« June 2007 | Main | August 2007 »

July 27, 2007

これは盗作とちゃうんかいっ・決裂篇

この文章は以下の記事の続きです。
これは盗作とちゃうんかいっ
続・これは盗作とちゃうんかいっ
新・これは盗作とちゃうんかいっ
これは盗作とちゃうんかいっ・途中経過
これは盗作とちゃうんかいっ・途中経過2
これは盗作とちゃうんかいっ・だらだら篇
これは盗作とちゃうんかいっ・無断引用篇
これは盗作とちゃうんかいっ・これは困った篇


 お騒がせしております。

 『新・UFO入門』ブログ記事盗用事件に関する、わたしと唐沢俊一氏および幻冬舎との交渉は、決裂いたしました。

 もう少しで合意できそうな気もしていたのですが、甘かった。最後の最後になって、唐沢俊一氏と幻冬舎は、これまで互いに同意できていた重要項目をチャラにする要求をしてきました。

     ◆

 わたしの最初の意図とは違いましたが、二か月にわたる交渉の結果、ほぼ同意できていた主要な部分は以下のとおりです。

(1)『新・UFO入門』の幻冬舎社内在庫分の断裁。

(2)問題部分を書き直した版を至急作成し、刊行する。差し替え部分については漫棚通信の確認、了解を取る。

(3)書き直された『新・UFO入門』にその理由文を付記する。

 (1)(2)はわたしからの要求というより、唐沢俊一氏からの提案でした。いわゆる「絶版・回収」については話に出たこともありません。ま、断裁とか言われてもホントになされたかどうか、わたしに確認できることでもありませんが。この部分的書き直しというのはあまり聞かない方法ですが、田口ランディ事件のときもそうでしたし、盗用事件が起きたときの幻冬舎お得意のパターンみたいですね。

 ただしこの部分の交渉中も、突然、書き直した版を刊行するかどうかは最終解決がなされたあとで検討する、とか言いだされちゃって、これには驚いた。そうなると、書籍そのものには何のアクションをおこさないかもねー、と言ってるのと同じでしょう。

 さらに最初のうち唐沢俊一氏と幻冬舎は、書籍には謝罪や理由を書いた文章を付記しない、という主張をされてました。おーい、それでは唐沢氏が6月5日にネットに掲載した

当該の記述部分に関しては増刷以降削除または上記の内容を付記させていただき

という文章と一致しないじゃないですか。

 その後、ごちゃごちゃあって、最終的には(1)(2)(3)についてはほぼ同意でき、書籍へ付記する文章の文案もできあがっていました。

     ◆

(4)ネット上に謝罪文を掲載する。期間は六か月。

 わたしは、現在唐沢氏のサイトにある「※ご報告(6/5)」は、謝罪文ではなく読者へのお知らせと考えています。しかも、消そうと思えばいつでも削除できる文章。

 実は最初に「これは盗作とちゃうんかいっ」という記事を書いたとき、まだまだ先がどうなるか、自分でもよくわかってませんでした。イキオイだけで突っ走った文章です。

 わたしが腹をくくってきっちり交渉しようと決心したのは、6月5日に、(1)唐沢俊一氏からの最初のメール、(2)唐沢氏のサイトに書かれた「※ご報告(6/5)」、そして(3)裏モノ日記2007年6月4日の記述(これは早くも6月5日のうちにアップされました)を読んでからです。

 わたしあてへのメールには、「大いに参考にして」「大変似通った文章で表現」と書かれ、「※ご報告(6/5)」にも「大いに参考」「非常な類似」という表現が見られました。さらに裏モノ日記には「確かにあのサイトは参考にしている」「つい文章に、コピーと取られる類似性を持っていた」という記述が。

 ふーんそうか、コピペすなわち参考と類似か。ここがどうしても納得できなくて。裏モノ日記にあるとおり「原稿チェックを怠っていたのが原因」というからには、あくまで不注意によるミスであったということですね。謝ってんだか言い訳なんだか。

 そこで、今回の交渉でわたしの最大の目標がこの部分になりました。「参考」や「類似」という言葉ではない、きちんとした謝罪文の公表。

 ところがこの項目についても、途中で、謝罪文は非公開を条件に誠意を持って対応する、とか言われちゃって、このときはよっぽどちゃぶ台ひっくり返してやろうかと思いました。

