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August 29, 2007

わかるやつだけついてこい

 とり・みき『遠くへいきたい』5巻(2007年河出書房新社、950円+税、amazonbk1)が発売されました。

 1ページに3×3の正方形9コマで書かれた、セリフやキャプションのないギャグマンガ。この意欲作も、もう5巻になりました。この巻のオビには、海外での好評が記されてます。めでたいことです。

 英語版は「Anywhere But Here」のタイトルで2005年に、フランス語版が「Intermezzo」のタイトルで2006年に出版されてます。

 海外版は持ってないのですが、確かにサイレントマンガだし、ナンセンスだし、海外でもわかりやすいのかな。でも今回の5巻のうちでも、こりゃまずわからないだろう、というのがやっぱあります。日本の風俗習慣がギャグとして機能してる作品です。

 てるてる坊主、丑の刻参り、除夜の鐘、福笑いも、説明抜きではわからないでしょう。意識を持って動きまわる鍋のシラタキにいたっては、説明されてもわからんのじゃないかしら。『遠くへいきたい』にはコタツがくりかえし登場しますが、これってどう理解されてるんでしょうね。

 だいたいこのマンガの主人公はエプロンを掛けてハタキを持った男性。日本人ならこの記号で彼が書店員だとわかりますが、これはさすがに万国共通じゃないよなあ。

 とり・みきの場合、海外どころか日本人にとっても難解な作品をヘーキで描いちゃいますからね。わかるやつだけついてこい、という態度は昔から変わりません。

 今回ムズカシイと思われる作品ベストスリーは、まず81ページのお化け煙突ネタ。千住のお化け煙突の話を知らなければ、ほとんど理解できません。37ページの作品も、雑誌に掲載されたのが年末だということに気づかなければ何が何やら。

 そして今回、最高傑作にして難解なのは、36ページ。3×3の9コマを障子にみたてた作品です。障子の紙に穴を開けて、向こう側から主人公がコッチを覗いております。さて彼は何を見ているのでしょうか。考えオチというか何というか、オチがあるようなないような、空前の作品ではないかと。

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August 27, 2007

怪しい、怪しすぎる

 通勤の行き帰り、ときどきNHKのAMラジオを聞くのですが、先日そこに出演したかたで、ずいぶん怪しげなしゃべりかたをするひとがいるなあと。で、気になってしょうがないので思わず買ってしまいました、この本。

●木村泰司『名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」』(2007年集英社、2286円+税、amazonbk1)。

 「美術は見るものではなく、読むものです」というコピーを掲げた啓蒙書、というよりは軽い読み物。美術鑑賞には感性よりまず知識、という主張です。

 本としてはギリシアから印象派までの西洋美術の歴史をイッキに語ってしまい、名画解説がところどころにはいるという形式。一行豆知識の西洋美術版、といったお手軽な本です。本来なら最近の新書レベルの内容なのですが、カラー口絵が40ページ以上ついてますので、ハードカバーでこのお値段になってます。

 「ございます」「まいりましょう」「疑問をお持ちになる方もいると思います」といったちょっと怪しげな文体ですが、著者の知識は広く、わかりやすく語ってくれる技術もお持ちです。それなりに楽しく読ませていただきました。もちろん個々の画家や作品についてのこまかく知りたければ、他書をあたらなければなりません。

 ただし書影を見ていただけばわかりますが、なんつっても美術の本のカバーに著者自身の写真を使うというのが、ちょっとアレであります。またそれがスキンヘッドのナルシーなものですから、いやもう何というか、怪しいったらありません。バックの絵はもちろん本物じゃなくて、陶板によるコピー絵画しか置いてない大塚国際美術館での撮影です。

 単行本の著者略歴がまた怪しい。

西洋美術史家。1966年、愛知県生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で、美術史学士号を取得後、ロンドンのサザビーズ美術教養講座にて、Works of Art 修了。
ロンドンでは、歴史的なアート、インテリア、食器などの本物に触れながら学び、同時にヨーロッパの上流階級における正式なマナーや社交術も身につける。

 おおっ、「上流階級」「正式」「マナー」「社交術」。でもインタビューによると著者は16歳からカリフォルニアに8年、ロンドンには1年間滞在しただけのようですけどね。

 著者の現在の仕事は講演やセミナーが主で、聴衆のほとんどがハイソな奥様がただそうです。ただし、著者の後援会のサイトには「企業向けセミナーのご案内」というのもありまして、

欧米のトップクラスの人々は、どのような場面でも、美術史をあたりまえの教養として日常の会話に生かしています。西洋美術史は、今や一流のビジネスマンの必須アイテムといって過言ではありません。

 「上流」や「トップクラス」「一流」という言葉に、心くすぐられるマダムや企業人のかたがたくさんいらっしゃるのでしょう。

 著者のエッセイがネット上で読めますが、これまたタイトルが「プリンセスとティータイム」「白夜に抱かれて」「ミモザの雨につつまれて」とまあ、ハイソなこと。そのうち、「NEW YORK LUXURIOUS NIGHT (ニューヨークの華麗なる夜)」と題されたエッセイはこんな感じ。

エリザベスが独身時代にも一度紹介してくれたミセスWは、久しぶりにお目にかかった私に、「お元気でいらした?」と微笑み、そっと右手の甲を差し出しました。握手ではありません。クイーンやプリンセスがする仕草です。その何と自然な事。私は身をかがめ、彼女の手にキスせざるを得ませんでした。

 読んでて悶絶しそうになりました。思わず笑ってしまうほど、怪しい、怪しすぎる。

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August 24, 2007

買ってない本

 残暑お見舞い申し上げます。

 えー、ちょっと気になる本があると、なんでもかんでもアマゾンのショッピングカートに放り込んでおく、ということを繰り返しておりますとどんどん増えてきてしまい、まったく収拾がつかなくなります。自分ちの書庫と同じで、たまには整理をしなくちゃいけません。買うなら買う、買わないなら買わない、きっちりせんかーい。財布の中身、読む時間があるのか、置くスペースがあるのか、といろいろ考えなきゃいけないことが多くて悩ましいですねえ。


