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March 30, 2008

ライオンブックスのうしおそうじ

 こういう本が発売されております。

●手塚治虫『おもしろブック版ライオンブックス』1巻(2008年小学館クリエイティブ、3600円+税、amazonbk1

 「おもしろブック版ライオンブックス」とは何か。ここは手塚自身の文章から引用してみましょう。

S社の編集長のN氏は、早大文学部出身者のサルトル信者で、骨の太い編集方針を打ち出して誰からも尊敬されていた。このN氏が、あるとき、ぼくに、手塚ワンマン劇場みたいなものを月刊誌の別冊に毎月つけたらどうかと思うが、描く気はあるかと、訊いてきた。もちろん、ぼくは、ファイトを燃やし、ライオン・ブックスと銘打って読み切り漫画を毎月三十ページ前後ずつ描いた。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)

 ライオンブックスは1956年から1957年にかけて、集英社の月刊誌「おもしろブック」の別冊付録として描かれた、本格SF短編マンガのシリーズです。

 戦後日本SFというものが、まだ存在しない時代であります。早川書房「S-Fマガジン」の創刊はさらに後の1960年。戦前の海野十三以後、星新一・小松左京・筒井康隆らが登場するまで、日本SFを担っていたのはマンガ、なかでも手塚治虫でした。

 その手塚が本格的SFをめざして描いたシリーズだったのですが、これがまったくウケなかったらしい。

まだろくに読者もいないSFものなどを毎月描いたのでは、一般の子供は敬遠してとびつかないのも当然といえよう。「緑の猫」「白骨船長」「狂った国境」「複眼魔人」「くろい宇宙線」といったSF短編は、ほとんど話題にもならず忘れられていった。(手塚前掲書)

 ただし、のちにSF関係者から再評価されることで一般にも有名になりました。これこそ戦後日本SFのルーツであると。

 手塚の文章に出てくるS社のN氏というのは、長野規のことです。長野が「少年ジャンプ」初代編集長になったとき、1971年よりジャンプ誌上で同じ「ライオンブックス」という名のシリーズを手塚治虫に描かせています。今はこちらのほうが有名かな。ふたりにとってリターンマッチのつもりだったのでしょう。

 「おもしろブック版ライオンブックス」は全部で12冊ありますが、前後編が2作ありますので、全10作。ところが講談社全集版でも9作しか読めなくて、「双生児殺人事件」は欠落しています。実はこの作品、他人の手がずいぶんはいってて、しかもストーリーが破綻しているという珍作のようです。

 この「双生児殺人事件」も、四月末に発売される2巻のほうに収録されるようなので、楽しみに待ちます。

     ◆

 さて、今回の小学館クリエイティブ版1巻は一冊本じゃありません。筺の中にB5判の薄い別冊付録が六冊と、野口文雄による解説の小冊子が一冊。文字どおりの「復刻」ですね。ただし、おそらく紙だけは当時よりいいものを使ってるはず。

 今回の第1巻、わたし読んでみてすごくびっくりかつ、うれしかったことがありまして。このライオンブックスという別冊付録、手塚治虫だけが描いてるのじゃなくて、巻末には、うしおそうじの長編マンガ「少年忠臣蔵」が連載されてるじゃないですか。

 それぞれは5~9ページの短いものですが、六冊中、五冊にはうしおそうじも描いてます。この忠臣蔵、英一蝶と宝井其角の再会からお話が始まるという、堂々たる風格を持った作品です。しかも鳥瞰の江戸風景とかが見開きで描かれてて、いや、うしおそうじの絵、うまいなあ。すごくもうけた気分。

 手塚のほうもうしおそうじを気にしていたはずです。「宇宙空港」の主人公の名は「鳴戸潮(なるとうしお)」ですが、これやっぱ、うしおそうじが頭にあったのじゃないかしら。

 「緑の猫」のオリジナル版にも、

「換気屋です かべのうしろに装置をとりつけやす」「よし はいれ」
「なんだ あいつァ」「うしおそうじがどうとかいってた」

 「うしろにそうち→うしおそうじ」というわかりにくいギャグがあります。のちの版ではこのセリフ、変更されてしまいました。

 うしおそうじと手塚治虫の濃密な友人関係は、うしおそうじ『手塚治虫とボク』(2007年草思社)にも書かれていました。この本によりますと、

集英社の長野規の構想にのって大型付録『ライオンブックス』に、巻頭手塚治虫の一話完結の力作に次いで、『少年忠臣蔵』を一年ぐらい掲載したりした。

ということです。だとすると、2巻でもうしおそうじが読めるのかなあ。そうだといいなあ。

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March 28, 2008

石森章太郎と読者世代

 石森章太郎(本稿では石ノ森じゃなくて石森で書かせていただきます。でないと気分が出ないので)に対する印象は、読者の世代によってずいぶん違うのじゃないかというお話。

 1966年から1968年、各社から新書判コミックス創刊があいついだころ、石森章太郎こそ、マンガのスターでした。

 秋田書店サンデーコミックスの第一号は石森章太郎『サイボーグ009』、朝日ソノラマサンコミックス第一号も石森章太郎『黒い風』、虫プロ虫コミックスの一号も石森章太郎『気ンなるやつら』でした。

