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September 13, 2007

八十年一日

 毎日毎日、録画したラグビーワールドカップの試合を、ひとつかふたつずつ見続けてますと、家族から、ええかげんにせんかーいっとイヤがられてしまっております。わたしには野球を見る習慣はないのですが、世の野球ファンのお父さんたちもこんな感じでしょうかね。

 今週のお買い物。日本アマゾンで買わずに、わざわざアメリカアマゾンから送ってもらったのがこれ。

●The Complete Cartoons of the New Yorker (Black Dog & Leventhal Publishers、Robert Mankoff 編、2004年ハードカバー版60ドルamazon、2006年ペーパーバック版35ドルamazon


(書影はペーパーバック版のものです)

 雑誌「ニューヨーカー」に掲載されたマンガ=カートゥーンを集めたもの。「ニューヨーカー」のカートゥーンについては、現在もいろんなタイプの総集編単行本が発売されてます。これについてはこちらのブログの記事がくわしいです。

  踊る阿呆を、観る阿呆。:"The Cartoon"~The New Yorker 誌の80年(1)(2)(3)(4)(5)

 「The Complete Cartoons of the New Yorker」は上記ブログでも紹介されてて、前から欲しいなあと思ってた本です。

 この本、タイトルに「コンプリート」とはいっております。「ニューヨーカー」誌の創刊が1925年。すでに創刊80周年をこえています。「ニューヨーカー」はもちろんマンガ誌じゃないですが、基本的に週刊誌ですからそこに掲載されたカートゥーンは膨大な数。もしほんとにカートゥーンがコンプリートされてるとしたら、これは欲しくなってしまうでしょ。人間、「コンプリート」とか「完全版」に弱いです。

 お値段もそれなりでして、本日現在、日本アマゾンで買いますと、ハードカバー版が6703円、ペーパーバック版でも4341円。うーむと悩む価格であります。

 ところが先日、アメリカアマゾンをさまよっておりましたところ、ハードカバー版が定価60ドルのところが12ドルのバーゲンセール状態。アチラの本の定価はあってなきがごとしですが、それにしてもこれはお安い。なぜかペーパーバック版より安く売ってる上に、日本までの送料12ドルを払ったとしても24ドル、日本で買うより安くなるじゃないですか。思わず即買いしてしまいました(今はもうこのお値段では売ってません。あれはいったい何だったんでしょ)。

 むちゃくちゃ大きな本です。寸法が33.8×28.8×4.6cmで656ページというしろもので、でかいわ厚いわ重たいわ。書籍に掲載されてるカートゥーンの作品数がなんと2004本。といっても、もちろんこれで80年間のコンプリートのはずが無く、付録にCDが二枚ついてまして、これに収録されてる作品数が、6万8647本という腰が抜けるような数であります。

 ただし、アメリカアマゾンのカスタマーレビューを読めばわかるように、書籍のほうの評判はよろしいのですが、せっかくの付録CDの解像度が低いのが、みなさん大不満。確かに雑誌掲載のサイズで見るのはちょっと無理な解像度ではあります。ペーパーバック版の付録はCD二枚からDVD一枚に変更されてますが、解像度がどうなってるのかは確認してません。

 どちらにしても、日本人読者としてはまず書籍を読むだけで精一杯で、さすがにCDまで覗こうとはしてませんけどね。6万をこえるものを読破するのはこりゃタイヘン。作家ごとの検索として使用するべきものかしら。

 さて内容は。

 1925年から2004年までのマンガを一望するということは、これはもう歴史そのものを見ているようなもの。1925年てのは大正14年。1923年が関東大震災ですから、日本マンガでいうなら『正チヤンの冒険』やら『ノンキナトウさん』やら『団子串助漫遊記』の時代です。現代の日本マンガとはまったく別物。

 だから、アメリカのカートゥーンも80年間にどれだけの変化があったのかと思ったら。

 これがなんとまあ、80年間、変化がないのに驚いた。十年一日という言葉がありますが、まさに八十年一日。最初の数年はともかく、1930年代になってソグロウやサーバーが登場したときにはすでに、ニューヨーカーのカートゥーンはスタイルが完成されている感じなのです。

 もちろん絵柄や題材の変遷はありますが、1930年のタッチで現代を描く、あるいはその逆も十分に可能。さらに作家の活躍期間が長いったら。

 代表的作家として挙げられてるのが、10人。Peter Arno、George Price、James Thurber、Charles Addams、William Steig、Saul Steinberg、George Booth、Jack Ziegler、Roz Chast、Bruce Eric Kaplan。