●『鉄腕アトム HAPPY BIRTHDAY BOX』(2003年光文社、14286円+税、amazon

 2003年、アトムの誕生日にあわせて発売された、復刻マンガをメインにしたいろんなおまけ付きのセット。なんと売り切れもせずに、いまだに現役で買うことが可能です。発売直前、予約するかどうかあれほど悩んだのは何だったんでしょ。で、今もやっぱり迷い中なのでした。


●『寺田克也全部 寺田克也全仕事集』(1999年講談社、2980円+税、amazonbk1)、『寺田克也ラクガキング』(2002年アスペクト、3800円+税、amazonbk1

 

 寺田克也の画集はねえ、迷いに迷って、結局買ってないんですね。ここまで待ったのなら、次の画集が出るまで待つべきかしら。


●陶治『中国の風刺漫画』(2007年白帝社、2000円+税、amazonbk1

 朝日新聞の書評で見かけたもの。“約6万点の漫画を検証した著者が、中国事情をわかりやすく説いた「漫画で学ぶ中国史」” というのが出版社の広告文句。図版がもうひとつ、という評を読んじゃったので、手を出すべきかどうしようか、うーん。


●岩本茂樹『憧れのブロンディ 戦後日本のアメリカニゼーション』 (2007年新曜社、5000円+税、amazonbk1

 社会学方面の本らしいのですが、この本がわたしの求める内容かどうかわからないのと、なんつってもお値段がちょっと…… 内容を知らずに注文するにはずいぶん勇気が必要です。著者はかつて『戦後アメリカニゼーションの原風景 「ブロンディ」と投影されたアメリカ像』という本も書かれてます。


●『和モノ事典1970’s 人名編』(2006年ウルトラヴァイヴ、2500円+税、amazonbk1

 1970年代の映画と歌謡曲に特化した雑誌、Hotwax編集の70年代事典。マンガとはあまり関係ないのですが、一応わたしの守備範囲内なので。ただしこっちに手を出すと未読の山が増えそうなのでどうすっかな、と迷い続けてもうすぐ一年。


●Paolo Eleuteri Serpieri 『Serpieri Clone』(2004年Heavy Metal Magazine、原著は2003年、14.95ドル、amazon

 イタリアのエロSFマンガ家(と書いちゃうと失礼かしら)、セルピエリ。その代表作「Druuna」シリーズ最新巻の英語版。ああ、すっかり忘れてた。買わなきゃと思ってショッピングカートに入れたまま、もう数年たってました。ご本人のオフィシャル・サイトはコチラ。かなりエロいのでご注意。

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August 20, 2007

マンガのお値段について

 マンガショップの復刻マンガは、判型もページ数もほぼ同じ。一律1800円+税という値段です。『ロボット三等兵』全三巻を一気に買おうとすると、5670円が財布から出て行くわけでして、なかなかにキビシイものがあります。

 ただし一冊が330から360ページと最近の新書版単行本より多い量。そんなに部数が出る作品でもないでしょうし、こういう価格設定になるのは、それなりに納得できます。

 長らく入手困難だったものが、このお値段でほぼ完全版として手にはいるのですから、マンガショップのシリーズを買う人のほとんどは、むしろ安い! と思って買ってるのじゃないでしょうか。それでもこの値段が、一冊ごとにあと数百円高くなったとすると、買おうかどうしようか、悩む時間が長くなりそうです。

 マンガというものは基本的に、なくったってなくったっていいものです。しかも「印刷」によって複製や大量生産が可能な消費財であり、かつ芸術品である側面も持っている。その値段や価値は、もちろん市場原理によって決定されているのですが、購買者自身がそれぞれ自分の価値感で、作品ごとに高いか安いかを判断しています。

 現在日本では、小学館なら、少年サンデーコミックスやフラワーコミックスが390円+税。ビッグコミックスやヤングサンデーコミックスが505円+税。

 集英社も、ジャンプコミックスやりぼんマスコットコミックス、マーガレットコミックスが小学館と同じ390円+税。クイーンズコミックスが少し高くて400円+税。ヤングジャンプコミックスもおむね505円+税。

 講談社は全体に少し高くて、少年マガジンKCや別冊フレンドKCが400円+税。なかよしKCやキスKCは390円+税と、微妙にお安くなってます。ヤンマガKCスペシャルは533円+税と、これも小学館系よりちょっと高め。

 実感として日本の新刊マンガは安いと思います。ほとんどが雑誌掲載作品の二次使用であるという理由もあります。

 しかし、雑誌そのものの価格が安く、かつ雑誌掲載時のマンガ原稿料が低く抑えられている現状で、さらに雑誌が売れなくなってるそうですから、この単行本の価格も将来どうなっていくのか不明です。安価なマンガに慣れた日本人読者は、価格が上昇したとき、どの程度までなら買ってくれるのか、まだまだよくわかっていませんし。

     ◆

 鈴木志保の旧作が、再編集されて新しく出版されてます。『船を建てる』上巻(2007年秋田書店、1100円+税、amazonbk1)。

 これも長らく入手困難だった作品です。これがあなた、一冊412ページでもってこの値段ですから、すごく安いという感覚があります。

 一昨年末に発売された鈴木志保の『ヘブン…』(2006年秋田書店、実際の発売は2005年末、amazonbk1)は、194ページで670円+税でした。口絵にカラーページが1枚。

 で、新作の『ちむちむ☆パレード』(2007年秋田書店、amazonbk1)になりますと、同じ194ページで900円+税です。

 判型も『ヘブン…』と同じで、カラーページも1枚といっしょ。とくに豪華なつくりでもありません。

 内容のほうは、いつもの短編連作じゃなくて、長編でもなくて、ページ数の多い中編といった感じ。実は『ヘブン…』は雑誌連載作品でしたが、『ちむちむ☆パレード』、描き下ろし単行本です。くりかえし登場する同じ構図やコピー、思いきり大きなタイポグラフィなど、短編や連載ではできない表現が選択されています。いつもの絵本のような趣が、より強くあらわれています。

 『ヘブン…』と『ちむちむ☆パレード』の価格差は、おそらく、後者が描き下ろしであることによるのでしょう。描き下ろし作品は雑誌掲載時の原稿料が発生しないわけですから、当然高価になってしかるべし。

