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March 16, 2007

『虹をよぶ拳』はエヴァの先駆である

 つのだじろう/梶原一騎『虹をよぶ拳』全四巻がマンガショップから復刊されております。

 「冒険王」1969年6月号から1971年6月号連載。かつて発売されていたサンデーコミックス版が長らく品切れとなっていましから、ずいぶん久しぶりのお目見えです。わたし、このマンガ、月刊マンガ誌時代末期の連載中にリアルタイムで読んでおりまして、実を言いますと、梶原一騎の最高傑作ではないかと考えておりました。

 勉強はできるけどひ弱な中学生・春日牧彦が同級生に影響されて空手道場(極真会館がモデル)に入門し、日本を代表する空手家に成長してゆく物語。

 週刊少年マガジンで1966年に始まった『巨人の星』の連載が1971年3号までですから、その連載末期に重なるころ、すでに梶原一騎ブランドは確立されていました。1968年開始の『あしたのジョー』が連載ど真ん中。そんな時代。週刊少年マガジンの『空手バカ一代』の連載開始が1971年22号。『虹をよぶ拳』は『空手バカ一代』と入れかわる形で終了したことになります。

 『虹をよぶ拳』は、「協力・空手八段 大山倍達」とありまして、梶原一騎にとってはまさに極真会館、空手モノのマンガとしての第一作。いっぽうのつのだじろうにとっても子どもマンガタッチから劇画タッチへの移行期作品でした。

 今回読み直してみて、前半に限れば、やっぱ梶原マンガの最高傑作ではないかと。どこがいいかと言いますと、主人公の造形がすばらしい。主人公・春日牧彦は、梶原マンガの他の主人公と違って、ケンカが苦手の「運痴」(←梶原特有の言い回しですが、この言葉、梶原マンガ以外では見かけたことありません。これって一般的な言葉なんですか?)であります。その彼が空手修行そしてタコ部屋に放り込まれて、野獣として目覚めてゆく物語です。

 主人公が最初からケンカが強いわけではない。むしろ、いじめられっ子で腕立て伏せ一回もできないようなヤツ。梶原一騎としては、『巨人の星』の牧場春彦、『愛と誠』の岩清水弘を主人公にして作ったマンガということになり、きわめてイレギュラーな作品です。

 主人公の中学生・春日牧彦(←この名前からして『巨人の星』に登場するマンガ家志望の同級生・牧場春彦のアナグラムのようなものです)は、飛び箱が跳べない、懸垂ができない、女の子にもてない、マイホームパパの父親が尊敬できない、教育ママの母親が嫌い。彼は空手道場に通い始めますが、両親からはあいかわらず反対され、先輩からはシゴかれ、ヤクザとケンカしてみるけど「ごめんなさい」「ゆるして」と泣きながら土下座する。

 この主人公を見て、誰かを思い浮かべませんか。そう、エヴァのシンジであります。世界が破滅しようがどうしようが、自分と親、自分と友人、自分と彼女の関係しか考えないシンジくん。『虹をよぶ拳』の主人公・春日牧彦は、自分の周辺のあらゆることに対して不満ばかり。世界国家社会を考えるわけではなく、自分の周囲での上下関係、強弱関係を考えているばかりです。まさにシンジと同じ。

 これは若き日のわたしです。そしてかつてのあなたかもしれない。自分の周囲のことにしか頭が回らず、自分と親、自分と級友との関係でしか世界を考えられなかったころのわたしとあなた。だからこそ読者の共感を得ることができるし、読んでいて身につまされる。

 この主人公設定は、現代にも十分通用します。この作品での梶原一騎は、古い浪花節的作品を書いていたとの世評は逆に、まさにその後の時代に通じる最先端の主人公を造形していたのではないか。

 『虹をよぶ拳』の舞台はそこそこ安穏な1970年代日本ですが、エヴァのシンジは破滅を目前にした世界に生きていました。そのぶん後者の設定はずいぶんと進歩していますが、主人公の心性はほとんど同じ。

 『虹をよぶ拳』の後半は、強くなってしまった主人公の物語となり、姿三四郎以来のありきたりの展開。最後は『空手バカ一代』と重なったため中途半端な未完として終わりました。ですから完成度としては低い作品ではありますが、その目指していたところはきわめて高いものだったと考えます。そして、現在のマンガ・アニメの先駆となった典型的梶原作品は、まさにこの作品ではないでしょうか。

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Comments

映画「ゴッドファーザー」の最初はドン・コルリオーネの娘」の結婚式で、その席に兵役を終えたばかりの三男がガールフレンドと一緒に列席しているのですが、この三男は、まったくマフィア稼業とは無縁で、フィアンセとの、平凡で幸せなかたぎの生活にはいっていくかに見えます。

ところが、ドンのあとをつぐべき長男(短気なおっさんで、妹の亭主が浮気して妹を泣かせるというので、義理の弟に暴力をふるって、性根を入れ替えさせようとしている)が、ハイウェイの料金所でころされ、ドン=マーロン・ブランドも、果物やの店先で襲撃され、次男は敵方に篭絡されてたよりにならないとなると、このいちばんかたぎな、いちばんインテリで、荒事からほど遠いと思われていた三男(狼たちの午後、リチャードを探して、セントオブウーマン、名前出ん)が、おもいがけない決断力をみせます。