 隣の家のおばちゃんと、ゴミ出しのやり方でもめてんじゃないぞっ。ネット上に公開された文章が、一般に販売されている書物に盗用された問題についての話し合いであります。非公開の謝罪文になんの意味があるのか。こんなものに「誠意」の言葉を使うとは。

 だいたい謝罪文を非公開にするなんてのも、唐沢俊一氏が最初に提案したこととまったく異なる主張であります。ほんとにもう。

 その後、唐沢俊一氏と幻冬舎は非公開の主張を引っ込めましたけどね。どうしてこういう発言が途中で出てくるのかしら。

 掲載期間については、唐沢氏および幻冬舎側が「弁護士と相談して」一か月を主張。わたしは一年を希望して、その次にアチラが三か月、ときて結局六か月に落ち着きました。何か、屋台で買い物してるようなやりとりですが。

 この謝罪文の文面も、できあがってたんですけどねえ。

     ◆

(5)漫棚通信に対する文書による謝罪文の提出。

 ま、これはふつうだと思います。

(6)漫棚通信は慰謝料の請求をおこなわない。

 唐沢俊一氏と幻冬舎が最初に提示した慰謝料の金額は、20万円でした。

 金額が妥当なものなのかどうか、わたしには知識がなくてよくわかりません。でも、なーんかしょぼいような気がしたのと、金額の交渉なんかしてたらいつ終わるかわかんないと思って、いらへんわいっとやせがまんしてみました。ちょっと惜しかったかな。

     ◆

 いちばんもめたのが、この項目。

(7)漫棚通信は、交渉の経過と内容を公開しない。

 つまりは、わたしが今ここに書いてるような文章を書くな、ということですね。

 交渉を開始したときから、交渉経過と内容の非公開なんて条件は聞いてません。ところが、最終段階になってアチラから、非公開に同意する合意書に署名しろとせまってきました。きっと、盗用事件の交渉はいつも非公開、なんて慣習が、唐沢氏と幻冬舎にはあるのでしょう。

 でもねー、最初にまずネット上で盗作の指摘をしたわたしが、そのオチを公表しないはずがありましょうか。わたしは、交渉が合意で終わろうが決裂しようが、どっちにしても交渉経過はネット上に書くかんね、交渉は合意できた方がお互いにいいんじゃないすか、と主張を続けました。

 途中で唐沢俊一氏と幻冬舎の主張は、交渉経過を公表するつもりなら、「固有名詞」と「交渉の具体的な諸条件のやりとり」を出さないように、と変化したこともありました。

 しかしそれもやっと、唐沢俊一氏と幻冬舎も「本件交渉経緯の非公開を含めた合意書の作成」の提案を取り下げ、交渉経過と内容の公開に同意してくれました(というより、漫棚通信に対して非公開を求めない、という表現のほうが正しいのかな)。

     ◆

 と思っていたのが、7月13日ごろのこと。

 ところが、その後ずっと連絡がなく、7月24日になって送られてきた幻冬舎担当者Y氏からのメールに腰が抜けました。

(1)やっぱ交渉経過は非公開にするように。
(2)それに同意できなければ、交渉は打ち切って、「当初弊社がご提案させていただいた」解決案だけを勝手に実行しちゃうからね。
(3)慰謝料は払ってもいいよ。
(4)ネット上の謝罪文の掲載期間は、こっちで決めさせてもらうからね。

 六か月という合意はどうしたっ。なぜ慰謝料の話なんか蒸し返す。交渉で同意できたもろもろをひっくり返しちゃって、これまでの時間と労力はいったい何だったんだよ。

 唐沢俊一氏と幻冬舎の意図は、

これまで合意できていた部分をひっくり返す。
→わたしが同意できないことを再度提案。
→交渉打ち切り。
→自分たちに有利な部分だけを履行。

というものであることはわかってるのですが、それに加えてわたしがキレたのが、このあとに書かれた部分でした。以下、わたしが幻冬舎Y氏に送った最後のメールの一部です。

「なお、漫棚通信様において非公開に同意頂けず、本件にかかる交渉経緯等を公表された場合、公表された内容につき、事実又は弊社側の認識と相違している内容等があった場合、若しくは漫棚通信様において、弊社側より送信した通知内容をそのまま若しくは翻案してご使用した場合、弊社側としましては、これに対して反論し、又は法的措置をとることもありますので、ご了承下さい」

