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April 04, 2007

アニメ史をお勉強

 前回の「とことん!あしたのジョー」のエントリに関しまして誤解されてるかたがいらっしゃるようですが、塚本晋也によるスタッフインタビューと、ちばてつや出崎統対談は違う日に放映されてます。井上伸一郎と氷川竜介は同席してません。唐沢俊一と香山リカも別の日に出演してます。わたしの書き方が悪かったかな、ごめんなさいね。

 さて、うしおそうじ『手塚治虫とボク』(2007年草思社、1800円+税)と、津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(2007年NTT出版、2400円+税)読みました。

 

 いや、おもしろいおもしろい。これって二冊並べて読むべき本ですねー。よくもまあ偶然でしょうけどほぼ同時に発売してくれたものです。うしおそうじの本も三分の一はアニメの話ですし、津堅信之本はもちろんそう。たがいに補完しあう二冊です。

 うしおそうじ『手塚治虫とボク』は、単なる回想録かと思ったら、これがなんとそれだけじゃなくて取材を重ねて書かれた本。中心は雑誌時代、TVアニメ初期の手塚治虫との交友ですが、アニメ草創期のアニメーターの紹介や、著者が体験したこと以外の話も多く書かれています。手塚と両親の関係の話など、ちょっとびっくりするようなエピソードもあります。

 うしおそうじと手塚治虫の出会いは、1952年5月中旬とされてます。鷺巣富雄(←うしおそうじの本名)『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(1999年太田出版)では1951年とされてましたが、修正されたみたい。

 このとき手塚は「漫画少年」の編集者と一緒に、うしおそうじに連載作品を依頼するために訪れます。この時期、手塚はほんとに学童社の編集者みたいなこともしてたんですね。そしてうしおそうじが二度目に手塚治虫に会うのが1952年6月。うしおが四谷にある八百屋の二階を訪れています。

 手塚治虫は1952年3月末でインターン終了。5月(あるいは7月?)に第12回医師国家試験受験。7月に医師国家試験合格発表があって東京に転居。うしおそうじは手塚治虫が本格的に東京進出する前後に出会っていることになります。

 1961年春、手塚治虫とうしおそうじが、芦田漫画映画製作所の芦田巌を訪ねる記述があります。手塚は1947年8月にも芦田に会っているらしいのですが、今回は手塚が「アニメの肝心なコツを即席に教わりたくて」、芦田とは旧知のうしおそうじに案内を頼んだわけです。このことは『スペクトルマンvsライオン丸』でも触れられていますが、年月日までは書かれていませんでした。

 このとき手塚は芦田に邪険に扱われる顛末となります。このあたりを『アニメ作家としての手塚治虫』を読みながら時系列で見てみると、東映動画「西遊記」制作に手塚治虫が参加したのが1958年~1960年。1960年8月に手塚は横山隆一のおとぎプロ訪問。手塚はこのとき、アニメーションスタジオをつくることをすでに決心しており、そのための見学だったようです。

 1961年6月、手塚治虫プロダクション動画部発足。1962年1月、プロダクション名を虫プロダクションに変更。1962年4月、虫プロダクション新スタジオ完成、引越し。そして1963年1月のTVアニメ「鉄腕アトム」の放映開始となります。

 となると、芦田巌を訪問したとき、もしかしたら手塚は芦田に自分のプロダクションへの参加・協力を頼みに行ったんじゃないか、なんてね。

 『アニメ作家としての手塚治虫』のほうを読み進んでると、有名な「鉄腕アトム制作費五十五万円受注事件」の検証が出てきます。アニメにおける手塚の功罪のうち、大きな罪として語られる部分ですが、実はこれには裏金があったというのにびっくり。

 その真偽はともかく、うしおそうじ本に戻ると、著者はピープロが「0戦はやと」を制作したとき本来一話500万円必要なところ、350万円にされてしまった、手塚のせいだ、と怒っております。

 「0戦はやと」は1964年からの放映ですから、アトムの一年後。金額については著者の記憶違いもあるでしょうが、業界内ではずっと、制作費に関しては手塚がワルイと言われ続けていたのですね。

 津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫』は、関係者インタビューや文献から、手塚治虫および彼のアニメを歴史的にとらえなおした本です。手塚生前には神格化された手塚への遠慮による批評の不在があり、さらに没後には宮崎駿の手塚批判によりそれ以後の批評が不在している、ということが、著者の執筆動機のようです。

 基本的には、宮崎駿の手塚批判以来、ほとんどなされてこなかった手塚治虫と手塚アニメの再評価です。おおすじは同意。

 とはいえ、本書では作品そのものを批評しているわけではありません。わたしとしては、手塚治虫演出とクレジットされてるアニメ作品一覧があるのを期待してたんですけどね。いやね、作品だけを見ますと、手塚演出の実験アニメ、TVシリーズの中の一本、劇場アニメ、TVスペシャル版、どれもあんまり感心しなかった記憶が。

 この二冊でアニメ史をいろいろ勉強させていただきました。わたしこのあたりくわしくないからなあ。今、書庫から引っ張り出してきてそのへんに散らばってる本は、

○鷺巣富雄『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(1999年太田出版)
○山本暎一『虫プロ興亡期 安仁明太の青春』(1989年新潮社)
○大塚康生『作画汗まみれ』(1982年徳間書店アニメージュ文庫、増補改訂版2001年徳間書店)
○大塚康生/森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』(2006年実業之日本社)
○霜月たかなか編『誕生!「手塚治虫」 マンガの神様を育てたバックグラウンド』(1998年朝日ソノラマ)

 これらのあっちこっちの拾い読みをしておる最中であります。


 あ、そうだ。『スペクトルマンvsライオン丸』読み直してて気づいたんですけど、1959年の週刊少年マガジン創刊号に、吉川英治原作の『左近右近』というマンガを描いた「忍一平」って、うしおそうじだったんですね。言われてみれば、サブキャラの顔はまるきりうしおそうじだ。このマンガ、連載初回のみ忍一平で、二回目からは「波良章」という画家に交代してます。

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