さくらももこのまんが道
さくらももこ『漫画版ひとりずもう』上巻(2007年小学館、amazon、bk1)下巻(2008年小学館、amazon、bk1、各838円+税)が発売されてます。なんつっても超有名国民的マンガの著者の新刊ですから、書店に平積みになってますね。
著者の自伝マンガです。「ビッグコミックスピリッツ」に42回にわたって連載されたもので、小学生時代が1回、中学生時代が3回、短大時代が4回。残りが高校時代の話です。
主人公はかつて「まる子」というあだ名を持っていた「さくらももこ」です。現在は「ももこ」「ももちゃん」と呼ばれている。父はヒロシ、母と姉がいて四人家族。親友は「たまちゃん」で、小学生時代の同級生に「はまじ」がいる。
つまりこれは、フィクション『ちびまる子ちゃん』世界と地続きの続編であり、著者さくらももこのノンフィクション自伝でもあり、というオーバーラップした世界です。
違いは、『ひとりずもう』には小学生三年生時代のまる子のまわりにいたはずの多彩な同級生たちがいない。そしておじいちゃんとおばあちゃんが登場しません(原作エッセイにはちらりと出てきますが)。あと『ちびまる子ちゃん』ではぼかされてた実家の職業が、はっきり「さくら青果店」という八百屋として登場します。
またマンガ内では主人公の本名が「さくらももこ」なので、原作エッセイにある、「さくらももこ」というペンネームを考えるエピソードは出てきません。ああややこしい。
さて作品は「青春」を描いたものですから、普遍性があります。あっけらかんとしているようで実は悶々としている時代。
高校時代の主人公、勉強も運動もクラブも、なぁーーーーんにもしていません。これほど何もしないマンガの主人公がいるか、というくらいであります。マンガを描いてみようと思っても、思うだけですぐ挫折。夏休みはひたすら寝て過ごし、文化祭の三日間はずっとサボって家でTVを見ている。
この無為な時間がどれほど贅沢なものであるか。けっこうなトシの読者であるわたしは主人公や過去の自分に言ってやりたい。何者でもない自分、何者になれるかもわからない自分、ただし可能性だけは無限大。この「青春」と呼ばれる(恥ずかしい)時間帯が、いかに貴重か。だからといってあのころに戻りたいわけじゃありませんが。
マンガの原作は同名のエッセイ『ひとりずもう』(2005年小学館、1000円+税、amazon、bk1)ですが、まるきり同じエピソードを描いていても、こちらはそれなりに爆笑エッセイです。
「東海沖地震と生理は、いつ来るかわからない」なんていうフレーズはなかなか書けるもんじゃありません。「ついでに言えば、たまちゃんのお母さんは美人で、岩下志麻みたいに上品で、昔ミス清水にも選ばれたのだ。庭も犬も喋る鳥もいらないから、母親だけでも交換したい」とかね。
エッセイでは同級生から男子を紹介された著者は、「それらの写真は次々と私を失望させた」ので軽く断るのですが、マンガでは主人公は暗い顔をして「じゃあまたお願い…」と言い、「でも…そんなに簡単に考えられない…」と自省する。
エッセイがマンガになったとたん、同じエピソードでもお気楽感がなくなり、ダウナーな気分になります。このあたり、両方を読んでるとまったく違う感触。演出でずいぶん変化するものですねえ。で、それを書きわけられるさくらももこは、やっぱ文章もマンガもうまいひとなのでしょう。
お話もラスト近くになり、高校三年になった主人公は、突然自分の描くべきマンガに目覚めます。デビュー前からすでに「エッセイマンガ」を意識して描いていたそうですから、ずいぶん先進的です。
で、そこからはそれまでの展開とがらりと変化して、描いて描いて描きまくり。さくらももこのまんが道、一直線です。ラストは主人公が「りぼん」でデビュー。親友たまちゃんとの別れも描かれてます。
それにしても、昨年発売された上巻が、現在アマゾンでもビーケーワンでも入手不可になってるのはどういうわけでしょ。
The comments to this entry are closed.
Comments