Y○様は上記のように書かれ、再度わたしに交渉経過の非公開を求めておられますが、Y○様の7/12のメールで、「本件交渉経緯の非公開を含めた合意書の作成」の提案については取り下げていただいたはずです。それはすなわち、交渉経緯の非公開をわたしに求めないことについて、同意いただいたという理解をしておりました。そこに突然の「法的措置」の文言には驚きました。

 盗用事件の加害者が、被害者に対して「法的措置」をちらつかせるとは。

 現在、わたしがここに書いているこの文章そのものが、唐沢俊一氏および幻冬舎の「法的措置」の対象になっているということです。これはもう円満解決をめざしている文章とは考えられません。

 唐沢俊一氏および幻冬舎は、合意できていたことを簡単にひるがえして同じところをどうどうめぐりするばかり。さらには自分たちの意に染まない発言は、「法的措置」で押さえ込もうとする。これでは、これ以上メールで交渉を続けても得るものはないと判断しました。

 わたしは、メールでの交渉継続断念を伝え、これまでの交渉でのわたしの同意をすべて撤回しました。今後、唐沢俊一氏および幻冬舎のおこすアクションはすべて、わたしの意思に反しておこなわれることであります。

 おそらく、唐沢俊一氏と幻冬舎はテキトーな謝罪文をちょっとの間だけアップして、あとは知らんぷりするつもりなのでしょうが、もしそれがなされたとしても、わたしの同意を得たものではありません。

 現在もなお、唐沢俊一氏と幻冬舎はわたしの権利を侵害し続けています。二か月かかってこれか。すべては徒労でした。はー。


※次回に続きます。

| | TrackBack (10)

July 23, 2007

最終童貞降臨

 いやー、笑った笑った。大和田秀樹『ドスペラード』(2007年秋田書店、552円+税、amazonbk1)であります。

 魔法が支配する世界。国境の街ブックロウでは、ふたつの魔法使いギルドが勢力争いをしていた。そのひとつ、聖竜会のボスが暗殺され、抗争の火の手があがる。そこに帰ってきた伝説の魔法使い、エイジ。彼の魔法にはある秘密が隠されていた! 『仁義なき戦い』のテーマ曲を思い浮かべながらお読みください。

 表紙イラストの「萌えです」とか言ってるお兄ちゃんが着ているのは、メイド服です。その理由は、読んでからのお楽しみ。異世界魔法ファンタジー+任侠モノ。そこに萌えとメイド服と「童貞」をぶちこんで、このごった煮から発生するテンションの高さの持続はすごい。

 その後、「最終童貞」(オビによると「=ファイナルファンタジー」)が降臨するに及んでは、読者の想像のはるか上。さらに萌えの神として登場するのは、なんと、あのお方であります。

 このマンガにおける「萌え」は、「童貞男子の、人間以外のモノに対する性的関連づけ妄想」のようです。そして妄想力が高い方が勝ち、という考え方は、徳光康之『濃爆おたく先生』などのシリーズに通じます。

 「萌え」も勝負の手段に。でもその後、主人公が解脱への道へ向かうかと思えば、ラストで男は再度、迷いの道に戻るのです。いやー、深い(かもしれない)。

 惜しむらくは、連載打ち切りらしくて、この巻でお話が終了しちゃってるところ。連載時は第一部完の形だったそうです。単行本が売れたら第二部開始だそうですから、ここは大プッシュ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 19, 2007

キャラが演じるキャラクター

 手塚治虫のスター・システムというのがありまして。

 ぼくが読者に試みたサービスのひとつに、スター・システムがある。
 ぼくは、芝居に凝っていたので、ぼくの作品に出てくる登場人物を、いっさい劇団員のように扱って、いろいろ違った役で多くの作品に登場させた。メイキャップもその都度かえさせ、善玉がたまに悪玉の役をやったり、いろいろ演技のクセなども考えた。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』新版、1979年)

 たとえば、初期の手塚作品の主人公は、きまってケン一くんとヒゲオヤジのコンビでした。役名は「ケン一」と「ヒゲオヤジ」と同じであっても、別の作品で別のキャラクターを「演じて」いました。『鉄腕アトム』ではふたりとも脇に回ってましたね。

 アセチレン・ランプやハムエッグは、多数の作品に登場して悪役を演じています。ロック・ホームは『ロック冒険記』などで主役をはってましたが、『バンパイヤ』で悪役に転じ、これは手塚自身も「当たり役」であったというくらい。そして『ブラック・ジャック』は、手塚キャラ総出演というのが評判になった作品でした。

