンガ映画”の意味です)。これって今の日本にはないから、とても新鮮に感じます。日本進出にあたって、とくに女性の目を日本型ぱっちり目に変更してますね。

 しかしこのレベルの作品が、今後もかるがるとアチラの作家によって描かれるとするなら、「マンガ」もいずれ海外作家によって席巻されちゃうのじゃないかと、うれしいような、不安なような。

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June 22, 2008

日本マンガ学会第8回大会イン松山

 朝起きてみるとけっこうな雨のうえ、天気予報でも大雨の報道。どうしようかと迷ったのですが、せっかく今日のために仕事のシフトも代わってもらったんだし、と考え、クルマで松山に向かいました。松山大学での日本マンガ学会のためです。

 途中、高速道路でかなりの雨に出会いましたが、松山に着いてみるとそれなりの曇天。松山大学での日本マンガ学会第8回大会、2日目のシンポジウム『手塚治虫「再考」』を聴いてきました。

 午前中は「手塚のルーツ/ルーツとしての手塚」というタイトルで、座長・宮本大人、パネリスト・竹内オサム、中野晴行、夏目房之介。

 個々の話はおもしろかったのですが、パネリストの興味の方向が統一されておらず、やや散漫な印象になりました。「ユリイカ」2008年6月号で宮本大人が、竹内オサムがとなえる手塚の同一化技法、これをいつまで同じことばっかし言うてんねん、と批判してたのですが、これに対する竹内の反論がありました。残念ながら議論としてはかみあわず。

 午後は、「手塚治虫の現在」というタイトルで、座長・小野耕世、パネリスト・伊藤剛、古徳稔(手塚プロダクション出版局長)、田中圭一。

 なんつっても田中圭一の、「いかにして私は手塚治虫の画風を手中にしたか、さらにその特徴とは」という発表がおもしろくておもしろくて。実際に手塚キャラ=今はすでに自身のキャラをすらすらと描いてみせる実技に、会場、大注目してました。

 さらに手塚プロの古徳氏が裏話を話す話す。

 たとえば、手塚治虫の同級生が描いた本が二冊あるが、そのうちひとつの著者は同級生でも何でもない、という話。

 えー、ひとつは泉谷迪『手塚治虫少年の実像』(2003年人文書院)で、これはわたしも読んだことがありますが、真摯な本だったという印象です。もひとつは、藤本明男『愛よ命よ、永遠に 手塚治虫少年ものがたり』(2007年文芸社)だと思うのですが、こっちがどうもすっごくアヤシイ本らしい。

 そしてわたしにとっては、現在、手塚作品はパロディであっても「許諾」が必要となっている、という話におどろいた。

 一週間前、田中圭一作品が手塚プロのチェックに持ち込まれてきた。「レオにあこがれている、オッパイが大好きな真っ白なライオン」の話。

 手塚プロが修正を求めた個所は、(1)「レオの末裔」という部分、(2)オッパイを見て「ハアハア」の部分、(3)「手塚プロダクション正式許諾」という記述、だったそうです。

 いやごもっとも、とけらけら笑いながら感じると同時に、パロディなのに許諾が必要なのか、という疑問がわいてきたのでありました。

 さて、手塚治虫の現在を考えるにあたって、わたしの最大の疑問があります。

 手塚は自身の過去の作品の修正をずっと続けてきました。その結果、過去と後年の絵柄が混在する珍妙な作品が後世に残されることなってしまいました(もっとも代表的なのが『ジャングル大帝』)。

 これは自身が望んだこととはいえ、手塚にとっても不幸なことではないのか。読者諸兄や、手塚プロはどう考えているのか、という点であります。こういうことを聞いてみたかったのですが果たせず、また大雨の中、クルマで帰ってきたのでありました。

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June 19, 2008

『男組』のころ

 昨日のBSマンガ夜話、池上遼一/雁屋哲『男組』の回、楽しく見ました。で、わたしもちょっとそのころのお話を。


●1970年代に空手やカンフーのブームというのがありまして、まずは、1969年からつのだじろう/梶原一騎『虹を呼ぶ拳』。これは「冒険王」連載でしたが、そのコンビのまま「週刊少年マガジン」に移動して、1971年から『空手バカ一代』。日本中のバカ中高生の間で大山空手がブームになりました。

