日本マンガはこの世のあらゆる事象をマンガにしてしまおうとしてきました。ムハンマドの生涯も劇的ですから、もちろんマンガの題材になりえます。しかしイスラム教スンニ派では神や預言者を絵にすることを禁じています。それでは、ムハンマドはマンガでどのように描かれてきたのでしょうか。
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どこの図書館にも小学校にも置いてあるのが学習マンガ。学習マンガが世界史を扱おうとするなら、ムハンマドは無視できません。
まずは集英社、1980年代のものから。
●『集英社版・学習漫画 世界の歴史人物事典』(1984年集英社、amazon
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これは現行のものより、ひとつ古いシリーズになります。1984年に出版されたこのマンガ事典では、マホメット=ムハンマドについて2ページのマンガが掲載されていますが、とくに表現に特殊なものがあるわけではありません。
この本にはムハンマドの肖像画の模写も載ってますし、マンガのなかでムハンマドはフツーに顔が描かれています。ムハンマドは、マンガ家(女性かな?)の個性なのでしょうか、さらっと描いたジミ顔の人。
1984年の日本では、ムハンマドはマンガのキャラとしてごくふつうに成立していました。この本はその後も再版を重ねています(わたしが確認できたものは、1993年3月30日発行の第2版第22刷)。
しかし1986年になると、集英社は同シリーズでこのような本を出しています。
●『集英社版・学習漫画 世界の歴史 6巻 マホメットとイスラムの国ぐに(イスラム世界)』(1986年集英社、amazon
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マンガを描いてるのは、懐かしや、古城武司。タイトルはマホメット=ムハンマドですが、表紙イラストの真ん中の人物、これはムハンマドじゃなくて、サラディンです。右は初代カリフのアブー・バクルで、左はトルコ兵らしい。
この本で集英社は、ムハンマドの顔を描いていません。ムハンマドの初登場は彼の誕生時ですが、布にくるまれてて姿は見えません。
その次に登場するとき、ムハンマドは少年になっています。砂漠でラクダに乗ってますが、下から見上げる構図で逆光なので、顔や上半身は影になってます。
このページの欄外にはこのような注意書きがあります。
この本では、マホメットの顔をえがいていません。それは、イスラム教徒のなかに、神や預言者の顔をえがいてはいけない、という教えがあるからです。
この本でのムハンマドはからだは普通に描かれても、顔が描かれることはありません。その後もムハンマドは、逆光の影やうしろ姿が駆使され、顔が登場しません。
古城武司は逆光をうまく使って、できるだけ描写が不自然にならないようにがんばっています。実はわたしが調べた限りでは、顔を隠したムハンマドとしては1986年のこの古城武司による作品がもっとも洗練されていて、後年のお手本になったような気がします。
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1980年代、他社ではどうでしょうか。中公コミックス全17巻の伝記シリーズのうち一冊。
●『伝記世界の偉人 4巻 マホメット』(1985年中央公論社)
のちに合本され、こういう形でもまとめられました。
●『ジュニア愛蔵版 世界の四大聖人 孔子・シャカ・キリスト・マホメット』(1989年中央公論社)
●『世界の四大聖人 1巻 キリスト マホメット』(2003年嶋中書店)
手塚治虫監修、手塚プロダクション構成で、マンガを描いているのが原田千代子。現在も、はらだ蘭の名前で活躍されてます。
この作品は集英社の古城武司版より一年早い出版ですが、この本にもこういう注意書きがあります。
イスラム教ではマホメットの顔を描いてはいけないことになっています。これとても大切な決まりなので、この本でもマホメットの顔は描かれていません。
この本ではマホメットは、うしろ姿や黒塗りのシルエットで表現されてることが多いです。ただしこのマンガでは、表情をあらわす口は描きたい。というわけで、口もとだけコマのなかに描かれ、それより上はコマの外で見えなくなってる、という表現がされています。
そのうちに、鼻も描いてみたくなる。そこで鼻と口は描いて、目と顔半分を黒塗りの影ということにしてみる。逆光も混ぜてみる。とまあ、ずいぶん苦労した結果、ムハンマドは目さえ描かなきゃ、ま、いいだろ、という描写になりました。一年後の集英社・古城武司版に比べるとまだシバリはゆるいですね。
ところが、1980年代末でもこういうのもあります。
●『まんがで学習 年表世界の歴史 2巻 大帝国のさかえ』(1989年あかね書房)
