偉大なる永遠の中学生
偉大な作品はエピゴーネンを生みます。学園マンガの祖、ちばてつや『ハリスの旋風(かぜ)』もそう。
学園マンガの先行作品といえば、福井英一『イガグリくん』や関谷ひさし『ストップ!にいちゃん』などがありますが、ちばてつや『ハリスの旋風』こそ、のちの学園マンガのフォーマットをつくった作品であります。
『ハリスの旋風』は週刊少年マガジンに1965年から1967年まで連載されました。ちばてつやとしては、少年マガジンの『紫電改のタカ』が終了後、少女フレンド『島っ子』で少女マンガに回帰したあと、再度マガジンで描いた作品。同時期に少女フレンドでは『アリンコの歌』と『みそっかす』を連載してます。そして『ハリスの旋風』の次が『あしたのジョー』になります。
主人公・石田国松はケンカばっかりしてますが、実は正義漢でさびしがりや。彼が東京都練馬区のハリス学園中等部に転校してきます。スポーツ万能の国松が、いろんな運動部に参加して大活躍、という物語。彼が参加するクラブは、野球部、剣道部、ボクシング部、サッカー部。
このマンガがのちの学園マンガ、そしてスポーツ・格闘技マンガに与えた影響は、はかりしれません。
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(1)主人公と主人公グループの造形
まず、背の高さ。アトムも正太郎くんも基本的に「子ども」ですから、敵と相対しますと、どうしても小さく見えます。しかし、とくにその小ささが喧伝されていたわけではありません。同年代と比べると標準の体格だったはず。その点、石田国松は明らかにちびです。
野球のユニフォームなどはぶかぶかで、中学三年生なのに小学生なみの体格と笑われることもありました。その小柄な主人公が、運動神経抜群でケンカも強い。背の低さは、とくにスポーツではおおむねハンディキャップです。大きくない主人公の活躍は、読者の共感を呼びました。
そして国松は勉強がまったくできません。ここがまた新しかった。彼はかつての文武両道に秀でた主人公ではありません。バカだけど愛すべき人物、という新しいタイプです。ちびというのは、千夜一夜物語の昔から、知恵で力を制するものでしたが、彼は熱血と体力のひとで、真っ正面から闘うことが多いんだよなあ。
そしてヒロイン。彼にはおチャラというニックネームのガールフレンドがいて、彼女がまた男まさりのおてんばだけど美人で優等生、というタイプ。彼女はなぜか国松につくしてくれます(今でいうならツンデレ? でも無私であることを考えると、むしろ母性の持ち主)。ところが国松はお調子者でオンナ好きなものですから、かわいい女の子がいるとすぐフラフラと。でもすぐフラれて、おチャラのもとへ帰ってきます。
さらに忘れちゃいけないのが、後輩の「めがね」くんです。国松より小柄で、彼のことを「先輩」と呼ぶキャラクター。国松に献身的につくし、特訓などに協力します。
ヒロインとめがねが存在してくれているおかげで、国松は周囲からいくら非難されても、完全に孤立することがありません。これがどれほどこのマンガの救いになっていることか。
あと教師の存在がありました。このマンガには、主人公を導く園長と、担任の熱血教師が登場します。この時代、まだまだ先生たちには威厳がありました。教師の威厳がはぎとられるのは、『ハリスの旋風』が終了後、1968年に始まる永井豪『ハレンチ学園』からになります。
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(2)学園マンガ定型のかずかず
学園マンガでは、スポーツの試合やケンカが連続します。主人公が勝ち続けたのでは、お話としてあまりに単調。彼はまず勝負に負けなければなりません。その後になされるのは当然、特訓です。敗北→特訓→勝利→新たな敵。この繰り返しこそ王道となりました。
そして主人公にとって学園内の敵は、まずは旧弊なシステム。具体的にいうと先輩です。先輩と主人公は、個人ではなくグループで戦うこともあります。すなわち「第二○○部」や「新○○部」がつくられ、学内対戦がおこなわれるのです。これってのちにいろんなマンガで見られる展開になりましたねえ。
ハリス学園では石田国松が「新拳闘部」を創設し、拳闘部と校内試合をしました。このとき「新拳闘部」に参加したのは、かつて国松と対立したライバルたちでした。野球部、剣道部の主将や部員、そして番長が国松のために協力。