かれは、敵とぐるになっている警官を、会見の場であるレストランのトイレに拳銃を隠し、みずから射殺して、組を救い、跡継ぎになっていきます。

この意外性が映画「ゴッドファーザー」をその続編よりもずっと面白くしているとおもうのですが。

空手ともともと無縁な学生が空手の名人になっていく。なってしまったら、もうおもしろくありません。ドン2代目も、パート2では、なりきってしまって、あんましおもしろくないです。

ちょっとにているように思いました。

Posted by: しんご | March 17, 2007 06:32 PM

マイケル・コルレオーネこと、アル・パチーノですね。
情けない次男の俳優とは「狼たちの午後」で共演していたんじゃなかったかな。
年老いたドン・コルレオーネが「跡目は(長男の)ソニーが継ぐものだと思っておった。次男は弱くて駄目だ。お前だけには(裏稼業の)跡を継がせたくなかった。」と言って、ドンの座を譲るシーンが泣かせます。
続いて「上院議員、知事、市長、なんでもいいから制度を作り、他人を動かす立場に立て。他人に人生を左右される立場にはなるな。わしはただひたすらファミリーをそういう輩から守る為に戦ってきた。だが、なれなかった。」と言い渡すのも良かった。
2作目は、アメリカの移民2世という現実にもがき苦しみ、アメリカ社会の暗黒面に落ちていくマイケルを、あえて逆光の暗い重苦しい画面で、ファミリーの崩壊寸前までを描きました。
監督が借金に苦しんだ末に作った3作目は、金の力で合法的に地位を得ようとしたマイケルが、因果応報、最後に全ての希望を失うという悲劇をオペラに絡ませて描きました。

「運痴」
「音痴」と「ウンチ」に引っ掛けて「運動音痴」を縮めた小中学校用語=造語ですね。私的に悲しい記憶と共に蘇ります。現在では「差別語」扱いされて死語になってしまったかも。
これも「ネルーのことば」と同じく彼の創作だったのでしょうか。

Posted by: トロ~ロ | March 17, 2007 08:34 PM

初めて、書き込みします。ちょっと感動(笑)

「運痴」は梶原一輝の造語ではないと思います。
1960年代後半に小学校を通過した世代では、よく使われて
いたと思います。とはいっても、運動神経が人並み以上の
人は、使ったことも使われたことも無いかも知れません。
都市部の小学生専用かなあ?

私も、悲しい思いでとつながっている言葉です。
親父に「運痴」って言われたことがありますから・・・

「肥満児」などという言葉と、セットになったりしてましたね。

Posted by: らいおん親方 | March 18, 2007 06:52 AM

なるほど「ゴッドファーザー」もビルドゥングスロマンの要素がありますね。最近のマンガ作品なら、森恒二「ホーリーランド」がまるきり「虹をよぶ拳」パターンです。

>運痴
そうですか、都会では実際に会話の中で使う言葉でしたか。ありがとうございます。

Posted by: 漫棚通信 | March 18, 2007 01:59 PM

「運痴」話の続きです。
たしかに都会のもやしっ子御用達の侮蔑語であろうと推測します。(私がそうなので)
でも小中学生用語というのは漫画などで読んで覚えて使ってみる例も多いので「本邦初の言いだしっぺ」が誰なのか、ネルーの言葉やトロツキー(?)の台詞と同様、語源が何であるのか興味津々です。
といっても調べて頂きたいのではありませんよ(笑)
シンジ君の元型(アーキタイプ)が「硬派・漢気」で知られる梶原一騎に遡れるという肝心なポイントの方を追求して頂きたい、と思います。

Posted by: トロ~ロ | March 18, 2007 07:54 PM

昔むかし、「暖簾」という映画がありました。

山崎豊子原作、川島雄三監督、森繁久弥主演、山田いすゞ共演(すごい顔ぶれ)。古きよき時代の東宝の文芸作品です。

森繁久弥は大阪のこんぶ問屋の主人です。苦労して店を興し、あとをつがそうと思っていた長男は戦死し、あまり勉強のできなかった次男が無事戦地から帰ってきます。

「あかん、できるやつは死んでもた。あいつは学校でラグビーばっかりやっとったやっちゃ。」(実際次男は画面にでてくるといつもラグビーのボールをかかえている)と森繁はなげきますが、この次男は立派にあとをついで店を大きくします(だったと思います)。

主人公が死んで、葬儀の日、次男(森繁久弥二役)が暖簾の横に立って、つぎつぎ訪れる弔問客にあいさつするところでエンドマーク。

あかんと思っていた人間が思いがけず大成する、というのは、再々はないんでしょうけど、あることはある。けっこうあるのかもしれません。それはちょっとしたドラマと思います。

Posted by: しんご | March 19, 2007 12:43 AM

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