 ソール・スタインバーグなんか、この本に収録されてるだけで1942年から1985年まで活躍してるし、アダムス・ファミリーのお化けマンガで有名なチャールズ・アダムスに至っては、1935年から1987年まで50年以上も掲載が続いてます。こりゃ長いわ。

 風刺が意外と少なくて風俗を扱ってるものが多いのも、ちょっと驚きでした。時代を撃つ、とかそういうタイプのモノではありません。おそらくアチラのひとにとっても先鋭的なところがなくて、ゆるく感じられるのじゃないでしょうか。でも、オシャレではあるなあ。日本ではもう、こういうのを目指すひとはいなくなっちゃったですね。

 「ニューヨーカー」のカートゥーンの完成されたオシャレ感は、日本のおとなマンガがマネようとしてついに到達できなかった境地であるような気がします。こういうタイプのマンガが存在し続けてるのが、ちょっとうらやましい。

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Comments

 昔、日本にも1コマ漫画(数コマ漫画含む)の雑誌があったりもしたのですが。書影を貼り付けておきます。

 http://www.m-sugaya.com/cartoon/index.htm

Posted by: すがやみつる | September 16, 2007 06:08 AM

そうそう、ぼくもモリケンさんから、聞かされました。
ベテラン作家の名前の袋が(分厚い)置いてあるので、
少ない点数では駄目だ!と思ったそうです。

それで数百枚をいっぺんに置いてきた~とかね。

それじゃ「まんがNo.1」に一挙100点掲載ってのやるから
すぐ描いてくれる?と言いましたら、即OK。

4色カラーを含めヒトコマ物100点を、締め切り前に
さっさと入稿してくれましたよ。
ですから、あちこちの頁にバラバラにして掲載
できました。さすがプロのモリケンさん!

さて、ご紹介の本、日本アマゾンで買えるようなので
注文しました。でも、アメリカからの発送待ちなんで
10日余待ってくれとのことです。

Posted by: 長谷邦夫 | September 16, 2007 01:02 AM

ニューヨーカー掲載のカートゥーンのほとんどは依頼原稿じゃないということになりますと、これは驚きです。きびしいシステムですねえ。森田氏は人気絶頂のときに長期にアメリカに行ってしまわれて、びっくりした記憶があります。

Posted by: 漫棚通信 | September 15, 2007 08:37 PM

 こちらの文章に関連してですが、ニューヨークで1コママンガ修行をされていた森田拳次先生が、『私笑説・だめ男はつらいよ―蒲田&ニューヨーク』という本に、小説形式ですが、「ニューヨーカー」などに持ち込みをしていた頃のことを書かれています。新人もベテランも、水曜日に編集部に出かけ、作品をボール箱の中に置いてくるシステムだそうで、興味深く読みました(森田先生ご本人からもお聞きしたことがありますが)。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750595020/

 日本では、1コママンガだけでなく、文春漫画賞の廃止に見られるように大人漫画も壊滅状態にありますが、これはマンガに限ったことではなく、日本に「大人」がいなくなったことが関係しているのではないかと思ったりしています。子どもマンガ(ストーリーマンガ)も、ある年齢で卒業するものではなくなってしまいましたし……。そういう風潮のさきがけとなった団塊の世代も、すでに定年退職の年齢となっています。

Posted by: すがやみつる | September 15, 2007 06:57 PM

確かに、ニューヨーカーのカートゥーンが変わってないだけで、アメリカのカートゥーンはどんどん変化していってるんでしょうね。しかし最近、このタイプのカートゥーンは日本には紹介されなくなっちゃって、ちょっとさびしいですねえ。

Posted by: 漫棚通信 | September 14, 2007 02:30 PM

>12ドルのバーゲンセール状態
コレはホントにバーゲンセールだったんだと思います。特にused booksなんかは特価品セールがクリスマスとかレイバーデイ合わせでワゴンセールみたいなノリであるんで、おそらくそれじゃないかと(日本のアマゾンでもたまにやってますが、ほしい本あったためしがないです)。

>80年間、変化がないのに驚いた。
コミックストリップでも『Nancy』や『Prince Variant』の新作が普通に描かれている国なので不思議じゃないといえばないですが、これをして「カートゥーン」そのものに「変化がない」といってしまうとそれはそれで妥当性を欠くかと。
定番としての『Newyorker』のカートゥーンみたいなものに対するカウンターとして、『MAD』、『Playboy』のマガジンストリップ、アンダーグラウンドコミックスなんかが時々にあってそっちはそっちで定番化してった、と考えたほうがいいと思います。一番最近だとテッド・ロールなんかのロクデナシ連中もいますし。

Posted by: boxman | September 14, 2007 03:44 AM

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