 十代から活躍した早熟のひとなので、『マンガ家入門』を描いたのが1965年で27歳、石森章太郎選集という函入りハードカバーのシリーズが出版されたのが1969年、31歳のときです。わたしも喜んで買ってました。

 最初の転機は1967年、「漫画アクション」創刊号から描かれた『009ノ1』じゃないでしょうか。青年マンガというそれまでに存在しなかったジャンルへの挑戦にあたり、彼も絵柄をおとなっぽいタッチに変更しました。

 多くの子どもマンガ家が、この時点で脱落したことを考えると、石森はかるがると(でもないのでしょうが)変身してみせました。

 このころはまだ、少年マンガではまるっこい絵で描いていましたが、1968年『佐武と市捕物控』が少年誌から「ビッグコミック」に引っ越したとき、同じキャラなのに絵をがらりと青年誌向けに変えちゃったのには驚いた。1969年「少年マガジン」の『リュウの道』以降は、少年誌でも青年向けタッチで描くようになり、絵柄がほぼ完成されます。

 『リュウの道』の終了が1970年、『佐武と市』の終了が1972年。実はわたしはこのあたりで、石森章太郎から離れてしまいました。全盛期と思われる時期から、まだたった数年しかたっていませんが、読者は気まぐれですね。

 その大きな理由は、変身ヒーローものが大量に生産され始めたから。1971年『仮面ライダー』、1972年『変身忍者嵐』『人造人間キカイダー』、1973年『ロボット刑事』『イナズマン』と続きます。

 このあたりで読者が交代しました。それまでの読者より年少の、変身ヒーローが大好きな視聴者や読者の人気は得ましたが、ちょっととんがったマンガマニアは石森から離れていったのじゃないかしら。わたしには、このころの石森作品はかつての作品群の縮小再生産にしか思えませんでしたが、この時代の作品を絶賛してるひともいるんですよね。

 いっぽうで石森は、青年誌(というよりすでにオヤジ向け雑誌)ではもっと落ち着いたおとな向けの、ウェルメイドな作品を描き続けていたわけです。こちらはこちらで人気がありました。『HOTEL 』とかね。これを支持してるのは団塊の世代あたりかな。

 というわけで、石森作品てのは、初期の才走った作品群、変身ヒーローもの、おとな向けウェルメイド作品群、の三つに分けることができます。そしてそれぞれに別のファンがついていたのじゃないでしょうか。

 しかしこれら三種の作品群が、009も、仮面ライダーも、HOTEL も、現在すべて生き残っているのですから、これはすごいことであります。

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March 26, 2008

児ポ法に対するアチラ側の主張

 児ポ法第二次改正に対する日本ユニセフ協会の運動が始まっているわけですが。

 永山薫/昼間たかしの『マンガ論争勃発』コンビによる「マンガ論争勃発のサイト」で、とりあえずの直接の敵である日本ユニセフ協会に対するインタビュー/論争が掲載されていますのでご報告。

 日本ユニセフ協会に対しては、嫌悪感だけでデータ持ってないじゃん、てのが感想ですが、とりあえずアチラ側の主張を知ることは大切、というわけで、みなさんもきちんと読まれておくのをオススメします。

(財)日本ユニセフ協会インタビュー
【第1回】外国からも「声」が届いている
【第2回】児童ポルノ問題には国際的な一致が必要
【第3回】アメリカ司法省「警察はそれほど暇じゃない」
【第4回】「状況が悪化しているとはいっていない」
【最終回】「単純所持規制は待ったなし」

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ディズニー的なるもの

 かつて子どもにとって映画館でのお楽しみといいますと、怪獣映画と東映動画のアニメだったりしたわけですが、ディズニーというのはやっぱ別格でした。

 ところが、1960年代以降のディズニーの長編アニメーション映画というのは長期低落傾向にありまして、新作はリバイバル公開される旧作に比べてデキがどんどん悪くなっていきます。

 1973年製作の「ロビン・フッド」なんか日本での公開は1975年でしたが、わたしが劇場で見たときは閑古鳥が鳴いてまして、作品もぐだぐだ、もうディズニーを見るのはやめようかと思ったものです。ま、同時上映の短編のほうは名作ぞろいだっんですけどね。

 ディズニーのアニメーションが復活するのは1989年製作(1991年日本公開)の「リトル・マーメイド」から、と言われています。

 以後ディズニーは長編アニメーションで多数のヒット作を生み、ブランドの力を取り戻しました。しかしそれも約20年でCG全盛となり、最近はディズニーを見に行くというより、ディズニーブランドのピクサーを見に行くようになってしまいました。

 2004年、ついにディズニーは2Dアニメーション部門を閉鎖しました。栄枯盛衰ですなあ。

     ◆

 ディズニー映画「魔法にかけられて」を見てきました。

 テレビでよくCMやってますからご存じでしょう。ディズニーの2D長編アニメーション世界の住人であるお姫様が、魔女の手により現代のニューヨークに飛ばされてしまい、実写の人物に変化してしまうお話。

