ストーリーとプロットの違い
ストーリー、そしてプロットという言葉はよく聞きますし、わたしも使ってるのですが、このふたつの違いは何か。みなさんは、ぱっと答えられるでしょうか。
実はこれについてわたしが意識したのは、野田昌宏『スペース・オペラの書き方』(1988年早川書房)を読んだときでした。この本ではストーリーとプロットの違いについて、SF作家、今日泊亜蘭が自作を語る形で、このように述べられています。
そりゃそうだよ、お前、いいかね、『光の塔』で言ゃぁ……だ。
未来の連中が、自分たちの悲惨な現状をなんとかしようと、原子力を乱用してその原因を作った過去の歴史を改変しようと狙って未来から攻め込んできやがって……と、
これが『光の塔』のプロットよ。それに対して、な。
まず、本の冒頭で主人公が木星から帰ってくる宇宙船のなかから窓外に奇妙な飛び火を見る。
そして地球に帰って来てから渋谷で原因不明の絶電現象に出会わす。
それから、新造の木星向け宇宙船が展示現場から消える、東海原子力研究所の壁のなかから窓外なんとも知れないシケた奴が現われる……。
これらがすべて伏線となって……。(略)そいつらの正体はなンと未来からの侵攻軍だった……と、
これが『光の塔』のストーリーだ。
この本には「プロットからストーリーへ」という章もありましたし、これを読んだわたしは、プロットとは設計図のようなものと理解しました。そしてストーリーとは、そのエピソードをどの順で語るかを含めた最終仕上がりなんだろうなーと。
つまりミステリを例にあげるとわかりやすいのですが、AとBが出会い、AがBをトリックを使用して殺してしまう。探偵が登場して謎を解きAを逮捕する。これが物語の設計図であるプロット。
この同じ設計図を使用しても、AとBの出会いから語り始める、殺人の場面から始める、探偵に依頼があるところから始める、事件後の裁判から始める、とまあ、仕上がりは無数に書くことが可能なわけで、こっちがストーリー。ストーリーのラストにクライマックスの盛り上がりが来るように作家はいろいろと工夫するものである。とこのように、20年間ずっと思っておりました。
このつもりでひとと話してても、別に混乱しなかったしなあ。ウチの同居人もこんな感じで理解してたし。
とーこーろーがー。
Wikipedia をのぞいてみると、こんなことが書いてあるじゃないですか。
物語の中で起きている出来事が時間に沿って並べられたものがストーリーであるのに対して、その出来事を再構成したものをプロットと呼ぶ。プロットは時間軸に沿っているとは限らないが、出来事の因果関係を示している。
あれれ? これってわたしが思ってたのとまったく逆じゃん? わたしはずっとまちがっていたようです。どうもスミマセン。上の文章はタワゴトだと思って忘れてください。
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そこで読んでみました。『E・M・フォースター著作集 8巻 小説の諸相 Aspects of the Novel 』(1994年みすず書房、中野康司訳)。
ご存じ『眺めのいい部屋』『ハワーズ・エンド』を書いたイギリスの作家フォースターが、1927年にケンブリッジ大学でおこなった連続講義をまとめたものです。例が多く、平易な文章でたいへん読みやすいです。
さてフォースターによると、ストーリーはこのように定義されます。
ストーリーとは、時間の進行に従って事件や出来事を語ったものである。
これはまあ、昔からの言葉の使い方、「ストーリー=物語」なんですからそのとおりかなと。いっぽうプロットという言葉も、もちろん昔から存在していました。
有名なのは「アリストテレスのプロット」。アリストテレスは、劇のプロットには「葛藤、運命の転換、解決」という三段階が必要だと述べました。ただし、フォースターはこれを、あくまで演劇においての法則であり近代小説にはあてはまらない、としりぞけています。
フォースターによると、ストーリーが「下等な段階の技法」であるのに対して、プロットは「もっと高級な技法」です。
プロットもストーリーと同じく、時間の進行に従って事件や出来事を語ったものですが、ただしプロットは、それらの事件や出来事の因果関係に重点が置かれます。
フォースターの出す例がこれ。「王様が死に、それから王妃が死んだ」=ストーリー。「王様が死に、そして悲しみのために王妃が死んだ」=プロット。「王妃が死に、誰にもその原因がわからなかったが、やがて王様の死を悲しんで死んだのだとわかった」=もっと高度なプロット。
ストーリーなら、(読者は)「それから?」と聞きます。プロットなら「なぜ?」と聞きます。これがストーリーとプロットの根本的な違いです。
フォースターによると、プロットは作者が作品に仕掛けたたくらみです。プロットという表現手段を使うと、謎で読者を引っ張り、ラストシーンでそれを解決して読者をあっと驚かせることも可能になるのです。
ただし「あらかじめ小説のすべてを決定し支配するようなプロット」は、お話の害になることもありえます。あまりに厳密に作り上げられたプロットは登場人物の自由な行動を制限し、「登場人物のヴァイタリティーはプロットに吸い取られ干からびて」しまうこともあるからです。
フォースターは、小説の主要な要素を「ストーリー=時間」「登場人物」「プロット=論理」であるとしました。
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日本ではどうでしょうか。
かつて自然主義小説の時代に、プロット無用論がとなえられたことがあったそうです。作者の小さな主観から作られたプロットは、作品の真実を傷つけるだけだと考えられました。
たしかに意識の流れのまま順に記載されていくタイプの小説などには、プロットは必要ないかもしれません。
少し古いのですが、丹羽文雄『小説作法』(1958年文藝春秋新社)に「プロット(構成)に就いて」という文章があります。
プロットとは、ふつうに筋と訳されているが、この訳は誤解されるおそれがある。脚色、結構、骨組、機構と訳すひともあるが、構成と訳しておいたほうが無難である。むしろ筋書ともちがう。私は、小説の運命はこの構成によって決定するものだと解している。