 手塚治虫以外でこのようなことをしていたのは、たとえば、石森章太郎。『サイボーグ009』の004は、髪の毛を剃って丸坊主になり、『佐武と市捕物控』の「市やん」になりました。

 水木しげるも、複数の作品に同じキャラを登場させてますね。有名なのはメガネで出っ歯、四角い顔のキャラ。桜井昌一がモデルだと言われてます。

 白土三平も、丸鼻で長髪の少年キャラを複数の作品で使用。風魔小太郎の変装した姿だったり、西部劇に出演して『死神少年キム』となったり。

 藤子不二雄はどうだったかな。ゴンスケというロボットが複数の作品に登場しましたが、あれは、どの作品でもゴンスケそのものですから、「演じて」たわけじゃないか。

 赤塚不二夫『おそ松くん』では、ときどき時代劇なんかがあって、チビ太が若殿さま、イヤミが浪人なんかになってました。おそ松くん劇団総出演、みたいな感じで時代劇を「演じて」たわけですが、これは『おそ松くん』という作品内の話ですから、厳密には違います。ただし、読者は役者としてのチビ太を意識しながら、チビ太が演じる若殿さまを見てたんじゃないでしょうか。

 もちろん日本作品以外でも同じようなことをしてまして、アニメ『トムとジェリー』で、トムとジェリーが三銃士のような時代劇=コスチュームプレイをする話がありました。ディズニーでも、ミッキーが『ジャックと豆の木』のジャックを「演じて」ます。

 わたしたちがディズニーランドで等身大のでかいミッキーに出会ったあとで、ミッキーの登場するアニメを見ますと、ミッキー・マウスという役者がアニメ内でミッキーというキャラクターを演じているように感じてしまいます。エレクトリカルパレードは、アニメキャラクターを演じている役者さんの、もうひとつの姿を眺める感じ?

 伊藤剛氏によるキャラ/キャラクター論とはずれるかもしれませんが、役者としてのキャラがフィクション内のキャラクターを「演じる」ことを、読者/観客は無意識のうちに受け入れているのかもしれません。

 このシステムはギャグ系と親和性が高く、とり・みきの諸作品にはご存じのキャラばかり登場してます。吾妻ひでおの、ナハハとかブキミも複数の作品で見られます。いしかわじゅんも、そうだなー、山道山とかあちこちで見かけてたような。

 CLAMP作品でも同じキャラが複数の作品に登場しますが、あれはパラレルワールドでつながってる設定らしいから、ちょっと違うか。

 あとがきマンガは役者としてのキャラが登場しやすいようです。矢沢あい『NANA』のあとがきマンガでは、NANAのキャラたちが酒場で働いたりしてますし、ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』のあとがきマンガは、これはもうモロに、役者としてのキャラたちが、ゆうきまさみ監督のもとで「バーディー」という映画を撮っているという設定。

 で、最近おどろいたのが、武富健治『屋根の上の魔女 武富健治作品集』(2007年ジャイブ)の自作解説で、自作の「面食いショウの孤独」と「屋根の上の魔女」についてこう語っていたこと。

主人公はわがスターダムシステムでの立役者、鈴木章。鈴木先生役と同じ役者です。

これも鈴木章主演。いつも漫画家としての状況がワンステップ上がるときは彼のお世話になっていますね。

 なんと武富健治も、手塚流スター・システムの利用者だったとは。

 鈴木先生も、作者の頭の中では、「鈴木先生」という役を演じている役者キャラであったのですね。手塚治虫も武富健治も演劇やってたという共通点があるし。

| | Comments (15) | TrackBack (0)

July 18, 2007

これは盗作とちゃうんかいっ・これは困った篇

前回からの続きです)

 『新・UFO入門』がわたしのブログから文章を盗用した事件につきまして、唐沢俊一氏および幻冬舎との交渉は継続中、のはずです。しかし、先週7/12(木)に幻冬舎担当者Y氏よりメールをいただき、翌7/13(金)にわたしからメールを送った以後は、メールをいただいておりません。

 連休もありましたし、しょうがないのかなあと思っておりましたところ、このような事件があったというじゃないですか。

日垣隆のシャラップ!である:日垣隆の盗作事件を検証する

 日垣隆『すぐに稼げる文章術』(2006年幻冬舎新書)の文章に、山内志朗『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(2001年平凡社新書)からの盗用があったという、大石英司氏による指摘です。

