ダビッド・ベー『大発作』の難解さと普遍性
先日の記事に書いた『pen』2007年8/15号の特集「世界のコミック大研究。」では、日本の夏目房之介、フランスのティエリー・グロンスティン、アメリカのスコット・マクラウドの三氏が、それぞれ注目のマンガ/BD/コミックを紹介しています。このうち、グロンスティン、マクラウドのふたりが挙げている作品の中で、ダブってるのが二冊。つまり、この二冊は欧米で注目の作品、ということですね。
ひとつは、Chris Ware 『Jimmy Corrigan: The Smartest Kid on Earth』。日本語版がクリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版 VOL.1』(2007年プレスポップ・ギャラリー、2300円+税、amazon、
bk1)として出版されてます。日本語版は全体を三巻に分けたうちの一巻なのですが、この冒頭部の一巻を読んだだけで、かつて書いたように、わたしとしては大絶賛でありました。
もうひとつが、Dabid B 『l'Ascension du Haut Mal』(英語版タイトルは『Epileptic』)です。
この作品もダビッド・ベー『大発作 てんかんをめぐる家族の物語』(2007年明石書店、監修:フレデリック・ボワレ、訳/グラフィック・アダプテーション:関澄かおる、3800円+税、amazon、
bk1)として邦訳され、日本語で読めるようになりました。
著者の自伝マンガです。フランス人の著者は1959年生まれ、兄と妹にはさまれた三人兄妹のまんなか。子ども時代に兄がてんかんを発症し、以後、家族と病気との闘いが始まります。同時にその生活の中、著者の心情と成長、いかにマンガ家になっていったかが描かれます。
この欧米で絶賛の作品、実をいいますと、わたしにとってはわかりにくい作品でして。その理由の大きな部分は、こちらの知識が足らないせいでもあります。
著者の兄、ジャン=クリストフが発症したのが、1964年のこと。
現在のてんかん治療の主流は、服薬による症状のコントロールです。もちろんこの半世紀、多数の新薬が開発されてきて治療の進歩があったのですが、当時もすでに、フェノバルビタール、フェニトイン、プリミドン、カルバマゼピンなど、現在も使用されている複数の薬剤があったはず。ですから、おそらく1960年代のフランスでも、まずは薬物の投与がなされたでしょう。
しかし兄のてんかんは、どうやら薬剤によるコントロールが困難なタイプであったらしく、1969年脳外科医に手術をすすめられています。CTやMRIのない時代、気脳写(髄液内に空気を入れて脳の形をレントゲンで撮影する検査、今はもうしません)だけをたよりに手術していたのですから、今の目から見るとちょっとコワイっす。いくらその時代の最先端の手技でも、後世の目から見ると野蛮に見えてしまうのはしょうがないことですが。
当時も現在以上に、手術に踏み切るのには相当な決心が必要だったでしょう。結局一家は手術を受けないことを選択します。
で、そこから父母が変な方向に突き進んでいきます。一家がたよるのは、日本人・桜沢如一が提唱したマクロ・ビオティックと呼ばれる自然食運動、マッサージと針治療、共同体での生活、占い師と霊的磁力、コックリさんのような交霊術、スウェーデンボリ派の牧師と霊媒師、磁波をあやつる催眠術師、ホメオパシー医、古代神秘薔薇十字会、錬金術、ブードゥー教、ルルド巡礼、マルクーと呼ばれる治療師、世界じゅうの秘教を混交したアリカ研究所。
こう書き写すとギャグに思えるかもしれませんが、ユーモアの要素はほとんどありません。暗く重いエピソードが続きます。
病苦からカルトに向かうパターンというのは、洋の東西を問わずありうることですが、父母のオカルトおよびスピリチュアル方面への傾倒が、いくらそういう時代であった1970年前後のフランスだとしても、これはそうとうにヘンな行為だったと思います。ただわたしにそのころのフランスについての知識がないので、そう断言できないんですね。
