梶原一騎とネルー(その2)
(前回からの続きです)
愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
(ネール元インド首相の
娘への手紙)
■ネルーの書簡集
さて、ネルーから娘への手紙。ネルーの書簡は、書物としてまとめられているものがあります。
○古代史物語 父から娘への手紙
○父が子に語る世界歴史
○忘れえぬ手紙より
『古代史物語 父から娘への手紙』(1955年日本評論社)は、1928年ネルーが投獄されたとき、監獄から10歳の娘に宛てて書いた30通の手紙をまとめたもの。地球の誕生、生物の誕生、文明の誕生をわかりやすく説いたものです。
内容は、理科と社会科が混ざった小学校の副読本、といった感じ。ま、娘はまだまだコドモですからねー。愛だの何だのは出てきません。
ネルーの書簡として最も有名なのが、『父が子に語る世界歴史』です。これもネルーが獄中にあるとき、インディラに出した書簡集。『古代史物語』の続編にあたります。現在も大山聰訳でみすず書房から全八巻で刊行されていますが、これは名著との評判高く何度も再版されてまして、日本での初版は1954年に日本評論新社から出版された全六巻のものです。子ども向けに編集された『父が子に語る世界史物語』(1976年あかね書房)というのも出版されてます。
書かれたのが1930年から1933年まで。インディラが1917年生まれですから、まだローティーン。けっこうな大著で、梶原一騎がこれを読んでたとしたら、たいしたものです。ただしこれはまじめに歴史を語った本。ネルーは娘にこういう手紙を書いています。
しかし、たとえどんなことがあろうとも、われわれはわれわれの運動の大目的をうらぎったり、われわれの人民の不名誉になるようなおこないをすることは、けっしてゆるされないのだということを、よくよくおぼえておこう。われわれがインドの戦士であるべきである以上は、われわれはインドの名誉をあずかっているのだ。そしてその名誉こそは神聖なあずかりものなのだ。(誕生日を祝う手紙、1930年10月)
おまえはしあわせな少女だ。ロシアにあたらしい時代をみちびきいれた大革命とおなじ年の、おなじ月に生まれたおまえは、いま眼のまえにじぶんじしんの国に革命が進行するのをみまもっている。そしてやがて、おまえじしんがその中に参加することだろう。(生存のためのたたかい、1932年3月)
このようにネルーはインディラに、まず戦士たることを望んでいました。その目指すところはあくまでもインド人民の解放です。
ネルーがこれらの書簡を書いていた1930年代はじめとはどんな時代だったでしょうか。日本は満州国を建国し、同時代のネルーから「かいらい」であると指摘されています。ヒトラー台頭のためにドイツを追われたユダヤ人アインシュタインは「現代最高の科学者」とみなされている、スペインでは革命と反革命の大きな戦いがあり、ドイツではナチスが政権をとる、そんな時代。そしてインドはあいかわらず、貧困の代名詞とも言える国でありました。
この本で語られる愛は、まずインド人民への愛です。インド人民の解放=独立の闘士であったネルーにとって、人民への愛はもちろん平和じゃなくて戦いでありました。「愛は戦いである」と言われればそのとおりですが、アタリマエといえばアタリマエ。あらためて宣言するようなことでもなさそうです。
その他に愛についてはこんなふうに触れているところもあります。
家族や、友人の間の愛情があり、共通の大目標のためにはたらく人たちの同志愛があり(最後の手紙、1933年8月)
しかしさすがに男女の愛については語っていません。
さらにネルーの書簡集といえば、『忘れえぬ手紙より』というのがあります。全三巻で、みすず書房から1961年から1965年にかけて出版されたもの。多くは、ネルーがもらった書簡(マハトマ・ガンジーとかチャンドラ・ボースのが多いです)を集めたものです。毛沢東からの手紙とか、蒋介石からの手紙なんかも混じってて、ちょっとびっくりします。
一部にネルー自身が書いた手紙もあるので読んでみましたが、娘に出した手紙は含まれていませんでした。
■その他の著作
書簡集じゃないのを探してみますと、自伝があります。『ネール自叙伝』(国際日本協会1943-1948年、竹村和夫/伊与木茂美訳)、『ネール自伝』(東和社1953年、平凡社1955年、立明社1961年、角川文庫1965年、磯野勇三訳)などが刊行されてます。また中央公論社『世界の名著』シリーズにも『ネルー自叙伝』(蝋山芳郎訳)が収録されてます。旧版の63巻、今は中公バックス版の77巻。何度も再刊されてますが、最初のものは1967年刊です。
わたし個人的にこの本なつかしくてねー。『世界の名著』にはガンジーとネルーの自叙伝がならんで収録されてますが、これってわたしが若いときに読んだことのある本でして、とくにガンジーの自叙伝は、会話文が多くて読みやすいし波乱万丈の生涯だし、おもしろいんですよ。
『世界の名著』なら梶原の書斎にあってもしかるべしの本。もしかしたら。ただし『世界の名著』の『ネルー自叙伝』は抄録です。
で、『世界の名著』の『ネール自叙伝』と角川文庫『ネール自伝』を並べてぱらぱらと。この自伝も1934年から1935年の投獄中に書かれたものです。ネルーは生涯何回も獄中生活を経験していますが、投獄されるたびに著作を執筆しています。