 きゃー、幻冬舎新書としては、同時期にふたつの盗用事件です。

 あっちは平凡社新書から幻冬舎新書への盗用事件ですし、盗用された著者は大学教授。わたしのようなちんぴらブロガーからの盗用とは違い、出版社どうしの話し合いになるのでしょう。

 となると、当然わたしの事件は後回しになるのかな。もしかして日垣隆事件と連動してしまうとすると、今までの交渉もなかったことになっちゃうかもしんない。これはちょっと困った。

 幻冬舎Yさーん。幻冬舎内部は混乱してるとは思いますが、早めにご連絡いただけませんでしょうかー。


※次回に続きます。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 17, 2007

これは盗作とちゃうんかいっ・無断引用篇

前回からの続きです)

 「無断引用」という奇妙な表現を、あいかわらずあちこちで見かけます。

 論文を書いたことがあるかたはご存じでしょうが、「引用」は本来無断でするものですし、正当な行為です。

著作権法第三十二条 
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

 ただし、正しい引用には、いくつかの条件があります。とりあえずWikipediaはてなにリンクしておきます。

 「引用の必然性」「主従の関係」「引用部分の区別」「出所の明示」などが挙げられてますね。そして著作権法第二十条にあるように、同一性保持権というのもあります。引用者は変更、切除その他の改変をしちゃいけない。

 「無断引用を禁ず」という言い方はヘンで、目的と方法が正当であれば「無断」に「引用」することを禁じることはできません。ここは、「無断転載を禁ず」という文章のほうが適しているでしょうか。でも、「無断転載」そのものが著作権法違反で犯罪なのですから、あらためて「無断転載禁止」って書くのは、ドロボウしたらあかんよ、という注意書き以上のものではありません。

 この「著作物の引用」が、文章だけじゃなくてマンガの絵にも及ぶかどうかが争われたのが、上杉聰対小林よしのり裁判でした。この結果最高裁により、マンガの絵も著作物として引用が可能であると判断されたのはみなさんご存じのとおり。

 さて、「無断引用」というまちがった言葉がいつごろから使われ出したのかというと、大月隆寛編『田口ランディその「盗作=万引き」の研究』(2002年鹿砦社)に収録されている、栗原裕一郎『「盗作」はいかに報じられてきたか』によりますと、起源はどうも新聞らしい。

 1972年、丹羽文雄のエッセイ『親鸞の再発見』と小説『蓮如』に、他の人物の著作からの無断使用事件が朝日新聞で報じられたとき、「丹羽氏の“無断引用”で論争」と題されたそうです。


(注:栗原裕一郎氏のブログよりトラックバックをいただきまして、修正します。「無断引用」にはさらに古い例があったそうです。すでに1968年の五味康祐の盗用事件報道で使用されていたと。ご教授ありがとうございました。くわしくはこちらをご覧ください↓。2007/7/18記)
おまえにハートブレイク☆オーバードライブ:「無断引用」という面妖な表現はいつ使われだしたか


 で、ここからKS氏の話になるのですが、って、さすがに固有名詞を出さないようにという提案は取り下げてもらったようなので名前を出します、唐沢俊一氏の話になるのですが、『新・UFO入門』でわたしのブログから文章を盗用した事件を報じた「週刊新潮」2007年6月21日号のインタビューで、唐沢氏は以下のように語っています。

「通常は、内容紹介の文が過剰な引用にならないようチェックしていますが、私のミスでその作業を怠った。最後に参考文献や資料などの一覧を付けるのも忘れてしまいました。無断引用したということについては全面的に認めています」

 この段階では、わたしにも唐沢俊一氏が「無断引用」なんて奇妙な言葉を使うとは思えなかったので、これは記事をまとめた記者が勘違いして書いたんだろうと思ってました。

 ところが、「社会派くんがゆく!RETURNS」の「Vol. 66 自分じゃなくても」を読んでおりましたところ、、唐沢俊一氏はこのように発言されていました。

唐沢●そういえばオレもよくブログなんかで「……と、唐沢俊一が言っていた」とか、自分が言ってもいない発言を無断引用されたりしてる(笑)。別にこれは自己弁護しているわけじゃないけど、それを俺は楽しんでいるよ。

 だからー、無断引用なんて言葉はないって言ってるでしょ。これも、もしかしたらテープ起こしの編集者のマチガイかもしれないのですが。

 ところが、さかのぼって「裏モノ日記」2005年8月30日の日記にもこういう記述が。

私も『雑学授業』ではネットでの説を無意識に無断で引用したりしている可能性がある。必ずさらにつっこんで調べて、オリジナルに近いところまで持っていってはいるが、自省しないといけないことだろう。