 1973年末に映画『燃えよドラゴン』公開。今度は全世界のバカ中高生がヌンチャクを振り回して、自分の頭に当てることになります。

 そして1974年から「週刊少年サンデー」で『男組』の連載開始(連載終了は1979年)。中国拳法を前面に押し出した作品で、日本中のバカ中高生が「猛虎硬爬山!」とか叫びながらヒジ撃ちをしてました。


●池上遼一/雁屋哲コンビの最初の作品は『ひとりぼっちのリン』。1972年から1973年にかけて「週刊少年マガジン」に連載された競輪マンガ。なかなか人気がありましたよ。ただし当時の雁屋哲のペンネームは阿月田伸也(あ、月だ、深夜?)。

 『男組』は、マガジンでのこのコンビがそっくりサンデーに引っ越して、誕生しました。引き抜き?


●池上遼一の絵を語るなら、『I・餓男』に触れてくれなきゃ。

 小池一夫(最初のうちは一雄)原作の青年向けマンガ。『男組』に先立つ1973年、講談社の一般週刊誌「週刊現代」で連載開始。その後「劇画ゲンダイ」(講談社発行の青年向けマンガ誌)に移り、1975年からは小学館「GORO 」に連載。ほぼ『男組』と同時期の連載です。

 「GORO 」はマンガ誌じゃなくてA4判のグラビア誌、しかも紙質がいい。この大きな本でアメリカが舞台のモノクロマンガを描いてたのですから、線はどんどんシャープになり、男はかっこよく、女性もどんどんエロくなる。

 池上遼一の絵の完成は、『男組』よりも同時期の『I・餓男』のほうに顕著にあらわれてます。


●池上遼一の病気による長期休載は1977年のこと。このとき「週刊少年サンデー」でその代わりに連載されたのが、長谷川法世/雁屋哲『突き屋』。「GORO 」で代わりに始まったのが、あのエロい作品、叶精作/小池一夫『実験人形ダミー・オスカー』でありました。

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June 17, 2008

携帯マンガは救世主となるか

 京都精華大学が発行している雑誌「KINO 」7号(2008年京都精華大学情報館/河出書房新社、1143円+税、amazonbk1)読みました。

 特集タイトルが、なんとも挑発的。

●21世紀のマンガ コミック雑誌の消滅する日

 ちょうど今、マンガ雑誌におけるマンガ家編集者関係のきしみが噴出し始め、日本マンガのビジネスモデルが再検討されてる時期ですから、タイムリーですねえ。

 この号の巻頭には、樹林伸(亜樹直、天樹征丸)×長崎尚志による編集者兼原作者対談とか、竹熊健太郎×中野晴行によるマンガ雑誌の将来は? についての対談とか興味深い記事も載ってますし、「21世紀のマンガ・ベスト60」というブックガイド企画もあるのですが、雑誌としての主張は、実は最後のほうでなされています。

 編集長・熊田正史(もと小学館編集者、京都精華大学教授、マンガ学部マンガプロデュース学科長)による、「21世紀のマンガ研究 ついにやってきた コミック雑誌が消滅する日! それはメディアの交代なのか」という記事では、マンガの未来は携帯電話で配信されるマンガにこそあり、という宣言がなされています。

 そしてその後、雑誌のラスト三分の一を使って、携帯マンガのレポートがつぎつぎと。

●メディア革命起こる! ケータイコミックは21世紀のマンガ文化の救世主となるか? NTT DoCoMo に聞いたケータイマンガの現状!

●ケータイマンガ意識調査! まだまだ認知度が低いケータイマンガだけに可能性は無限大!!

●ユーザーに聞きました! ケータイマンガのココが好き!

●次世代マンガはココから始まる ケータイオリジナルマンガが読める配信会社紹介 マンガ文化のさらなる可能性を求めて! これからは新作マンガはケータイで読む時代だ!!

●株式会社ビービーエムエフ(携帯マンガ配信の大手)代表取締役、谷口裕之インタビュー 倍々ゲームで伸びる携帯コミック市場! ペーパー優位のメディア界を逆転させ、次代のメディア王を狙う!!

●コミック雑誌では読めない! 21世紀の携帯マンガ・ベスト15

●携帯マンガとしてオリジナルマンガを提供している六田登インタビュー

●ケータイ配信初! 完全オリジナル定期コミック雑誌の挑戦!! ケータイマンガに雑誌があってもいいじゃないか!

●千葉大学教授(発達心理学)中沢潤インタビュー 受動メディアと能動メディアの中間だからこそ面白い! 心理学者が考えるケータイマンガの未来予想図!!