 『ちむちむ☆パレード』では、鈴木志保の固定ファンならこの価格なら買うだろうという、販売におけるある種の実験がされてるのじゃないかと思うのですが、どんなもんでしょ。

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August 17, 2007

祝! 『ロボット三等兵』復刻

 『ロボット三等兵』が復刻されてます。めでたいっ。

●前谷惟光『ロボット三等兵』全三巻(2007年マンガショップ/パンローリング、各1800円+税、amazonbk1

  

 第二次大戦中、日本陸軍に従軍したポンコツロボットのギャグマンガ。いや、ギャグマンガという言葉は当時存在しなかったはずですから、ゆかいまんが。いやいや、ロボット三等兵はドタバタが多いから、大爆笑まんがかな。「いやなことをいうね」というとぼけたセリフを知ってるかたもいらっしゃるでしょう。

 貸本単行本として寿書房から1955年から1957年にかけて全11巻が出版。その後「少年クラブ」1958年6月号から1962年12月休刊号まで連載されました。

 今回復刻されたのは寿書房版です。1995年にアース出版局から全三巻で復刻されたときは、寿書房版の8巻と9巻がはぶかれてたうえに、エピソードが順に収録されてなかったのですが、今回、ほぼ完全版になっています。これでやっと寿書房版『ロボット三等兵』の全貌がはっきりしました。って、そんなことを気にしてるのはわたしだけかもしれませんが。

 壽書房版のエピソードは、以下のようになっていました。それぞれ一巻90ページほど。

1巻:国内での教育隊編
2巻:南方戦線のどこか(ガダルカナルらしい)
3巻:南方戦線のどこか
4巻:中国戦線のどこか
5巻:インパール作戦編
6巻:ミイトキーナ/フーコン作戦編
7巻:終戦後も南方で戦うロボット三等兵編
8巻:アッツ/キスカ編
9巻:ミッドウェー/スタンレー山脈作戦編
10巻:アフリカ/ドイツ編
11巻:ロシア/再度インパール作戦編

 後半になると、実際の戦史を背景にした展開が主となり、ばかばかしい戦争を笑いとばす特徴がより強くなりまして、まさにロボット三等兵の本領発揮。ロボットとトッピ博士が、アフリカやドイツ、ロシアに出かけるのも、マンガならではです。この後、少年クラブに連載された版も、戦史のお勉強という側面を持っていました。

 フーコン作戦編では、敵に包囲され全滅を覚悟したロボット三等兵とヒゲ部隊は、配られた末期の酒に酔っぱらってしまい、「すととんすととんとかよわせて」「すっちょいすっちょいすっちょいな」と踊りながら、アゼンとする敵を尻目に敵陣を突破します。

 「だからお酒というものはありがたいものなのだ」というオチがついて、マンガとしてはめでたしめでたしになってますが、現実には従軍していた前谷惟光自身も、飢餓とマラリアによる衰弱のまま敗走し、九死に一生を得ています。お気楽マンガ、ロボット三等兵の背後にはこれらの悲惨な戦争体験が厳然としてあります。

 マンガショップではこのあと、『前谷惟光傑作集1 ロボット二挺拳銃』『前谷惟光傑作集2 ロボット捕物帖+め組のロボット』などの復刻も予定されてますが、これもうれしい。マンガショップさん、ここはどうか、寿書房版よりギャグや絵が洗練されててエピソードの書き込みも細かくなってる、少年クラブ版/虫コミックス版『ロボット三等兵』の復刻もしていただけないものでしょうか。

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August 15, 2007

因果はめぐる糸車(その2)

(前回からの続きです)

 円朝『真景累ヶ淵』のマンガ化といえば、現在コミックビームで連載中なのがこれ。

●田邊剛/構成・竹田裕明『累(かさね)』1巻(2007年エンターブレイン、690円+税、amazonbk1

 宗悦が新左衛門に殺されるところや、新五郎が園を殺す因縁はとばして、新吉と豊志賀との出会いから始まってます。

 新吉と豊志賀の関係をねっとりと描きながら、宗悦(←1巻ではまだ誰か明かされてません)の幽霊が豊志賀の家に出現したりしてます。宗悦が、実の娘の家に化けて出るという奇妙な展開ですが、豊志賀が、宗悦の死体を入れた「つづら」という言葉に反応したりしてますから、どうやら、このマンガでの豊志賀、原作と違って宗悦殺しに無関係じゃないらしいです。

 田邊剛の線は人体を描くときも直線が多く、いかにも堅いのですが、それが怪談にはあってる感じ。今回、マンガとして、怪談としての見ものは、顔のアップの連続。豊志賀の嫉妬心が原因なのか、彼女の顔にぽつんとできた小さなデキモノ、これがじわじわと大きくなって、豊志賀の顔が崩れてゆくのをじっくり描いてくれてます。これがケッコウ怖い。

 原作のような大長編になるはずもないですから、どのあたりで収拾をつけるのか、今後の脚色も気になるところです。

      ◆

 累ヶ淵をマンガにしたものはきっと複数あるのでしょうが、わたしがリアルタイムで読んでおもしろがってたのは、池上遼一『かさね』。1970年週刊少年ジャンプに短期連載されました。2003年になって初めて単行本化されましたが、もう絶版になってますね。

●池上遼一『池上遼一珠玉作品集1 かさね』(2003年講談社、762円+税、amazonbk1

 書影のカバーイラストは後年描かれたものですから、中のマンガはこんな絵ではありません。まだまだ丸っこい人物を描いてたころです。

 このころの池上遼一は、同時に別冊少年マガジンで『スパイダーマン』連載中でした。週刊少年ジャンプのほうは、『男一匹ガキ大将』と『ハレンチ学園』の全盛期で、「他は何やっても大丈夫」と言われてたころです。同時期の連載に、ジョージ秋山『デロリンマン』とか小室孝太郎『ワースト』なんかがありましたね。

 オープニングで、宗悦が深見新左衛門に斬られ、豊志賀・園の姉妹、新五郎・新吉の兄弟が残されるのは原作どおり。時が流れて主人公は新吉です。このマンガでは原作に登場する久が省略されてて、累が最初から新吉のガールフレンドとして登場します。

