マンガと映画『ゴーストワールド』
オルタナティヴ・コミックスの秀作として有名な、ダニエル・クロウズ『ゴーストワールド』。1993年から断続的に描き継がれ、一冊にまとまったのは1998年。日本語版はプレスポップギャラリーより2001年に出版されてます。日本語版は一時出版元からしか買えなくなってましたが、最近日本アマゾンでも取り扱いを再開したようです(→アマゾン)。
主人公イーニドは黒髪オカッパでメガネをかけた女の子、高校を卒業したばかりです。父親とふたり暮らしでけっして裕福ではありません。何をするでもなく、幼なじみで親友のレベッカとうだうだする毎日。食堂で見かけた変なカップルのあとをつけたり、新聞広告でガールフレンドをさがすオヤジにニセデートをしかけたり。
彼女はあらゆることが不満で気に入らない。雑誌を見ては、ダサくない? テレビを見ては、クソ女! ヤードセールに客が来ても、気に入らないから売ってやんない。
イーニドは美術大学受験に落ち、就職したレベッカともうまくいかなくなり、ひとり街を去ります。とくに後半、イーニドが周辺に受け入れられなくなって孤立していくようになってからが読者の共感をよぶところ。彼女の悩みは、自分がまだ何者でもないから。何にでもなれるという可能性は、何者でもないということと同義です。
就職してるとか、学生である、だけではまだ何者でもないのですが、イーニドはその段階ですらなく、自分の将来がわからずさまよっているだけ。誰かの友達である、誰かの恋人である、というだけでも何者かになりえます。でも彼女は自分がそういう存在であるとの自信もなくなっています。
主人公の名前イーニド・コールスロウ(Enid Coleslaw)は、作者ダニエル・クロウズ(Daniel Clowes)のアナグラムです。つまりイーニドは性別をこえて作者であり、そして読者自身でもあります。青春の普遍的な悩み、微妙な心のゆれを描いたこの作品は読者を感動させることに成功しており、リアルという意味で高いレベルにあると思います。
ただし。日本人読者にとって障壁となるのはその絵です。アメリカアマゾンにリンクしますので、アメリカ版の書影をごらんください。LOOK INSIDE! で内容も少し立ち読みできます。
1ページを縦3段あるいは4段に割った定型的なコマワリ。お話は静的に展開されます。そしてカワイイとは言えない登場人物たち。眼鏡っ娘のイーニドは美人じゃないという設定ですからともかく、金髪美人系のはずのレベッカも、日本人読者にはカワイク見えない。つまり、彼女は美人なのだと脳内で置き換えて読み進める手間が必要です。
戦後日本マンガ60年は、女の子をいかにカワイク描くかに腐心してきた歴史でもあります。で、現在の萌え絵にいたるわけですが、日本マンガ読者は、どんな内容のマンガでも、カワイイ女の子が登場するのに慣れてしまっています(ごく一部、根本敬とかの例外を除いて)。オルタナティヴ系アメリカンコミックスには日本マンガふうのカワイイが出てこないので、どうしてもとまどってしまう。ここがアメリカンコミックスが日本読者の手にとってもらえない最大の問題点かなあ。カワイクないと読んでくれない。敷居が高いね。
『ゴーストワールド』は、2001年に同じタイトルで映画化されています。実はねー、この映画、原作よりデキがいいんじゃないかと思えるんですね。
監督/脚本は『クラム』のテリー・ツワイゴフ、原作者のダニエル・クロウズも脚本参加してます。ツワイゴフはのちに『Art School Confidential』でもダニエル・クロウズ作品を映画化してます。主人公イーニドは、『アメリカン・ビューティー』でチアリーダーでゴスっ娘、という役をしてたソーラ・バーチ。レベッカがスカーレット・ヨハンソン。映画公開時のサイトがこちら。
原作と違うのはまず、原作にはちらっとしか出てこない、ニセデートをしかけられたオヤジ(スティーヴ・ブシェミ)とイーニドを交際させるようにしたこと。レコードマニアで独身、女性と口もきけないダメ中年シーモアは、これもまたある種の観客の共感を呼びます(←共感したくないんだけど)。ただしラスト近く、シーモアのほうからイーニドを求めるようになっちゃうと、イーニドの孤独が薄まったかな。
もひとつはラスト、イーニドが街を去るために乗車するバス。これを映画では、「路線廃止で来るはずのないバス」としました。ですからこの幻想のバスの乗客は彼女ひとりだけです。このあたり、原作ラストでは「Ghost World」の落書きがイーニドの見る幻覚のようにあちこちに現れますが、バスそのものは普通のバスみたいに描かれてました。これは映画のほうがずっといい。原作より一段レベルが上がってる気がします。
しかしなんつっても映画では、全編をささえる主役のイーニド=ソーラ・バーチが日本人観客にはそれなりにカワイク見えるのですよ。これが原作と大きく違うところ。彼女は「something different」でパンクな娘でありますが、奇妙な趣味の服もなかなか魅力的。
作品本来の趣旨からは主人公はカワイクてはいけないのかもしれませんが、観客の感情移入を拒否せずに長時間興味をつなぐにはそれなりの容姿が必要となるのでしょう。そのぶん映画は、原作より受け入れられやすくなっているのじゃないか。カワイクないアメリカンコミックスは不利だなあ。少なくとも日本人読者/観客としてはそう感じてしまいました。
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Comments
ダイアログと絵のバランスはアメリカンコミックスやバンドデシネと日本マンガの大きなちがいですね。古典的なディズニーのマンガなどもやたらにセリフ長いですし、彼らは子ども時代から文章量の多いマンガに慣れてるんでしょうか。
Posted by: 漫棚通信 | May 05, 2007 10:39 PM
たしかに絵が日本人読者には馴染めないし、
人物のタイプの絵画表現がピンと来ないですね。
それと、吹き出し内のセリフの多さ。
吹き出し枠は、日本版では、もうすこし大きめに
修正するとかしないと、読者はテンポ良く読めない
感じがします。
これが何で有名なの?って一般読者は思うに違いない。
そう思いました。
Posted by: 長谷邦夫 | May 05, 2007 08:16 PM