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February 29, 2008

以前以後

 ある作家、作品が登場したのち、そのフォロワーが多数現れてメディアやジャンルの状況が変化すると、「○○以後」という表現がなされるようになります。

 日本マンガで、「○○以後」と呼ばれるほど影響力が強かったのはだれでしょう。

 まずは、手塚治虫、山上たつひこ、大友克洋。この三人が挙げられるのじゃないでしょうか。

 神様、手塚は何をしたか。(1)「映画的」手法など、コママンガの新しい表現を開発した。(2)複雑で壮大なストーリーと悲劇的な展開をマンガに導入した。表現とストーリー、ともに戦後マンガを切り開いたのは手塚です。戦後世代のほとんど全員が手塚治虫のフォロワーとも言えます。

 山上たつひこの、狂騒的なギャグとそれに対する過剰なツッコミ。このパターンは、ギャグマンガを大きく変化させました。山上ギャグにおけるツッコミの重要性にみんなあんまり言及しないんですけど、これってマンガを変えた気がするんですけどねえ。

 そして大友克洋のすぐれた画力とデザインは、日本マンガのレベルを一段上に引き上げました。大友克洋の画力はマンガの標準になり、かつてかっこよかったはずの手塚的な絵を古くさいものにしてしまいました。

     ◆

 この三人が「○○以後」と呼ばれるビッグスリーじゃないかと思うのですが、もちろんその他にもいろいろと。

 日本のオルタナティブマンガは、つげ義春に始まったのじゃないか。すべてのオルタナティブ作家は、「つげチルドレン」(←わたしが今つくった言葉)です。

 1960年代末に、岡田史子と宮谷一彦というふたりの新人が登場したとき、そのあまりの斬新さに、フォロワーがいっぱい出ました。岡田史子は24年組に先行する心理描写が特徴で、宮谷一彦は写真のようにリアルな背景や小道具を描きました。こういう背景は現代からふりかえって「宮谷以後」と呼ばれます。

 その後女性マンガでは、24年組が心理描写を大きく進歩させ、そして岡崎京子以後、現代風俗をリアルに描くことが可能になりました。

 四コママンガの革命を起こしたのが、いしいひさいち。今も存在する「四コママンガ誌」は、彼がつくったようなものです。

 エロマンガは、かつて隆盛だったエロ劇画がほぼ淘汰され、美少女系、萌え系と呼ばれる絵に大きく変化しましたが、この源流を考えると、そこには吾妻ひでおがいるような気がします。

     ◆

 いっぽうで、フォロワーを生まなかった作家もいます。

 代表的なのが、水木しげる。まさにワンアンドオンリーではないか。これはこれでスゴイことであります。

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February 27, 2008

丸尾ミーツ乱歩『パノラマ島綺譚』

 江戸川乱歩は、作品の多くが戦前に書かれているにもかかわらず、今も読み継がれている作家です。日本エンタメの分野では希有なことでしょう。代表作のひとつ『パノラマ島奇談』なんか、大正15年から翌昭和2年まで雑誌「新青年」に連載されたものですよ(初出時の表記は「綺譚」)。こんなに古いのに、現代のわたしたちが読んでもおもしろいんだこれが。

 『パノラマ島奇談』は、主人公が不正に手に入れた巨万の富を使い、孤島に人工の理想郷を建造する話。

 そのあまりの奇想は映像化困難と思われていましたが、1982年にテレビドラマ化されたことがあります。明智小五郎役はいつもの天知茂、パノラマ島をつくる主人公が伊東四朗。

 わたしこれ、リアルタイムで見てますが、そうとうにエロかったです。ただし、パノラマ島そのものはしょぼかったような記憶が。

 なんせ原作のパノラマ島は、海中に「上下左右とも海底を見通すことのできる、ガラス張りのトンネル」が走り、地上に出れば、

視力の届く限り、ほとんど一直線に、ものすごいばかりの大谿谷が横たわり、両眼は空を打つかと見える絶壁が、眉を圧して打ち続き、そのあいだに微動もしない深碧の水が、約半丁ほどの幅で、目もはるかに湛えられているのです。

 さらには「見渡すかぎり果て知らぬ老杉の大森林」や「見渡す限り目を遮るものもない緑の芝生」などがありまして、ともかくスケールがでかい。

 そこには「嬉々としてしてアダムとイヴの鬼ごっこをやっている」「幾十人の全裸の男女」をはじめ、「数百人の召使い」がいて、「日夜をわかたぬ狂気と淫蕩、乱舞と陶酔の歓楽境、生死の遊戯の数々」をくりひろげている、というのですから、当時デビュー四年目の乱歩先生、夢想を大暴走させています。

 80年前に、エロのディズニーランドが描かれていたわけです。

 で、マンガがこの乱歩の奇想に挑戦しました。

●丸尾末広/江戸川乱歩『パノラマ島綺譚』(2008年エンターブレイン、980円+税、amazon

 『パノラマ島』をマンガ化するのにあたって、乱歩的な猟奇世界を描き続けてきた丸尾末広ほどふさわしい作家はいないでしょう。

 マンガの導入部では、大正末期の風俗をていねいに描いて雰囲気を盛り上げます。小道具として、原作にはない大正天皇崩御を利用した遺書なども登場。墓場で主人公が自分の歯を抜くシーンもマンガオリジナルの脚色です。いつもの丸尾末広に比べて、グロ描写はこれでも抑えぎみ。

