手塚治虫が他のマンガ家や評論家について書いた、しんらつな文章のかずかず。
●手塚治虫への弔辞(「話の特集」1966年10月号)
・だいたいマンガ批評家はおとなが多すぎる。その批評たるや、ノスタルジーか、もしくは“自分が好きだからほめる”調のものである。
・ボクにいわせれば、白土三平氏や赤塚不二夫氏や、水木しげる氏を推賞する一部批評家ごとき、なんにもわかっちゃいない連中だと思う。あの作家達は優秀な作品を生んでいるには違いないが、それは現時点での評価であって、あと五年後にはどうなっているかわからない。そんなおとなに限って、手のひらをかえしたように、「ああ、そんな作家も、いたっけねえ」というだろう。
・かつておとなにかなり高く評価されたマンガ家が、相次いで本の上から消えていった。福井英一(イガグリくん)、武内つなよし(赤胴鈴之助)、前谷惟光(ロボット三等兵)、堀江卓(矢車剣之助)、うしおそうじ(おせんち小町)、山根一二三(まんがそんごくう)等々。現在活躍している、白土、赤塚や、横山光輝、ちばてつや、石森章太郎たちでもあと何年続くかわからない。
(ま、これは、それほど子どもマンガの人気というものはうつろいやすい、という論旨で書かれた文章ではあります。ただし評論家を切ると同時に、同時代のマンガ家にも矛先が向かってます)
●まんが賞の審査をして……(「COM1967年3月号」)
・ところで、なさけない話だが、今年ほど、まんがの不作の年はなかった。
・じっさい、小学館のにも講談社のにも、きわだって賞をあげようといえる人がひとりもいなかったのである。
・(講談社の賞では)審査委員十人が集まって、検討したのだが、これという絶対的な票がぜんぜん集まらない。しまいに、恐怖まんがの楳図一雄(ママ)にやったらどうだ、という冗談まで出るしまつである。
(この時代の楳図かずおを評価することは、手塚にとって「冗談」であったようです)
・石森氏のはみんなそれぞれ水準作だが、これという代表作がない。つまり安打はつづく三割打者だが、決定打がない選手みたいだ、と阿部進センセイ。ことに昨年の候補作である「サイボーグ009」は、石森氏の作品として代表的なものとはいえない。「ミュータント・サブ」は小粒すぎる、という評。
(すでに「009」は東映動画で劇場アニメ化され、かなりの人気がありました。ただしこの時点で少年マガジン版「009」は、まだあの「ジョー! きみはどこにおちたい?」という有名なラストにたどりついていません)
・川崎のぼるのは、講談社側がとくに「巨人の星」を推したのだが、なにせ原作がべつの作家であるというハンディがある。
・小学館のまんが賞はもっとひどくて、予選で候補にのぼった十人の作品のうち、圧倒的に審査員の票を集めたのは白土三平の「忍者武芸帳」だったが、これが、六年前の作品だということを、審査員がだれも知らなかったという情ない始末で、昨年一年間の代表作、という条件から脱落した。そのほかの候補作品は、ガタッと落ちてしまい、石川球太の「原人ビビ」、ムロタニ・ツネ象の「ビリビリビート」などあったがけっきょく今年は“受賞者なし”という結論になってしまった。
・けっきょく、ぼくや、馬場のぼる氏や、福井英一氏が『漫画少年』を中心にかいていた時代以後、ほとんどユニークな新人は出なかったということだ。
(ま、賞の選評というのは苦言を呈するというか、きびしい言葉が並ぶものですけどね)
●最近のまんが評論に思う(「COM」1967年6月号)
・政治評論、文芸評論、音楽評論、評論の評論が存在するジャーナリズムだから、まんがブームに則して、まんが評論が生まれても、おかしくはないわけなのだが、一言も二言ももの申したい点は、これらの評論が、お話にならぬくらい貧弱な資料をもとに無責任に書かれていることだ。
・しかも、加うるに、純粋に客観的な視野から書かれたものがほとんどなく、たいてい筆者ご自身が、マニアをもって任じ、熱っぽく論じていることである。