 いろんな因果や因縁に導かれて、主人公新吉が、豊志賀・累・園、さらに兄の新五郎までも殺してしまうという、ずいぶんとうまくできた脚色です。当時読んでたコドモのわたしとしましては、怪談として怖いというより、ガールフレンドが実は因縁の相手、とか、殺した相手が実は兄、とかいう因果ものの展開に感心してました。

 さすがに少年誌ですから、新吉と豊志賀の愛欲や嫉妬は描かれません。ですから登場したときから豊志賀は醜い顔の女性で、豊志賀の変容をもっとじっくりと描くことができればずっと怖い作品になったんじゃないかしら。

 おもしろいのは、新五郎をリーダーとする「かぶき者」グループが、反体制思想を持ち大がかりな現金強奪を計画しているところ。映画『野良猫ロック』シリーズを思い出しちゃいましたよ。あるいはこのあいだ読んだ、藤原カムイ/大塚英志『アンラッキーヤングメン』とか。時代の気分てのが出てますねえ。

 そして、怪談ですから登場人物はみんな、因果に導かれて破滅していくのですが、これも1970年前後のアメリカンニューシネマや、その影響を受けた日本映画によくあったラストに似ている。今回『かさね』を読み直してみますと、日本の怪談とニューシネマの合体なんですよね。そうか、こんな手もあったか。

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August 14, 2007

因果はめぐる糸車(その1)

 紙屋研究所に書かれた、三遊亭円朝『真景累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)の感想文、これにいたく刺激されてしまいまして、累ヶ淵、おもしろそうじゃん。で、わたしも買ってきました、岩波文庫版『真景累ヶ淵』(2007年改版、岩波書店、900円+税、amazonbk1)。

 最近はコンピュータで在庫があるかどうか調べられる書店もあります。いつもの書店に行ってコンピュータでチェックすると、お、あるある。そこで岩波文庫のコーナーに行ってみたけど、これがないんですな。探し回ってますと、なんと「話題の文庫」のところに、映画『怪談』の写真付きオビが巻かれた岩波文庫が、平積みになってました。

 岩波文庫がこんな売り方されてるなんて、ふつう思わんよなあ。

 岩波文庫版以外にも中公クラシックス版があり、もちろん図書館に行けば圓朝全集がありますし、ネット上では青空文庫で公開されておりますので、お好きな形で読めます。

 さて円朝作の怪談『真景累ヶ淵』。これは幕末から明治にかけて創作された「新」怪談とも言うべきもので、わたしの考える怪談とはずいぶん違いました。

 どこが「新」かといいますと、お化け、幽霊、ほとんど出てきません。ここに出てくる怪奇な現象は、気の迷いや夢、すべては神経病のなせるわざであります。円朝の「四谷怪談」でも、伊右衛門の見る幻覚は、アルコール依存症のため、なんて解釈がされてたらしいですから、円朝、ずいぶんと新時代のひとであったようです。

 おそらく高座を聞いてこその作品、だと思います。読んでるぶんには、怪談としてはあんまり怖くないのですが、虐待したり殺したり、人間のおこないのほうはずいぶんとおぞましい。

 そしてこのお話、殺人、自殺、事故死、病死と、山のようにひとが死にますが、加害者も被害者も全員が因果に結ばれた関係者です。

 金貸し・宗悦が旗本・深見新左衛門に殺され、宗悦の娘、豊志賀(とよしが)・園(その)の姉妹と、新左衛門の息子、新五郎・新吉の兄弟、さらにその周辺のひとびとの子どもや孫が入り乱れ、お互いの出自を知らずに愛し合ったり殺し合ったり。さらに殺人や自殺の道具である鎌も呪いの鎌。同じものがあっちこっちに出没して多くの人間を殺していきます。

 美男の新吉が、主人公です。艶福家で、しかも因縁に呪われてるものですから、かかわった女性が次々と死んでゆく。年増の豊志賀、お嬢さまの久(ひさ)、名主の妹・累(るい)、もと芸者の賤(しず)。

 最もコワイのが豊志賀の様変わりでして、今回の映画化では黒木瞳が演じてます。病気でお岩さんのように顔が崩れながらも、若い恋人・新吉の行動に嫉妬の炎を燃やします。

 とこうくると、円朝、四谷怪談のマネをしたか、という話にもなるのですが、これが『真景累ヶ淵』のモトネタは、なかなかヒトスジナワではいきません。

     ◆

 おおもとは、累伝説というのがあります。時代は慶長といいますから江戸時代初期、17世紀前半ですな。場所は下総国羽生村。(1)助(すけ)という醜い娘が母親に殺される。(2)その後生まれた助の妹・累(るい)は助にそっくりの醜い娘となり、のち、累は夫・谷五郎に殺される。(3)谷五郎の後妻の子・菊に累が取り憑く。続いて助が取り憑く。(4)祐天上人が累と助を成仏させる。

 この物語が記載されたのが、17世紀末に書かれた『死霊解脱物語聞書』(しりょうげだつものがたりききがき)という仮名草紙。祐天上人や菊がまだ存命のうちに書かれてて、実話であることが強調されてます。

 醜い妻が夫に虐待されるという構造は、『四谷怪談』の原型とされる『四谷雑談集』の岩の物語もそうです。累伝説と似てますね。

 その後、累伝説をモデルに歌舞伎や文楽が多数つくられました。総称して「累もの」と呼ばれます。

 まずは享保時代、18世紀に『大角力藤戸源氏』(おおずもうふじとげんじ)という歌舞伎になりました。他にも、『伊達競阿國劇場』(だてくらべおくにかぶき)の一場面、『薫樹累物語』(めいぼくかさねものがたり、別名「身売りの累」)とか、河竹黙阿弥が幕末に書いた『新累女千種花嫁』(しんかさねちぐさのはなよめ)とか、いっぱいあるようです。