 ここにも「無断引用」が。

 これらを読むと、唐沢俊一氏は週刊新潮のインタビューで主張されたように、今回の唐沢氏の行為を今でも「無断引用」と思われているのかもしれません。わたしとしては、ここであらためて、今回の事件は「引用」の問題ではない、と主張しておきます。


※次回に続きます。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

July 16, 2007

考証というほどじゃなくても

 福島鉄平『サムライうさぎ』1巻(2007年集英社、390円+税、amazonbk1)について。

 週刊少年ジャンプ連載の時代劇マンガであります。主人公が妻をしあわせにするために行動する、という藤沢周平みたいなところが、少年マンガっぽくなくて評判になってるらしい。

 しかし、このマンガ、読むのがきついっす。

 時代劇にはいろいろとお約束があって、読者はすでにそれを知っている。わたしたちがこれまでに享受してきたいろんな時代劇、小説・映画・テレビ・マンガ、あと芝居・落語・講談などから、知らず知らずに教えてもらってきたことがいっぱいあります。今だってふつうにテレビで時代劇やってんだしね。

 『サムライうさぎ』の冒頭第1ページ。「江戸城下」とキャプションがあります。だったらこのお城は江戸城だよね。で、御家人の主人公が「城の仕事」に通ってるのは、江戸城。そしてそのあたりの街並みは、あの世界に冠たる大都会、江戸です。主人公が通う「城下でも名門の」道場は、この場合、城下とは江戸城下ですから、まさに超有名道場……

 ごめんなさい、江戸にも江戸城にも見えません。

 主人公の父と兄はそれぞれ切腹を命じられていますが、なぜ、主人公はそのまま家を継げているのか。「城で開かれる」剣術の試合は、老中なども見に来る大きな試合ですが、江戸城でこんなことしてたのか。主人公には公務というものがあるはずなんですから、それをほったらかしといて、剣術の道場なんか開けるのか。

 すでに読者の血肉となってしまってる時代劇のお約束から、ことごとくずれまくる設定と描写は、きつい。

 そりゃわたしも、ひばりやチエミがジャズを歌う時代劇とか、大信田礼子が短パンで走り回る時代劇を見てきましたから、茶髪でまげを結わないサムライが登場するぐらいは、まあがまんしましょう。時代劇に洋ばさみが出てきても、これもがまんしよう。でも室内で腰に大小さしたまま正座してるサムライってのはなあ。

 時代劇は読者にとって、そこにアタリマエに存在するものですから、「考証」以前の常識ってのがあります。いかに「ジャンプ」で、子ども向け、とはいえ、くずしかたってものがあるでしょう。

 時代劇は日本のエンタメにとって宝の山です。もっと大切に扱ってくれないかなあ。今回年寄りのグチみたいになってますね。

 その点、こっちはきちんとしてます。小竹田貴弘『怪異いかさま博覧亭』1巻(2007年一迅社、552円+税、amazonbk1)。

 化政のころの江戸、両国にある見世物小屋を舞台にしたコメディ。こっちの主要登場人物たちも男性はまげを結ってないし、女性のファッションはずいぶんとポップ。でも作者はウソが何かちゃんと知ったうえで描いています(←ここ大切)。こころがけとこころざしが違う。

| | Comments (21) | TrackBack (1)

July 11, 2007

これは盗作とちゃうんかいっ・だらだら篇

前回からの続きです)

 お騒がせしております。

 わたしがブログに書いた記事が、KS氏によってGT社発行の新書に盗用された事件につきまして、KS氏およびGT社との交渉はあいかわらずだらだらと続いております。

 なんでこんなイニシャルだらけの文章になっているかといいますと、KS氏とGT社担当者Y氏より、わたしの書く文章に今後固有名詞を出してくれるな、という要望があったからでして、いやね、わたしはそんなことやっても意味ないし、かえってヘンですよ、と言ったんですけどね、これ次回も続けることになるのでしょうか。

 さて交渉のほうは、GT社からの連絡があいかわらずのんびりとしてまして、先週なんか一度も連絡がなかったくらいでわたしのイライラはつのるばかりです。7/9に久しぶりの連絡があってわたしから返答して以来、本日も連絡をもらえるかと思って待ちかねていたのですが、そうもならず。解決直前なのか、はたまた決裂直前なのか、当事者のわたしにもよくわかりません。

