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March 09, 2007

梶原一騎とネルー(その1)

 川崎のぼる/梶原一騎『巨人の星』に登場する、星一徹が語る坂本竜馬のエピソード。飛雄馬が大リーグボール一号を開発する直前のお正月のことです。

「坂本竜馬は封建時代の日本に新しい日の出をもたらすために命をかけた‥‥」
「そのため かの新選組はじめ当時の幕府側に命をねらわれ いつ死ぬかわからなかった しかし竜馬はこういった」
「いつ死ぬかわからないがいつも目的のために坂道を登っていく 死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい‥‥と」

 これを聞いた飛雄馬、がーんがーんがーん。

 これに川崎のぼるが、ホントにどぶの中で倒れる竜馬の絵を描いちゃったものだから、イメージの刷り込みというのはおそろしい、竜馬がどぶで死んだ、と思いこんでる読者もいたりして。もちろん、竜馬は近江屋で暗殺されたのであります。

 それは別にして、この竜馬の言葉、すごくかっこいいです。飛雄馬もずいぶんに感銘を受けたらしく、この言葉を胸に大リーグボール一号を開発するわけです。さらに全編のラスト近くなって大リーグボール三号で腕を壊しても、こんなことを言ってます。

「前のめりに死ぬ道をえらんだのです!」
「‥‥死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死んでいたい」
「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて 後退しての死よりも前進しての死をえらんだのだ」

 おお、青春を支配したことば。そして飛雄馬は破滅への道を選びます。

 でも、坂本竜馬が「どぶ」とか「前のめり」なんてことを言ってないのは、みなさん、ご存じのとおり。飛雄馬、すっかり信じちゃって。すべては星一徹=梶原一騎の創作、ホラ話であります。

 かように、星一徹というか梶原一騎の語るウンチクは怪しい。常に創作、ホラじゃないかと考えてなきゃいけません。だいたいが梶原一騎の語るプロレスや空手のエピソードも、ことごとく怪しいからなあ。

 さて、わたしが昔から怪しいとにらんでたのが、これ。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)

 ながやす巧/梶原一騎『愛と誠』第一巻、巻頭のエピグラフであります。エピグラフってのは、ほら、本のはじめにあって、他の本から引用されてきたちょっといい言葉、というやつね。

 この『愛と誠』連載第一回の雑誌掲載が1973年初頭。池上季実子主演のテレビドラマ版では、「愛は平和ではない」と毎回冒頭で朗読されてたらしいですから、岩清水弘の「きみのためなら死ねる」と並んで、『愛と誠』全編を象徴するような言葉です。

 ネールは、ネルー、ネールーなどとも表記されますが、インド初代首相のジャワハルラル・ネルーのこと。その娘といえば、これもインド首相になったインディラ・ガンジーです。『愛と誠』が描かれたころは、インディラがインド首相でした。

 このネルーの手紙からの引用というのが、怪しさ全開、と言っていいくらい、アヤシイ。

 なぜこの言葉がアヤシイかといいますと、この文章中の愛とは何を意味しているか。

 「愛」ったって、いろんな愛があります。男女の性愛、神への愛、同胞への博愛、愛国、家族への愛、などなど。この後展開される『愛と誠』という作品のストーリーを思い浮かべますと、梶原一騎は「愛」を男女間の愛として書いています。この文章も男女の愛としてとらえるべきなのか。しかーし。

 ネルーが男女の愛を娘に語るというのがどうもしっくりこないのです。ネルーはインド独立の闘士であり、現代史の偉人のひとり。独立運動時代には頻回に投獄されています。宗教家のガンジーとは違い社会主義者であり、首相になってからは反米親ソの非同盟中立路線。ですから、梶原一騎とネルーのつながりというのもよくわからない。むしろ強権的な政治をしたインディラのほうが梶原的かもしれません。

 で、今回のお題がこれ。

 ほんまにネルーはそんなことゆうたんか?

 わたしの推測は以下のとおり。梶原一騎は、ネルーの手紙の本来の文意をねじ曲げてエピグラフにしちゃったか、あるいは、そんな手紙ははじめっから存在しない、梶原一騎が創作したウソ八百じゃないのか。というものであります。

 この疑問を持ち始めて、ン十年。ネルーについてちょっとだけ調べたこともありました。ただし、この調査って、もひとつモチベーションが上がらないのです。

 だいたいが『愛と誠』のエピグラフ、すっごく有名な言葉とは言えません。それにもしかしたら、そんな手紙は存在しないという可能性もあります。ないことを証明するのは、たいへんむずかしい。ネルーのすべての手紙を調べて、やっと「ない」と言えるわけですから、最終証明は厳密には不可能です。労多くして功少なし。

 で、このネタ、ずっとお蔵入りにしてたのですが、昨年、ネルーの全著作がそれほど多くないこと、そしてネルーの書簡がまとまった形で刊行されていることを知りました。

 『愛と誠』が描かれてから30年以上たちましたが、世間では「愛は平和ではない」はすっかりネルーの言葉として定着しているようです。いつまでたってもこのことについて、誰かが調べて教えてくれる気配もありません。だったら自分でやってみようか、と。

 毎度毎度、結論がきちんと出ない話ばかりですみませんねえ。今回もはっきりしないオチになりますがどうぞご寛容に。

 以下次回。

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Comments

読んだことがある、というひとがホントに出てきてくれれば、そっちのほうがいいんですよ。「何年何月何時何分に、どこで読んだんだよー」と質問できますからね。梶原一騎が亡くなった今、質問する相手がいないので永遠の謎になっちゃいました。

Posted by: 漫棚通信 | March 16, 2007 05:58 PM

なかなか証明できないむずかしい話ですね。坂本竜馬にしても、今の竜馬像は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で確立されたもの。その後の小説は、司馬遼太郎の竜馬像を追認している。司馬以前の小説では、竜馬は、西郷隆盛のパシリ程度のあつかいでした。どちらの竜馬が、本当の竜馬かはわかりません。ネルーの文章も「ある」「私は読んだ」といえば、あることになってしまうのでしょうか。「ない」証明は、なかなかできませんね。

Posted by: momotarou | March 16, 2007 11:44 AM

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