コリガン家の男たち
クリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版 VOL.1』(2007年プレスポップ・ギャラリー、翻訳・山下奏平/中沢俊介/伯井真紀、2300円+税、amazon、bk1)はちょっとスゴイ、というお話。
原著は1995年から描き始められ、一冊にまとまったのが2000年。アメリカのオルタナティブ系のマンガです。英語版では380ページほどの本なのですが、今回発売された日本語版は、三巻にわけたうちの第一巻104ページ。オールカラーでハードカバー、表紙は金箔押しの型押しのエンボス加工と豪華なものになってます。
アマゾンやプレスポップ・ギャラリーに飛びますと、内容の一部が見られます。直線が多くコントラストがはっきりした絵ですね。カラリングが美しい。
原題は『Jimmy Corrigan: The Smartest Kid on Earth』です。主人公のジミーは髪の毛が薄く、腹の出たさえないオッサン。40歳はこえてるよなあと思って読んでたのですが、解説によると30代半ば。
ジミーは独身でひとり暮らし。母親は老人ホームに入っていますが、いつまでも子離れができず、毎日息子の家や職場に電話をしてきます。ジミーは内気でガールフレンドもおらず、寂しい毎日。
そのジミーのところに航空券が送られてきます。顔も知らない父親が、彼に会いたいと言ってきたのです。ジミーが飛行機に乗って出かけ、父の家に泊まった翌日、不幸にも交通事故に合ってしまうところで一巻は終了。
と、ストーリーを要約しても、このマンガを紹介したことにはなりません。
マンガが始まる前にまえがきがありますが、これがまたすごく細かい字で大量に書いてあるものだから、読むのがさあたいへん。しかも、「女性はこのマンガ読まなくていい」とかも書いてあるし、こんな設問もあります。
女性かつ/または魅力的な人物の存在は、あなたを a.変な気分にさせる b.恐怖におとしいれる c.こわがらせる d.絶望させる e.死にたくさせる
つまり、作者はそう言う気分になってしまう連中を読者として想定してます。おそらくそれは作者自身のことでもあります。作者も、読者も、主人公も、みんなジミー・コリガン。
オープニングは地球の遠景から。ところが、この地球、自転軸が変です。ヨーロッパあたりが北極で、横に寝た地球。
ゾートロープと言われる、スリットからのぞくと絵が動く、アニメーションの元祖となるオモチャがありますが、この本にはゾートロープのペーパークラフトとしてのつくりかたも描いてあります。でもその説明を読んでいると、最後には自分を捨てた父親への恨み言になってしまっている。
ジミーは内気なのですが、頭の中は妄想でいっぱい。会社の同僚女性と仲良くする、豪華なヨットでひと泳ぎ、自分になびかない女性をかっこよくソデにする、あたりはまだかわいいもの。暴力的な父親から逃げ出したり、逆に父親を刺し殺したり、という夢やら妄想やらになりますと、ずいぶん不穏です。しかも妄想や夢と現実がシームレスにつながってるので、主人公のジミーも、そして読者も混乱してしまうことになります。
物語のあちこちにスーパーマンが登場しますが、このスーパーマン、「Superman」のパロディとしてつくられた「Super-Man」です。マスクをつけてるのが大きな違い。
最初はジミーの子ども時代、母親の一夜の恋人としてスーパーマン役の芸人が登場。次にビルの屋上からスーパーマンのコスチュームを着た男が飛び降り自殺をします。さらには妄想の中で、スーパーマンがまだ生まれてもないジミーの息子を(文字どおり)バラバラにしてしまいます。
どうですか、このひたすらやーな感じの物語。これがポップで美しい絵で語られるわけです。
さらに話は突然、1893年のシカゴに飛び、ジミーのひいじいちゃんのウィリアム・コリガン(47歳)と幼い息子(ジミーのじいちゃんですな)が登場します。ここで描かれる百年前のシカゴのビルは、現代でスーパーマンが自殺したのと同じビルです。ひいじいちゃんは息子をずいぶん邪険に扱ってて、この作品が、過去から現在に至る大河的な父と子の物語であることがわかります。実は作者のクリス・ウェア自身も、父親とは長いこと会ったことなかったらしいです。
この本、巻末に奥付がありません。で、どこにあるかといいますと、17ページあたりにひょっこりあったりします。作品として大きな構成を持ち、しかも細部に凝りまくったデザイン。早く続編が読みたいっ。でもこの作者、ずいぶん完璧主義者らしく、日本語版のカバーアートも時間かかってるみたいですから、次はいつ発売されるやら。ここは英語版を買っちゃったほうが早いかもしんない。
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