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March 30, 2007

未読の山

 本日は本のご紹介。実はそれぞれまだ読み終わってません。読んでもない本について書くのもあれなんですが、ずいぶんとイッキ買いをしちゃったので、未読の山を眺めてますと読みおわるのは数年後になりそうな気がしたりして。でもいかにもおもしろそうなんですよ、これがみんな。

 まずはこれ。うしおそうじ『手塚治虫とボク』(2007年草思社、1800円+税)。

 うしおそうじは、特撮方面ではピープロ代表として有名ですが、マンガ家としては月刊誌時代のビッグネームのひとり。『チョウチョウ交響曲』や『朱房の小天狗』などが代表作です。きわめて緻密な絵と構成をする作家で、わたし大好きでした。今読んでもじゅうぶんおもしろいマンガです。

 著者は映像方面に行ってからは、マンガからはすっぱりと足を洗ってしまいました。うしおそうじと手塚治虫の親交は、うしおそうじのインタビューをもとに構成された鷺巣富雄(←うしおそうじの本名)『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(1999年太田出版)でも触れられていましたが、『手塚治虫とボク』はまずそこを中心に書かれています。

 うしおそうじは2004年に亡くなりましたが、この本は彼の残した文章から再構成されたものだそうです。赤本マンガ、月刊誌時代、アニメ草創期についてもたいへんくわしい。うーむ、必読本。


 二冊目はこれ。津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(2007年NTT出版、2400円+税)。

 うしおそうじの本にも、アニメ作家としての手塚治虫が登場していますが、本書はアニメ作家・手塚を本格的に評論したもの。マンガ家としての手塚治虫は言わずとしれた巨人でありますが、アニメ作家としてはどうか。

 手塚治虫は娯楽作品のプロデューサーとして、「鉄腕アトム」で週一回30分のテレビアニメを放映するという、現在も標準となっている日本アニメのフォーマットをつくりあげた人物であります。これについて、粗製濫造作品とか制作費のダンピングをおこなったとかの批判があるのですが、良くも悪くも、現在の日本アニメにおける特殊な演出の原点は手塚にあります。

 いっぽうで彼自身の演出作品は、娯楽作品、実験作品、いろいろあります。わたしの感想としては、言っちゃあれですが、あんまり感心したものではありません。カット間の動きと動きのつながりが無視されており、それこそマンガのようなアニメという印象でした。

 とまあ、毀誉褒貶あるアニメ作家としての手塚です。それに対する本格的評論。わたしはアニメにあんまりくわしくありませんが、この本は読まないわけにはいきますまい。今日もNHKBS2で虫プロ「あしたのジョー」が特集されてますが、なぜか今、手塚とアニメについて集中的に見聞きしてますねえ。


 三冊目。押山美知子『少女マンガジェンダー表象論 〈男装の少女〉の造形とアイデンティティ』(2007年採流社、2200円+税)。

 少女マンガでジェンダーで表象論であります。どれについてもよくわかんない。ああムズカシソウ、なのであります。で、読み始めるとそのとおり、ムズカシイ。

 内容は、少女マンガにおける男装の麗人を論じたもの、だと思います。きっと藤本由香里による少女マンガ論につながるものだと予測するのですが、ジェンダー/フェミニズムに知識がないから、読み進むのが遅々としてたいへん。学位論文をそのまま出版したものらしく、文章の正確さ命、読みやすさというものを廃した文章ですが、たまにはこういうのもいいか。


 次は洋書です。Scott McCloud 『Reinventing Comics』(2000年Perennial)。

 かつて邦訳され評判になった、スコット・マクラウド『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論』(1998年美術出版社、原著「Understanding Comics」1993年)は、マンガで描かれたマンガ表現論、というたいへん刺激的な本でした。必読の名著であります。その続編である本書も、いつ邦訳されるかと待っていたのですが、その気配がない。で、小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』で紹介されてたのをきっかけに、買っちゃいました。

 これもマンガで描かれた本です。広い意味での学習マンガ。わりとわかりやすく書いてくれてるんだろうけど、英語きっついわ。まだ最初のほうしか読んでませんが、これ、マンガ表現論の本じゃなくて、マンガに対して社会学的にアプローチした本のようです。アメリカンコミックス発展のためにとるべき戦略は何か、みたいなことが書いてあります。もちろん、日本における状況とは全然違いますから、確かに邦訳されないのもしょうがないかな。

 後半はネット上のマンガの可能性の話になってるようです。やっぱ、そこに行き着くのかー。


 最後が、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(2007年講談社現代新書、800円+税)。

 これは有名だからわたしが紹介するまでもないですね。『動物化するポストモダン』の5年半ぶりの続編。取り上げられてる作品の多くがマンガじゃないので、ちょっときびしいっす。すでにファウスト系作家と美少女ゲームは基礎教養になってんのかな。

 さて、どれから読むべきでしょうかね。


追記(2007/3/30 21:40):あらら、すでに「伊藤剛のトカトントニズム」でも同じような紹介が。一日遅かったか。

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March 28, 2007

あしたのジョーの時代

 昨日のNHKBS2『とことん!あしたのジョー』初日をぼんやり眺めてましたが、いや4時間は長い。

 藤岡重慶の丹下段平はやっぱいいっすねえ。井上伸一郎の、「ジョーの活躍期間は、15歳から19歳まで」(←これはちょっとおどろいた)、「ジョーは『まれびと』である」という指摘はおもしろかったです。ちょっとアレだったのが、オープニングのスタジオ部分。

