少女漫画というタイトルの少女漫画
書店の新刊コーナーで見かけて、そのあまりの堂々たるタイトルにひかれて買ったもの。ジャケ買いならぬタイトル買いですが、これは大当たり。
●松田奈緒子『少女漫画』(2008年集英社、838円+税、amazon、bk1)
登場人物が共通する連作短編が六作です。第五話までは、かつて読んだ少女マンガの登場人物に自身(あるいは他者)を重ね合わせる女性たちの話。
下敷きになるのは『ベルサイユのばら』『ガラスの仮面』『パタリロ!』『あさきゆめみし』『おしゃべり階段』。もちろんこれらを読んでるほうがいいのですが、読んでなくてもお話の理解に支障はありません。
各話の主人公は、きびしい労働環境に疲弊するハケンの女性、仕事にほされる女子アナ、幼児虐待を目撃する若い母親、軽い男とつき合う図書館員、売れなくなったモデル。彼女たちが思い浮かべるのが、りりしいオスカルであったり、努力をおこたらない姫川亜弓であったりするのです。
それぞれお話の途中にはきびしい現実があっても、五作中一作をのぞいて、すべてラストシーンは大甘のハッピーエンドです。こんな甘いラストでいいのか。
いいのです。
全体のまとめとなる第六話「少女漫画家たち」の主人公(♀)は、デビュー五年目の少女マンガ家。「クール」で「作画技術とセンスは素晴らしい」けど売れてません。
自分がどういうマンガを描けばいいのか悩む主人公は、「今時お姫様」の「予定調和のハッピーエンド」で「時代遅れの古くっさい」少女マンガが、「少女漫画のリアル」を持ち、「読者が喜んでくれる」ものであることを再発見していきます。
そして、ラストでは「少女漫画家の神様」が降臨します。主人公は、自分の描くべきものは、かつて自分が読んできた少女マンガの中にこそあると悟ります。
さかのぼって第一話から第五話までの作品は、第六話の主人公が今、描くべきマンガであったという構成ですね。本作品の成功はこの構成があってこそ。
少女マンガの形式で描かれた、少女マンガへのラブレターであり少女マンガ論です。
【追記】おっと「ひとりで勝手にマンガ夜話」さんに先をこされてた。コチラもどうぞ。
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