●京都精華大学での携帯マンガ開発研究のレポート 21世紀のマンガ家デビューはケータイから!!!

 いやもう紙媒体には見切りをつけた、と言わんばかりの大特集。

 携帯マンガをくわしくレポートし、さらにプッシュした記事としては、おそらく初めてのものになるでしょう。よく知らない分野のことでしたので、これは勉強になりました。

 わたし自身はケータイは電話とメールしか使ってません。ネットにつなぐことはほとんどないので、携帯マンガを読んだこともありません。ですからホントにこの記事に書かれているように携帯マンガが巨大な市場になるのかどうか、よくわかんないのですよ。

 現状のケータイの画面は、マンガ単行本で読むマンガのヒトコマより、むしろ大きかったりすることもあるのですから、たしかにマンガ配信としての可能性はありそうにも思います。

 でも「紙の本」に魅せられてる自分としては、ダウンロードでマンガを読む、しかもケータイ、というのはなかなかついていけない話ではあります。

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June 13, 2008

美しき『万祝』完結

 望月峯太郎『万祝(まいわい)』が10巻(2008年講談社、524円+税、amazonbk1)、11巻(2008年講談社、381円+税、amazonbk1)同時発売で完結。

 

 11巻はすごく薄くて、通常巻の三分の一の厚さ。10巻+11巻で、第1巻と同じくらいのページ数でしょうか。

 かつて、山岸凉子『日出処の天子』花とゆめコミックス版の最終11巻でこういう奇妙な造本がありましたが、あれは作者が意図した連載終了の形じゃなかったのが理由らしい。『万祝』のほうは堂々の大団円なので、これはデザイン重視でこうなったのかしら。10巻11巻を並べるとかっこいいでしょ。

 時代は現代日本。主人公フナコは15歳の女子高生にして格闘技の達人。退屈に過ごしていたフナコですが、伝説の漁師である彼女の祖父(故人)が残した宝島の地図をめぐる、海賊たちの争奪戦にまきこまれることになります。そして宝島をめざし、舞台はカリブ海、超巨大サメが生息する海域へ。

 お話の骨格は、古い古いスティーブンソンの「宝島」そのままです。言ってみればこれほど古くさい物語もないわけですが、かつ、これほど血湧き肉躍る物語もそうはありません。地図がある、謎がある、敵との戦いがある、つかまったり逃げ出したりする、大怪獣があらわれる。海賊と宝捜しは、オトコノコの永遠の夢です。

 著者にとっても前作『ドラゴンヘッド』の陰鬱な展開と異なり、『万祝』は徹頭徹尾、娯楽大作をめざした作品でした。思いっきりはじけて楽しく描いたのじゃないかしら。

 主人公がまた、陰のない明朗闊達少女。現代日本の諸問題を全く忘れさせるような純粋娯楽のキャラクターとストーリー。アクションコメディの正攻法をやってます。絵も『ドラゴンヘッド』からがらりと変えて、明朗な絵、っていう表現もヘンですが、斜線による陰影を減らすとそうなるのかな。

 こういう楽しく美しいエソラゴトは、現代のマンガ世界にもわずかしか残っていません。古き革袋に新しい酒を。これもマンガにおける挑戦でありましょう。トンがったところのないウエルメイドな作品ではありますが、完結してあらためて傑作だと感じました。

 それにしてもこのマンガ、6年間かけた連載で、ひと夏のお話を語っていたのですね。いや完結してやっとわかりました。まとめ読みがオススメ。

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June 11, 2008

男前、新條まゆ

 今回のブログでの発言(「思うこと。」「その後」)で、男を上げた新條まゆ。あれは冷静な文章と真摯な態度で、ずいぶんと感心しました。

 で実はわたし、あのエロいと言われてる新條まゆ作品を読んだことがなかったので、一冊読んでみようと書店に行ってみました。ただおっさんが買う本としてさすがに『快感♥フレーズ』はちょと恥ずかしい。

 というわけで買ってきたのはこれ。

●新條まゆ(構成・飯塚裕之)『バカでも描けるまんが教室 BAKAMAN 新條まゆの裏まんが入門』(2007年小学館、429円+税、amazonbk1

 いわゆるコマ構成とか、トーンの使い方とか、背景の描き方を説明した「まんが教室」であり、かつ著者の自伝でもあります。

 一読、いや男前やなあ。

 女性に対して、男を上げたとか男前とか、ジェンダー的にどうかという表現ではありますが、これもまあ著者が、

ケンカっぱやいけど陰口はキライです 悩むと寝ます 次の日には忘れてます 母からは「あんたは生まれてくる時 チ○コを腹の中に忘れてきたんだ」と言われます

という性格らしいので、許していただけるかと。

 九州の田舎から日本画で美大に進学しようとしていた著者が、経済的問題で果たせず、いったん就職後、マンガ家をめざして上京。以後強烈な上昇志向でねばりにねばって人気マンガ家になるまで。