・(まんがマニアによる)これらの評論は、内容がかなり偏重しており、最近の二、三の評論でも、長編児童まんがにかなりのスペースをさいているのを見ても、調査や分析の方向に、かなり独善的な欠点があるのはいなめない。
(この時代にマンガプロパーの評論が出現し始めましたが、彼らが評価したのは劇画や「ガロ」。手塚先生はこれがずいぶん気に入らなかったらしい)
●児童まんがひとくさり(「COM」1967年8月号)
・多分、いまのままでは、外国へだしても恥ずかしくないストーリーまんが、劇画の作家はひとりもいないだろう。
・絵にもなっていない絵ばかりでは、どうしようもないじゃないの。
・若い人たちが、まんが勉強にてっとり早く、先輩まんが家のまねをすることからはじめて、デッサンのデもしないことにはガッカリだね。
・というのは、先輩そのものが、ろくに絵の勉強もなしに、ふらーっと売れっ子になってしまったから。
●まんが家一言診断(「COM」1967年9月号)
・まず話題の劇画だが、デッサンを正確にやっているのは白土三平氏のみで、あとの御大連は絵がひどすぎる。さいとう・ゴリラ氏と川崎のぼる氏は、自己流だがまだいい、が中には、デッサンをもう一度やりなおしてもらいたい御仁がそうとういるのだ。
・それから白土センセイに一言申す。「カムイ伝」は、構成がよいので救われているが、「ワタリ」は荒れている。
・永島慎二さん。あなたにはあなたの個性が──うらやましいほどの個性があるのになぜはやりの画ふうをまねたり、高倉健のような顔がでてくるヤクザものを描くんですか?
・貝塚ひろし氏。まっとうなスポーツものが本命である貴兄が、新しい分野にとっ組む気持ちはよくわかる。しかし「どろぼっ子」は勇み足だったようだ。
・ちばてつや氏の「ハリスの旋風」はりっぱな作品だが、かなりマンネリズムなので、ひとつ稿を新たにしたほうがよくはないか?
・赤塚不二夫氏の「おそ松」のロングランには敬意を表するが、あまりおとなを意識しすぎると子どもの気持ちからはずれていくからご用心。
・石森章太郎氏に申し上げたいことは、SF小説にしろ、ほかのものにしろ、アレンジしても、ナマすぎるので、どうもイミテーション(まね)に見えることが多いのだ。
・望月三起也氏のは、どうかすると、ヤクザっぽいのがゴロゴロ登場するときがあるが、そうなると、ガタッと東映の深夜興行みたいにおちるのでさけたほうが質的に安全だ。
・久松文雄氏。原作つきのものを、もうそろそろ敬遠して、あなた自身のアイデアの傑作を見せてほしいがいかがだろう。
(現役マンガ家の文章として、ここまで過激なのはめずらしい)
●「COM」創刊一周年を迎えて(「COM」1968年1月号)
・少なくとも表面上は、まんが万々歳の年を迎えようとしている。だが、ほんとうはどうだろうか。うわべだけははでで、中身のない、きざなえせまんがのはんらん。それに迷わされての、安易で、ひとりよがりな作品ばかり描くまんが家志望者のむれ……危険なのだ。もっときびしく、つらいまんがの道をきみたちは知らなければならない。
●石子順造氏への公開状(「COM」1968年2月号))
・あなたが昨年末に、ある週刊誌に書かれた記事──その大上段にふりかぶった刀は、かなり的をはずれて、よこっとびに石へぶつかったような感じがします。あなたは、刀の使いかたを知らなさすぎた──というよりズブの素人だったことから起こった間違いでしょう。あえて、間違いだったと申し上げるのは、インテリであるあなたが、よもや本気でこれを書かれたのではないと思いたいからです。でももし本気だったとすれば、あなたはどうも、刃物を持つには、未成年すぎたように思えます。
・あなたにいま必要なのは、評論家としての資格です。資格というのは、まず一部の劇画やノベルティ・まんがしか、しゃべれないのではなく、「めざまし草」あたりからじっくり、一つのこらずまんがをお読みになることです。
