ディズニー的なるもの
かつて子どもにとって映画館でのお楽しみといいますと、怪獣映画と東映動画のアニメだったりしたわけですが、ディズニーというのはやっぱ別格でした。
ところが、1960年代以降のディズニーの長編アニメーション映画というのは長期低落傾向にありまして、新作はリバイバル公開される旧作に比べてデキがどんどん悪くなっていきます。
1973年製作の「ロビン・フッド」なんか日本での公開は1975年でしたが、わたしが劇場で見たときは閑古鳥が鳴いてまして、作品もぐだぐだ、もうディズニーを見るのはやめようかと思ったものです。ま、同時上映の短編のほうは名作ぞろいだっんですけどね。
ディズニーのアニメーションが復活するのは1989年製作(1991年日本公開)の「リトル・マーメイド」から、と言われています。
以後ディズニーは長編アニメーションで多数のヒット作を生み、ブランドの力を取り戻しました。しかしそれも約20年でCG全盛となり、最近はディズニーを見に行くというより、ディズニーブランドのピクサーを見に行くようになってしまいました。
2004年、ついにディズニーは2Dアニメーション部門を閉鎖しました。栄枯盛衰ですなあ。
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ディズニー映画「魔法にかけられて」を見てきました。
テレビでよくCMやってますからご存じでしょう。ディズニーの2D長編アニメーション世界の住人であるお姫様が、魔女の手により現代のニューヨークに飛ばされてしまい、実写の人物に変化してしまうお話。
映画では女優さんが、ディズニーアニメーション的な動きをマネしてくれるのですが(両腕を上にのばすアクビとか)、これがそっくり。おお、そうだそうだ、アニメの動きは現実の再現じゃないんですよねー。けらけら笑えてたいへん楽しい作品でした。
ディズニー自身の手によるディズニー長編アニメーションのパロディです。パロディは対象の本質をあぶりだすものですから、観客としてはディズニー的なものとは何だったのか、考えながら映画を見ることになります。
現在ディズニー的と考えられているものは、初期の短編アニメーションにはまだ存在せず、「白雪姫」以来獲得したのものでしょう。世界のおとぎ話をディズニー映画にアレンジするうちに形成されていったさまざまな特徴。
羅列してみます。美しく前向きな主人公、ハンサムですが無個性な王子様、主人公を助けるペット、突然のミュージカル、単純なストーリー、しょぼい悪役、そして絶対のハッピーエンド。
考えてみれば、日本アニメ(とくにTVアニメ)はこれらディズニー的なものに対するアンチとして作られてきたのじゃないでしょうか。登場人物の性格は複雑に。悪役はかならず世界征服を目標に。アンハッピーエンドも辞さない。
日本人観客から見ると、「魔法にかけられて」はパロディとして自身を笑いながらも、ディズニー的で何が悪い、ハッピーエンドで何が悪い、と開き直って見せた作品ですね。こういうのも、当然ありでしょう。
そこで本作品をきっかけにディズニーも2Dアニメーション復活、となってくれればうれしいのですが、2Dアニメ部分は外注だそうです。がっくし。
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