 少女誌でエッチマンガを描くにあたっても、「色っぽい男を描ける」ことに喜びを見いだし、同業者の陰口にもめげない。編集者との確執も、さしつかえない程度には描かれてます。

 著者はあけすけで偽悪的タイプ。読んでてちょっと一条ゆかりや西原理恵子など、豪快なかたがたを思い浮かべました。

 技術についても描かれてますが、経験に基づいた心の持ちようやプロ根性についての部分がおもしろい。通常のマンガ教室モノとはひと味ちがいます。

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June 09, 2008

壮絶な「裏」まんが道

(1)雷句誠が「(株)小学館を提訴。」したと思ったら、
(2)橋口たかしが編集者擁護の立場から参戦(臨時ブログはすぐ消されたので、リンク先はキャッシュです)。
(3)さらには新條まゆが長文を書いていて、マンガ家編集者関係のきしみがいろいろと表に出ています。

(4)もうひとり、松永豊和も。

 「映画秘宝」2008年7月号「大西祥平の漫ぶらぁ~日誌2008 」より。

バイオレンスマンガの名作『バクネヤング』の作者・松永豊和があまりにも強烈な「小説」をネット上にUP しているのを発見。

 わたしもこれを見て、検索してモノがあるのは知ってたのですが実は読んでませんでした。で今回、この小説「邪宗まんが道」を読ませていただきました。

あの松永豊和は今→●自伝的小説『邪宗まんが道』

 オープニングは1991年、26歳の松永豊和が大阪天満駅前で師匠となる青木雄二と会うシーンから。ラストは青木雄二の告別式で終わります。

 この間に作者は、講談社アフタヌーン四季賞を受賞したあと、小学館ヤングサンデーで『バクネヤング』を連載。その後小学館IKKI で『龍宮殿』連載。

 これはその時期のことを書いた自伝的小説です。固有名詞こそ変更してありますが、ほとんどが実話でしょう。

 作者みずからが「自分でもこの作品が非常に醜いものであることは分かっている。特に、物語の後半部分のほとんどは、漫画編集者への恨みや愚痴で構成されている」と書いています。たとえば作者の先輩が語るマンガ家編集者関係。

さっきの俺の話の、漫画家を下に見てるっていう視点は、漫画編集者らの視点や。俺らみたいなプロでもアマでもない宙ぶらりんと付き合う際の、編集者らの態度、と言うたほうがええかな。俺らの取引相手である編集者というたら、まあ三大大手である優談社みたいな出版社やったら全員が一流大出のエリートや。実際あいつら、ふんぞり返って俺らを一段も二段も上から見おろしてきよる。まあ、編集者の仕事としては、作家を育てるトレーナー、連載が始まってからはセコンドやナビゲーターとしての役割があるわけやけど、特に新人のうちは立場も弱いし、言うこと聞かんと干されるっていう恐れもあるから、理不尽な指示や注文にでも仕方なく屈服してしまう、っていうのはよおある話や。そしたら奴らはますます付けあがってナメてきよる。人の作品のセリフをなんの断りもなしに勝手に書き換えたりな。完全にナメくさっとる。『我々の欲しがっているモノは漫画家のセンスだけだ』とか調子こきやがって殺したろかって思わす編集もおるしな、ソイツは俺の担当のことやけど、まぁそんなことはどうでもええわ。とにかく、人の運命を握ってる特権階級か何かと勘違いしてる編集者がいてるのは事実や。俺が言いたいのは、ただでさえ地位が低いと思われてる漫画家の地位をさらに低くさせてるのは実はそんな漫画編集者らである、ということや。“漫画作品というものは編集部主導で作られている”という漫画業界の常識、そんな裏事情を流布させてるのは漫画編集者ら自身なんやからな。『あの作品のストーリーは実は俺が陰で書いてる』とかな。だいたい漫画家が自分にとってそんなカッコの悪いことを他言するはずがないわけやから。だから奴らの言いなりになってたら思うつぼやって思うし、松永の気持ちも痛いほど分かる。そういう意味や。な、そうやろ松永。