丹羽文雄は、小説を物語性小説(ストーリー重視、時間連続重視)と構成性小説(プロット重視、因果関係重視)に分け、近代小説は後者であると述べています。
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エンタメ、とくにミステリ要素を含んだものになりますと、プロットはもう存在してアタリマエ。というかプロットのないミステリなどは想像もできません。
門下に多数の作家を輩出している山村正夫による小説作法も読んでみましたが、「ストーリー作りのプロットが決まったら」などという表現があります。
ミステリのような謎と論理が主体の作品では、ストーリーとプロットを分けて考えること自体無意味なのでしょう。ストーリーとプロットは不可分の存在で、どうやら別の言葉として語られてはいません。
ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方 How to Write Best Selling Fiction 』(1996年朝日文庫、大出健訳)という本がありますが、ここでクーンツはこう書いています。
世の中にプロットのない小説ほどおかしなものはない。なんといってもプロットは小説の最大必要条件のひとつである。(略)
ときたま、プロットのすべてを、登場人物たちの動くままにまかせるべきだと信じている批評家やもの書きに出くわすことがある。(略)
ばかげた話である。
まさにプロット至上主義と言いますか、クーンツは、登場人物よりも、テーマよりも、プロットが大切と考えています。プロットこそ、ストーリー・ラインを登場人物から作家の手にとりもどすための手法であると。ここでいうプロットとは、ストーリーを論理的に組み直した全体の構成のことのようです。
もしも作家が登場人物たちに全権をゆだねてしまったら、知性という冷静で確実な案内人なしに、作品を書くことになる。その結果は、現実の世界に起こる多くのできごとと変わらぬ、形も意味もない小説ができあたり、そんな小説が多くの読者をがっかりさせるのは目に見えている。
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ところが、プロットを重視しないエンタメ作家もいます。
スティーヴン・キング『小説作法 A Memory of the Craft 』(2001年アーティストハウス、池央耿訳)によりますと、キングはこんなことを書いています。
私の場合、短編であれ、長編であれ、小説の要素は三つである。話をA地点からB地点、そして、大団円のZ地点へ運ぶ叙述。読者に実感を与える描写。登場人物を血の通った存在にする会話。この三つで小説は成り立っている。
構想はそのどこに位置するかと問われれば、私としては、そんなものに用はないと答えるしかない。(略)構想に重きを置かない理由は二つある。第一に、そもそも人の一生が筋書きのないドラマである。あれこれ知恵を巡らせて将来に備え、周到に計画を立てたところで、その通りにいくものではない。第二に、構想を練ることと、作品の流れを自然に任せることはとうてい両立しない。ここはよくよく念を押しておきたい。作品は自律的に成長するというのが私の基本的な考えである。
「構想」が原語でどう表現されているのかは調べていませんが、これは「プロット」と同義で使用されていると思われます。クーンツの意見に真っ向反対しているばかりか、フォースターらの小説観にもケンカ売ってます。
ただしキングは、むっちゃレアな例じゃないでしょうか。永井豪などと同じく、結末を決めずに書き出すひとのようですね。
おもしろいのは、クーンツもキングも、そしてかつてのフォースターも、プロットと登場人物を対立する存在としてとらえているようです。プロットは登場人物を縛り、登場人物はプロットを破壊しようとするもの。
よく登場人物が勝手に動き出すと言われますが、それをコントロールするのがプロット。どの程度コントロールするかは、作家の考え方で異なっています。
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というわけでプロットとは、ストーリーを構成するエピソードを、論理的関連づけのもとで再構成したもの。登場人物の暴走を御するための作者の手段、ということになります。
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さて、マンガではどうか。
マンガのシナリオのお手本になるのは、映画や演劇のシナリオですが、とくに映画では「箱書き」という用語があります。箱書きとはシナリオのもとになる設計図です。これすなわちプロットを意味しています。
映画は二時間程度で必ず終了するという制限を設けられています。さらにシーンとシーンの時間間隔や距離間隔も自在に変更でき、どんどん複雑にすることも可能ですから、観客の理解を助けるためにも、プロットのないストーリーは存在し得ません。
それぞれのエピソードは時間配分も計算され、これがつながれて映画を形成します。映画では、ストーリーはプロットとほとんど同義でしょう。
むしろ完成した映画から、もとの時系列ストーリーを思い浮かべるのに苦労したりして。クリストファー・ノーラン監督の「メメント」なんかねえ、あそこまでストーリーが分解されちゃうとねえ、もうタイヘン。
映画シナリオをお手本にするマンガでも、ほぼ同様です。ストーリーを考えることはプロットを考えることです。
ですから少なくともマンガを語るときには、ストーリーと言ってもプロットと言ってもどっちでもいいのじゃないかと。適当ですけど、これでオッケーのような気がします。
でも、ひとが使ってる「ストーリー」「プロット」は、どんな意味なのか、やっぱ知っておかなきゃなりません。わたしはクーンツの本、昔から持ってましたけど、今回あらためて理解できたような気がしたのでした。











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