父母はけっこうなインテリなのにオカルト。というか、けっこうなインテリだからこそオカルト? 彼らが近代医療への絶望と不信からオカルトにたよったのか、あるいは彼らの行動は、もともとオカルト好きだったせいなのかもよくわからないのです。その必死さは献身的なのですが、愚かでおかしく、とても悲しい。
そして主人公=著者の、兄に対する心情とマンガを描きたいという気持ちには、心に迫るものがあります。
兄の病気を治したい、兄を救いたい、でも兄と病気は大嫌い。兄が発作を起こし倒れると、ケガをしないように助けなきゃならない。ひとびとの好奇や差別の目にさらされる。精神症状が強くなってゆく兄との会話は苦痛でしかありません。さらに父母のオカルト行為につきあわなければならない。そういう生活が、著者を創作に向かわせます。
ひたすら僕は何かを書き続けなければならなかった。兄の病に冒されないよう、絶えず何かしてなければならなかったのだ。
僕はすべてを語りたい。兄のてんかんのこと、医者のこと、マクロビオティックのこと、交霊術のこと、宗教指導者のこと、共同体のこと── でもどうやって描けばいいのか。それが分かるまで20年かかることをこの時の僕はまだ知らない。
家族やその不幸といかにつきあうか、この点においてこの作品は普遍性を持ちます。人生はまさに闘いです。でもこのマンガ、読むのがつらすぎる。
最後にタイトルの話。
てんかんにおける「大発作」とは、厳密にいうと「大きな発作」の意味ではありません。てんかん症状の古典的分類に、フランス語のgrand mal(グラン・マル、大発作)と、petit mal(プチ・マル、小発作)という医学用語があります。ところが著者は“grand mal”という言葉を使用せず、“haut mal”という言葉を創造してタイトルにしました。英語に直訳すると“high evil”になります。これは著者のたくらみのひとつで、おそらく、兄のてんかんという病気が家族にとってある種の怪物であったという暗喩なのでしょうが、ここがすでに、日本人には難しい。
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Comments
あなたの高い知性をもってすらも、私を失望させてくれるのですね。さようなら。
Posted by: 高森圭 | July 30, 2010 06:50 PM
質問させてください。
私は漫棚さまのご職業がほとんど推察できております。一体生命倫理とは何なのですか?
あなたは名作ブラックジャックに何を学ばれたのですかか? できましたら、ごく無名の一主婦の私にご教示ください。どうか心よりお願いします。
Posted by: 高森圭 | July 29, 2010 10:29 AM
私は弟を喪失する夢を見ないためにてんかん用の
薬を少量飲んでおりますが、実作者にしか、分からない苦悩、というのも存在するのですよ。これは漫画評論の一つの限界だと思います。
Posted by: 高森圭 | July 27, 2010 06:59 PM
シーザーもてんかんでした。養老孟司はあんまこだわらなくてもいいじゃんと言ってますが。
てんかんは完全に脳の問題で、治癒の道は困難ですが、この両親がやったことは完全な間違いです。 やや読みにくいのは訳にも不備があると思います。
マクロ・ビオティックは最終的にビタミンが一つ欠けるので、科学的には間違っていると証明されています。包丁の切り方で陰陽が変わるとかデタラメ理論です。人間には自己治癒能力が備わっていますが、まあ、脳の問題を解決する道は茨の道としかいいようがありません。
「ロレンツォのオイル」という映画がありますが、ごく一般人でも本当に家族を治癒したい意思があれば、医学史さえも革新できるという可能性を私は、信じています・・・
Posted by: たかもり | July 27, 2010 09:15 AM
唐沢さんのHPに謝罪文載りましたね。だけど、謝罪文の名義人が唐沢さんと幻冬舎新書編集部になっているのに、幻冬舎のHPにはそれを載せてない。載ってるのは唐沢さんのHPだけ。こうなると、企業としての誠意を疑わないといけなくなりますね。
Posted by: 星男 | August 09, 2007 02:42 PM