誰もみな老いる
ちょっと前の話ですが、先々週に夏休みをとって、神戸に行ってきました。
異人館めぐりというのをしたことがなかったので、そのあたりの坂をはあはあ言いながら登ったり降りたりしてきました。何の予備知識もなく、最初に行った異人館が「ベンの家」というところ。
はいってギャッと声を出すくらいびっくりした。狭い部屋にでっかい剥製が間近に壁から床からごろんごろんしておりまして、直立したでかいシロクマ、歯をむいた虎、鹿の首、象の足でできた椅子とかゴミ箱とか。ああいうのに慣れてないせいか、剥製というのが日本人にはアレなのか、いや度肝ぬかれましたねー。異人館めぐりに行かれるかたには一見をオススメします。
神戸のメインは落語でして、桂米朝、ざこば、南光、吉弥という米朝一門の豪華メンバー。実は通常の落語会じゃなくて、ホテルのディナーショーというヤツです。
ディナーショーというのに初めて行きましたが、一時間ぐらいかけて結婚式場のような広間でメシ食ったあと、別室に移って落語となります。
吉弥が「時うどん」、南光が「義眼」。で、米朝はトリをとらずに「始末の極意」、トリのざこばが「子はかすがい」で人情ばなし。でね、米朝師匠ですが、現在82歳。腰椎圧迫骨折から復帰されて、いやどうも実にスリリングな落語でした。
マクラで、ひとに笑われるような人間にだけはなるなと言われてきたのに今は落語家、というくすぐりを三回くりかえしたところでは、演出かな? という笑いがおきていたのですが、梅干しを見て出るすっぱいツバをおかずにするところが三回、八百屋が落とした菜っぱを拾って汁の実にするシーンが二回くりかえされたあたりで、観客みんな、この落語ホンマに終わるのかと、実にはらはらと手に汗をにぎりました。
結局ちゃんとオチまでたどりつけましたが、太鼓もオチの言葉に重ねてドドンとはいっちゃいまして、いやー楽屋でもみんな心配してたんだなあ。観客は大拍手で、ざこばも落語というよりサーカスやね、なんて言ってました。もう82歳なんですから何でもありです。そこに座ってしゃべっててくれるだけで、ありがたやありがたや、みんなが拝むような存在になっておられますな。
わたし子どものころ、米朝が怖くてね。これこども、なんていう商家を舞台にした落語なんか、米朝がしゃべるといっつもおこられてる気がして。だからコワくない松鶴のほうが好きだったのですが、自分が年とると米朝も好きになりました。
落語家なら米朝のように、82歳まで現役であることも可能なのでしょう。ざこばも、60歳になったら、なんて話をしてます。ただし創作者となると、星新一が四苦八苦しながらショートショート1001話を書き上げたのが57歳ですが、それ以後は作家としては余生となってしまいました。
老いはみんなにやってきます。老いると頭にも体にもいろいろ問題が出てきて、確かにそれなりに悲しいことではあるのですが、老いが来ないということは早世するということだから、それはそれで不幸だし。てなことを考えながら、家に帰るクルマのなかでは、CDで米朝の「本能寺」と「くっしゃみ講釈」を聞いてましたです。
Comments
亡くなって伝説となった二代目枝雀が懐かしい。
金があればDVD全集を揃えるんだが。
映画「ドグラ・マグラ」なんかに出演するから・・・もう。
(原作は「精神異常者の書いた推理小説」という設定だっけ)
当時はこんな感じでしたね(芸名は現在の)。
さこば「落語のことはぜんぶ枝雀兄ちゃんに任せたある」
南光「わたしは師匠に着いていくだけです」
彼らも突然「自分自身の落語」と向き合わなければならなくなって、慌てたんじゃなかろうか。
ああ、 藤山寛美と桂枝雀が亡くなり、上方から「ほんまもん」が消えて久しい。
哀しい色やねぇ。
Posted by: トロ~ロ | August 06, 2007 01:56 AM