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May 16, 2008

手塚先生泣かせのテクニック

 唐沢俊一氏による当ブログ記事盗用事件が発覚してから、もうすぐ一年。最近になっても「トンデモない一行知識の世界 唐沢俊一の「雑学」とは」で、氏の雑学なるものがいかにデタラメであるか検証され続けています。いやいくらでも出てくるものですなあ。

 そこでわたしもヒトネタ提供しましょう。

 唐沢俊一「裏モノ日記」2004年4月28日より。

 手塚治虫が泣かせのテクニックとして昔、石上三登志との対談で、
「例えば雪山で遭難した主人を助けた犬が、主人は助けたが力尽きて死ぬ。そこで満足していちゃダメで、僕はさらに、その犬を剥製にして、翌年、もう一度主人が雪山に登って、山の頂上にそれを置いていかせる。そこまでやる」
 という意味のこと(引用は不正確)を言っている。これが“商人”の感覚なのである。

 モトネタはこれ。石上三登志と手塚治虫の対談「キングコングがどうした!」(「キネマ旬報」1977年1月下旬号)。石上三登志「定本 手塚治虫の世界」(2003年東京創元社)に収録されてます。

 「手塚治虫の奇妙な世界」は1977年奇想天外社、1989年大陸書房(タイトルは「手塚治虫の時代」)、1998年学陽書房、そしてこの2003年東京創元社と四つの版がありますが、最初の奇想天外社版にはこの対談は収録されてません。最後の東京創元社版で増補されたもののようです。

僕が大学で講演した時、学生さんから「手塚さんはどうして、そんなに泣かせるヒューマニズムに徹した作品を描くんだ」と言われたので、「僕のはヒューマニズムでなしに、センチメンタリズムで、女の子を泣かせるためのものだ」と答えたんですが(笑)、僕には泣かせるコツが三つあるわけです。一つは、死なないだろうと思っていた主人公を、最後に殺すこと(笑)。もうすぐ死ぬだろう、と思わせたら、だめ。それと、三枚目を配置して、笑わしておくこと。

それからもう一つ。泣かせたあと、余韻がほしいわけ。僕の作品では必ず余韻をつけるんです。泣かせっぱなしでなしに、最後にもう一回、その余韻のダメ押しで泣かせようというわけ。女の子を泣かせるのには、余韻をえんえんと付ける(笑)。

 手塚が創作の秘訣を明かした有名な対談ですので、知ってるひとは知っている。ですからわたしも、唐沢氏の言う「引用」がデタラメなのはすぐわかりました。

 しかし「雪山の犬がどうのこうの」というワケわからん文章になりますと、「引用は不正確」どころか、これはもう引用の域をこえてねつ造ですね。「という意味のこと」という部分は、かろうじてクリアしてるか。

 それにしても公開を前提にした日記で、どうしてちょっとの手間を惜しんで調べようとしないかなあ。石上と手塚の対談なんですから、どの本に載ってるかは簡単に予測できるはずなのに。

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Comments

唐沢俊一氏の記事盗用事件も、一年も経てばそこから「論」を立てる人も出てくるのですね。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080516/p1

Posted by: てんてけ | May 16, 2008 11:44 PM

>その犬を剥製にして、翌年、もう一度主人が雪山に登って、山の頂上にそれを置いていかせる。

 これ、『ジャングル大帝』のことなのでしょうか。滅茶苦茶ですね。「唐沢俊一まとめwiki」に採録させてください。
http://www13.atwiki.jp/tondemo/

Posted by: SHIN | May 17, 2008 06:54 AM

>それにしても公開を前提にした日記で、どうして
>ちょっとの手間を惜しんで調べようとしないかな
>あ。石上と手塚の対談なんですから、どの本に
>載ってるかは簡単に予測できるはずなのに。