 映画では女優さんが、ディズニーアニメーション的な動きをマネしてくれるのですが(両腕を上にのばすアクビとか)、これがそっくり。おお、そうだそうだ、アニメの動きは現実の再現じゃないんですよねー。けらけら笑えてたいへん楽しい作品でした。

 ディズニー自身の手によるディズニー長編アニメーションのパロディです。パロディは対象の本質をあぶりだすものですから、観客としてはディズニー的なものとは何だったのか、考えながら映画を見ることになります。

 現在ディズニー的と考えられているものは、初期の短編アニメーションにはまだ存在せず、「白雪姫」以来獲得したのものでしょう。世界のおとぎ話をディズニー映画にアレンジするうちに形成されていったさまざまな特徴。

 羅列してみます。美しく前向きな主人公、ハンサムですが無個性な王子様、主人公を助けるペット、突然のミュージカル、単純なストーリー、しょぼい悪役、そして絶対のハッピーエンド。

 考えてみれば、日本アニメ(とくにTVアニメ)はこれらディズニー的なものに対するアンチとして作られてきたのじゃないでしょうか。登場人物の性格は複雑に。悪役はかならず世界征服を目標に。アンハッピーエンドも辞さない。

 日本人観客から見ると、「魔法にかけられて」はパロディとして自身を笑いながらも、ディズニー的で何が悪い、ハッピーエンドで何が悪い、と開き直って見せた作品ですね。こういうのも、当然ありでしょう。

 そこで本作品をきっかけにディズニーも2Dアニメーション復活、となってくれればうれしいのですが、2Dアニメ部分は外注だそうです。がっくし。 

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March 24, 2008

ちょっとだけオシャレな造本

 海外を舞台にしたエッセイマンガは、あまりハズレがありません。海外生活経験者は、そうそうあるある、と読み、未経験者は、へーそうなんだー、とこれもお勉強になるから。

 で、こういうのが発売されてます。

●じゃん・ぽ~る西『パリの迷い方』(2008年創美社/集英社、838円+税、amazonbk1

 著者がパリに留学したときの見聞をもとにしたエッセイマンガ。日本人とフランスの文化摩擦がネタになってます。連載は「オフィスユー」。

 他の類似作品に比べどこが違っているかというと、まずちゃんと絵がうまい(ような気がする)。破綻のないきっちりした絵で、エッセイマンガにはぴったり。書影ではわかりにくいかもしれませんが、絵のうまいひとが、わざと単純化してマンガっぽく描いた感じ。

 数ページで終わるエピソードを集めたものですが、起承転結でいうなら、転の部分でぶちっと切って終わる作品もあります。

 もちろんいちばんは、パリの何をおもしろがるか、という点であります。この本に描いてあるのは、電話やメトロや郵便局やシャワーなどの日常生活。あたりまえですが、オッシャレーなパリはあまり登場しません。そのかわりにこの本、小口のほうからながめますと、青白赤の三色という造本になってまして、おおフランス国旗だ。

 それやこれや絵も含めてこのマンガ、センスいいですね。

 さて、32歳の著者は何のためにパリ留学をしていたかといいますと、「フランスの漫画に憧れて」「まんが修行を志し」たのだそうです。マンガ内では、バイトしてるか、友人とおしゃべりしてるか、日々の生活の描写はあっても、具体的にどこで何の勉強をしてるのかは描いてないので、謎です。

 でもフランスでBDの修行をしてる日本人てのは、そうたくさんいるものじゃないだろう。今度は著者のまんが道のほうを読んでみたいです。

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March 21, 2008

ムシは怖いよ『エンブリヲ』

 わたしが子どものころ、けっこう大きなクモが道をよたよた歩いておりまして、子どもは残酷ですな、何を考えたか、わたし、これを運動靴を履いた足で踏んづけた。

 すると、クツの下から、大量の子グモがぞわわわーと四方八方にわいて出まして、クモの子を散らすとはこのことか、一瞬でわたしの顔は青くなり、ぎゃっと叫んで逃げ出しました。ありゃいったいどういう種類のクモだったんでしょ。

 このようにムシはコワイものでありますが、これを愛するひとがいる。「虫愛ずる姫君」をネタにした作品といえばまずはナウシカですが、これもそう。

●小川幸辰『エンブリヲ』全三巻(2008年エンターブレイン、各640円+税、amazonbk1

  

 10年前に「アフタヌーン」に連載されたものの復刊。エンターブレインはいい復刊をしてくれました。

 ムシの出てくるホラーです。このムシというのが、イモムシそっくりのくせに、尖った触手を持ってるわ、シリに針を持ってるわ。しかも空からふってくるし、トイレに潜むし。こいつらが無数に発生して、ざわざわと、ヒトをカラダの外から、中から、食い破ります。

 うわあ、紹介文書いてても気持ち悪い。これをコワイと言わずに何がコワイか。やっぱ数がコワイ。

 で、主人公(書影の女子高生)は、このムシに刺され、体内に卵を産みつけられてしまいます。さあタイヘンどうしよう、なのですが、この主人公、何を思ったか母性を発揮してしまい、この自分の体内で育つムシが、かわいくなってしまう。