 『薫樹累物語』は今でも文楽などで上演されてます。与右衛門と累の夫婦がおりますが、実は与右衛門、累の姉の傾城高尾を殺した過去がある。で、高尾の呪いで美しい累の顔が醜く変化します。自分が醜くなったのを知った累は、夫と他の女性の関係を邪推して嫉妬に狂ったすえ、夫に殺されてしまう。

 有名なのは、19世紀の鶴屋南北。『法懸松成田利剣』(けさかけまつなりたのりけん)の一場面として『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)を書きました。ここでは、美人の腰元・累が、父親の敵の与右衛門と密通してしまい、実は彼が親の敵とわかったとき美しい顔が一気に醜く変化するという展開。この後、累は与右衛門に殺されます。

 さすが歌舞伎になると、怪談とはいえヒロインは美人じゃなくてはいけません。さらに、最初っから醜い女性が殺されるよりも、美人が醜く変化したうえで殺された方が、ウケるしコワイ。
 
 これを発展させたのが『阿国御前化粧鏡』(おくにごぜんけしょうのすがたみ)。この作品は牡丹灯籠が登場することで知られていますが、ここにも累が出演してます。その後、南北は名作怪談『東海道四谷怪談』を完成させます。

 累伝説の助と累は醜い顔のため殺される。四谷雑談集の岩も醜い顔のため虐待される。このような伝説をもとにして、歌舞伎の累ものでは一歩進んで、美しい女が醜くなったあと殺されるように脚色。さらに南北は、『四谷怪談』に至って美人を醜くしてから殺す、という世にも恐ろしい展開を発想しました。

 で、これがぐるりひとまわりして円朝の『真景累ヶ淵』に戻ってきますと、病気で豊志賀の顔面が、お岩さんのように崩れていく怖いシーンとして取り入れられるわけです。しかも『真景累ヶ淵』では豊志賀以外にも、久は新吉の幻覚のなかで豊志賀の顔になるし、累は顔面に大やけど。賤も乱闘で顔面に大きな傷が残ります。

 複数の美女が因縁、因果でもって醜くなり、虐待されたり殺されたり、恨みを持って死んでいく。

 累伝説→累もの→東海道四谷怪談→真景累ヶ淵、と互いに影響を与えながら、怪談も進歩、拡大再生産されていったことになります。

     ◆

 で、ここから追々マンガの話になりますが、ちょっと一息つきまして。

 以下次回。

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August 10, 2007

夏の長編

 おそらく偶然なのでしょうが、夏になってチカラのはいった長編マンガが連続して刊行され、いやまあ読みごたえのあること。いずれも二巻同時発売で、長編の魅力がじゅうぶん味わえます。


●藤原カムイ/大塚英志『アンラッキーヤングメン』全二巻(2007年角川書店、各1200円+税、amazonbk1

 

 時代は1970年前後、連続射殺魔事件、三億円事件、学生運動、楯の会などが背景。実在の人物をモデルにして、虚実とりまぜて描いた長編マンガ。二巻で完結してます。

 強奪した三億円を複数のグループが奪い合う伝奇的物語、のはずなので痛快に描くことも可能だとは思うのですが、そこはそれ、大塚英志とクールな絵の藤原カムイですから、辛気くさい展開が続きますけどね。

 著者たちの興味は「時代」のほうにあります。近過去をまるごと再構築してみたい。その意味では、『20世紀少年』などと通じるところがあるようです。


●三宅乱丈『イムリ』1・2巻(2007年エンターブレイン、各640円+税、amazonbk1

 

 本格的なSF/ファンタジー。わたしこの二種類の区別がよくわかんないのですが、宇宙船が出てきたらSFという感じがするので、一応、SFね。

 本格的というのは、世界を作って、環境を作って、歴史を作って、社会を作って、超能力の体系を作って、と、あらゆる設定を神のごとく作り上げてるところ。『ペット』より徹底してまして、三宅乱丈、こういうのが好きなひとだったんだなあ。いかにも楽しそうに作ってます。

 たよりないけど才能があり、出生の秘密を持った(←おお、王道!)主人公が、星間戦争に巻き込まれそうになったところで、以下続刊。


●五十嵐大介『海獣の子供』1・2巻(2007年小学館、各714円+税、amazonbk1

 

 著者初の長編、だそうでして、言われてみれば確かにそうだ。五十嵐大介、もう巨匠のような気もしてたけど、数巻にわたる長編、って描いてなかったんだ。

 主人公中学生女子が、夏休み、ジュゴンに育てられた少年たちと出会い、隠された世界の真実を探求していく話、なのかな。これもSF/ファンタジーなのですが、黒幕の企業とか出てくるから、一応、SFということでひとつ。

 あいかわらず五十嵐大介の絵は魅力的ですが、海や森、海の生物を描かせて、今、もっともうまいひと。以前の作品と比べて、人物の目が大きくなって、ちゃお/なかよし化しつつあるのがちょっと気になるところです。

 2巻終わって、まだ夏休みは続いてて、以下続刊です。

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August 07, 2007

ダビッド・ベー『大発作』の難解さと普遍性

 先日の記事に書いた『pen』2007年8/15号の特集「世界のコミック大研究。」では、日本の夏目房之介、フランスのティエリー・グロンスティン、アメリカのスコット・マクラウドの三氏が、それぞれ注目のマンガ/BD/コミックを紹介しています。このうち、グロンスティン、マクラウドのふたりが挙げている作品の中で、ダブってるのが二冊。つまり、この二冊は欧米で注目の作品、ということですね。

 ひとつは、Chris Ware 『Jimmy Corrigan: The Smartest Kid on Earth』。日本語版がクリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版 VOL.1』(2007年プレスポップ・ギャラリー、2300円+税、amazonbk1)として出版されてます。日本語版は全体を三巻に分けたうちの一巻なのですが、この冒頭部の一巻を読んだだけで、かつて書いたように、わたしとしては大絶賛でありました。

 もうひとつが、Dabid B 『l'Ascension du Haut Mal』(英語版タイトルは『Epileptic』)です。

 この作品もダビッド・ベー『大発作 てんかんをめぐる家族の物語』(2007年明石書店、監修:フレデリック・ボワレ、訳/グラフィック・アダプテーション:関澄かおる、3800円+税、amazonbk1)として邦訳され、日本語で読めるようになりました。