すなわち、倒した相手が主人公の味方になってチームを組む、という後年の黄金パターンがすでに見られています。
戦いのシーンでは、巨大な番長が有名です。この番長、もともと身長2メートル超という巨大な男らしいのですが、とくに戦いのシーンではどんどん巨大化し、ついにはどう考えても5メートル超としか思えない巨人として描かれます。なんたって、番長の振り回す竹刀は、国松の胴体ぐらいの太さですし、ボクシングシーンではふとんをグローブにして、グーで選手を蚊のようにたたきつぶしてます。
これ以来、敵は大きく描いてもよい、という先例ができました。
そしてマンガの伝統にのっとって、石田国松も成長しません。
長期連載マンガの登場人物は、日本でもアメリカでも基本的に成長しません。チャーリー・ブラウンも、サザエさんも、クレヨンしんちゃんもみんなそう。これは日本の大衆小説やアチラのパルプ・フィクションでも同様で、エンタメのシリーズキャラクターというのはもともとそういうものなのです。
読者もそういうものだと受け入れているはずなのですが、学園マンガというジャンルでは必ず季節がめぐり、春が来ます。進級はどうなっとんねん、ということは、なんとなくスルーされるのがお約束。
『ハリスの旋風』の場合も、春に国松が転校してきたクラスが3年A組。ハリス学園は中高一貫校なので、中学三年生でも先輩がいて、クラブの主将は高校生です。しかも国松は中学生のはずなのに、全日本選抜学生剣道選手権大会に出場して、「桑山高校」相手に試合してましたけどね。
その翌年も先輩たちは卒業せずに、国松のクラスは同じ3年A組。さらにその翌年もサッカー部で「南郷中」と試合してますからやっぱり中学生。というわけで、石田国松も永遠の中学生でした。
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(3)始まりと終わり
『ハリスの旋風』の物語は国松が「転校」してくることで始まります。ある程度かたまっている体制に、異分子が参加してくることで始まる騒動。これこそ学園マンガの王道です。まことに正しい。
そして物語の結末では、主人公がまた転校で学園を去ります。その行く先は、アメリカ。これもまた王道です。
場面は飛行場。登場人物のほとんどがやって来て、国松の乗る飛行機(パンナムです)を見送ります。クラスメイトの上方に、主人公の顔が浮かぶことはありませんでしたが。
海外旅行が自由化されたのは、マンガが連載開始される直前の1964年。1ドルは360円の固定レート。海外旅行は庶民には夢のまた夢でした。海外に行くことで、マンガという夢の世界の主人公は、さらに上の夢の世界へ旅立ちます。
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ちばてつやは『ハリス学園』で、学園マンガ、スポーツ/格闘マンガのひとつの典型を完成させています。これは手塚治虫のマンガとはまったく別系統のもので、手塚がなしえなかったことです。むしろ梶原一騎と同じ方向性を持っていました。
マガジンの編集者、宮原照夫によって、ちばてつやと梶原一騎は『あしたのジョー』で組むことになりました。ちばは「アットホーム」、梶原は「熱血」、しかしけっしてふたりは水と油ではありませんでした。むしろそのめざすところや資質は、似ていたのではないでしょうか。
最後に。『ハリスの旋風』は、最初の講談社コミックスでもあります。今も続くブランド、新書版の「KC1」と「KC2」が『ハリスの旋風』1巻と2巻でした(ちなみに「KC3」は「ゲゲゲ」に改題する前の『墓場の鬼太郎』1巻)。発行は1967年。
これ以降、各社が雑誌連載マンガを自社で単行本化するようになり、のちのマンガビジネスを形成することになります。その意味でも、『ハリスの旋風』は先駆でした。
Comments
マンガは読んでないですがテレビアニメのうろ覚えのOPソングが頭をループしているオヤジです。
ハリス~のかぜ~、っていう最初のパートと、ドンドンドガラガッタ、国松様のお通りだい!屋根の子猫さん、こんにちわ・・・と続くところのギャップが・・・
Posted by: meme-meme | October 18, 2007 12:41 PM