基本的に読書量が少ないのではないでしょうか?
予測できるレベルまで達していない。

Posted by: なおきは好き | May 17, 2008 08:25 AM

あんまりな仕事です。
不正確な、あるいはウソや想像をプロとしてバラまくことの悪は長く世間を毒するでしょう。
どうして唐沢さんは、自分の仕事を自らおとしめるようなことをなさるのでしょうか。
またそれを続けるのでしょうか。
奥様、弟ご夫婦も同じ業界で働いてらっしゃるのに、その信用にまでご迷惑が及ぶ想像はなさらないのでしょうか。

たくさんのことを学んだ気になっていた、かつての読者としては、悲しい限りです。
どなたか言ってくださる本当の友人がかの方にいらっしゃいますように心から願います。

Posted by: NEKO | May 17, 2008 10:38 PM

何で誰も
>例えば
の部分に注目しないのだろう。

「例えば」まで含めての引用だと思ってるのなら、確かに不正確ではあるけど、
「例えば」を引用に掛かる言葉として解釈するなら、正確な文章「僕が大学で~と付ける(笑)。」に対する“例え”として、犬の話は成立している。

だから別にデタラメではない。
つかそもそも引用ではない。
あった事柄を、自分なりの例えで言ってるだけ。

これは恐らく、(引用は不正確)という蛇足をつけてしまったが為に、例えそのものを引用として受け取られているだけに過ぎないのだと思われる。

Posted by:   | May 18, 2008 08:30 AM

はじめまして。いつも楽しく読ませていただいてます。

「という意味のこと」という部分で「充分」クリアしてるとは思いますが…

前回、今回のエントリーの様にネットの中に引用原文を残していただけるのが非常にありがたいです。
ありがとうございます!

Posted by: むぎ | May 18, 2008 08:41 AM

>だから別にデタラメではない。
>つかそもそも引用ではない。
>あった事柄を、自分なりの例えで言ってるだけ。

唐沢俊一側に立った言い訳としてはそれで通るかもしれないけれど
上記の文章を素直に読めば、それに近いたとえ話を手塚治虫がしていたように読めますよ。
括弧内の文が手塚治虫の語り口調になっていますからね。
余韻の話の例として出すには配慮が不足しているように思えます。
「引用間違い」や「という意味のこと」でクリアできるのは
山が海だったり、犬がイルカだったりの違い程度まででしょう。

Posted by: ??? | May 20, 2008 06:21 AM

>何で誰も
>>例えば
>の部分に注目しないのだろう。

 注目も何も手塚はそんなこと言っちゃいないんだから「例えば」もへったくれもないだろう。頭の悪い擁護はやめなさい。

Posted by: SHIN | May 20, 2008 11:48 PM

>だから別にデタラメではない。
>つかそもそも引用ではない。
>あった事柄を、自分なりの例えで言ってるだけ。

「」括弧で括ってあるんだからどう読んでも手塚の言葉に見える。
その論法を使えば他人が言ってもいないことをいくらでも捏造できる気がする。

Posted by: ぺいね | October 05, 2008 09:59 PM

>雪
>剥製

ロロの旅路

Posted by: それ捏造じゃないよ | November 12, 2008 10:14 AM

「ロロの旅路」のストーリーは以下のとおりです。
主人公ロロ=最後のエゾオオカミ。彼は剥製にされた母親を追って日本中を放浪するが、とうとう死んでしまう。ロロと交流があったお尋ね者の少年は、ロロを剥製にして母オオカミとともに北海道の原野に返す。
確かに唐沢氏の脳内生成物と微妙に似てるかもしれません。

Posted by: 漫棚通信 | November 12, 2008 03:29 PM

「ロロの旅路」のラスト、
白銀の雪原に狼の剥製を置く人間の姿は、この唐沢氏の
ネタに沿うのでコメントしました。
「ロロ」は比較的人気のある手塚作品なので、
唐沢氏が脳内で勝手に再構成したのかもしれません。

唐沢氏は、とても卑しい人間だと思います。
それだけは間違いないですね。

Posted by: November 12, 2008 at 10:14 AM | November 12, 2008 06:32 PM

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