 交渉が決裂した場合は、当然次の一手ということになるのですが、それもちょっと面倒ではありますがそうも言ってはいられない、と迷える心情なのでした。


※次回に続きます。

| | Comments (26) | TrackBack (1)

July 08, 2007

好みというものは

 今、わが家での一番人気は、施川ユウキ『サナギさん』4巻(2007年秋田書店、390円+税、amazonbk1)であります。中学生女子のサナギさんとその友達が、ただただ言葉遊びをしまくる、というマンガ。マンガで描かれた漫才、みたいなものですね。

 これがウチの中学生(♀)にオオウケ。何度もくりかえし読んで、けらけらと声を出して笑っているのを見ますと、うーむこれぞマンガの正しい受け入れられかただなあと感心します。

 ところが小学生に言わせると、確かにおもしろいけど、すっごく好きなわけではない、と。おそらく、小学生にはわかんないギャグがあるのじゃないか。世代の差なのか個人の受け取り方の違いなのか、好みというのは違うものです。

 わたしはどうかといいますと、おもしろいし、作者は言葉を扱わせるとたいした才能の持ち主だとは思うのですが、さすがに声に出して笑うほどではありません。同じパターンのくりかえしに、ちょっと飽きてきたところではあります。

 ただしこのマンガ、わたしのようなオッサン読者に合わせて描かれてるわけではけっしてないのですから、中学生のほうが正しい読み手なのでしょう。

 で、さらに年上のオバサン読者が大声出して笑ってるマンガが、ケイケイ『ワンダフルライフ?』1巻(2007年講談社、667円+税、amazonbk1)であります。

 主人公は28歳独身OL、彼氏なし。彼女と友人たちのまったく劇的じゃない日常、というより心情を描いた作品。こっちもひたすら友人との会話でお話が進行するマンガです。

 たとえば、彼氏いない歴2年の主人公に、彼氏ができた。でも3回デートしただけで、ふられそうな気がする。話しかけてもシラーッとしてるし、メールの返事も送ってこない。黙ってふられるを待つのはくやしいから、自分からふってやろうかしら。しかし、もったいないことに彼は「正社員」といういい条件。さあどうしよう、という相談が友人に持ちかけられ、ふたりの会話が延々と続くわけです。会話劇ですな。

 登場人物の目は点で表現され、鼻なし口なしの顔です。すぐれているのはリアルな表現のダイアログ。これを読んでオバサン読者が笑う笑う。まず、登場人物の心情に共感できるらしいです。

 さて、オッサン読者であるわたしは、このマンガがおもしろいかといいますと、もちろんおもしろい。でも声を出してまでは笑いません。それを言うと、アンタはわかっとらんっ、と言われてしまうのですが、そりゃわたしは28歳独身OLであったことなど生涯一度もないですからね。

 主人公の悩みが男女問わず普遍性を持つものではないようですし、男性読者にとってこれが迫ってはこないのはしょうがないでしょう。このマンガも読み手を選ぶのかもしれません。

 で、オッサンのわたしが今、これはよかったと思ってるのが、湯浅ヒトシ『耳かきお蝶』3巻(2007年双葉社、600円+税、amazonbk1)。

 耳かきを商売にしてる女性を主人公にした時代劇です。絵はうまいし、のほほんとした雰囲気はいいし、なんつってもキャラクターがたいへんよろしい。

 今ならこれがオッサンのイチオシなのですが、これがわが家では、まず家族の手にとってもらえないというところが大きな問題なのですね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 05, 2007

美少年

 家族がビデオ録画してあったTVドラマ『探偵学園Q』を見てたんで、わたしもぼーっと眺めておりましたところ、主役の子、どこかで見たことあるような、これ誰なんだろ。

 なな、なんとあの、神木隆之介くんじゃあーりませんか。

 こ、声変わりしとるっ。しかもすっかりお顔が四角くなられて、劇団ひとりみたいになっとるっ。あの『妖怪大戦争』での美少年ぶりから、まだたったの二年ですよ。

 いやー、つくづく美少年の旬は短いっすねえ。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

July 04, 2007

コリガン家の男たち

 クリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版 VOL.1』(2007年プレスポップ・ギャラリー、翻訳・山下奏平/中沢俊介/伯井真紀、2300円+税、amazonbk1)はちょっとスゴイ、というお話。

