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December 26, 2007

輪郭線のモンダイ

 最近、マンガを読みながら気になってるのが、輪郭線のモンダイです。

 自分でマンガを描いたことがあるひとならわかると思いますが、遠景の人物の輪郭線は細く、近景の人物の輪郭線は太く描きます。さらに1ページ大の顔のアップになりますと、その輪郭線は極太になります。本宮ひろ志とかをイメージしてください。もちろん、彼だけじゃなくてほとんどのマンガがそうです。

 アップの輪郭線が太い、というのはマンガの常識としてそうなっているので、わたしたちはあまり気にせずに受け入れていますが、これって現実はそうじゃないですよね。

 輪郭線というものが現実に存在するわけではありません。そこにあるのは本来、色彩や明るさの架空の境目にすぎないものですから、近景で太くなるわけがない。輪郭線自体がすでにウソなのですが、近景の輪郭線を太く描くのは、マンガの、あるいは二次元絵画の大きなウソです。

 この、「近景の輪郭線を太く描く」というのが、「マンガ的」なイメージを与えているのではないでしょうか。つまり、近景の輪郭線を太く描けば描くほど、現実から離れる=「マンガ」に近づいていくのではないか。

 浮世絵や線で描かれた西洋画も、輪郭線が太くなればなるほど、それを見る者には「マンガ的」にとらえられてしまうのじゃないかしら。

 今年のマンガで具体例をいいますと、浅野いにお『おやすみプンプン』。このマンガには、リアルな絵で描かれた背景や人物に混じって、子供のラクガキのようなトリのキャラが登場します。実は彼こそ、男子小学生の主人公プンプンであります。

 このトリがアップになるとき、その輪郭線は極大まで太くなります。なめらかな線ではなく、インクもにじんでいる。おそらく、拡大コピーを使ってるはず。そのくせ、彼にはトーンで影がつけられ、立体であることを主張しています。

 この結果、このトリは、他の登場人物とは別の存在、リアルな姿ではありえないことが表現されます。

 あるいは日本橋ヨヲコ『少女ファイト』。

 この作品の登場人物はもともと比較的太い輪郭線で描かれていますが、アップになったとき、顔の中の部品、目、鼻、口、さらに髪の輪郭線がむっちゃ太くなる。しかもそれだけじゃなくて、コメカミを流れる汗の輪郭線まで非現実的に太くなるのです。

 これらを見て、わたしたちは「マンガ的」表現だなあと感じてしまいます。これは現実世界には存在しない輪郭線を、堂々とぶっとく描くというウソを、「マンガ的」と認識しているからでしょう。やっぱり「マンガ」=「非現実」=「ウソ」なのですね。

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Comments

 太い輪郭線というと、ちょっと胸にグサリと来ますが(^_^;)、この輪郭という実際には存在しないものが、なぜアルタミラの洞窟画の昔からあったのだろう……と考えていたことがあります。で、最近、社会人大学生になって「色彩情報論」やら「感覚情報処理論」なんて科目を学んで知ったのが、人間の目(視覚)には、隣接する境界付近の明暗を強調する側抑制という機能。明度の異なるグレーの四角い面を並べると、隣接するところでは、明るいところはより明るく、暗いところはさらに暗く見えるマッハ・バンドと呼ばれる現象も、このような機能で説明がつきそうな感じです。

 実際には輪郭はないけれど、エッジが強調されることで輪郭が見えるように感じられる……ということはあるのかもしれません。

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 いま、マンガ雑誌の紙質と印刷がよくなったせいで、20年前、30年前の雑誌では飛んで消えてしまったような細い線も印刷に出るようになりましたが、そのせいか、人物の線も背景と変わらぬ細い線で描かれたマンガが増えています。いわゆるアニメ絵に、このような細くて綺麗なものが多いのですが、色がつけば別ですが、モノクロの場合、人物やらロボットやらが背景に溶け込んだようになって、パッと瞬時に人物の位置関係などを把握できないことがあります。

 線が細く背景と混じり合うことによって、「すぐわかる」「読んでいて疲れない」といったマンガの利点が失われているようにも思います。

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 人物の輪郭を太く、背景は細くといった描画法は、日本の場合、中国から伝わってきた白描画という墨一色の描法でも見られます。先日、サントリー美術館で見てきた「鳥獣戯画」も、この技法で描かれていました。

 手前にあるものは太い線で……というのは、カラーで絵を描くときに、手前はクッキリ、遠景はボカして描くのと共通した描法かもしれません。

 大駒で手前にいる人物が太い線で描かれていたとき、その線に強弱がついていれば(Gペンで引かれたように)、マンガの場合はどちらかというと劇画調に感じられ、フェルトペンで描かれたような均一的に太い線の場合は、ギャグマンガ的、あるいはポップアート的な印象を受けます。

 大駒でクローズアップの人物が太い線で描かれていても、髪の毛の先端やら顔の影やら汗やらといったものが極細の線で描かれていると、コマの狭さを感じません。ところが均一的に太い線で描かれていたら、小さなコマを拡大コピーしたような狭苦しさを感じます。ですからアップの絵をガバッと力を込めて引いた場合でも、髪の毛の先などはスッと力を抜いて尖らせたり、汗も軽く入ってUターン部に向けて力を入れ、直線部にもどったら力を抜いて、スッとペンを抜いていく……という描き方をします。こうすると立体感も感じられますし、画面が狭く感じることもありません。