(「めざまし草=目不酔草」とは森鴎外が創刊した雑誌。長原止水が風刺的なマンガを寄稿したことで知られてます。ってこんなものまで読めとはちょっとムチャです)
●火の鳥と私(虫プロ版『火の鳥黎明編』1969年12月発行)
・あと何年続くかわかりませんが、どうか「火の鳥」の評価は全編が完結したあとで、もう一度全部読みかえしていただいてからのことにしていただきたいと思います。そうでなければ、ご批判に対してお答えすることが困難な場合が多いからです。
(40年前のこの文章はわたしに強い印象を残しました。えっ、途中で感想言っちゃいけないの? 手塚先生、つくづく批評されるのがイヤだったようです)
●劇画について(「COM」1968年4月号ふろく「弁慶」)
・なによりも劇画に苦言を呈すれば、白土三平氏、つげ義春氏、水木しげる氏などの作品を除いて、内容が一般に希薄で安易なアクションでページを埋めている作品が非常に多いことだ。
●ささやかな自負(「児童心理」1973年9月号)
・ところで、漫画は著しい進歩をとげて──と書きたいところだが、残念ながらそうは思えない。しいていえばぼくが戦後漫画の開拓をしたあとは千篇一律のごとく、ぼくの手法の踏襲でしかなかったと思う。漫画ブームが何回か来、漫画世代が育ったが、漫画は劇画やアンチ漫画と称するものを含め、ほとんど新しい改革はなされていないのである。
・もし漫画に新革命の火の手が上がっていれば古株のぼくなどとっくに引退していただろうが、いまだに注文が相次ぎ、月産数百ページを書きとばし読者も支持してくれているとなると、うれしいがいささかさみしい気もする。いったい三十年間漫画家はなにをしてきたのだろうか。
・武内つなよし、堀江卓、桑田次郎、田中正雄、高野よしてる、白土三平、つげ義春、森田拳次……その他もろもろの売れっ子たちが第一線から消え、あるいは引退し、マスコミから忘れられて行った。そして今、書きまくっている新しい作家たちもいずれそうなる運命だろう。それが所詮マスコミ文化の宿命であろう。だが、それは漫画にとって悲劇だ。も一度漫画に新しい息吹きを吹き込まねばならない。そして、それのできるのはぼくしかないと思っている。
●「火の鳥」のロマン(「旅」1983年1月号)
・マンガのファンである三島由紀夫氏が、「火の鳥」を読んで、A誌に、
「手塚治虫もついに民青の手先となりはてたか」
と批判した。ぼくは、ぼくの意図をはっきり知ってもらわねば困ると思って電話をかけた。
「とにかく最後まで読んでから批評してほしいですね」
・だがその三島氏も最後まで読むことができなかった。現在まだ連載が完結していないからである。
(これほど手塚が「最後まで」にこだわっていた「火の鳥」ですが、残念ながら完結を見ることはできませんでした)
●カミソリ感覚(「ユリイカ」1988年8月臨時増刊「総特集大友克洋」)
・大友さんを激賞する人の多くは、センスの新しさ、SF感覚、迫真力と仕掛けなどについてである。ぼくは同業者の立場から、絵柄についてホメる。内容につていては、新しい時代感覚は若い人なら誰でも持っているから、そのセンスがいつ枯渇するかは年月をまたなければならない。評価はその時にこそきめるべきである。しかし絵のタッチについてはオリジナリティに溢れていれば、それは生涯の宝物である。大友さんはその宝物を両手一杯に持っている。
・貴方が四〇、五〇歳を越しても枯淡の境などにはいらずにこのカミソリ感覚を保つことができれば、ぼくは心から脱帽します。ここ十年、いや、「アキラ」以後が貴方のタッチの真の勝負どころです。
(大友克洋特集の巻頭に掲載されたこの文章、当時読んだわたしは、いったいこれ誉めてんのかどうなのか、ずいぶん首をひねったものです)
Recent Comments