 著者の自伝マンガです。フランス人の著者は1959年生まれ、兄と妹にはさまれた三人兄妹のまんなか。子ども時代に兄がてんかんを発症し、以後、家族と病気との闘いが始まります。同時にその生活の中、著者の心情と成長、いかにマンガ家になっていったかが描かれます。

 この欧米で絶賛の作品、実をいいますと、わたしにとってはわかりにくい作品でして。その理由の大きな部分は、こちらの知識が足らないせいでもあります。

 著者の兄、ジャン=クリストフが発症したのが、1964年のこと。

 現在のてんかん治療の主流は、服薬による症状のコントロールです。もちろんこの半世紀、多数の新薬が開発されてきて治療の進歩があったのですが、当時もすでに、フェノバルビタール、フェニトイン、プリミドン、カルバマゼピンなど、現在も使用されている複数の薬剤があったはず。ですから、おそらく1960年代のフランスでも、まずは薬物の投与がなされたでしょう。

 しかし兄のてんかんは、どうやら薬剤によるコントロールが困難なタイプであったらしく、1969年脳外科医に手術をすすめられています。CTやMRIのない時代、気脳写(髄液内に空気を入れて脳の形をレントゲンで撮影する検査、今はもうしません)だけをたよりに手術していたのですから、今の目から見るとちょっとコワイっす。いくらその時代の最先端の手技でも、後世の目から見ると野蛮に見えてしまうのはしょうがないことですが。

 当時も現在以上に、手術に踏み切るのには相当な決心が必要だったでしょう。結局一家は手術を受けないことを選択します。

 で、そこから父母が変な方向に突き進んでいきます。一家がたよるのは、日本人・桜沢如一が提唱したマクロ・ビオティックと呼ばれる自然食運動、マッサージと針治療、共同体での生活、占い師と霊的磁力、コックリさんのような交霊術、スウェーデンボリ派の牧師と霊媒師、磁波をあやつる催眠術師、ホメオパシー医、古代神秘薔薇十字会、錬金術、ブードゥー教、ルルド巡礼、マルクーと呼ばれる治療師、世界じゅうの秘教を混交したアリカ研究所。

 こう書き写すとギャグに思えるかもしれませんが、ユーモアの要素はほとんどありません。暗く重いエピソードが続きます。

 病苦からカルトに向かうパターンというのは、洋の東西を問わずありうることですが、父母のオカルトおよびスピリチュアル方面への傾倒が、いくらそういう時代であった1970年前後のフランスだとしても、これはそうとうにヘンな行為だったと思います。ただわたしにそのころのフランスについての知識がないので、そう断言できないんですね。

 父母はけっこうなインテリなのにオカルト。というか、けっこうなインテリだからこそオカルト? 彼らが近代医療への絶望と不信からオカルトにたよったのか、あるいは彼らの行動は、もともとオカルト好きだったせいなのかもよくわからないのです。その必死さは献身的なのですが、愚かでおかしく、とても悲しい。

 そして主人公=著者の、兄に対する心情とマンガを描きたいという気持ちには、心に迫るものがあります。

 兄の病気を治したい、兄を救いたい、でも兄と病気は大嫌い。兄が発作を起こし倒れると、ケガをしないように助けなきゃならない。ひとびとの好奇や差別の目にさらされる。精神症状が強くなってゆく兄との会話は苦痛でしかありません。さらに父母のオカルト行為につきあわなければならない。そういう生活が、著者を創作に向かわせます。

ひたすら僕は何かを書き続けなければならなかった。兄の病に冒されないよう、絶えず何かしてなければならなかったのだ。

僕はすべてを語りたい。兄のてんかんのこと、医者のこと、マクロビオティックのこと、交霊術のこと、宗教指導者のこと、共同体のこと── でもどうやって描けばいいのか。それが分かるまで20年かかることをこの時の僕はまだ知らない。

 家族やその不幸といかにつきあうか、この点においてこの作品は普遍性を持ちます。人生はまさに闘いです。でもこのマンガ、読むのがつらすぎる。

 最後にタイトルの話。

 てんかんにおける「大発作」とは、厳密にいうと「大きな発作」の意味ではありません。てんかん症状の古典的分類に、フランス語のgrand mal(グラン・マル、大発作)と、petit mal(プチ・マル、小発作)という医学用語があります。ところが著者は“grand mal”という言葉を使用せず、“haut mal”という言葉を創造してタイトルにしました。英語に直訳すると“high evil”になります。これは著者のたくらみのひとつで、おそらく、兄のてんかんという病気が家族にとってある種の怪物であったという暗喩なのでしょうが、ここがすでに、日本人には難しい。

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August 05, 2007

誰もみな老いる

 ちょっと前の話ですが、先々週に夏休みをとって、神戸に行ってきました。

 異人館めぐりというのをしたことがなかったので、そのあたりの坂をはあはあ言いながら登ったり降りたりしてきました。何の予備知識もなく、最初に行った異人館が「ベンの家」というところ。

 はいってギャッと声を出すくらいびっくりした。狭い部屋にでっかい剥製が間近に壁から床からごろんごろんしておりまして、直立したでかいシロクマ、歯をむいた虎、鹿の首、象の足でできた椅子とかゴミ箱とか。ああいうのに慣れてないせいか、剥製というのが日本人にはアレなのか、いや度肝ぬかれましたねー。異人館めぐりに行かれるかたには一見をオススメします。

 神戸のメインは落語でして、桂米朝、ざこば、南光、吉弥という米朝一門の豪華メンバー。実は通常の落語会じゃなくて、ホテルのディナーショーというヤツです。

 ディナーショーというのに初めて行きましたが、一時間ぐらいかけて結婚式場のような広間でメシ食ったあと、別室に移って落語となります。

 吉弥が「時うどん」、南光が「義眼」。で、米朝はトリをとらずに「始末の極意」、トリのざこばが「子はかすがい」で人情ばなし。でね、米朝師匠ですが、現在82歳。腰椎圧迫骨折から復帰されて、いやどうも実にスリリングな落語でした。