 原著は1995年から描き始められ、一冊にまとまったのが2000年。アメリカのオルタナティブ系のマンガです。英語版では380ページほどの本なのですが、今回発売された日本語版は、三巻にわけたうちの第一巻104ページ。オールカラーでハードカバー、表紙は金箔押しの型押しのエンボス加工と豪華なものになってます。

 アマゾンプレスポップ・ギャラリーに飛びますと、内容の一部が見られます。直線が多くコントラストがはっきりした絵ですね。カラリングが美しい。

 原題は『Jimmy Corrigan: The Smartest Kid on Earth』です。主人公のジミーは髪の毛が薄く、腹の出たさえないオッサン。40歳はこえてるよなあと思って読んでたのですが、解説によると30代半ば。

 ジミーは独身でひとり暮らし。母親は老人ホームに入っていますが、いつまでも子離れができず、毎日息子の家や職場に電話をしてきます。ジミーは内気でガールフレンドもおらず、寂しい毎日。

 そのジミーのところに航空券が送られてきます。顔も知らない父親が、彼に会いたいと言ってきたのです。ジミーが飛行機に乗って出かけ、父の家に泊まった翌日、不幸にも交通事故に合ってしまうところで一巻は終了。

 と、ストーリーを要約しても、このマンガを紹介したことにはなりません。

 マンガが始まる前にまえがきがありますが、これがまたすごく細かい字で大量に書いてあるものだから、読むのがさあたいへん。しかも、「女性はこのマンガ読まなくていい」とかも書いてあるし、こんな設問もあります。

女性かつ/または魅力的な人物の存在は、あなたを a.変な気分にさせる b.恐怖におとしいれる c.こわがらせる d.絶望させる e.死にたくさせる

 つまり、作者はそう言う気分になってしまう連中を読者として想定してます。おそらくそれは作者自身のことでもあります。作者も、読者も、主人公も、みんなジミー・コリガン。

 オープニングは地球の遠景から。ところが、この地球、自転軸が変です。ヨーロッパあたりが北極で、横に寝た地球。

 ゾートロープと言われる、スリットからのぞくと絵が動く、アニメーションの元祖となるオモチャがありますが、この本にはゾートロープのペーパークラフトとしてのつくりかたも描いてあります。でもその説明を読んでいると、最後には自分を捨てた父親への恨み言になってしまっている。

 ジミーは内気なのですが、頭の中は妄想でいっぱい。会社の同僚女性と仲良くする、豪華なヨットでひと泳ぎ、自分になびかない女性をかっこよくソデにする、あたりはまだかわいいもの。暴力的な父親から逃げ出したり、逆に父親を刺し殺したり、という夢やら妄想やらになりますと、ずいぶん不穏です。しかも妄想や夢と現実がシームレスにつながってるので、主人公のジミーも、そして読者も混乱してしまうことになります。

 物語のあちこちにスーパーマンが登場しますが、このスーパーマン、「Superman」のパロディとしてつくられた「Super-Man」です。マスクをつけてるのが大きな違い。

 最初はジミーの子ども時代、母親の一夜の恋人としてスーパーマン役の芸人が登場。次にビルの屋上からスーパーマンのコスチュームを着た男が飛び降り自殺をします。さらには妄想の中で、スーパーマンがまだ生まれてもないジミーの息子を(文字どおり)バラバラにしてしまいます。

 どうですか、このひたすらやーな感じの物語。これがポップで美しい絵で語られるわけです。

 さらに話は突然、1893年のシカゴに飛び、ジミーのひいじいちゃんのウィリアム・コリガン(47歳)と幼い息子(ジミーのじいちゃんですな)が登場します。ここで描かれる百年前のシカゴのビルは、現代でスーパーマンが自殺したのと同じビルです。ひいじいちゃんは息子をずいぶん邪険に扱ってて、この作品が、過去から現在に至る大河的な父と子の物語であることがわかります。実は作者のクリス・ウェア自身も、父親とは長いこと会ったことなかったらしいです。

 この本、巻末に奥付がありません。で、どこにあるかといいますと、17ページあたりにひょっこりあったりします。作品として大きな構成を持ち、しかも細部に凝りまくったデザイン。早く続編が読みたいっ。でもこの作者、ずいぶん完璧主義者らしく、日本語版のカバーアートも時間かかってるみたいですから、次はいつ発売されるやら。ここは英語版を買っちゃったほうが早いかもしんない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« June 2007 | Main | August 2007 »