 エイリアンに卵を産みつけられた被害者が、虫愛ずる姫君だったら、というとんでもないお話であります。

 ムシの正体は何か、主人公の運命は、地域を巻き込むカタストロフィは起こるのか、とまあページをめくらずにはいられない、抜群のリーダビリティを持った作品です。

 ムシが人体破壊をするグロ描写が多いので、万人にはおすすめしません。ウチの家族は、そこにその本を置くなっ、と怒っておりました。でも作品の隠れテーマは、エコロと母性愛なんですけどね。しかも人間にとってホントに怖いのは人間だったりしますから、ムシが正義の立場に立ったりすることもあるのです。

 絵は、先日亡くなった鈴原研一郎みたいな感じで、はっきり言ってヘタ系ですが、描き込みがすごい。こういう絵のほうがコワイんだよなあ。

 地方都市、というより学校を中心にした狭い地域だけの話であるのも、閉塞感が増して、コワイ。登場人物も読者も、どこにも逃げられません。こういう構成がうまいです。

 著者は最近、「おがわ甘藍」名義でエロ系の仕事が中心だそうですが、ホラー系ももっと読みたい。

 ひとつだけ。主人公グループが地下を歩いていたら、ゴキブリの群れに襲われてしまう。何百というゴキブリが顔に向かって飛びかかってくるのですが、彼らの会話は。

「おちつけっ ばか ゴキブリだよ ほら……な?」「ふーっ なあんだ」

 いや、それはそれで、むっちゃコワイから。それだけで死ぬから。

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March 19, 2008

「3月17日は漫画週刊誌の日」というのは本当か

 「3月17日は漫画週刊誌の日」だそうです。1959年のこの日、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が同時に創刊されたから。それにしても誰がいつ決めたんだ。

 今、「漫画週刊誌の日」でググれば、それこそ山のようにヒットするのですが、実はほとんどがごく最近書かれた記事です。

 おそらく、で申し訳ないのですが、これら多くの記事のモトネタをたどれば、「知泉Wiki 」のこの記述に行き着くのではないでしょうか。

1959(昭和34)年3月17日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊されました。 当時は読み物が中心で、漫画は少ししか載っていませんでした。

 ふんふんなるほど。

 でもそのあとにある、「この創刊号から、少年漫画界の巨匠・手塚治虫がサンデーに、石森章太郎がマガジンに連載をしていたのですが」という文章は、残念ながらマチガイ。手塚はサンデー創刊号から『スリル博士』を連載していましたが、石森はマガジン創刊号には描いていません。

 となると、この3月17日同時創刊という記述もあやしいのじゃないかしら。これは本当なのか。

 とかひとを迷わせるようなことを書いてますが、3月17日の件はおそらくマチガイではないと思われます。その根拠について書いておきましょう。

 わたしが2005年にブログに書いた「週刊少年マガジン創刊号」という記事があります。

 その中でわたしは、「週刊少年マガジン1959年3月26日創刊号と、週刊少年サンデー1959年4月5日創刊号は、1959年3月17日火曜日に同時に発売された」と書きました。

 実はですねー、このマガジン、サンデーの同時創刊というのは、わたしの子ども時代には豆知識として、けっこうみんな知ってたことなのですよ。

 ところが、ときがたつうちに、これがアイマイになってきまして、複数の書籍で、マガジンのほうがサンデーより早く創刊されたという記述を見かけるようになります。

 たとえば、石子順造『戦後マンガ史ノート』(1975年紀伊國屋書店)巻末の年表でも、(昭和)34年3月『週刊少年マガジン』(講談社)創刊、4月『週刊少年サンデー』(小学館)創刊、と書かれています。

 これはマガジンの創刊号が3月26日号で、サンデーのほうが4月5日号であることからくる、誤解ですね。

 そこでわたしは先のブログ記事を書くときに、同時創刊を証明しようと、持ってる資料をひっくり返してみました。ところがこういうことはあんまり書いてないんですね。

 でもなんとか発見したのが、これ。

●内田勝『「奇」の発想』(1998年三五館、1800円+税、amazonbk1

 元少年マガジン編集長、内田勝の自伝。この本にはこういう記述がありました。

マンガ誌としては、(中略)週刊誌というのはもちろん出版界初登場で、講談社の動きを察知した小学館も、急遽『少年サンデー』の発刊を決め、“日本初(じつのところ“世界初”でもあったわけだが)の週刊マンガ誌”を狙う先陣争いも熾烈なものがあったが、宿命のライバルとなる『マガジン』『サンデー』は、共に猛ダッシュを試み、結局創刊号が仲良く同日発売となってケリがついたのだった。

 ほら同時創刊でしょ。

 ただし内田の記述では、マンガ週刊誌の企画はマガジンのほうがサンデーより先、ということになってますが、わたし、このあたり逆じゃないかと思ってます。これについてのサンデー側の証言があまりないんだよなあ。