 ちなみに、つい先日、掲載誌の廃刊によって連載が強制的に終了させられた『サラリーマントレーダーあらし』は、太い線も細い線も、かぶらペンで描いておりました(過去形(;_;))。

Posted by: すがやみつる | December 28, 2007 02:56 PM

わたしの中学時代の美術教師は、二次元絵画はウソばっかり、だからわたしは立体をやってるんだ、と言ってました。でも二次元というのは、ウソばっかりだからこそおもしろいのです。

Posted by: 漫棚通信 | December 28, 2007 12:14 AM

絵画でもペンによるデッサンだとどうしても輪郭線による表現になります。筆だとある面積を同じ色で塗りますから、輪郭線を強調しなくても、表現が可能です。

油絵でも輪郭線を強調する画家(たとえばルオーhttp://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2006/rouault/index.html)と、輪郭線をあまり書かない画家(たとえばモネ http://monet.michikusa.jp/Japanese/m2eindex.html)とがあります。

ルオーなどはたしか輪郭線の復権などといわれてるんだと思います。

手前にある物の輪郭線を太く描くのがウソである先にそもそも輪郭線というものを描くのがウソであるという考えがあるはずです。

輪郭線がウソとすれば、ルオーの絵はウソだらけでモネの絵はウソが少ないのでしょうか。レオナルド・ダ・ビンチは油絵よりもデッサンのほうがウソが多いのでしょうか。

水墨画は人物の輪郭だけ書くのですが、渡辺崋山は西洋画の手法に学んで、人物の衣服の陰影をつけて肖像画を描いたと日本史でならいました。水墨画はウソの多い手法なのでしょうか。北斎や広重の版画は輪郭を強調しますが、これはこれで芸術作品としては結構なものです。

現代絵画のことはよく知らないのですが、両方の考えがあってもいいんだと思います。

それから輪郭のことは別にして現代絵画は物をデフォルメして描きますから、写真みたいにそっくりにかかないものですから、自然、マンガに似てきます。輪郭を強調しょうがすまいが、なんらかのデフォルマシオンを行うことではマンガと共通しています。

デ・キリコの展覧会に行ってパンフレットを見たら、「なんだ杉浦茂じゃないか。」と思いました。(http://www.artofposter.com/myweb1_014.htm)ほんとに巨匠なんかねえ。杉浦茂は前衛画家を志したこともあったので、似ていることは偶然でないかもしれませんが。

ブラジルの美術館所蔵の展覧会にいくと、古典派アングルの「泉」がありました。ゴッホの花瓶にさしたひまわりの絵もあった。いろんな時代の絵があるんですが、ゴッホの絵が飛びぬけて面白いのです。アングルなんて面白くもおかしくもないのです。ゴッホが個性豊かだからでしょうか。ゴッホの絵がマンガに近いからでしょうか。ウソが多いから面白いのかもしれません。

Posted by: しんご | December 27, 2007 11:11 PM

初めまして。
前の方が
>キャラがそのコマ内で手前側に存在していたらそのキャラの輪郭線が太くなり、奥に
>存在していたら輪郭線は細くなるということは遠近法的(人間の視覚効果的)には整
>合性が保たれ「現実感」は増しているかと思います。
と仰っている通り、中世頃の美術における遠近法は、「現実感」を増すために用いられたものです。
管理人さんが
>浮世絵や線で描かれた西洋画も、輪郭線が太くなればなるほど、それを見る者に
>は「マンガ的」にとらえられてしまうのじゃないかしら。
と仰っていますが、現代のポップアートならともかく、「遠景を細く淡く、近景を太く濃く描く」のを「マンガ的」と称するかは疑問です。

Posted by: SR | December 27, 2007 03:16 PM

はじめまして。

「キャラに輪郭線が存在すること」そして「近景においてその輪郭線が太くなる」という二重の「ウソ」が「マンガ」の「非現実」だという指摘には思わず膝を打ちました。

ただ、その輪郭線のウソは「現実」とは遠ざかるとともに、読者に「現実感」(現実っぽく感じること)を与えているのではないかとも感じます。

キャラがそのコマ内で手前側に存在していたらそのキャラの輪郭線が太くなり、奥に存在していたら輪郭線は細くなるということは遠近法的(人間の視覚効果的)には整合性が保たれ「現実感」は増しているかと思います。

また、輪郭線の太さが読み手に対する心理的距離として作用しているようにも感じます。本宮キャラの輪郭線の太さはこれでしょう。

この輪郭線という「マンガ的」表現は読者にとっての「現実感」を高めるものであるからこそ「ウソ」でありながらも広く受け入れられているのはないでしょうか。

この輪郭線の「ウソ」の存在は指摘されていますが、その存在理由については言及されていらっしゃらないので僭越ながらコメントさせていただきました。

このコメントは『少女ファイト』や本宮キャラにおける輪郭線の「ウソ」による「現実感」を指摘していますが、『おやすみプンプン』の輪郭線の「ウソ」はまた違う次元でその存在理由があるかなと感じます。読んでないのでなんともいえませんが・・・

Posted by: neno109 | December 26, 2007 09:12 PM

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Tracked on December 29, 2007 03:16 AM

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