コミックス・ジャーナリズム『パレスチナ』
このブログを読んでいただいてるかたはご存じかもしれませんが、わたし、洋書のマンガをけっこう買うわりに、結局は邦訳が出るまで読み終われないということがよくあります。読んでる途中や買おうとする直前に、邦訳の情報を聞いちゃうともうあきません。日本語で読んだほうが楽だもんねー、と読もうとする努力を放棄してしまう。あかんたれやねえ。
で、これもそう。邦訳が出るまでに原書は読みきれませんでした。ジョー・サッコ/小野耕世訳『パレスチナ』(2007年いそっぷ社、1800円+税、amazon、bk1)。
著者が1991年から1992年にかけてヨルダン川西岸地区とガザ地区を二か月間訪れ、その取材をもとに描かれたルポルタージュマンガです。原著は1996年「American Book Award」を受賞しています。著者はこの作品が成功したあと、2000年の『Safe Area Gorazde: The War in Eastern Bosnia 1992-1995』というマンガ(こちらはユーゴスラビア紛争が題材)でも高い評価を得ました。
著者がイスラエルを訪れた目的は「取材」です。占領地区のパレスチナ人に多くのインタビューを行い、それをマンガに描く。著者自身もマンガのキャラクターとして登場し、取材の過程や偶然に出会ったひとびととの会話、著者のいらだちやとまどいも記録されていきます。
日本の取材マンガとは異なり、めざすのは娯楽ではありません。あくまでルポルタージュであり報道です。著者は自身のことをジャーナリスト、アドベンチャー・カートゥーニストと自称しています。この作品を嚆矢としてコミックス・ジャーナリズムという言葉もできているようです。
絵はモノクロ、オルタナティヴ系でスクリーン・トーンは使ってませんから、すべてに細かい斜線がはいるという、青木雄二っぽい感じ。おそらく描くのにすごく時間がかかってるはず。極端な人物のパースは、山田芳裕ふうね。当然ながらセリフやキャプションはたいへん多いです。
著者はパレスチナよりの立場ではありますが、パレスチナ問題はあまりに大きく複雑。ひとつの作品で解決できる問題ではないことを著者は知っています。ですからその態度はあくまで謙虚。自分の感想や意見は抑制して、冷静に現実を伝えようとつとめています。それでも異民族による占領がいかに苛烈なものか、読者は衝撃を受けるはずです。
ルポや報道においてマンガの特徴はどこにあるか。リアルや臨場感では映像にかなわない。緻密な論理構成は文章にかなわない。しかしマンガにおいて風景や登場人物の外見・表情は、一度作者の眼をとおったものが再構成されたものです。さらに証言者が語ったことを「再現ドラマ」にしてしまうのも容易。この本でもインタビュー内容は、ほとんど再現ドラマとして表現されます。その結果、マンガでは作者が注目させたいものに読者を誘導し、読者の感情をゆさぶることが可能になります。
これがマンガの利点でもありますが、制作側にはより高い倫理が求められることになります。コミックス・ジャーナリズムは他メディアのジャーナリズム以上に、プロパガンダに堕する危険性をはらんでいるからです。
その点、本作品は著者のすぐれたバランス感覚によって成功していると考えます。今後、マンガでもこのジャンルが大きく発展するかもしれません。そのとき『パレスチナ』は日本マンガにとっても良いお手本になるのじゃないでしょうか。
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