 内田本では創刊号の発売日がわかりませんが、もひとつの資料がこれ。

●『復刻版少年マガジン大全集』第3巻(1991年講談社、2524円+税、amazon

 この巻では、少年マガジン創刊号の全ページ完全復刻という豪華なことがされてますが、その部分を読んでも、創刊号の発売が何月何日だったのかはわかりません。

 でも巻末に、「解題・杉田健一」として、このような記述があります。

昭和34年3月17日に「週刊少年サンデー」(小学館)と同時に創刊された。

 やったね。これで日付まで特定できました。

 というわけで、わたしとしましてはこのふたつを根拠として、ひとまずは安心して先のブログ記事を書いたのです。

 ただし根拠がふたつだけというのは、絶対の確信が持てないところでもあります。わたしがブログ記事を書いた後、このような本が刊行されました。

●宮原照夫『実録!少年マガジン名作漫画編集奮闘記』(2005年講談社、3000円+税、amazonbk1

 これには以下の記述があります。

『マガジン』『サンデー』は、一九五九年(昭和三四年)三月にほぼ同時に創刊された。

 「ほぼ」なのかよー。ぼかしてあって、はっきり書いてくれてないんですよね。今もちょっとだけ不安が残ってます。

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March 16, 2008

児ポ法との戦いは終わらない

 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰および児童の保護等に関する法律」が成立、施行されたのが1999年。これが改正されたのが2004年。

 そしてまたまた、日本ユニセフ協会が主導する形で、改正のキャンペーンがなされて話題になっています。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/11/news097.html

 今回、いろいろなところで議論されているのは、(1)児童ポルノの単純所持禁止と、(2)アニメ・マンガ・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化する、という主張が前面になされているからです。

 しかし、この主張は今回初めて登場したものではなく、すでに1999年の法律制定前からこの二点は議論のまとになっていました。

 なんでまたこんなに何度も同じ問題がむしかえされてるかといいますと、1999年の「児童買春、児童ポルノ禁止法」の附則第六条には、この法律の施行後三年を目途として再検討する、と書かれてて、さらに2004年の改正でも同じように附則第二条で、三年を目途に再検討、と書かれてるからなのですね。

 つまりこの問題は、三年ごとに、ほとんどエンドレスにくり返される運命なのです。

 (1)(2)の主張に対してマンガサイドから反対したのは、1999年のときは「マンガ防衛同盟」、2004年のときは「NGO-AMI 」でした。1999年でも、2004年の改正でも、(1)(2)が法律に含められなかったのは、彼らの運動の成果でしょう。

 とくに単純所持禁止については、日本ユニセフ協会などが2004年の改正時に強く主張し、自民党・公明党による法案にも盛り込まれていましたが、与野党の調整のなかでぎりぎりのところで削られたという経緯があります。

 で、また三年がたち、今回のキャンペーンが出現しているわけです。昨年3月にはこういうシンポジウムもありましたし、アチラ側では継続した活動がなされています。今回は民主党のなかにも(2)に賛成する議員がいたりして、たいへん不安です。

 (1)(2)に反対する意見としては、「NGO-AMI 」のサイトにある、2004年の改正時に出された『「児童買春児童ポルノ禁止法」改正への要望書』に言いつくされていると思います。ぜひご一読ください。

 (1)と(2)はまったく別の問題ですから、これをいっしょくたにした日本ユニセフ協会のキャンペーンには納得できないものを感じるひとが多いでしょう。さらに(2)には、「18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど」も含めるというのを聞くと、彼らの主張はいったい誰を、何を守るつもりなのかと思ってしまいます。

 この法律が成立すると、劇画系以外のエロマンガ、アニメ、ゲーム、は全滅です。多くのBLも消えます。それだけじゃなくて単純所持まで禁じられたら、いったい犯罪者が何百万人出現することになるのやら。

 マンガ内の女の子がオッパイ出すとき、ここまでならOK、これはダメ、とか複雑に規定されるのでしょう。もちろん男の子の尻すら描けなくなります。さらに、この子は18歳以上だ、イヤ未満だ、という議論も。

 いずれにしても、内田春菊「ファザーファッカー」のような小説は、絶対マンガ化することはできなくなりますな。

 若く見えるキャラクターが登場する性的マンガ・アニメ・ゲームを、一定量、継続して製作しているのは、今のところ日本だけです。日本の法律が世界の動向を決定してしまうかもしれません。

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March 14, 2008

今ごろ『戦後マンガ史ノート』を読む

 わたしは石子順造のあまりいい読者じゃありませんでした。彼の文章については、雑誌に掲載されてるのを読んだとか、対談を読んだとか、共著の本を読んだとか、その程度。『マンガ芸術論』(1967年富士書房)は読んでません。

 石子順造『戦後マンガ史ノート』は1975年紀伊國屋書店発行。ただし同じ紀伊國屋から復刻されていて、今も買うことが可能です(1994年紀伊國屋書店、1748円+税、amazonbk1kinokuniya)。

 で、読んでみました。

 発行されたのが1975年ですから戦後30年目。著者は1929年生まれで、1977年に若くして亡くなりました。本書が刊行されたとき46歳です。批評家としてマンガプロパーのひとではありませんが、片手間になされたのではない本格的マンガ批評の先行者として、現在もリスペクトの対象になっています。

 本書は昭和20年代、30年代、40年代と三部に分けての記述になります。書かれているのは情況論で、マンガ史を自身の興味に引き寄せて語るという意味で、無味乾燥な本にはなっていません。