 マクラで、ひとに笑われるような人間にだけはなるなと言われてきたのに今は落語家、というくすぐりを三回くりかえしたところでは、演出かな? という笑いがおきていたのですが、梅干しを見て出るすっぱいツバをおかずにするところが三回、八百屋が落とした菜っぱを拾って汁の実にするシーンが二回くりかえされたあたりで、観客みんな、この落語ホンマに終わるのかと、実にはらはらと手に汗をにぎりました。

 結局ちゃんとオチまでたどりつけましたが、太鼓もオチの言葉に重ねてドドンとはいっちゃいまして、いやー楽屋でもみんな心配してたんだなあ。観客は大拍手で、ざこばも落語というよりサーカスやね、なんて言ってました。もう82歳なんですから何でもありです。そこに座ってしゃべっててくれるだけで、ありがたやありがたや、みんなが拝むような存在になっておられますな。

 わたし子どものころ、米朝が怖くてね。これこども、なんていう商家を舞台にした落語なんか、米朝がしゃべるといっつもおこられてる気がして。だからコワくない松鶴のほうが好きだったのですが、自分が年とると米朝も好きになりました。

 落語家なら米朝のように、82歳まで現役であることも可能なのでしょう。ざこばも、60歳になったら、なんて話をしてます。ただし創作者となると、星新一が四苦八苦しながらショートショート1001話を書き上げたのが57歳ですが、それ以後は作家としては余生となってしまいました。

 老いはみんなにやってきます。老いると頭にも体にもいろいろ問題が出てきて、確かにそれなりに悲しいことではあるのですが、老いが来ないということは早世するということだから、それはそれで不幸だし。てなことを考えながら、家に帰るクルマのなかでは、CDで米朝の「本能寺」と「くっしゃみ講釈」を聞いてましたです。

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August 04, 2007

「世界のコミック大研究。」

 日本のマンガの歴史を書いた本は、先ごろ出版された清水勲『年表日本漫画史』(2007年臨川書店)などを含めて、最近もいろいろとあるわけですが、日本以外の国、世界のマンガ史が日本語で読める本は、ほとんどありません。

 って断言しちゃうとまずいのですが、一冊で歴史を過不足なく概観できる本といえば、須山計一『漫画博物誌 世界編』(1972年番町書房)、ジェラール・ブランシャール『劇画の歴史』(1974年河出書房新社)ぐらいしか思いうかびません。でも二冊とも、古書としてもあまり出回ってないようですので、図書館で読むしかない本です。もしほかにありましたら、ぜひとも教えていただきたいです。

 あとはもう洋書に頼るしかなくて、この点をとっても日本のマンガ研究がいかに遅れてるかの証拠みたいなものです。いやわたしは別に研究者でも何でもないので、だからどうだというわけではないのですが、日本マンガがあまりにおもしろいものだから日本人はそっちにばっかり目が向いてるし、英語文献が読めない(←わたしもそうなのですが)、読もうとしない、という文化鎖国みたいなところがありますからねえ。日本がマンガ・アニメ立国をめざすなら、世界の状況も知っておきたいでしょ。

 で、世界のマンガ史を知るのに、ケッコウな雑誌が出ました。阪急コミュニケーションズが発行している月二回刊の雑誌『pen』2007年8/15号(税込500円、amazon)です。

 雑誌のサイトはこちら

 今回の特集が『「Manga」の原点を探して、世界のコミック大研究。』で、19世紀から現在までの欧米のマンガの歴史が簡単にわかるように書かれてます。しかもカラーページはきれいですし、500円とお安い値段で、オススメ。

 いい特集なので、ちょっとだけ不満を。

 コママンガの祖と言われる19世紀のスイス人、「Rodolphe Töpffer」という人物がいます。彼についてわたしが以前に書いた記事はコレ

 このひとの名前、ウムラウトと「pf」と「er」、と発音しにくいのがそろってるので、日本語ではこれまでいろいろと表記されてきました。

 ロドルフ・テプフェール、ロドルフ・テプファー、ルドルフ・テプフェル、ルドルフ・テファー、ロドルフ・トプファー。ああややこしい。

 でもって、今回この雑誌でさらに新しい表記が。ロドルフ・トッフェール。

 ああもう、たのむから新しい読み方を発明しないでくださいよー。

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August 03, 2007

SFとマンガ

 五月に買ったままで積ん読になってた、最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(2007年新潮社、2300円+税、amazonbk1)をやっと読み出して、これけっこうぶ厚い本なのですが三日間かけて読了。すでにあちこちで評判の作品ですし、賞もとりました。徹底的な取材にもとづいて書かれた、本格的な評伝です。

 だれもがみんな、星新一を読んだことがあるはずなのですが、星新一作品をSFと思って読んでるひとはむしろ少数になってしまったのでしょう。すでにあれは、「星新一」というジャンルなのです。

 「星新一」というワンアンドオンリーのジャンルを確立した作家の、栄光と挫折、成功と不幸が圧倒的にせまってくる作品。とくに晩年の星新一についての記述は初めて読むことばかり、しかも著者の指摘がいちいちきびしくて。

 ただ、わたしはどうしてもマンガに近づけて読んでしまうたちなので、とくに興味があったのは次のあたり。

     ◆

 ひとつはSFマガジン初代編集長・福島正実から二代目森優へのバトンタッチ。1969年のことです。

 著者によると、新編集長・森優は、「雑誌の傾向をこれまでの文学SF路線から、スペースオペラ(宇宙活劇)やヒロイック・ファンタジイと呼ばれる大衆SF路線へと大きく方向転換しようとしていた」そうです。

 福島正実編集長時代のSFマガジンが、創刊1960年から1969年8月号まで。この約10年間に掲載されたマンガは、石森章太郎「迷子」8回連載と、短編「21世紀氏」。あと手塚治虫「SF Fancy Free」が不定期に12回連載されました。手塚の連載が終わった1964年4月から後は、水野良太郎/広瀬正の短編が一本掲載されただけでした。