 そして後半、パノラマ島の描写は圧巻。すべてのページ、すべてのコマが見せ場です。

 乱歩の投げかけた奇想を、丸尾末広は真正面から受けて立ち、原作のほぼすべてのシーンをきちんとデザインしました。そして最終章にいたると丸尾オリジナルのパノラマ島描写が読者を圧倒します。巨大な崖、果てしない草原、巨大な彫刻、滝を登る竜、奇妙なデザインの機関車、裸の男女。本作でのパノラマ島は、おそらく乱歩が考えていた以上のイメージで読者の眼前に展開されています。

 丸尾末広が参加することで、乱歩のパノラマ島はさらに精緻にさらにエロティックに、そしておぞましくも美しい島として完成しました。後世に残る傑作。

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February 25, 2008

ハデにはならない『ファンタジウム』

 主人公(♂)は中学生にして天才マジシャン。というハデな設定のはずなのに、なんでここまで地味な展開になるかなあ、というマンガ、杉本亜未『ファンタジウム』の2巻(2008年講談社、552円+税、amazonbk1)が発売されてます。

 

 でも2巻まで読んだところで、傑作認定しておきます。

 このマンガがハデな展開にならないのは、主人公が難読症(Dyslexia )というハンディキャップを背負っているからです。

 字を読んだり書いたりするのが困難な主人公は、同級生からいじめられ、教師からも面倒とネグられ、仕事相手からも蔑視されます。

 天才マジシャンなのに学習障害児。この境遇は主人公の性格や行動をずいぶんと複雑にしてしまいました。彼は豪胆でありながら繊細、諦観しているようで野心があり、皮肉屋ですが熱血漢、同一人物内に大人と子供が同居しています。

 主人公以外の登場人物も、みんな複雑。主人公の師匠も売れないうらぶれたマジシャンでした。マジシャン、スタッフ、観客、登場人物のすべてがウラオモテを持っています。中学の教師や同級生ですら見た目どおりの人間はだれもいません。主人公のマネージャーを買って出た青年だけが天然系で、物語で唯一、救いとなる人物です。

 お話も一筋縄ではいきません。1巻のラストで主人公のような学習障害児を受け入れる学校が見つかり、めでたしめでたしの展開かと思ったら、2巻では理想の教師などいないことが明らかになり、イジメはエンドレスに続きそうです。

 天才マジシャンのお話であるのに、主人公がマジックを成功させてすべてを解決する、わけでもなく、むしろそれが人間関係を悪化させたりします。ここに描かれているのは、まさにわたしたちの住むリアル世界に類似した、複雑な人間たちと複雑なその行動。

 絵は、著者自身もわかってるようですが、地味です。華がないけど堅実。

 ですからハデになるはずもなく、地味なのはしょうがありません。ただし、だからこそ真剣に生きる主人公の姿に心うたれます。

 このマンガがめざす結末は、主人公のマジシャンとしての成功でしょうが、それと同時に主人公の傷ついた心の救済が大きなテーマになっています。

 主人公が有名になりそうなときも、読者は彼がさらに傷つくんじゃないかと、ハラハラしながら見守ることになります。ハデじゃないけど、感情移入度の高いマンガです。

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February 21, 2008

少女漫画というタイトルの少女漫画

 書店の新刊コーナーで見かけて、そのあまりの堂々たるタイトルにひかれて買ったもの。ジャケ買いならぬタイトル買いですが、これは大当たり。

●松田奈緒子『少女漫画』(2008年集英社、838円+税、amazonbk1

 登場人物が共通する連作短編が六作です。第五話までは、かつて読んだ少女マンガの登場人物に自身(あるいは他者)を重ね合わせる女性たちの話。

 下敷きになるのは『ベルサイユのばら』『ガラスの仮面』『パタリロ!』『あさきゆめみし』『おしゃべり階段』。もちろんこれらを読んでるほうがいいのですが、読んでなくてもお話の理解に支障はありません。

 各話の主人公は、きびしい労働環境に疲弊するハケンの女性、仕事にほされる女子アナ、幼児虐待を目撃する若い母親、軽い男とつき合う図書館員、売れなくなったモデル。彼女たちが思い浮かべるのが、りりしいオスカルであったり、努力をおこたらない姫川亜弓であったりするのです。

 それぞれお話の途中にはきびしい現実があっても、五作中一作をのぞいて、すべてラストシーンは大甘のハッピーエンドです。こんな甘いラストでいいのか。

 いいのです。

 全体のまとめとなる第六話「少女漫画家たち」の主人公(♀)は、デビュー五年目の少女マンガ家。「クール」で「作画技術とセンスは素晴らしい」けど売れてません。

 自分がどういうマンガを描けばいいのか悩む主人公は、「今時お姫様」の「予定調和のハッピーエンド」で「時代遅れの古くっさい」少女マンガが、「少女漫画のリアル」を持ち、「読者が喜んでくれる」ものであることを再発見していきます。

 そして、ラストでは「少女漫画家の神様」が降臨します。主人公は、自分の描くべきものは、かつて自分が読んできた少女マンガの中にこそあると悟ります。

 さかのぼって第一話から第五話までの作品は、第六話の主人公が今、描くべきマンガであったという構成ですね。本作品の成功はこの構成があってこそ。

 少女マンガの形式で描かれた、少女マンガへのラブレターであり少女マンガ論です。


【追記】おっと「ひとりで勝手にマンガ夜話」さんに先をこされてた。コチラもどうぞ。

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February 20, 2008

高野文子の描くマンガ的なるもの

 朝日新聞で長嶋有『ねたあとに』という連載小説が昨年11月より始まってます。首都圏では夕刊に掲載されてるらしいのですが、夕刊のないウチの地方では朝刊。この挿絵を描いてるのが、高野文子です。