 実はもっとも興味深かったのは、序に当たる戦前・戦中のマンガの部分と、昭和20年代の子どもマンガ以外についての記述だったりします。このあたりは、現在あまり語られることのない分野です。

 戦後マンガ史はどうしても手塚治虫中心に語られる傾向があります。劇画にしてもアンチ手塚としての側面が強調されることが多い。しかし本書では手塚の重要性は認めながらも、意外なほど手塚に関する記述は少ないのです。つまり手塚にあえて触れずに書かれたマンガ史という印象ですね。

 これには1968年の手塚治虫と石子順造の論争(というか、手塚からの文句。手塚は批評されることが大嫌いだったようです)が影響しているのかどうか。

 著者の興味の対象と共感は、まず貸本時代の「劇画」にあります。

生活者の私的な羨望や嫉妬や悲哀や憤怒が、一冊でもよけいに売れる作品をという意識とバランスされて、いやおうなく作品に結実していったとき、劇画は劇画として生まれ、たんに安直、安価な娯楽であることも超えて、独自な表現のレベルに立ちあらわれたのだとぼくは思う。

 これが著者による劇画への賛辞です。当時の著者はこう考えていました。

「劇画」は他の語と区別されずに使われる形で生きつづけ、今日のマンガの活況を支えているのであり、もうめったに死語となることはない思われる。

 しかし、昭和30年代に勃興した貸本劇画は、マスメディアに取りこまれることで変質していった、というのが著者の理解です。著者はこの変質を好ましくないものとしていますが、実はそれが時の流れでもあると感じており、「風化」という言葉も使っています。

つまり、劇画は今、風化にたえてどのような命を生きているのかと、ぼくは不安なのである。

 劇画は劇画ブームを経てマスとしての人気は得たものの、当初の荒々しい魅力を喪失していきます。著者の不安どおり、現代ではこの劇画という言葉も、注釈なしにはもう理解しにくいものになってしまいました。

 昭和40年代のつげ義春と赤瀬川原平を紹介したあと、本書はこのように締めくくられています。

中年のぼくは、昨今のマンガがかきたくないのにかかれている、と思えてならない。というより、かきたいものを見失わせてしまうあり方で、まるで安手の物品のような商品として生産されていると思えてならないのである。

 作家性を否定するかもしれない、商品としてのマンガへの嫌悪感であります。本書は、著者が好きだった劇画への鎮魂歌であると言えるのかもしれません。

 著者のこの感情は、現代から見ると少し古典的すぎるようにも思えます。本書以後も作家性を失わず、しかも商業的に成功した作品が多く登場したことをわたしたちは知っているからです。

 しかし石子順造の先進性は、以下のような情況分析にあります。マンガブームが終わったと言われた1970~1971年ごろのマンガ情況はどのようなものであったか。著者によると以下のように要約されます。

 (1)当時の内田勝体制「少年マガジン」の失速は、少年読者を忘れ、マンガ読者をいっそうの受動性に固定した送り手側の責任である。(2)青年層の読者は、マンガを自己表現の手段として選び始めた。(3)絵画性の強いマンガが出現し始めている。(4)娯楽商品としての大手企業の手になるマンガとは別に、個人の手による「本歌と替歌ほどのちがいがある」マンガが出現しつつある。

 まさに現代のコミケを予想、先取りしていることに驚きました。

 この本が発行されてからすでに30年。戦後というくくりでも、歴史は倍の60年が経過しました。

 本書が書かれた直後、すぐれた少女マンガが多く出現しました。本書には新しい少女マンガとして、池田理代子、萩尾望都、土田よしこの名がちらりと登場するだけです。24年組を中心とする少女マンガを、三流劇画を、石子順造ならどう読んだでしょうか。

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March 12, 2008

第12回手塚治虫文化賞候補作

 朝日のニュースから。

 本年の候補作は以下のとおりです。

●吉田秋生『海街diary 1 蝉時雨のやむ頃』
●よしながふみ『大奥』
●五十嵐大介『海獣の子供』
●矢沢あい『NANA』
●柴田ヨクサル『ハチワンダイバー』
●石川雅之『もやしもん』
●真鍋昌平『闇金ウシジマくん』
●あずまきよひこ『よつばと!』
●あさりよしとお『るくるく』
●山本直樹『レッド』

 審査員は、荒俣宏、いしかわじゅん、印口崇、香山リカ、呉智英、萩尾望都、藤本由香里、村上知彦。

 今年は当てにいきましょう。

 個人的には『海街diary 』なんですけど、長編連作の第一巻というのがネック。『ハチワンダイバー』は藤本由香里が推してるけど、他の審査員にはどうだろうか。

 『闇金ウシジマくん』『レッド』を推すのは呉智英、『海獣の子供』はいしかわじゅん。『レッド』や『海獣の子供』は賞としてはトンガりすぎてるような気がします。『闇金ウシジマくん』は、いま「貧困」に注目が集まってますからいいところまで行くかもしれません。

 『もやしもん』はストーリーの本筋がどこにあるのかわからないマンガですから、「もうちょっと見たい」とかだれか言いそう。『よつばと!』はどこを取っても金太郎アメみたいにすばらしいマンガですが、だから今年である必要もないと思われちゃうかもしんない。

