仮面をつけた著者
エッセイ/レポートマンガの秀作をふたつご紹介。
ひとつは、傑作『暴れん坊本屋さん』の作者、久世番子の新作。
●久世番子『番線 本にまつわるエトセトラ』(2008年新書館、640円+税、amazon、
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『暴れん坊本屋さん』は書店員でもある著者が書店内のエピソードを描いた爆笑エッセイマンガでしたが、こっちは書店の外に出て、本にまつわるあれやこれやをレポートしたマンガ。
番線とは、それぞれの書店に与えられているコードのことだそうです。
興味深い話題がいっぱいです。校正さんの仕事ぶりとは。辞書の編集者は何をしているのか。写植とは何か。わたし実は写植というものの実際がよくわかってなかったのですが、このマンガで(ちょっとだけ)わかった気がしました。
国会図書館のレポートでは、実は本を守るために人間より本を大事にしてるとか。いやいや、それでこそ国会図書館。えらいっ。
著者自身をあらわすキャラは、書影にありますよう前作と同様、クチバシがあって歯があって、頭の上には毛が一本、まんまる体型の裸、なにやらわからん生物です。何かのトリなのかしら。すでに久世番子として認識される物体となってしまいましたね。
もうひとつは、同じ「ウンポコ」に連載されてるこれ。
●志々藤からり『イカサマアシスタントへの道』(2008年新書館、640円+税、amazon、
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こっちは地方在住マンガ家のアシスタントをしてる著者の、日常を描いたエッセイマンガ。選ばれるエピソードは、マンガを「描く場」のことだけに特化してます。となるとテーマは画材や体調や人間関係。
で、このマンガの著者をあらわすキャラは、ヒトなみの身長がある巨大イカ。なんじゃそりゃ。ただし久世番子ほどは著者キャラが立ってないのが残念。
しかしエピソードの語り口はいかにも軽妙で、深刻にならず読者をおもしろがらせてくれます。人生そんなにかるがると生きていけるわけではないはずですが、ま、そこが表現者の芸というものですな。
で、考えてみますと、著者自身のキャラが、ヒトですらない、というのがこれらの作品の軽さをつくっているのではないか。
著者の自画像というのは、もちろんヒトとして描かれるのがふつうですが、自意識と微妙な関係があるのか、少女マンガ系ではくしゃくしゃっとテキトーな自画像を描くひとも多い。さらにシャイな作家になりますと、鳥山明のようにロボットにしてみたり、ヒトでない自画像を描くようになります。
このヒトでない著者キャラクターがエッセイマンガに登場すると、ひと味違ってきます。『暴れん坊本屋さん』が成功したのは、エピソードのおもしろさもさることながら、何やらわからない、ヒトですらない、著者の暴れん坊キャラの魅力が大きかった。もしかするとあのキャラクターは、現実の著者とはまったく別の性格を持ってるのじゃないか。
周囲のキャラはヒトとして描かれ、著者のみがヒト以外の何かであるというのは、マンガ内では別に奇妙なことでも何でもありません。ドラえもんにしてもねずみ男にしても、ヒトに混じってそういう異形のものが跋扈するのがマンガです。
自分の似顔を描くことを放棄して、トリやイカと化した著者は、作品内で完全な匿名性を得ることができます。しかもマンガ内の肉体は変形も自由自在で、男女のヨロイすら脱ぎ捨てることが可能です。
回りの登場人物はそれなりに素顔をさらしたひとたちで、そのなかで著者だけが匿名の仮面をつけ、自由に飛びまわることができる。これがマンガの軽さを生んでいるような気がします。
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