 毎朝、高野文子が読める、というか、見られる、というのは、これはなかなかにケッコウで幸せなことでありますので、わたしもひっさしぶりに新聞の切り抜きをしてます。

 で、高野文子は徹底して、挿絵で「マンガ的」なものを描き続けているのですね。

 連載63回目の本日は、女性が五右衛門風呂にはいってる図なのですが、水面より上に出ている彼女の顔面から頭は、真っ黒に塗られてます。眉毛や閉じた目、鼻の穴は白抜きで描かれてます。

 本日の挿絵はモノクロなので(実はこの連載、ときどきカラーになります)、黒い顔面とは、ゆだって真っ赤になってる、という表現ですね。

 その他にも、風呂場ですからボディソープのポンプの絵が描いてあります。文中では「ポンプ式のダヴモイスチャーボディウォッシュ」と表現されてますが、このポンプの絵にはテキトーな手書き字体で、「モイスチャーミルク」と書き加えてあります。リアルではなく、これはシャンプーですよー、ということを示す、もっともプリミティブな「マンガ的」表現であります。

 さらに風呂の水面からは、温泉マークの上の方、ゆれた線が4本たちのぼってまして、もちろん、湯気です。こういう湯気の描き方も、最近見なくなりました。

 さらに風呂桶のサイドにはマキがあって火があってケムリがたちのぼっていて、五右衛門風呂であることを示しているのですが、この火やケムリが風呂場の洗い場と同じ室内に存在しているっ!

 いやそんなことはありえませんので、高野文子、風呂のうちそとを隔てる壁を描いていません。

 とまあ、この単純な線で描かれた一枚だけでも、いろんなことがつめこまれているのであります。

 これまでの連載にも「マンガ的」表現はいろいろとありまして、フキダシとセリフがあったり、擬音が描き込まれたり、動線が描かれたりはあたりまえ。

 挿絵を上下の2コマに分けたりすることもありました。二日連続で同じ構図を使って、時間経過を表現したり(おそらく新聞読者のほとんどが気づいていません)。

 だいたい連載第一回から右手の手首から先が二重に描かれたり、左腕だけが三本描かれたりしてて、彼女はアルタミラの壁画を再現してたようです。

 なんでもないコタツの上の描写に、「日本茶です」「ミカンです」「アメです」「ハナかんだちり紙です」と書いてあって、これは誰のセリフでもありません。主人公の心の声か、あるいは神の声か、挿絵画家の声か。

 登場人物が麻雀牌で競馬ゲームをするとき、挿絵のほうには文中には出てこない幻想の馬が描かれ、登場人物の会話にツッコミをいれたりもします。

 平面で書かれた部屋の間取り図みたいなものの上をキャラが移動します。壁は省略されるか、壁の向こう側の床が点線で描かれます。

 高野文子は「新聞連載小説挿絵」という形式で、なにやらスゴイものを描きつつあるような気がするのですが、これを享受するには、新聞連載小説を毎日追っかけなきゃなりません。それに将来単行本化されても、挿絵すべてが収録されるなんてことはないでしょうから、なーんかもったいないですねえ。

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February 18, 2008

Wii Fit 来たる

 ついにわが家のプレステ2がお亡くなりになってしまいました。かつて発売日当日に予約注文で買った初代です。いやー8年間かあ、当初はDVD もこれで見ていましたから、ずいぶんお世話になりました。

 ブルーレイが統一規格になりそうですが、だからといってプレステ3が欲しくなるわけでもなく、さすがにプレステ2を修理しようという気にもならなかったので、代わりに買ってきてしまいました、Wii とWii Fit 。

 テレビのうしろに大量にたまったほこりをはらって、わっさわっさと配線をつなぎかえてセッティング終了。これで一日つぶれました。というわけで、めずらしくマンガをまったく読まない休日でした。

 Wii 本体は小さいですねえ、そしてWii Fit (正確にはバランスWii ボード)は重くてでかい。使わないときはどこにかたづけておけばいいんだ。

 ゲームとしてやってみると、膝とか使うし、うーんもしかするとヤセられるかもしれないと、淡い期待を持っちゃいますね。

 マンガはひとより買うほうですが、ゲームに関してはふつうの家庭のおっちゃんです。それでもここ20年で買ったゲーム機は、ファミコン、スーファミ、セガサターン、64、プレステ2、ゲームキューブときて今回のWii で7台目だよ、けっこう多いなあ。アドバンスとかDS は、ウチにはあるけどわたしは使ってませんから勘定外です。

 ゲーム機をつぎつぎ取っ替えてきたのは、マリオとドラクエをするためです。セガサターンだけはバーチャ2のために買いましたけど。

 いつの間にかそこそこの数になってしまってるプレステ2のソフトを、どういうふうに処理しようか、悩めるところであります。捨てるのももったいないような気がするし。

 知らなかったけど、プレステ2の本体って今も現役で売ってるんですね。昨年11月にも新型が出てるとは。

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February 15, 2008

横井福次郎というビッグネーム 

 京都の臨川書店が出している、マンガ・アニメ関連の「ビジュアル文化シリーズ」も順調に刊行が続き、これで六作目。すべてを読んでるわけではありませんが。

●清水勲/鈴木理夫『戦後漫画のトップランナー 横井福次郎 手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡』(2007年臨川書店、2700円+税、amazonbk1

