永島慎二巡礼の旅
永島慎二が梶原一騎の原作で『柔道一直線』を描いていたとき、「連載途中にバックレてアメリカに旅だった」という豪快な伝説があります。
斎藤貴男『梶原一騎伝』(わたしの持ってるのは新潮文庫版、今は文春文庫)にもそう書かれてましたし、似たようなことはWikipedia にも書いてある。わたしもその線で信じてました。
ところがこれがマチガイであると指摘してくださったのが、豆本出版「パロマ舎」を主宰されている、のまとし氏。かつて永島慎二の内弟子をされていたかたです。
指摘されてから調べ直してみますと、永島慎二がアメリカ旅行をしたのは『柔道一直線』連載途中の1968年。このとき『柔道一直線』は五か月間休載され、永島が帰国した後さらに一年半連載が続いています。永島慎二が『柔道一直線』から離れるのは1970年になってから。
というわけで、冒頭のアレはデマですので、みなさん、信用しないように。これについてわたしがかつて書いた記事はコチラ。
で、そのパロマ舎ののま氏が「巡礼・永島慎二先生を訪ねて」というリーフレットを制作されています。一冊八ページの小冊子で、現在第3号まで発行。
第1号は、「萬雅堂」こと樋口雅一氏へのインタビュー。樋口氏は虫プロ時代の永島慎二を語ってます。
2号と3号は、安松健夫(原征太郎)氏。「むさしの漫画ぷろだくしょん」時代の話です。このグループは、永島慎二、石川球太、中城健、杉村篤(コン・太郎、のちにイラストレーターとして活躍、かつて角川文庫の筒井康隆は全部このひと)、ほうさやま尚武(峰たろう)、安松健夫氏らがメンバー。
永島慎二のイメージといいますと、わたしなぞはまず、苦悩するマンガ家。ここまでマンガに悩み、またそれをマンガ内で表明してきたひとはそうはいません。何度もおこなった連載中断も、その「表現」であると受けとめることも可能かも。
ただ各氏の思い出を読みますと、永島先生、若いころはずいぶんとぶいぶい言わしてたようです。なんつっても「真っ赤なパブリカのコンバーチブル」を乗り回してかっこよく登場したりしてます。貸本中心に描いてた時代にオープンカーですよ。つくづく貸本マンガ界のスターだったんですねえ。
あと若き日の永島慎二が、鈴木光明のところに殴り込みに行ったとか、仲間をぽかぽか殴ってたとか、すごく負けず嫌いだったとか。この三冊だけでも裏話がいっぱいで、永島慎二の意外な一面を見ることができます。
のま氏によると88人にインタビューするのが目標といいますから、これは壮大なプロジェクトです。
このリーフレット、切手200円分で頒布されてるそうなので、興味のあるかたはどうぞ。パロマ舎の住所はこちらのページの下の方にあります。











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Comments
虫プロの給与がよかったという話はほかでも聞きますが、そんなにスポーツカータイプが多かったのですか。ちょっと驚きです。
Posted by: 漫棚通信 | June 01, 2008 12:02 PM
山本暎一著「虫プロ興亡記」によりますと、’64年初に虫プロの現場にアニメーターとして登場しています。
私がお目にかかったのは’65年ですから「ジャングル大帝」の演出を担当されてたころ。
スポーツカーで現れたのは、貸本時代というより、虫プロ社員での安定収入のなせる業?かもしれませんね。
当時の虫プロの駐車場には、ホンダS600、S800、トヨタS800、べレット1600GT、なんてのがゴロゴロ。
むろん持ち主は20代前半のアニメーターばかりです。
Posted by: manga-do | June 01, 2008 10:06 AM