『イキガミ』再考
パラレルワールドの現代、日本。国家繁栄維持法は、国民に命の尊さを認識させるため、無作為に選ばれた国民を1000人にひとりの確率で死亡させるという法律。小学校入学時に注射されたナノカプセルが肺動脈にひそみ、18歳~24歳で破裂して若者を突然死させる。本人にその死亡予告証=「逝紙」が届くのは死亡の24時間前です。
主人公は死亡予定者に「イキガミ」を届ける公務員。24時間後の自分の死を知った若者たちは、どのような行動をとるのか。主人公はそれを目撃してゆきます。
これが、間瀬元朗『イキガミ』の設定です。
かつてわたしは『イキガミ』について批判的な感想を書いたことがあります。この作品に対するわたしの最大の不満は、登場人物の視線が国家やシステムに向かわず、彼らの行動が自分の周囲だけで完結している点でした。
わたしが前の文章を書いた時点で、作品は3巻までしか刊行されていませんでしたが、最新5巻(2008年小学館、514円+税、amazon、bk1)が発売されました。
今回の5巻では、風向きが変化してきたようです。5巻のエピソードはふたつ。
第9話では、イキガミをもらった若者は、死ぬまでの間に、(1)「良いこと」をして、(2)自分の生きた証を残し、(3)さらにイキガミのシステムを批判します。(1)(2)はこれまでどおり、いつもの展開ですが、(3)は、この物語世界でほとんど初めてなされたシステム批判でしょう。
さらに第10話では、システムを妄信する者の行動が、システムに反してしまうという皮肉なオチ。おそらくこれまでのお話中、物語設定を利用してもっともトリッキーな展開を見せます。
おお、物語はやっと、国家やシステムを敵としてとらえだしたようです。
ところが。
今も本のカバーには、「魂揺さぶる究極極限ドラマ」というコピーがあります。そして5巻のオビには、「いま、一番泣ける物語!!!」と書かれています。出版社はあいかわらず『イキガミ』を、死を目前にした人間の、感動のドラマとして売ろうとしています。
このコピーって内容とずれてきてないかい。第9話はともかく、第10話は「泣ける物語」じゃないよなあ。
すでに物語内部はイキガミ否定に向かっているにもかかわらず、本の広告は、イキガミが引き起こす「感動」を看板にしている。
この明らかな分裂は、物語内部のホンネとタテマエの関係が、そのまま現実の世界にスライドしてきたような印象です。つまり作者=イキガミに疑問を抱いている登場人物。版元の小学館=システムを推進する国家。
意識してなされているのではないはずのこのメタ構造は、作品内容から作品外に飛び出し、その売られかた、読まれかたを考えさせることになります。
この5巻が物語の転換点となるのか、再度揺り戻して「感動」や「涙」を売りにし続けるのか、今後が注目です。
Comments
なんか感動と問題提示のレールが曳かれすぎていて
かえって萎えるマンガでした。
フィリップディックの「まだ人間じゃない」
星新一の「生活維持省」のまんま設定パクリ、そして
バトロワ系の国家体制による恐怖統治みたいな
ワンパにも飽き飽きですね。
映画化されるというと、大衆願望の具現化とでもいうのでしょうか、この物語。
Posted by: 1 | June 21, 2008 03:57 PM
バトロワ以降増えましたよね。
こうゆう世界設定の漫画。
Posted by: | May 13, 2008 10:39 PM
『イキガミ』と自分の死を受け入れるざるを得ない若者が、どのような行動をとるのかという点では、共通項が多いと思っている作品に、『ぼくらの』があります。漫棚通信さんの『ぼくらの』評をお伺いしたいのですが。
Posted by: misao | May 13, 2008 09:26 AM
「イキガミ」は「登場人物の視線が国家やシステムに向かわず、
彼らの行動が自分の周囲だけで完結している」のが
逆に現状を批判している作品だと思って読んでました。
ところで、柱とか帯とかコピーを書いた人は
内容読んだのかってのが結構多いですよね。
Posted by: numberarmytheboots | May 13, 2008 01:40 AM