 横井福次郎の名をなつかしいと思うかたは、すでにそうとうな年齢のはず。なんせ1948年に36歳の若さで早世してしまい、戦後の活躍はわずか三年間だけです。

 多くのひとは、横井が手塚治虫と出会ったとき手塚作品を批判したとか、横井の代表作『ふしぎな国のプッチャー』に登場する少年ロボット「人造人間ペリー」が、『メトロポリス』のミッチィや『鉄腕アトム』に影響を与えたとか、そういうエピソードで知ってるだけでしょう。

 実はわたしも『ふしぎな国のプッチャー』は、1972年の筑摩書房「少年漫画劇場」シリーズに収録されたとき読みましたが、ま、単純な線でさらっと描いた絵物語ですからねえ。ふうんそうかー、程度の感想で、一度読んだだけで読み返さなかったんじゃないかしら。当時1970年代の読者であるわたしにとって、この作品は刺激に乏しくあっさりしすぎてました。

 当時復刻されたものの中では、同時代の『黄金バット』や『少年王者』のほうがキッチュかつエキゾチックでした。もうちょっと時代が下った、『イガグリくん』『赤胴鈴之助』『月光仮面』あたりになると、ふつうの活劇マンガとして読めるのですけどね。

 わたしがプッチャーを読み直して、なかなかおもしろいじゃないかと認識を改めたのは、ごく最近のことです。ハデさには欠けるのですが、そのSF的な発想はずいぶん先進的です。

 で、本書はその忘れられている(?)ビッグネーム、横井福次郎の軌跡を追ったもの。

 多くのページが作品紹介にさかれています。書影だけは見たことがある『冒険ターザン』の中身とか、おとな向けマンガ『エミコの時計は何故進む』とか、映画化された『オオ! 市民諸君』とか、初めて見るものばかりです。

 とくに横井福次郎のおとな向けマンガは、この路線が発展したらおとなマンガでもなく劇画でもない、新しいマンガのジャンルが開けたのじゃないか、と夢想してしまうような感じのものです。戦後の活躍があまりにも短かすぎました。

 いっぽうで戦時中の翼賛会的マンガや、横井の書いた文章も収録されていて、この本、たいへん資料性が高い。ただし評伝としては文章量が少なくて、もひとつ。清水勲の名も、「著者」じゃなくて「編著者」になってます。

 しかしこんなふうに、かつての作家作品が再評価されるのはいいことですねえ。

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February 13, 2008

四角いクチ

 とりとめない話。

 最近マンガでもよく見るようになった絵に、開いたクチが四角で、離れた目が丸というのがあります。

 たとえばこういう初音ミク(YouTubeに飛びます)。

 下が広めの台形のクチが、いかにも頭をカラにしてまーす、という感じでいいですねー。

 もちろんこのモトネタはAAのギコ猫でしょう。

 ところが下が広い台形のクチといっても、「Д 」←こう描くとなんとなく、びっくりしてクチをあけたのか、どなってる感じがあります。「д 」←ちょっと小さくしてこうしますと、また違う感じになるのが微妙です。

 さらに古くなりますと、「西原理恵子描くところの腹話術人形ふう自画像や青木光恵」というのがありまして、このページの上で踊ってるのがそれです。

 何にも考えてません感がただよってます。

 西原理恵子は最近も四角いクチをよく描きますが、キャラクターは強い意思を持ってる感じ。歯が描いてあるからでしょうか。

 四角いクチの上下にびみょうにカーブをかけますと笑った感じになって、もやしもんの菌になります。点目になるのとあいまって、かわいくなるのが不思議ですね。

 で最近、明治ブルガリアヨーグルトを買ったら、ナカブタにもやしもんのパチモンがいました(いやまあ単純な線と点ですからパチというほどでもないか)。クチが四角くないので、かわいさ度が少し減少してる気が。

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February 11, 2008

アフィリエイト開始一周年

 えー、ブログでアフィリエイトを始めてちょうど一年になります。

 現在このブログはアマゾン、ビーケーワン、紀伊國屋と契約しております。なんでまた三か所も利用しているかといいますと、まずは書影を使ってブログのデザインを華やかにしてみたかったのですが、アマゾンの↓こういうデザインのリンクがどうも好きになれなくて。

 

ブログの文中には、シンプルな↓こういう書影が欲しかったんですよ。

 アマゾンでのシンプルな書影をココログで利用する方法がどうやってもよくわかんなかったので、アマゾン書影はサイドバーで利用するだけ。現在、文中での書影はおもにビーケーワン(バリューコマース経由)にリンクして、洋書とかビーケーワンに書影がないときには紀伊國屋を利用させてもらってます。

 アマゾンとビーケーワンは公平にしてるつもりなのですが、なぜかみなさんビーケーワンよりアマゾンを利用されることが多いみたいですね。

 また唐沢問題とかでひとが来るときのほうが、なぜかアフィリエイトは閑古鳥が鳴きます。不思議なものですねえ。

 で、ここ一年のウチ経由売り上げベストを書いておきます(※で元記事にリンク)。

第1位:唐沢なをき『まんが極道』1巻(
第2位:月刊 pen 2007年8/15号(
第3位:いしかわじゅん『漫画ノート』(
第4位:大和田秀樹『ドスペラード』(

 このあたりが10冊以上売れたもの。以下このようになります。

第5位:クリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版 VOL.1』(
第6位:石黒正数『それでも町は廻っている』1巻(
第7位:石黒正数『それでも町は廻っている』2巻(
第8位;吉田秋生『海街 diary 1 蝉時雨のやむ頃』(
第9位:藤原カムイ/大塚英志『アンラッキーヤングメン』1巻(
第10位:三宅乱丈『イムリ』1巻(
第11位:藤原カムイ/大塚英志『アンラッキーヤングメン』2巻(
第12位:永山薫/昼間たかし『マンガ論争勃発』(