 『NANA』は「この一年」というにはきびしいか。『るくるく』は、はっきり言って意外でした。

 本命はチカラワザのストーリー展開が続いてる『大奥』。対抗を『海街diary 』と読みましたね。穴が『よつばと!』です。さあどうだ。

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March 08, 2008

さくらももこのまんが道

 さくらももこ『漫画版ひとりずもう』上巻(2007年小学館、amazonbk1)下巻(2008年小学館、amazonbk1、各838円+税)が発売されてます。なんつっても超有名国民的マンガの著者の新刊ですから、書店に平積みになってますね。

 

 著者の自伝マンガです。「ビッグコミックスピリッツ」に42回にわたって連載されたもので、小学生時代が1回、中学生時代が3回、短大時代が4回。残りが高校時代の話です。

 主人公はかつて「まる子」というあだ名を持っていた「さくらももこ」です。現在は「ももこ」「ももちゃん」と呼ばれている。父はヒロシ、母と姉がいて四人家族。親友は「たまちゃん」で、小学生時代の同級生に「はまじ」がいる。

 つまりこれは、フィクション『ちびまる子ちゃん』世界と地続きの続編であり、著者さくらももこのノンフィクション自伝でもあり、というオーバーラップした世界です。

 違いは、『ひとりずもう』には小学生三年生時代のまる子のまわりにいたはずの多彩な同級生たちがいない。そしておじいちゃんとおばあちゃんが登場しません(原作エッセイにはちらりと出てきますが)。あと『ちびまる子ちゃん』ではぼかされてた実家の職業が、はっきり「さくら青果店」という八百屋として登場します。

 またマンガ内では主人公の本名が「さくらももこ」なので、原作エッセイにある、「さくらももこ」というペンネームを考えるエピソードは出てきません。ああややこしい。

 さて作品は「青春」を描いたものですから、普遍性があります。あっけらかんとしているようで実は悶々としている時代。

 高校時代の主人公、勉強も運動もクラブも、なぁーーーーんにもしていません。これほど何もしないマンガの主人公がいるか、というくらいであります。マンガを描いてみようと思っても、思うだけですぐ挫折。夏休みはひたすら寝て過ごし、文化祭の三日間はずっとサボって家でTVを見ている。

 この無為な時間がどれほど贅沢なものであるか。けっこうなトシの読者であるわたしは主人公や過去の自分に言ってやりたい。何者でもない自分、何者になれるかもわからない自分、ただし可能性だけは無限大。この「青春」と呼ばれる(恥ずかしい)時間帯が、いかに貴重か。だからといってあのころに戻りたいわけじゃありませんが。
 
 マンガの原作は同名のエッセイ『ひとりずもう』(2005年小学館、1000円+税、amazonbk1)ですが、まるきり同じエピソードを描いていても、こちらはそれなりに爆笑エッセイです。

 「東海沖地震と生理は、いつ来るかわからない」なんていうフレーズはなかなか書けるもんじゃありません。「ついでに言えば、たまちゃんのお母さんは美人で、岩下志麻みたいに上品で、昔ミス清水にも選ばれたのだ。庭も犬も喋る鳥もいらないから、母親だけでも交換したい」とかね。

 エッセイでは同級生から男子を紹介された著者は、「それらの写真は次々と私を失望させた」ので軽く断るのですが、マンガでは主人公は暗い顔をして「じゃあまたお願い…」と言い、「でも…そんなに簡単に考えられない…」と自省する。

 エッセイがマンガになったとたん、同じエピソードでもお気楽感がなくなり、ダウナーな気分になります。このあたり、両方を読んでるとまったく違う感触。演出でずいぶん変化するものですねえ。で、それを書きわけられるさくらももこは、やっぱ文章もマンガもうまいひとなのでしょう。

 お話もラスト近くになり、高校三年になった主人公は、突然自分の描くべきマンガに目覚めます。デビュー前からすでに「エッセイマンガ」を意識して描いていたそうですから、ずいぶん先進的です。

 で、そこからはそれまでの展開とがらりと変化して、描いて描いて描きまくり。さくらももこのまんが道、一直線です。ラストは主人公が「りぼん」でデビュー。親友たまちゃんとの別れも描かれてます。

 それにしても、昨年発売された上巻が、現在アマゾンでもビーケーワンでも入手不可になってるのはどういうわけでしょ。

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March 05, 2008

『リボンの騎士』リメイク

 わが家では、もう六年間も講談社「なかよし」を買い続けておりますが、さすがに最近は、安野モヨコとPEACH-PIT、そしてプリキュア描いてる上北ふたご以外は読むのが相当にキツイです。なんせ「なかよし」作品に混じると安野モヨコが描く人物ですら目が小さい方になっちゃいますからねえ。

 下の子も小学校卒業なので、もうそろそろ終わりにしようかなと、「なかよし」2008年4月号を買ってきたところ、子どもたちが騒いでる。何かと見ると、次号予告にこのようなものが。

●超強力新連載!!『サファイア リボンの騎士』

 どぅわっ。ネットニュースにもなってました。

http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20080304mog00m200009000c.html

