江戸時代のモノクロマンガ『奇想の江戸挿絵』
辻惟雄『奇想の江戸挿絵』(2008年集英社新書ヴィジュアル版、1000円+税、amazon、bk1)読みました。
著者はかつて『日本美術の歴史』(2005年東京大学出版局)という日本美術通史で、おそらく初めてマンガとアニメを美術としてとりあげたかた。「異端」であった若冲や国芳を再評価した『奇想の系譜』(2004年ちくま学芸文庫、原著は1988年)は有名です。
「読本挿絵の中から現代の読者にアピールしそうなものを選んで」つくられたのが本書です。「草双紙」(=子ども向け絵本)がおとな向けになったものが「黄表紙」や「洒落本」。これが寛政の改革で弾圧され、代わって登場したのが「読本」だそうです。
「読本」は挿絵入りの小説で、妖怪変化や幽霊がいっぱい登場します。本書は奇想に満ちた読本の挿絵を紹介したものです。読本の代表的作家が馬琴と京伝、代表的絵師が北斎と豊国。本書にも北斎の絵が多く掲載されていますが、いやとくに北斎、すごいわ。
本書には大友克洋とか水木しげるの絵の引用があったり、コマ割りという言葉が登場したりしてて、現代の読者向けにマンガを意識した文章とつくりになっております。その記述、ちょっと違うんじゃない、と思うようなところもあるのですが、読本挿絵がマンガの遠いご先祖であるのは確かなようです。
現代日本マンガは、モノクロで印刷されるという特殊性から、モノクロ表現がどんどん進化しました。近年はとくにスクリーントーンを使ったいろんな技が異常に発達しました。
対して読本挿絵もモノクロ木版。その表現にはマンガと似たものが存在します。たとえば薄墨を使った重ね刷りは、現代のスクリーントーンもかくや、という表現を可能にしています。見開き二ページでどーんと薄墨で幻想の地獄を描き、それに重ねて黒で描かれたリアルな人物がこの地獄をながめている。
薄墨で暴風を描く、飛んでゆく鉄砲の弾のケムリを描く、妖怪が吐く毒気を描く。こんな薄墨の使い方は、モノクロという特殊性と、「動き」を絵で表現しようとした結果ですね。
本書に登場する妖怪変化はもちろん楽しいのですが、もっと目を見張るのがこれら「動き」の表現です。光や爆発、嵐や大雨を、江戸時代のモノクロ木版はどのように表現したのか。これは一見の価値あり。書影のカバー絵は、わかりにくいですが、北斎の描いた迫力満点の爆発シーンです。
「挿絵」ですからマンガの「コマ」のように絵の枠があることが多いのですが、登場人物たちがけっこうこのコマから飛び出している。これはマンガでもよくやりますが、立体を意識させる表現です。また現代のマンガと同様、ページをめくることを意識して描かれた見開きページとかも紹介されています。
「モノクロ印刷」「物語」「絵」「本」という縛りがあっていろんな表現が誕生した、という意味で、読本とマンガはずいぶん似ているようです。いやおもしろい本でした。
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