 この小説を読みますと、作家性にプライドを持っているマンガ家にとって、原作を編集者が書いていると「思われること」がすでにイヤでしょうがない。そういうふうに匂わせる編集者にもガマンできない。作者が最初に講談社と決裂したのも、編集部主導のストーリーを拒否したからでした。

 それにしても壮絶な「裏」まんが道で、作者が編集者を「呪う」ところなど鬼気迫る。小説としてもおもしろく読みました。

 しかしこういう問題がいろいろ出てくるというのは、(1)マンガ家および編集者それぞれ個人の問題なのか、(2)小学館という会社の問題なのか、(3)日本のマンガ家編集者関係の歴史的構造的な問題なのか。

 (3)だとすると、編集者がマンガ作品形成に密接に関与する日本のシステムには、功だけじゃなくて罪も、いろいろとあることになります。

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June 07, 2008

今週は小玉ユキ

 今週は小玉ユキを集中読書。

●『光の海』(2007年小学館、390円+税、amazonbk1
●『羽衣ミシン』(2007年小学館、390円+税、amazonbk1
●『マンゴーの涙 小玉ユキ短編集(1)』(2008年小学館、390円+税、amazonbk1
●『坂道のアポロン』1巻(2008年小学館、400円+税、amazonbk1
●『Beautiful Sunset 小玉ユキ短編集(2)』(2008年小学館、400円+税、amazonbk1

    

 ここ二年間で、どどっと発売されてますから、ブレイクしつつある?

 実はこれまで、小玉ユキ作品は、アンソロジー『わたしの結婚式!』(2006年飛鳥新社)で読んだだけだったので、今回ほとんど初挑戦です。

 絵が実にうまいかた。一本の線でつるりんと輪郭を描いた絵で、斜線をあまり入れず、単純な線とトーンのデザイン処理で勝負、という感じ。瞳は基本的に黒くぬりつぶされ、星はありません。デッサンに破綻はなく、背景処理もスタイリッシュ。この絵が著者の大きな武器になってます。

 『光の海』は、人間と人魚が同居する世界を描いた短編連作。人魚が男女とも美しいこと。これはすばらしい作品でした。

 この世界での人魚は哺乳類。保護動物とされています。彼らは人間と普通に会話できますが、基本的に人間とは無関係に自然の中で生きている。そういうなかでふれあってしまったヒトと人魚たちの物語。

 描かれるテーマは人間関係(あるいはヒト人魚関係)です。こういうとてつもない世界を創造、設定しておきながら、こまかい人間関係や心理を描いてみせるのは少女マンガの得意技ですねえ。ひとの心を語るために世界が創造されるのです。

 『羽衣ミシン』は一巻ものの長編。モテない大学生男子のアパートに、白鳥の化身(美女)が恩返しのためころがり込んでくる。

 えー、まるきり「鶴の恩返し」「天の羽衣」ですが、マンガでは『うる星やつら』以来の「異世界美女おしかけ同居パターン」そのままとも言えます。

 オトコノコマンガのエロの黄金設定であるところのこれを、少女マンガでやったらどうなるか、という実験でもありますが、サブキャラのエピソードが長く続いたりして、長編としてはちょっとバランスが悪かったかな。

 短編集『マンゴーの涙』『Beautiful Sunset 』。前者には、現代ベトナムを舞台にした、ベトナム人同士の恋愛が描かれる作品、「マンゴーの涙」「白い花の刺繍」が収録されてます。

 これもいい作品。いや昔から日本マンガの題材にはニューヨークやらパリやら、あるいは中国やらを舞台にするものがいっぱいあって何でもありなのはわかってるつもりですが、現代ベトナムで日本人が登場しなくて普通の恋愛モノで、となると、なんかこうワールドワイドだなあ、時代は変わったなあ、と年寄りじみた感想が。

 『Beautiful Sunset 』には、デビュー作を含めたもっと初期の作品が収録されてます。この本によると、掲載誌がつぶれて数年間バイトをしていた著者を再発見したのは、編集プロダクションのスタッフだったそうです。えらいっ。最近は単行本だけじゃなくてマンガ雑誌にも外部の編集プロダクションが参加してるんですねえ。

 さて、現在も連載中の『坂道のアポロン』の舞台は1966年、九州の地方都市。高校一年で転校してきた秀才(♂)、同級生で男気のある乱暴者(♂)、その幼なじみのクラス委員長(♀)、この三人をめぐる物語。三人を結びつけるのはジャズです。