 ちょっとうれしかったのは、『パレスチナ』()、『ゴーストワールド』()、『大発作』()、『文豪の真実』()みたいな地味な海外作品が、少数ですが複数売れたことです。こういう気分は、アフィリエイト始める前には味わえませんでした。

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February 09, 2008

中国とどう向き合うか

 うーん感心した、すばらしい。遠藤誉『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』(2008年日経BP、1700円+税、amazonbk1)読みました。

 「動漫」とは、中国語の表現でアニメーションとマンガをひとくくりにした言葉。アニメーションが「動画」でマンガが「漫画」、合わせて「動漫」と呼ばれます。

 2005年中国で発生した、日本の国連安保理常任理事国入りに反対した反日デモが暴徒化したのは記憶に新しいところです。本書の前半は、日本動漫が中国で大人気である現状のレポート。後半は、「日本動漫の受容」がなぜ「反日」と同居しているかを論じます。

 日経ビジネスオンラインに連載されたもので、一部はそちらでも読むことができます。

 著者は、1941年生まれの女性。筑波大学名誉教授、帝京大学グループ顧問で理学博士。さらに北京大学アジアアフリカ研究所特約研究員という大学人です。中国問題の研究家であり、かつて国共内戦下の悲惨な体験を書いた自伝『卡子(チャーズ)』が、山崎豊子『大地の子』に盗作されたと司法に訴えたかたでもあります。

私はすでに60歳を超えている。アニメも漫画も、30年ほど前に子育てをしたいたころ横目で見ていただけである。(略)

こうして私は、知識もなければ興味もなかった「アニメ・漫画=動漫」の世界に、何十人もの中国の若者たちを通して、どっぷりとひたっていくことになるのだった。ああ、まさか66歳にして、私が『セーラームーン』のアニメを見たり、『スラムダンク』を読破する日が来ようとは!

 とまあ、アニメやマンガにあまりくわしくない著者が、中国での動漫の現状をレポートするのですが、この手法が真摯です。著者はつねに現場に身を置いています。ですからマンガやアニメも見てみるし、多数の中国人にインタビュー。しかも客観的なデータ(これをあんまりどこも持ってないんだ)を探し出して示してくれます。

 中国の投資コンサルタントの報告書がなんと12万円もするけどしぶしぶ手に入れたり、、中国の海賊版のデータが日本のどこにあるかを探して探して、やっと文化庁の著作権情報センターにたどりつく。取材、研究のカガミですね。

 内容は多岐にわたっていて、わたしたちが断片的にしか知らなかったことがまとめて語られています。

●中国での最初の日本アニメは、1981年放映された鉄腕アトム。
●現在中国のテレビ局のアニメ枠は年間26万分必要。そのうち中国産が8万1千分で、年間必要量の31%。残りが日本を筆頭とする外国製。
●中国国内のアニメ制作会社は2006年末で5473社。
●2007年の発表で、中国の大学や専門学校2236校のうち、動漫学科をもつところが447校、何らかの形で動漫と関わりを持つところは1230校(75%)。
●中国のコスプレ大会は政府主導による国家事業となっている。
●日本文化庁の2002年調査によると、中国市場で映像ソフトの89%が海賊版(現在はやや減少中、のはず)。
●中国産アニメは、あまり人気がない。
●2006年9月1日から、午後5時~8時のゴールデンタイムでの外国産アニメ放映禁止が通達された。

 ただし、著者はアニメにくわしくないから限界もありまして、たとえば中国の海賊版アニメは、どうやって字幕をいれているのか。これには「字幕組」と呼ばれる、中国の大学の日本動漫サークルが関与しています。彼らはまるきりのボランティアで、彼らがネットにアップした字幕が海賊版に利用されているのだそうです。

 ここにはアメリカのファンサブとほぼ同じ構造があるのですが、本書には「ファンサブ」という言葉自体登場しません。編集者がちゃんと教えてあげなさいよー。

 本書では、2005年の反日デモの発生原因を、日本でよく言われる「天安門事件により中国共産党の維新が揺らいだので、党の基盤を強化するためにに外敵として抗日戦争を利用し愛国主義教育を強化し始めたため」とする説を俗論としてしりぞけています。このあたりの実証はたいへんおもしろいのでぜひお読みください。

 全体の流れを本書のあとがきにしたがってまとめてみます。

(1)日本動漫は1980年代以降、海賊版の存在のもと中国で大衆文化の地位を得た。

(2)「たかが動漫」と中国政府から野放しにされていた日本動漫は、中国民主化への道を開いた。

(3)現在の中国青少年には、愛国的教育で強化された反日感情と、日本動漫好きというダブルスタンダードの感情が同一人物内に同居している。

 その後に考察と、将来に対する提言がなされます。歴史は複雑な要素で構成されていて、誰かが考えるとおりには流れていかないことがよくわかりました。

 中国にも日本にも媚びないバランス感覚に優れた著者の筆致は、変な言い方ですが、熱く、しかも冷静。わたしはもちろん「動漫」にひかれて読んだのですが、それは別にしても、最近中国について読んだ文章の中でもっとも良質なものでした。

