以前以後
ある作家、作品が登場したのち、そのフォロワーが多数現れてメディアやジャンルの状況が変化すると、「○○以後」という表現がなされるようになります。
日本マンガで、「○○以後」と呼ばれるほど影響力が強かったのはだれでしょう。
まずは、手塚治虫、山上たつひこ、大友克洋。この三人が挙げられるのじゃないでしょうか。
神様、手塚は何をしたか。(1)「映画的」手法など、コママンガの新しい表現を開発した。(2)複雑で壮大なストーリーと悲劇的な展開をマンガに導入した。表現とストーリー、ともに戦後マンガを切り開いたのは手塚です。戦後世代のほとんど全員が手塚治虫のフォロワーとも言えます。
山上たつひこの、狂騒的なギャグとそれに対する過剰なツッコミ。このパターンは、ギャグマンガを大きく変化させました。山上ギャグにおけるツッコミの重要性にみんなあんまり言及しないんですけど、これってマンガを変えた気がするんですけどねえ。
そして大友克洋のすぐれた画力とデザインは、日本マンガのレベルを一段上に引き上げました。大友克洋の画力はマンガの標準になり、かつてかっこよかったはずの手塚的な絵を古くさいものにしてしまいました。
◆
この三人が「○○以後」と呼ばれるビッグスリーじゃないかと思うのですが、もちろんその他にもいろいろと。
日本のオルタナティブマンガは、つげ義春に始まったのじゃないか。すべてのオルタナティブ作家は、「つげチルドレン」(←わたしが今つくった言葉)です。
1960年代末に、岡田史子と宮谷一彦というふたりの新人が登場したとき、そのあまりの斬新さに、フォロワーがいっぱい出ました。岡田史子は24年組に先行する心理描写が特徴で、宮谷一彦は写真のようにリアルな背景や小道具を描きました。こういう背景は現代からふりかえって「宮谷以後」と呼ばれます。
その後女性マンガでは、24年組が心理描写を大きく進歩させ、そして岡崎京子以後、現代風俗をリアルに描くことが可能になりました。
四コママンガの革命を起こしたのが、いしいひさいち。今も存在する「四コママンガ誌」は、彼がつくったようなものです。
エロマンガは、かつて隆盛だったエロ劇画がほぼ淘汰され、美少女系、萌え系と呼ばれる絵に大きく変化しましたが、この源流を考えると、そこには吾妻ひでおがいるような気がします。
◆
いっぽうで、フォロワーを生まなかった作家もいます。
代表的なのが、水木しげる。まさにワンアンドオンリーではないか。これはこれでスゴイことであります。
Comments
手前味噌な話で気が引けるのですが、
ずーっと気になっていた
Wikipedia「吾妻ひでお」の
> 「不条理漫画」というジャンルを作ったのは吾妻ひでおである
という記述をこないだやっと修正しました。
美少女エロマンガというと、吾妻ひでおもさることながら、森山塔の存在が大きい気がします。
Posted by: かくた | March 09, 2008 05:32 AM
少なくとも絵(点描とか、キャラクター造形とか)においては、つげ義春は、水木しげるのフォロワーとは言えませんかね。
げげげ通信によると、まだ交流があるみたい。
http://www.mizukipro.com/near4.htm
Posted by: きむらかずし | March 05, 2008 10:27 PM
水木フォロワーというのとはちがいますが森野達弥(万寺タツヤ名義のころのほうが記憶が鮮明ですが)とか。
水木さんとこにいた人だから似るのは当たり前(でもないか)ですが、水木に影響うけて水木さんとこへ行った人なんで、こういうのも広い意味でフォロワーというのでしょうか。
Posted by: 入江 | March 05, 2008 12:50 PM
>漫画への映画的手法の導入は手塚以前にも見られると検証され
たのは伊藤剛では無く宮本大人はじめ戦前戦中の漫画の研究者です。当の手塚死で伊藤自身がこれらの研究に拠っていると述べていませんでしたか?
Posted by: 赤木大介(akakiTysqe) | March 04, 2008 04:19 PM
伊藤剛さんは漫画への映画的手法の導入は手塚以前にも見られると検証されてますよね。発展させたのは間違いなく手塚治虫でしょうけれど。
大友克洋の童夢なども超能力など目に見えないチカラを使える主人公ですが、こういった能力の発動に輪郭を与えたって意味で、かめはめ波以降、ドラゴンボール以降っていうのも、あるように思うんです。
Posted by: ola | March 03, 2008 01:24 PM
松本零士先生の戦場まんがシリーズには
水木戦記まんがの影響を強く感じます。
すべての話がそうだってのじゃなくて、歩兵がジャングルのなかを
歩き回るような話だと、草木の描き線や全体の雰囲気が
とても水木っぽく感じます。
Posted by: あ~ | March 03, 2008 09:00 AM
楳図かずおさんも忘れられないです。(笑)
Posted by: とらうま | March 02, 2008 07:37 PM
わたしにとって、こりゃ凄いのが出てきたな思えたのは1962年「少年画報」『ムサシ』の望月三起也(デビューは1960年だとか)。それから、小学5,6年のとき「少年サンデー」に載った『インスタント君(多分)』の赤塚不二夫。直後、わたしの小学校で小学館のグループインタビュー(数人のターゲットを集め、座談させ、必要なマーケティング情報を得るやり方)が行われ、赤塚不二夫を一推ししました。赤塚のメジャーデビューに少しは貢献したかしら、というのは謙遜ではなく、「ラジオの工作を載せろ」とか「読み物を載せろ」といったマイナーな意見も採用されていましたからね。
それから、バロン・吉元、モンキー・パンチ、どおくまん、青木雄二……。ああ、キリがない。
Posted by: 藤岡真 | March 02, 2008 08:59 AM
初めまして。
以前以後、と云うことであれば、白土三平、さいとうたかを、本宮ひろし、梶原一騎と小池一夫(原作者ですが)なんかが浮かびます。
フォローアーがいないと云うと真っ先に思い出すのが、諸星大二郎ですが。
野球マンガの代名詞に成っている水嶋新司ですが前後の野球マンガと比べると微妙に断絶しているような気もします。
乱文失礼致しました。
Posted by: 貧寒 | March 01, 2008 12:33 PM
軽妙なセリフ回しは大友克洋よりも寺沢武一の方かな
Posted by: | March 01, 2008 12:55 AM
大友克洋は画力よりも、漫画には珍しいあのユーモアのある台詞に
衝撃を受けたんですが、そちらがあまり注目されなくて寂しいです。
コマ漫画って昔からオルタナティブな乗り(反芸術?)があったと思うんですが、
ストーリー漫画では60年代のつげを待たねばならなかったのはなぜなんでしょうね。
Posted by: ブログ漫画館 | February 29, 2008 08:32 PM