マンガと老い
現在、日本のマンガ家で大御所となってるかたがたは、おおむね1950年前後の生まれでしょう。
おおざっぱな世代わけでもうしわけないのですが、日本の戦後マンガが手塚治虫に始まるとすると、その次の世代がトキワ荘グループや、さいとう・たかをらの貸本劇画出身者。
そして第三の世代が、少女マンガ家では24年組。男性作家も含めて、この世代がいわゆるニューウェーブの中心となります。
その第三世代も60歳前後。あだち充や秋本治、それからみなもと太郎先生のように、以前と変わらず突っ走っているかたもいますが、多くのこの世代の作家は自分がこれから老いに向かうにあたり、いかに自分の仕事を年齢に合わせていくかを考えているのじゃないでしょうか。
戦後第一世代、第二世代のマンガ家の多くは、若くして自分の世界をかっちり作り上げ、それをずっと描き続けました。彼らの多くは若くして一線を退くか、物故するひともあり。もし作者自身が現役のまま老いたとしても、読者はまだまだ若かった。
現在、マンガを読む団塊の世代の年齢が上昇し、同時に現役でマンガを描くひとびともそれなりに年を重ねてきました。今後、マンガとマンガ家はどのように老いと向き合っていくのでしょうか。
たとえば、現在の柳沢きみおのマンガに登場する人物は疲れた中年男が多いのですが、これから先も柳沢きみおがマンガを描き続けるならば、登場するのは老人ばかりになるのじゃないかしら。
萩尾望都が短編に回帰し、青池保子が途絶していた長編を完結させたのが、わたしには象徴的に思われてしょうがありません。下の世代でも、1960年生まれのいましろたかし、1961年生まれの桜玉吉など若くして枯れちゃってるひともいますし。
で、本日買ってきた本。ひさうちみちお『精G 母と子の絆』(2007年青林工藝舎、1000円+税、amazon、bk1)。
ひさうちみちおのマンガ単行本としてはずいぶんひさしぶりです。著者も1951年生まれ。ニューウエーブ・マンガの旗手でした。本書のテーマはそのものずばり「老い」です。
自分と実母をモデルにしたマンガです。「ボケた」母親と同居して介護するお話。タイトルの「精G」は、主人公のあだ名です。
主人公は京都に住むライター、50歳。同じ京都の実家に住む実母が「ボケ」てしまいます。この場合は老人性妄想症ですね。とくに夫に対する嫉妬妄想がひどくなり、母は実家を出て主人公と同居することになります。
親の介護って、多くのひとにとって人生の大きな問題なんですよね。でもみんな現実にそれと正面から対峙するまでは、忘れたふりをしている。突然、妄想の強い母を介護することになった息子の心情はどうか。さらに、ひさうちみちおですから、初老である自分の「性」についても描かれています。
著者にとってずいぶんきつい話のはずですが、マンガは実に抑制された語り口。母親の語る妄想を悲しく思う自分と、面白おかしく絵解きしてみせる自分。表現者は業が深い。
巻末に、ひさうちみちおと林静一の対談が掲載されてます。老人の性を扱った谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』に言及されていて、なるほど、その手があったか。マンガがまだ描いていない「老い」は、いっぱいありそうです。
Comments
松苗あけみ氏の代表作というと「純情クレイジーフルーツ」が挙げられますけれども,それよりも,「カトレアな女達」こそが松苗氏の卓越した業績として,将来は評価されることになるのではないだろうかと,わたくしはおもっています.これほど<老い>をつきつめて描きだした作品はないのではないでしょうか.
Posted by: ひでかず | September 26, 2007 08:57 PM