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February 06, 2008

「炎」対「焔」

 島本和彦『アオイホノオ』1巻(2008年小学館、514円+税、amazonbk1)が刊行されました。

 島本和彦の自伝的マンガ、と読んじゃいけないのかな、最初のページ、やたらでかいフォントで「この物語はフィクションである。」と書いてありますから。

 1980年代はじめ、大阪芸大に学ぶ主人公。彼はのちの熱血マンガ家ホノオモユルです。でも漢字では「炎尾燃」じゃなくて「焔燃」。

 これがタイトルの由来です。まだあかあかと「炎」として燃えあがってはいない、青い「焔」。

 主人公はまだ何者でもありません。マンガ家かアニメーターになりたいという夢だけは持っていますが、まだ作品は描いていない。「オレはスゴイ」と「オレは全然ダメだ」、この気分が日ごとに、どころか数分ごとに入れかわります。「新人」マンガ家のあだち充、高橋留美子、細野不二彦作品にうちのめされ、同級生の庵野秀明たちの才能に嫉妬する。そして意味もなく腹筋を鍛えてしまう。

 何者かになりたい、と煩悶していたあの日こそ、「アオイホノオ」です。いいタイトルだなあ。このタイトルだけで座布団五枚。

 1巻では主人公は、何も始めていません。やさしく見守ってくれる女の子もいる。ですから今のところ読後感は、まるきり松本零士『男おいどん』ですが、きっとこのままでは終わるまい。次巻で彼は立ち上がる(はず)。「焔燃」がどうやって「炎尾燃」になってゆくのか楽しみです。

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February 03, 2008

マンガキャラとしてのムハンマド(その2)

前回からの続きです)

 もうひとつの学習マンガの雄、学研はどうだったでしょう。

●『学研のまるごとシリーズ まんが世界の歴史5000年』(1992年学習研究社、amazonbk1

 1992年発行のこの本には、ムハンマドの肖像画の写真は掲載されていました。しかしマンガのなかで彼の顔は薄墨で黒っぽく塗られていて、顔がありません。逆光描写の継承です。

 ただしこの本、のちの版になりますと、ムハンマドの肖像画まで消されるようになりました(わたしが確認したのは1999年6月3日発行の第19刷)。


 1990年代の学研は、迷っていたようです。ちょっと驚くのですが、このような本も発行していました。

●『学研まんが 世界の歴史 7巻 イスラム帝国と預言者マホメット』(1992年学習研究社、amazonbk1

 はっきり申しまして学習マンガのシリーズとしては、集英社版よりこの学研版のほうが、わたし好きです。全15巻すべてのマンガを描いているのは、ムロタニ・ツネ象。彼は「学研まんが日本の歴史」シリーズでも複数の作品を描いています。

 ムロタニ・ツネ象は1934年生まれ。娯楽マンガ方面では『地獄くん』などでおなじみですが、すでに1953年、毎日中学生新聞に歴史マンガを連載しています。1970年以降は山のように学習マンガを描いており、学習マンガの巨匠ですな。

 「学研まんが世界の歴史」シリーズは、白髪のタイム博士(♂)、シロくん(♂)、カコちゃん(♀)の三人がタイムマシンで地球の歴史を見て回るという設定です。ムロタニ・ツネ象のわかりやすく正確な絵が学習マンガにぴったり。ばつぐんの読みやすさがあります。

 で、この7巻、表紙イラストからして、こっちを向いてにっこり笑うムハンマドのアップでありました。

 本編のマンガにも、ムハンマドの顔を隠そうという意図はまったく見られません。この時期のムハンマドとしては、破格の表現ですが、だからこそ、ほぼ一巻みっちりと英雄ムハンマドの一生を描くことが可能となっています。おそらくこれまでに出版されたムハンマドの伝記マンガのうち、量的にも質的にもベストのものでしょう。

 しかしこの時期、「ムハンマドをマンガ・キャラクター化する」というのはやはり問題があったようです。この作品、わずか三年後に絶版となります。どこかからの抗議があったのか、それとも学研自身の考えか。

 「学研まんが世界の歴史」シリーズ全15巻のうち、第7巻だけが描き直され、差し替えられてしまいました。

●『学研まんが 世界の歴史 7巻 西ヨーロッパの成立とカール大帝』(1995年学習研究社、amazonbk1

 こちらが新しい第7巻です。扱う歴史の主題をまるきり変えてしまい、ムロタニ・ツネ象の手で新しい本が描かれました。現在はこの新しい第7巻を含めた全15巻が、全国の学校や図書館の書架にあるはずです。

 ただし、「学研まんが世界の歴史」8巻は旧7巻の続きですので、そちらにもちょっとだけムハンマドが登場してます。

●『学研まんが 世界の歴史 8巻 アジアとヨーロッパの興亡と十字軍とモンゴル帝国』(1993年学習研究社、amazonbk1

 この8巻の冒頭には正面を向いたマホメット=ムハンマドがヒトコマだけですが、アップで登場してます。この巻は後年まで流通していました(わたしが確認したのは1996年7月10日発行第5刷)。

     ◆

 21世紀になり、ムハンマド表現はどうなったでしょうか。

●『集英社版・学習漫画 世界の歴史 5巻 ムハンマドとイスラム世界の広がり [イスラム教の誕生と発展]』(2002年集英社、900円+税、amazonbk1

 今流通しているムハンマドのマンガといえば、まずこの作品が挙げられます。

 マンガを描いてるのは、芳村梨絵。これもタイトルはムハンマドですが、書影イラストのど真ん中にいるひとはムハンマドじゃなくて、サラディンです。旧版と同じですね。右側はスレイマン一世で、左は千夜一夜物語で有名なハールーン・アッラシード。