 こちらは「なかよし」のサイト。

http://games.nakayosi-net.com/manga/index3.html

 思えばわたしが最初に読んだ手塚治虫『リボンの騎士』は「なかよし」版でした。連載が1963年から1966年で、まとめて読んだのはB5判の雑誌形式の総集編、別冊少女フレンド増刊全二巻。1967年のアニメ化にあわせて出版されたものです。

 この版ではビーナス編がばっさり削られてまして、死んだサファイアのところに天空から光がおりてくる。この光がビーナスからの使者じゃなくて、サファイアを生き返らせる神様ということになってて、そこで終了。

 1969年小学館ゴールデンコミックス手塚治虫全集版が発行されたとき、さらに続きがあって驚きました。でもまあ、ビーナス編はあまりデキがよくないから、実は最初に読んだバージョンのほうが好きだったりします。

 「少女クラブ」版の『リボンの騎士』(1953年~1956年)や『双子の騎士』(1958年~1959年)を読んだのはもっとあとで、『双子の騎士』は1971年の虫コミックス。オリジナルの『少女クラブ版リボンの騎士』を読んだのはさらに遅くて、講談社全集が発行された1979年になります。わたしの年代だとこういう順番で新しいものから古いものへと読んでいったわけですね。

 2004年に発行された『リボンの騎士 少女クラブカラー完全版』(ジェネオンエンタテインメント)は美しい本でした。やっぱ手塚のカラーは二色も三色も四色も美しい。

 アニメのほうは1967年から1968年の放映でした。最初の放送のときも見てますが、のちに再放送されたとき(もうそこそこの年齢になってました)、わたし、ストーリーや感想をメモしながら全話を見直してます。あのメモどこに行っちゃったかなあ。手塚治虫が演出の回、だめじゃん、と思ったのはそのころのこと。

 で、このようにわたしにとっても思い出深い『リボンの騎士』がリメイクされるわけです。シナリオが高橋ナツコで、マンガを描くのは『ぴちぴちピッチ』でスマッシュヒットを放ったあと、ちょっとアレな作品が続いた(←ウチの子の評価です)花森ぴんく。

 今月号の「なかよし」によりますと、

●フツーの女子中学生だったはずなのに…。この恰好は、いったいなぜ!?

 サファイア、中学生なのかっ。ああ不安だ。

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March 03, 2008

シートン雑感

 谷口ジロー『シートン 旅するナチュラリスト 第4章 タラク山の熊王(モナーク)』(2008年双葉社、1429円+税、amazonbk1)が発売されています。

 『シートン第4章』は、「Web 漫画アクション」で連載というか配信されてたものでした。

 「Web 漫画アクション」にはネットだけで読める無料連載マンガが数本あります。『シートン第4章』もそうでした。双葉社はネット上でマンガを立ち読みしてもらい、興味をひくことで最終的に雑誌の売り上げをのばそうとしているようです。その中でネットだけの連載マンガは目玉企画なのでしょう。

 ネット配信のマンガが単行本化されるのは初めてではありませんが、これから増えていくのかどうか。モニター上で描かれ、読まれるにしても、最終形態は「本」の形であってほしいなあ。

 ネット連載されたマンガは、その連載中に大人気、というわけにはいきませんから、読者としては描き下ろし作品を読む感覚。作者のほうは、定期的に締め切りが来るから雑誌連載と変わらない。ただし連載中に読者の反応というのはあまりないのじゃないかしら。描き下ろし単行本と雑誌連載をまとめたものの折衷という感じでしょうか。ここしばらくマンガは、雑誌連載→単行本化というコースが一般的でしたが、ようやくネット時代になって違うモデルが出現しつつあるのかもしれません。

 さて作品のほうは、谷口ジロー、あいかわらずうまいですねー。まさに円熟。谷口ジローが『坊ちゃんの時代』あたりから円熟の域にはいったと考えると、すでに20年、熟しっぱなしですな。

 なんつっても、北米の自然風景だけで読者をひきこんでしまいます。モノクロの風景を描かせて日本一。というか世界一かもしんない。

 ただ、ヒトコマだけ奇妙な描写があって、105ページ最下段左端、イヌが羊の群れの上を駆けてゆく…… どう見ても変だよなあ。しばらく考えてしまいましたが、やっぱ、描きまちがいじゃないかい。こういうのは、雑誌連載なら誰かが気づくのでしょうけどね。(←追記:ごめんなさい、マチガイじゃないそうです。コメント欄をごらんください)

 本作品のおもしろいところは、野生動物がちょっとだけ擬人化されてます。擬人化といっても、フキダシでしゃべったり考えたりするのじゃなくて、目の表現。

 ほら、動物って白目の部分が少なくて、黒目が大きいというイメージがあるじゃないですか。だから何考えてるかわかんなくて、コワい。でも本作品のクマは、とくに人間に飼われてる子グマ時代、白目部分が広くて黒目が小さめ。

 これでより目になったり、上を見たり左を見たりすると、読者には動物にもヒトみたいな感情があるように感じられ、これだけでも擬人化ですね。最近の谷口ジローにしてはめずらしく「マンガ的」な表現でしたが、ほんとはこういうのが好きなのじゃないかしら。

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