マンガは、藤子不二雄の弟子筋に当たるそうですが、原島サブロー。
ここでは2ページだけですが、ギャグタッチのムハンマドがふつうに顔も描かれ、マンガのキャラとして行動しています。
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1991年、サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』を日本語訳した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学で殺害される事件がありました。それより先、ホメイニがラシュディに対して死刑を宣告したのが1989年です。この事件は、日本のマンガが宗教、そしてムハンマドをどう描くかという大きな問題を提起したはずです。
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1990年代のマンガはどうだったでしょうか。まだ表現はゆれています。
●『学習にやくだつマンガの本 5巻 宗教』(1991年ポプラ社)
表紙に描かれた横顔のマホメットらしき人物のイラストには、目がありません。ここでも、目を描かなければ顔を描いたことにはならない、という考えが採用されてます。
なかのマンガを描いてるのはアニメ出身の倉橋達治。達者な絵です。ここでのムハンマドは、顔が完全に黒塗り。逆光でも何でもありませんが、ただそういうものであるとして描かれています。ただしヒゲが逆に白く描かれているので、なにやらおじいさんみたいになってました。
●『ぎょうせい学参まんが 世界歴史人物なぜなぜ事典 5巻 イスラム世界の成立 マホメット アリー イブン・ハルドゥーン』(1992年ぎょうせい、amazon
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この本は今も現役で買うことが可能です。マホメット=ムハンマドの章は、葉月和夫がマンガを描いてます。またアリーが主人公の章にもムハンマドが登場します。この章を描いてるのは三森明。
この本のムハンマドの章を描いてる葉月和夫は、うしろ姿や逆光ばかりではどうしてもイヤだったらしく、真っ正面からの顔も描いてます。ただし、ターバンの影にかくれて目から上はアミの斜線で隠されている、という表現。この場合光は上方から来るわけですな。ここでも、目を隠せば顔を描いたことにはならない、と考えられています。
で、こうなると、マンガ表現はしやすくなりましたが、目から額のあたりまでアミ斜線がはいってるので、何やらアヤシゲな感じになってしまってます。また光源の位置とターバンの影との関係は無視されていますから、絵として奇妙。
三森明のほうは、逆光で顔は黒塗り、という表現を使ってます。
あとこの本、ムスリム三人の伝記であり、表紙に三人の顔のイラストが描いてありまして、こりゃどう考えてもひとりはムハンマドだよなあ。マンガで顔は描かないけど、表紙イラストはOKというのは、出版社の方針としてもどうなのか。
小学館はどうでしょうか。
●『小学館版・学習まんが 世界の歴史人物事典』(1995年小学館、amazon
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これも現役で買える本です。こっちはまた極端で、ムハンマドの肖像画が掲載されるべき部分は空白。さらにマンガ内のムハンマドは、顔どころか、からだも手足も描かれません。彼はコマの外にいるか、もしコマのなかに登場するときも、集中線で光源のように表現されてます。
集中線で描かれた光源からフキダシが出て、そのあたりの人物と普通に会話しているわけでして、マンガとしてはもう居直った表現とでも言いますか。
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ムハンマドの表現は、全身をまったく描かない小学館版から、顔だけを隠す集英社版、そして目だけを隠す中央公論社版やぎょうせい版、そしてふつうに全身像を描いているものもあり、まったく一定していません。出版社横断的に統一された基準もありませんでした。マンガ表現は、迷っています。
偶像を禁じるということは、顔を描かないということなのか。手や足は、からだは描いてもいいのか。顔を描かないといっても、黒塗りにしておいていいのか、うしろ姿ならいいのか。目を隠せば、鼻や口やヒゲは描いてもいいのか。
そもそもムスリムにとって、「ムハンマドのマンガ」というものは許容できるものなのか。
ムスリムに質問したとしても個人によって意見もちがうでしょうし、仮に質問できたとしても宗教指導者がマンガ表現がどういうものか知ってるわけもなし。すべてが手探りです。
以下次回。
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