 少なくとも福島正実が考えるSFには、マンガはあまり含まれてなかったようです。

 ところが森優時代になると、1969年9月号より石森章太郎「7P」の連載開始。1971年3月号から手塚治虫「鳥人大系」の連載開始。1971年11月号からは、石森章太郎/平井和正「新・幻魔大戦」も始まって、マンガ連載が二本体制になりました。小野耕世のコラム「SFコミックスの世界」(のち『バットマンになりたい』のタイトルで1974年単行本化)が始まったのも1971年。

 その他にも松本零士や藤子不二雄、永井豪、山上たつひこらも次々にSFマガジンに登場しました。文芸誌に、おとなマンガじゃないマンガ、しかも活劇とはちょっと違うSFマンガが載ってるわけで、なにかオッシャレーな感じがしましたね。1970年前後、マンガ表現が一気に進歩したとき、SFマガジンもマンガを取り入れるようになったわけです。

 そしてハヤカワSF文庫の創刊も1970年でした。

 わたしは現在のラノベのフォーマットは、ハヤカワのSF文庫に始まるんじゃないかと思ってます。カバーイラストに藤子不二雄や松本零士を起用、カラーの口絵とモノクロの挿絵つき。作品のセレクションも、スペースオペラが中心。第一作がエドモンド・ハミルトンのスターウルフでしたからねえ。

     ◆

 もいっこは、星新一と手塚治虫を比較した部分。

 ショートショート1001話を書ききった星新一。死ぬまでマンガを描き続けた手塚治虫。

手塚本人は、新一が書くように、大衆につくすことを「生きる楽しみ」と感じていたかどうかはわからない。反対に、新一が、手塚のいうように、今が辛いならやめればいいときっぱりとわりきっていたとも思えない。むしろ二人とも似たり寄ったりで、辛い、苦しい、けれど、そうせざるをえない葛藤の日々を過ごしていたというのが真相ではないだろうか。

 辛い、苦しい、葛藤、それでも書き続けるのが創作者なのでしょうか。

 星新一は晩年、古い言い回しや時代風俗を極力排除するため、自分の旧作に手を入れ続けました。そして同様に手塚治虫も、自作が出版されるたびに描き直しを続けました。

消耗品にはならない。なりたくない。それは、ひとたび多くの読者を持ち、自分の作品の多大なる影響力にうち震えた経験をもつ作家の背中に取り憑いた妄執でもあった。

 わたしは、著者のように手塚や星の行為を「妄執」とまで言い切る勇気はありませんが、これもひとつの見方でしょう。

 手塚治虫が描き直すことで、作品は古い絵と新しい絵が混在する、ヘンなものとなってしまいました。手塚治虫『ジャングル大帝』は、確かに傑作でありますが、現在読める『ジャングル大帝』は絵のタッチに一貫性のない、きわめて珍奇な作品でもあるのです。

 とまあ、マンガ方面からもいろいろ考えさせられる本でした。

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August 01, 2007

これは盗作とちゃうんかいっ・解脱篇

 唐沢俊一氏による『新・UFO入門』ブログ記事盗用事件を発見してから二か月、悩ましい日々が続いてきました。

 胃が痛い、頭痛がする、原因もなしに動悸がする冷や汗が出る、朝早く目が覚める、顔や体にフキデモノが出る、食欲は減る。そのわりに体重は減らないんだよねえ。

 いつかはこの体調不良を打破しなければならないとは思っていたのですが、交渉も決裂しちゃったし、今後もずっと唐沢俊一氏と幻冬舎はわたしを悩ませ続けるでしょうし。

 どうしたものだろうと考えておりましたところ、ふと思い出したのが、川崎のぼる/梶原一騎『巨人の星』のあの言葉。

 飛雄馬が速球投手としての将来に絶望し、鎌倉の寺で座禅を組んでいたときの僧侶の講話です。

打たれまい
打たれまいと
こりかたまった
姿勢ほど
もろいものはない
打たれてけっこう
いや もう一歩
進んで
打ってもらおう

 この心境を得たとき、悩み苦しむ人生の森の迷路で、道が開けるでしょう、と続きます。飛雄馬はこの言葉をきっかけに、大リーグボール一号を開発することになります。

 そうか、乗りこえるべき壁は、むしろ自分の内部にあったか。

盗作されてけっこう
いや もう一歩
進んで
盗作してもらおう

 これぞ解脱への道か。この境地にいたってこそ、わたしの体調不良も治るのかもしれません。

 南無大師遍照金剛。


**********

 と言いながら、ひとつだけ。

 本日、唐沢氏のサイトに「『新・UFO入門』 交渉の経緯について 『漫棚通信氏との交渉についてご報告』」という文章が掲載されました。その文章に書かれた、

当方からの、“本件に関するやり取りの具体的内容は締結まで非公開としていただきたい”とのお願い

は、されたことがありませんからね。


●6/27 幻冬舎からのメール

本件に関する一切の交渉経緯は非公開とする。

●7/1 幻冬舎からのメール

仮に、漫棚通信様におかれまして、本件交渉経緯の非公開を含めた合意書の作成につきご了承頂けないということであれば、弊社及び唐沢さんといたしましては、当初提示申し上げた解決案のみを履行させて頂くこととなります。

●7/9 幻冬舎からのメール

当社及び唐沢さんといたしましては、本件に係る交渉の具体的内容および経緯を公開されることは本意ではございません。

●7/12 幻冬舎からのメール

「本件交渉経緯の非公開を含めた合意書の作成」との提案については取り下げます。

●7/24 幻冬舎からのメール

やはり今回の交渉経緯及び当方からご提案した対応策の内容等については、非公開とすることにご同意いただきたいと思います。(中略)

なお、漫棚通信様において非公開に同意頂けず、本件にかかる交渉経緯等を公表された場合、公表された内容につき、事実又は弊社側の認識と相違している内容等があった場合、若しくは漫棚通信様において、弊社側より送信した通知内容をそのまま若しくは翻案してご使用した場合、弊社側としましては、これに対して反論し、又は法的措置をとることもありますので、ご了承下さい。


 いずれの文章でも、唐沢俊一氏および幻冬舎から提出されたのは、「締結まで非公開」ではなくて、「永遠に非公開」の提案でありますので、その点、ウソついちゃいけませんよ。

 ああ、解脱できないなあ。


※次回に続きます。

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