 1巻ラストでは、さらに美人のお嬢さまが登場したりして。なんとまあ直球ど真ん中、真っ正面からの青春物語だなあ。

 ジブリのアニメ『耳をすませば』とかもそうですが、わたしこういうストレートなのは、ああっ恥ずかしいっ。なかなか直視できません。でも恥ずかしがりながらも読んでしまうのですね。

 今のところ代表作にしてオススメは『光の海』。『坂道のアポロン』は期待作として楽しみに続刊を待たせていただきます。

 ただし。ジャズ好きのかたにはもうしわけないのですが、時代が1966年なら、ここはジャズよりもビートルズでしょ。この年、6月末にビートルズ来日。7月1日にテレビで全国放送。あの日本中を巻き込んだとんでもない大騒ぎを、音楽やってる主人公たちが完全にスルーしてるのは、解せん。ってそういうマンガじゃないのは承知してるのですが。

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June 05, 2008

野口英世と医術開業試験

 いやマンガとはまったく関係ない話ですので、おもしろくないと思いますが。

 手塚治虫『陽だまりの樹』と、村上もとか『JIN -仁-』を読み直しておりましたところ、これは江戸時代の医療状況をベンキョせないかんなあと思いまして。同じ幕府直轄の施設とはいえ、医学館と医学所の違いぐらいは知っておかないと、読んでてもよくわかんないですし。

 そこでその周辺の本を読んでましたら、自然と明治時代から戦後すぐまでの医療制度の変遷についても調べてしまうことになりました。

 明治時代の医学者のビッグネームと言えば、なんつっても、お札にまでなった野口英世であります。

 野口英世は貧しい生家、そして手のやけどというハンディをのりこえて世界的な医学者になったことで有名。あなたもわたしも知っている、日本でもっとも多くの伝記が書かれたひとだそうです。

 Wikipedia より。

・明治26年(1893年)、猪苗代高等小学校卒業後、上京。歯科医であり高山歯科医学院(現東京歯科大学)創立者の一人血脇守之助による月額15円の援助を受け、東京の芝伊皿子坂上の同学院で雑用をしながら済生学舎(日本医科大学)で医学を学ぶ。

・明治29年(1896年)、医学前期試験(筆記試験)に19歳で合格。同年の後期試験(臨床試験)で病名を言い当て、20歳で医師免許を取得(当時は“前期3年・後期7年”と言われた)。

 Wikipedia の記述はマチガイが多いとよく言われてますが、ここまではっきりまちがってるのもどうか。

 野口英世が尋常小学校六年、高等小学校四年を終了後、医師をめざして会津若松の会陽医院に書生として住み込んだのが1893年(明治26年)の5月。三年後の1896年(明治29年)9月に上京して、医師試験に臨みます。このあたりですでにWikipedia はまちがってます。

 現代では、大学医学部や医大を卒業、かつ医師国家試験に合格して医師になるわけですが、これは第二次大戦後できたシステム。戦前は医学校を卒業しさえすれば国家試験なしに医師になることができました。

 しかしさらにもっと昔、江戸時代には、わしゃ医者でござる、と宣言しさえすれば医療行為ができたわけです。じゃ明治時代はどうだったかといいますと、これがなかなか複雑で。

 明治政府は、すでに明治元年の太政官布告で、西洋医学を採用することを決定していました。しかしその時点で、日本のほとんどの医師は漢方医なわけです。しかも日本の医師数は絶対的に不足していましたし、医師教育機関も不足。

 西洋医は増やしたい。でも医学校は足りない。

 明治時代には医術開業試験というものがあって、これは1876年(明治9年)に始まり1916年(大正5年)まで施行されました。これは上記のジレンマのもと、妥協を重ねて運営されていました。

 1883年(明治16年)の医術開業試験規則の制定後は、試験問題は内務卿から派遣された主事者が地方の試験委員と協議して選定され、全国九か所で試験が開催される準国家試験となります。

 ただし官立医学校や外国大学医学部の卒業者は無試験。これはのちに府県立医学校、文部大臣の指定した私立専門医学校の卒業者まで、無試験の範囲が広がります。

 そのいっぽうで、従来からの開業医も無試験。維新以来公立病院に勤務する者も無試験。開業医の子弟で家名相続する者も無試験。僻地で開業する者も無試験。などなど漢方医のためのいろんな救済措置がありました。