ここに一部、ネルーが性愛について語った部分があります。マハトマ・ガンジーは性愛に対してかなり極端な意見を持っていて、「子孫を持つ欲望のない男女の結合は罪悪」で、男女が性的に結びつけられようとする力は「夫婦の間においてでも自然なものではない」と断言してます。産児制限にも当然反対。実際にガンジーは、結婚してたし子どももいっぱい作ったのですが、そのあと完全な禁欲生活にはいっちゃったというひとでした。
理性のひとネルーは、ガンジーのこの考え方に反論しています。「私は自分を通常の個人と考え、性は私の生活にその役割をはたした。しかしそれは私をなやましたり、他の活動から私をそらしたりすることはなかった」
さらに妻への愛情を語った箇所があります。自身の結婚のときの記述はさらっと流されてますが、自伝のあちこちで妻への感謝が表明されています(妻カマラは、自伝刊行時にはすでに亡くなっていました)。
妻は矜持高く、敏感であったが、私のきまぐれを耐えてくれたばかりでなく、慰安を一番必要とするおりには私に慰安をもたらしてくれた。(『自伝』疑惑と闘争)
そして病床の妻を前にして。
私が妻を必要とすること今より大なるはないときに、私を置いてきぼりにするようなことがあってはならない。今やっとお互いが真に相知り理解するようになったばかりではないか。私たちの結合した生活は、これから本当に始まろうとするところである。私たちはこれほど頼り合い、これから一緒にすることがこんなにたくさんある。(『自伝』十一日間)
こういうネルー自身が男女の愛について書いた部分を読むと、彼にとって男女間の愛は、互いに安らぎを与えあうことを理想にしていたと思われるのです。ネルー自身もお見合い結婚でしたしね。
もともとネルーの時代のインドでは、恋愛結婚は通常ありえません。ネルーは最高カーストのバラモンでしたが、当然ながら彼の結婚も父親が決めたもの。炎のような恋愛のすえ、結婚したわけではないのです。彼にとって男女の愛は「戦い」だったかどうか。
そしてネルーと宗教。インドは宗教の国です。しかしネルーは社会主義者として常に宗教とは一定の距離を置いていました。ここが宗教家であるマハトマ・ガンジーと違うところ。ネルーの生涯はずっと宗教に悩まされてきました。インド独立への道はヒンズーやイスラムによる宗教民族運動の暴走と対立をなんとか抑えまとめようとすることでしたから。
ネルーの宗教観については、『父が子に語る世界歴史』にも以下のような文章がありますし、『自伝』などは、宗教に対するグチがずっと続いているような本でもあります。
わたしはどうも来世などということにはさらに関心を持たないらしい。(略)おまえがおとなになったら、おまえは宗教的な人々や、反宗教的な人々や、そのどちらにも無関心な人々や、あらゆる種類の人々にであうだろう。大きな財力と権力とを所有する大きな教会や宗教団体がある。ときにはそれらはよい目的に、またときにはわるい目的のためにつかわれる。宗教的な人で大へんりっぱな、高潔な人にあうこともあろうし、また宗教の衣にかくれて他人を搾ったり騙ったりするならずものや、山師にあうこともあるだろう。(『父が子に語る世界史』宗教の世紀、1931年1月)
ことに種々さまざまな宗教は、おそらくは、それが生まれた時代や、国では、いくらか効用があるかもしれないが、われわれの時代にはまったく通用しない、ふるい信仰や、信念や、慣習の保存をたすけたものであった。(『父が子に語る世界史』最後の手紙、1933年8月)
お互いの感情に気をくばってすこしばかり手加減すれば解決できるような問題が、はげしいにらみあいや暴動をひきおこすとは驚くべきことだと思う。しかし宗教的な熱情は理性とか、配慮とか、手かげんとかの余地を、ほとんどあたえない。(『自伝』猛りたつ宗派主義)
組織された宗教は、その過去がどんなものであったにしろ、今日では、おおかた実質的な内容の抜けてしまった空虚な形式となっている。(『自伝』宗教とは何ぞ)
ネルーの文章中には「神」ということばがけっこう出現するにもかかわらず、信仰についてネルーが説くことはありません。キリスト教的な神にしても、ヒンズーの神にしても、神への愛について彼が語るとはほとんどありえないことでしょう。
その他のネルーの著書といえば、『インドの発見』(岩波書店1956年)という名著があります。これも投獄中に書いたもの。インドの歴史をネルー流に語りなおしたもので、愛の登場するような本でもなし。
あと『Soviet Russia』という1927年モスクワを訪れたときの訪問記(邦訳があるのかどうなのかわかりませんでした)や、『自由と平和への道 アメリカを訪れて』(社会思想研究会出版部1952年、アメリカ訪問は1949年です)という本、さらに演説集『アジアの復活』(文芸出版社1954年)などの著作があります。一部は読んでみましたが、ま、愛なんてことばは出てきませんわね。
というわけで、ネルーの語る「愛」がどういう意味であるにしろ、ネルーの著作に「愛は平和ではない」を発見することはできませんでした。
以下次回。
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