 顔はコマの外にあったり、フキダシの陰に隠れたりしてます。そればっかりじゃマンガとして成立しないので、どうしてもうしろ姿が多く描かれています。またちょっとですが逆光表現も使用。これが21世紀初頭である現在の、ムハンマド表現の標準と考えていいのでしょう。


 もうひとつ現行の集英社版。

●『集英社版・学習漫画 世界の歴史人物事典』(2002年集英社、1500円+税、amazonbk1

 この事典には、それぞれの人物のタイトル部分に、肖像画や彫刻、写真などをリアルに模写した人物画が掲載されているのですが、ムハンマドの項目は、模写した絵が黒く塗りつぶされています。

 そしてマンガ部分4ページに登場するムハンマドは、すべてうしろ姿。

 ただしこの本では、「シーア派の祖 アリー」の肖像にも紙がはられて見えないようにしています。アリーはムハンマドのいとこにして娘婿、のちの第四代カリフですが、別に預言者じゃないから、これはちょっとおかしくないかい。

     ◆

 ムロタニ・ツネ象は最近も学習マンガを描いています。今度はくもん出版。1999年の『まんが 世界を動かした人びと 世界の歴史人物伝』では、ムハンマドはパスされてますが、2005年にこういうのがありました。

●『まんが 歴史にきざまれたできごと 歴史年表大事典』(2005年くもん出版、amazonbk1

 ここでのムハンマドは、遠景の小さな黒い影で表現されるだけとなっています。

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 そしてもっとも「今」に近いものでは。

 朝日新聞社発行の子ども向けビジュアル週刊誌「しゃかぽん」2007年7月1日号に、ムハンマドのイラストが掲載されていました。

 ムハンマドの顔は黒塗り。目も鼻も口もありません。ただし、からだや手は描かれています。どうもこれが現代のとりあえずの基準のようですね。

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 学習マンガじゃなくて、娯楽マンガではどうか。

 ムハンマドが登場するマンガは、もしかすると少女マンガ方面にはいくつかあるのかもしれませんが、今思い出せるのはこれだけ。

●青池保子『イブの息子たち』5巻(1978年秋田書店プリンセスコミックス)

 この巻には亡くなった世界の偉人がたくさん出演するのですが、黒髪、黒ターバン、黒マント、美形のムハンマドも登場して、主人公たちと対決します。今でも白泉社文庫で手にはいると思います。日本マンガがまだあまり深く悩まなくてよい、ドメスティックな時代の産物でありました。

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February 02, 2008

マンガキャラとしてのムハンマド(その1)

 日本マンガはこの世のあらゆる事象をマンガにしてしまおうとしてきました。ムハンマドの生涯も劇的ですから、もちろんマンガの題材になりえます。しかしイスラム教スンニ派では神や預言者を絵にすることを禁じています。それでは、ムハンマドはマンガでどのように描かれてきたのでしょうか。

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 どこの図書館にも小学校にも置いてあるのが学習マンガ。学習マンガが世界史を扱おうとするなら、ムハンマドは無視できません。

 まずは集英社、1980年代のものから。

●『集英社版・学習漫画 世界の歴史人物事典』(1984年集英社、amazonbk1

 これは現行のものより、ひとつ古いシリーズになります。1984年に出版されたこのマンガ事典では、マホメット=ムハンマドについて2ページのマンガが掲載されていますが、とくに表現に特殊なものがあるわけではありません。

 この本にはムハンマドの肖像画の模写も載ってますし、マンガのなかでムハンマドはフツーに顔が描かれています。ムハンマドは、マンガ家(女性かな?)の個性なのでしょうか、さらっと描いたジミ顔の人。

 1984年の日本では、ムハンマドはマンガのキャラとしてごくふつうに成立していました。この本はその後も再版を重ねています(わたしが確認できたものは、1993年3月30日発行の第2版第22刷)。


 しかし1986年になると、集英社は同シリーズでこのような本を出しています。

●『集英社版・学習漫画 世界の歴史 6巻 マホメットとイスラムの国ぐに(イスラム世界)』(1986年集英社、amazonbk1

 マンガを描いてるのは、懐かしや、古城武司。タイトルはマホメット=ムハンマドですが、表紙イラストの真ん中の人物、これはムハンマドじゃなくて、サラディンです。右は初代カリフのアブー・バクルで、左はトルコ兵らしい。

 この本で集英社は、ムハンマドの顔を描いていません。ムハンマドの初登場は彼の誕生時ですが、布にくるまれてて姿は見えません。

 その次に登場するとき、ムハンマドは少年になっています。砂漠でラクダに乗ってますが、下から見上げる構図で逆光なので、顔や上半身は影になってます。

 このページの欄外にはこのような注意書きがあります。

この本では、マホメットの顔をえがいていません。それは、イスラム教徒のなかに、神や預言者の顔をえがいてはいけない、という教えがあるからです。

 この本でのムハンマドはからだは普通に描かれても、顔が描かれることはありません。その後もムハンマドは、逆光の影やうしろ姿が駆使され、顔が登場しません。

 古城武司は逆光をうまく使って、できるだけ描写が不自然にならないようにがんばっています。実はわたしが調べた限りでは、顔を隠したムハンマドとしては1986年のこの古城武司による作品がもっとも洗練されていて、後年のお手本になったような気がします。

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 1980年代、他社ではどうでしょうか。中公コミックス全17巻の伝記シリーズのうち一冊。

●『伝記世界の偉人 4巻 マホメット』(1985年中央公論社)

