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October 03, 2007

ライバルの死

 前回の記事を書きながら、ぼーっと考えていたこと。『あしたのジョー』『デスノート』『20世紀少年』は、似てるところがあるなあ。

 どこが似てるかというと、どれもライバルあるいは敵がお話の途中で死んでしまう。しかも、ライバルの存在があまりに大きかったものだから、後半のストーリーが腰くだけ気味になってしまうところも似てます。

     ◆

 たとえば『あしたのジョー』。

 そもそも力石ほどの人気キャラクターを殺してしまうという展開は、ストーリーがあまりに盛り上がりすぎちゃったものだから、作者や編集としても、もうこれ以外にはない、という選択だったのでしょう。

 力石が死んだあとのお話の展開は、まずジョーの転落→そして復活が描かれ、ここまでは事前の計画どおりだったと思います。ところが、その後は、新たなライバルの登場→試合→新たなライバルの登場→試合、のくりかえし。ある意味単調な展開になってしまいました。

 力石の死を乗りこえて復活したはずのジョーですが、試合を重ねても重ねても不完全燃焼。最終的に倒すべき力石はもう存在しないからです。

 ラストシーン、「真っ白に燃え尽きた」ジョーも、力石の死があったからこその結末のつけかたです。

     ◆

 『デスノート』では、最大の敵Lがライトに負け、途中で死んでしまいました。ところが、その後登場した探偵たちは「Lの後継者」という位置づけでしたし、ビジュアルその他も、Lのパチモンふう。

 お話のイキオイにまかせて死なせてしまった力石とちがって、Lの場合は作者の計画どおりの死なのでしょう。しかし、Lこそが最高の探偵だったはずで、ライトはすでにその最高のLを倒してしまっています。チャンピオンであるライトが、Lより劣る者に負けるはずがあるでしょうか。

 Lの後継者たちは、読者に対して、自分たちのほうがLよりすぐれているのを見せなければなりません。これはタイヘンむずかしいことで、残念ながら『デスノート』ではその点では成功していません。

 きっちり終わった『デスノート』ですが、後半は、ストーリー的にもキャラクター的にも前半より後退してしまいました。Lがいかに偉大で人気があったかは、Lを主人公にした小説や映画としてサイドストーリーが作られていることからも明らかです。

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 『20世紀少年』の場合も、悪の権化フクベエが、途中で死んでしまいます。しかも、フクベエを倒したのは、ケンヂでもカンナでもなく、そしてケンヂグループのだれかでもなく、ともだちグループのヤマネでした。

 この構図は22巻の「ともだち」の死の場面でも同様で、「ともだち」を倒すのは目の前にいるケンヂじゃなくて、サダキヨと13番なんですよね。浦沢直樹、ひとの裏をかいたりちょっとずらしたりするのが好きですねえ。

 そして、フクベエが死んだあと、ケンヂが復活します。ケンヂはそれまでに登場してきたいろんなキャラクターに出会いながら東京へ向かいます。しかし、倒すべきフクベエはその先にはもう存在しません。

 作者のたくらみによって最大の敵を死なせてしまったため、終盤もりあがるべきはずのケンヂの旅、その目的がぼやけてしまうことになりました。

     ◆

 それぞれ、マンガにとってキャラクターがいかに重要であるか、という例ですが、これは雑誌連載マンガという特殊な形式のせいなのかもしれません。物語を終末まできっちり作り上げず、読者の人気や反応をフィードバックさせながらストーリー展開を変化させていくという特殊な方法であるからこそ、こういうことも起こってくるのかな、と。

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Comments

御連絡が遅くなりましたが、
@niftyトップページ「旬の話題ブログ」コーナーにて、
10/5に本ページの記事を紹介させて頂きました。
紹介記事については、「旬の話題ブログ」バックナンバーで
半年間、ご覧いただけます。
物語の展開をこのように分析して考えたことがなかったので、
とても楽しく拝見させていただきました。
今後も旬な話題の記事を楽しみにしておりますので、
引き続き@niftyをご愛顧の程、よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

        @nifty「旬の話題ブログ」スタッフ

Posted by: 「旬の話題ブログ」スタッフ | October 10, 2007 10:19 AM

『あしたのジョー』については、矢吹と力石がともに“家族と縁薄い存在”だったことに目が行きます
そうした意味ではカーロス・リベラもそうですし、悲劇的な金龍飛もそうでした、ハリマオに至っては「人間?」な存在
そしてホセ・メンドーサは、そうした意味でも彼らに対峙する対照的な存在として造型されていると私は思います

こうした、ある意味で孤児的な者たちと家族、あるいは“血縁的なもの”の関わり合いを描いた作品が梶原一騎には多いわけです
例えば長編『空手バカ一代』などは「極真空手」というある種の大家族物語でしょう

なので、その意味で『あしたのジョー』の力石戦以降を“単調”と断言するのは評価としてはちょっと幅が狭い、もったいないのではないかと感じた次第です

Posted by: ちんぽぽ | October 04, 2007 11:50 AM

話の本筋には関係ないですがLも勢いで死なせちゃったみたいですよ。
インタビューで、ほんとはLが勝つ予定だったけどここでL死んだら面白くない?とか思ったら殺しちゃったとかいうようなことを答えていたはずです。

Posted by: んm | October 04, 2007 11:09 AM

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