 じゃ、だれがこの医術開業試験を受けたのかといいますと、金銭的、能力的問題で官立医学校に入学することができなかったひとびと。私立の医学校卒業生や、病院の書生などをしながら医師をめざす者がこの試験を受けました。

 野口英世もそのひとりでした。

 医師開業試験の受験資格は一応、前期試験は一年半以上修学、後期試験はさらに一年半以上修学した者、とされていましたが、これは野口のように開業医の書生であってもオッケーで、あってなきがごとしのものだったようです。

 野口英世は上京直後の明治29年10月、医術開業試験の前期試験(基礎科目筆記試験)に合格。後期試験のために済生学舎に通学を始めます。

 日本医大および東京医大の祖である済生学舎は、医学校というより医術開業試験のための予備校と言うべき存在でした。一応修業は三年と定められていましたが授業は体系的なものではなく、入学時期も不定、医術開業試験に合格すれば、即卒業。

 こういうコースをたどった医師はきわめて多く、済生学舎は、1876年(明治9年)の開校以来1903年(明治36年)に廃校になるまでに、1万5000人以上の卒業生(この学校では卒業生=開業試験合格)を送り出しました(済生学舎への総入学生が2万1400人ですから、医師になった率70%。これはけっこうなものですよ)。

 27年間で15000人ですから、平均すると年間500人超がこの済生学舎から医師になっていた計算になります。明治36年ごろの正規医学校卒業生は全国で年間700人から1000人ですから、じゅうぶんそれに対抗する勢力になってます。実際、1906年(明治39年)に医師法成立後、各地に結成された医師会の幹部のほとんどは、済生学舎の出身者だったそうです。

 当時の済生学舎や医学書生の雰囲気はどんなものだったか。斎藤茂吉のエッセイがあります。「三筋町界隈」というタイトルで1937年(昭和12年)に書かれたもの。ちょうど野口英世と同時期の明治29年ごろを回想しています。青空文庫でも読めます。

・当時は内務省で医術開業試験を行ってそれに及第すれば医者になれたものである。

・そこで多くの青年が地方から上京して開業医のところで雑役をしながら医学の勉強をする。もし都合がつけば当時唯一の便利な医学校といってもよかった済生学舎に通って修学する。それが出来なければ基礎医学だけは独学をしてその前期の試験に合格すれば、今度は代診という格になって、実際患者の診察に従事しつつ、その済生学舎に通うというようなわけで、とにかく勉強次第で早くも医者になれるし、とうとう医者になりはぐったというのも出来ていた。

・当時の医学書生は、服装でも何かじゃらじゃらしていて、口には女のことを断たず、山田良叔先生の『蘭氏生理学生殖篇』を暗記などばかりしているというのだから、硬派の連中からは軽蔑(けいべつ)の眼を以(もっ)て見られた向もあったとおもうが、済生学舎の長谷川泰翁の人格がいつ知らず書生にも薫染していたものと見え、ここの書生からおもしろい人物が時々出た。

・ある時、陸軍系統といわれた成城学校の生徒の一隊が済生学舎を襲うということがあって、うちの書生などにも檄文(げきぶん)のようなものが廻(まわ)って来たことがあった。すると、うちの書生が二人ばかり棍棒(こんぼう)か何かを持って集まって行った。

・医学の書生の中にも毫(すこし)も医学の勉強をせず、当時雑書を背負って廻っていた貸本屋の手から浪六(なみろく)もの、涙香(るいこう)もの等を借りて朝夕そればかり読んでいるというのもいた。私が少年にして露伴翁の「靄護精舎(あいごしょうじゃ)雑筆」などに取りつき得たのは、そういう医院書生の変り種の感化であった。
 
・開業試験が近くなると、父は気を利(き)かして代診や書生に業を休ませ勉強の時間を与える。しかし父のいない時などには部屋に皆どもが集って喧囂(けんごう)を極めている。中途からの話で前半がよく分からぬけれども何か吉原を材料にして話をしている。遊女から振られた腹癒(はらい)せに箪笥(たんす)の中に糞(くそ)を入れて来たことなどを実験談のようにして話しているが、まだ、少年の私がいても毫(すこし)も邪魔にはならぬらしい。その夜(よ)更(ふ)けわたったころ書生の二、三は戸を開(あ)けて外に出て行く。しかし父はそういうことを大目に見ていた。