 のちに合本され、こういう形でもまとめられました。

●『ジュニア愛蔵版 世界の四大聖人 孔子・シャカ・キリスト・マホメット』(1989年中央公論社)
●『世界の四大聖人 1巻 キリスト マホメット』(2003年嶋中書店)

 手塚治虫監修、手塚プロダクション構成で、マンガを描いているのが原田千代子。現在も、はらだ蘭の名前で活躍されてます。

 この作品は集英社の古城武司版より一年早い出版ですが、この本にもこういう注意書きがあります。

イスラム教ではマホメットの顔を描いてはいけないことになっています。これとても大切な決まりなので、この本でもマホメットの顔は描かれていません。

 この本ではマホメットは、うしろ姿や黒塗りのシルエットで表現されてることが多いです。ただしこのマンガでは、表情をあらわす口は描きたい。というわけで、口もとだけコマのなかに描かれ、それより上はコマの外で見えなくなってる、という表現がされています。

 そのうちに、鼻も描いてみたくなる。そこで鼻と口は描いて、目と顔半分を黒塗りの影ということにしてみる。逆光も混ぜてみる。とまあ、ずいぶん苦労した結果、ムハンマドは目さえ描かなきゃ、ま、いいだろ、という描写になりました。一年後の集英社・古城武司版に比べるとまだシバリはゆるいですね。


 ところが、1980年代末でもこういうのもあります。

●『まんがで学習 年表世界の歴史 2巻 大帝国のさかえ』(1989年あかね書房)

 マンガは、藤子不二雄の弟子筋に当たるそうですが、原島サブロー。

 ここでは2ページだけですが、ギャグタッチのムハンマドがふつうに顔も描かれ、マンガのキャラとして行動しています。

     ◆

 1991年、サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』を日本語訳した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学で殺害される事件がありました。それより先、ホメイニがラシュディに対して死刑を宣告したのが1989年です。この事件は、日本のマンガが宗教、そしてムハンマドをどう描くかという大きな問題を提起したはずです。

     ◆

 1990年代のマンガはどうだったでしょうか。まだ表現はゆれています。

●『学習にやくだつマンガの本 5巻 宗教』(1991年ポプラ社)

 表紙に描かれた横顔のマホメットらしき人物のイラストには、目がありません。ここでも、目を描かなければ顔を描いたことにはならない、という考えが採用されてます。

 なかのマンガを描いてるのはアニメ出身の倉橋達治。達者な絵です。ここでのムハンマドは、顔が完全に黒塗り。逆光でも何でもありませんが、ただそういうものであるとして描かれています。ただしヒゲが逆に白く描かれているので、なにやらおじいさんみたいになってました。


●『ぎょうせい学参まんが 世界歴史人物なぜなぜ事典 5巻 イスラム世界の成立 マホメット アリー イブン・ハルドゥーン』(1992年ぎょうせい、amazonbk1

 この本は今も現役で買うことが可能です。マホメット=ムハンマドの章は、葉月和夫がマンガを描いてます。またアリーが主人公の章にもムハンマドが登場します。この章を描いてるのは三森明。

 この本のムハンマドの章を描いてる葉月和夫は、うしろ姿や逆光ばかりではどうしてもイヤだったらしく、真っ正面からの顔も描いてます。ただし、ターバンの影にかくれて目から上はアミの斜線で隠されている、という表現。この場合光は上方から来るわけですな。ここでも、目を隠せば顔を描いたことにはならない、と考えられています。

 で、こうなると、マンガ表現はしやすくなりましたが、目から額のあたりまでアミ斜線がはいってるので、何やらアヤシゲな感じになってしまってます。また光源の位置とターバンの影との関係は無視されていますから、絵として奇妙。

 三森明のほうは、逆光で顔は黒塗り、という表現を使ってます。

 あとこの本、ムスリム三人の伝記であり、表紙に三人の顔のイラストが描いてありまして、こりゃどう考えてもひとりはムハンマドだよなあ。マンガで顔は描かないけど、表紙イラストはOKというのは、出版社の方針としてもどうなのか。


 小学館はどうでしょうか。

●『小学館版・学習まんが 世界の歴史人物事典』(1995年小学館、amazonbk1

 これも現役で買える本です。こっちはまた極端で、ムハンマドの肖像画が掲載されるべき部分は空白。さらにマンガ内のムハンマドは、顔どころか、からだも手足も描かれません。彼はコマの外にいるか、もしコマのなかに登場するときも、集中線で光源のように表現されてます。

 集中線で描かれた光源からフキダシが出て、そのあたりの人物と普通に会話しているわけでして、マンガとしてはもう居直った表現とでも言いますか。

     ◆

 ムハンマドの表現は、全身をまったく描かない小学館版から、顔だけを隠す集英社版、そして目だけを隠す中央公論社版やぎょうせい版、そしてふつうに全身像を描いているものもあり、まったく一定していません。出版社横断的に統一された基準もありませんでした。マンガ表現は、迷っています。

 偶像を禁じるということは、顔を描かないということなのか。手や足は、からだは描いてもいいのか。顔を描かないといっても、黒塗りにしておいていいのか、うしろ姿ならいいのか。目を隠せば、鼻や口やヒゲは描いてもいいのか。

 そもそもムスリムにとって、「ムハンマドのマンガ」というものは許容できるものなのか。

 ムスリムに質問したとしても個人によって意見もちがうでしょうし、仮に質問できたとしても宗教指導者がマンガ表現がどういうものか知ってるわけもなし。すべてが手探りです。

 以下次回

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