 とまあ、けっこう当時の風潮どおり、バンカラ学生も多かったようです。

 野口英世は前期試験の一年後、1897年(明治30年)秋の後期試験(これもWikipedia まちがってます)に合格し、医師となります。

 さて、このときの合格者、多くの伝記では80人受験して4人合格、と記されています。有名な渡辺淳一『遠き落日』(1979年集英社)でもそうですし、子ども向けの伝記などもほとんどこの記述。

 4人/80人で合格率5%。野口、スゴイ、と誉めてるわけですね。

 でもねー、済生学舎だけでも年間500人の医師を輩出してたわけです。この時期、試験は年二回ですが、合格率4人/80人てのはいくらなんでもおかしくないかい。さらに言うなら、「前期三年・後期七年」というのはホントか?

 たとえば、東京女子医大を創立した吉岡弥生も、1889年(明治22年)に上京し済生学舎に通い、一年後に前期試験に合格、その一年半後に後期試験に合格してます。上京してから二年半で医師になってるのですね。

 いや野口も吉岡もとてつもなく秀才だったのはマチガイないのでしょうが、国家の方針として、試験をそんなに難しくしてしまうと、医者になれるやつはいなくなっちゃうし。

 野口英世の時の後期試験、ホントの合格率は、出願者総数1219名、欠席者等をのぞき受験者1084名、合格者224名、だそうです(合格率21%、これぐらいなら納得できます)。

 実はこの4人/80人という記述は、最初に野口英世の伝記を書いた奥村鶴吉『野口英世』(1933年岩波書店)のマチガイを、のちの伝記が踏襲してしまったことが指摘されてます(唐沢信安『済生学舎と長谷川泰 野口英世や吉岡弥生の学んだ私立医学校』1996年医事新報社)。

 しかし21世紀になって刊行された本でも、4人/80人説が記載されていたりして、伝説というのはいつまでたっても残っちゃうものですね。

 1906年(明治39年)医師法が制定され、医術開業試験は1916年(大正5年)を最後に廃止されます。これで日本には医師の国家試験というのがなくなり、大学や医学専門学校の卒業試験がそのかわりになりました。

 その後、日本は戦時体制に移行していくのですが、戦争中に日本の医学レベルはずいぶん低下したと言われています。戦争で軍医がどんどん足らなくなり、軍の要請で1939年(昭和14年)に設立されたのが、七つの帝国大学と六つの官立医大の「臨時附属医学専門部」。手塚治虫が入学したのがこれです。

 さらに1943年(昭和18年)以降は、各地に公立の医学専門学校もつぎつぎに設立されました(卒業生が出る前に戦争終わっちゃいましたが)。

 戦後、アメリカの指導で早くも1946年(昭和21年)に、インターン制度(卒業後一年間の無給研修)と医師国家試験が義務づけられ、手塚治虫もこれを経て医師になっています。

 ちなみに1947年(昭和22年)5月の医師国家試験の受験者数は1646名、合格者1364名で、合格率83%でした。

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June 02, 2008

渾身の一作『ハルコイ』

 『ちはやふる』1巻にずいぶん感心したものですから、こっちも買ってみました。

●末次由紀『ハルコイ』(2007年講談社、400円+税、amazonbk1

 四作が収録された短編集。とくに表題作「ハルコイ」。これがまた泣ける作品で。なんとうまい構成なんだろう。

 娘がすでに嫁いでしまった50歳の綾子さんと、26歳で恋愛に臆病なのんちゃん(♀)は奇妙な友達どうし。のんちゃんがある男性を好きになったところから物語が始まります。

 短編なのでこれ以上のストーリー紹介はしませんが、コメディふうに始まったお話は、そのラストにいたって、十人中九人は泣いてしまうはず。

 実はわたし自身は、「泣ける」ことに大きな意味を感じていません。「泣ける」イコール「感動」ではなく、あれは手塚先生も言うとおり、テクニックなんですよ。うまく泣かせてくれたときは、ミステリでよく考えられたトリックを読んだときと同じように、感動よりも感心してしまう。

 ですから、泣けるからといってすぐ「感動の作品!」という売りかたをするのはどうかと思っているのではありますが。

 「ハルコイ」ではラストにどんでん返しが待っています。本作品では、その仕掛けでひとの感情をゆさぶるだけじゃなく、登場人物の心情を読者に想像させることで、涙を感動にまで昇華させることに成功しています。

 小道具の白いワンピースの使い方もすばらしい。

 きわめてテクニカルな作品で、これが著者にとって復帰第一作でありました。渾身の傑作。

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