 マンガとアニメのどっちにコメントしてるのかがよくわかんないところや、コメント内容がうすいのはともかく、書誌的部分といいますか、マンガの連載期間やアニメの放映期間ぐらいはちゃんと伝えてくれよー。

 マンガのほうのジョーの連載が「週刊少年マガジン」1967年末から1973年まで。虫プロ製作のアニメ『あしたのジョー』放映が1970年から1971年。アニメがマンガ連載に追いついてしまったので、対カーロス戦までで中断してしまいました。

 アニメは、劇場版の『あしたのジョー』、これはかつてのテレビ版の総集編でしたが、これが劇場公開されたのが1980年の3月。続いてテレビ版『あしたのジョー2』放映が1980年10月から1981年8月まで。劇場版『ジョー』は対力石戦までで、テレビ版『ジョー2』はその続編として作られました。ですから力石の死後、対カーロス戦まではテレビ版『ジョー』と『ジョー2』でダブって制作されています。このあたり、アニメ版『エースをねらえ!』の制作経過とちょっと似てますね。

 そして劇場版『あしたのジョー2』の公開が1981年7月。テレビ版の終了より先行して公開されております。前半はテレビ版の再編集ですが、後半はテレビ版とは別に描かれたものでして、ああ、ややこしいったら。というわけで、同じ出崎統監督とはいえ、アニメ版ジョーにはいろいろなバージョンがあるのであります。

 年代を細かくチェックしておりますと、たとえば、こんなことも気になったりします。

 アニメ版でこういうシーンがあります。まじめになった段平を見て、子どもたちが言うセリフ。「今まで毎日、血を売った金でのんだくれていたくせにさ」 これはマンガでもほぼ同じ。

 梶原一騎は『男の条件』でも、売血のことを書いてますね。ただし、『ジョー』や『男の条件』が描かれた1968年には、すでに商業血液銀行による買血(売血)にさまざまな問題があることが指摘されていました。

 1965年ごろまでは、手術に必要な血液は患者が高額で「買う」ものでした。輸血用血液は慢性的に不足しており、商業血液銀行で製造された輸血用血液を扱うブローカー(多くは暴力団関係)が暗躍したりしていました。しかし売血には、輸血後肝炎が高率におこる、頻回の売血が貧困層の健康をそこなう、暴力団の資金源になる、などの問題が存在します。欧米のような善意による献血事業への転換が進められており、売血の取り締まりは強化されていました。

 そこで売血に代わって登場したのが「預血」という行為。タテマエとして、売るのじゃなくて預ける形をとりました。

 200ml預血をすると、見舞金として商業血液銀行から500円がもらえたそうです(これでも売血に比べてずっと安い)。400mlの採血は禁じられていましたが、銀行側もそこをこっそりするものですから、一回に見舞金1000円。さらに預血証書というものがもらえますので、これをヤミで売ったりする。これがブローカーの手を経て患者の手もとに渡るわけです。

 というわけで、このころ、丹下段平がやってたのはこれですね。あしたのジョーの時代とは、こういう時代でもありました。

 商業血液銀行は、1969年には買血(売血)による輸血血液の供給を中止。1974年には預血制度も廃止されました。ただしその後も血液製剤を作るため、製薬会社による買血(血漿成分だけですが)が1990年まで続いていました。日本における有償の採血が禁止されたのは、なんとごく最近、2003年のことであります。

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March 26, 2007

あしたのジョーの読み方

 明日からNHKBS2で、「とことん!あしたのジョー」と題されたアニメ特集が始まるわけですが、これが何と5日間連続。これに先だち、一昨日の3/24、NHK教育テレビで「ETV特集 あしたのジョーの、あの時代 ~団塊世代 心の軌跡~」という番組が放映されました。

 てっきりアニメ特集の露払いかと思ってたら、なーんと、ジョーを通じて、あの時代を語る番組でした。この番組で示されたのは、(1)団塊の世代による、(2)「あしたのジョー」と(3)その時代の読み方、の提示です。

 高度成長期に始まって、全共闘運動のもりあがりと挫折に、ジョーのストーリーを重ね合わせる。確かに、ひとつの正しい読み方だと思います。でも、わたしの読み方じゃないなあ。

 このブログでは、基本的にできるだけ読者側の世代論的な読み方を廃するようにつとめております。その理由は、わたしの読み方が読者を優位に考えるのじゃなくて、作者の意図を読み取る方向にシフトしているのがひとつ。ま、そういう読み方が好きなんですよ。

 もうひとつは、自分とその世代を前面に出した読み方は、世代および時代をこえた普遍性に欠けるのじゃないかと思うから。読み方に普遍性などない、と言われればそれまでですが。

 じゃ、おまえの「あしたのジョー」の読み方はどうなんだ、と問われると、これがなかなか形になっておりません。宿題とさせていただいて、あしたからのアニメ特集見ながらゆっくり考えてみることにします。

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March 23, 2007

『愛と誠』と『ワイルドアームズ』

 先日、ながやす巧/梶原一騎の1973年作品、『愛と誠』のエピグラフについて書いたところ、コメント欄で情報をいただきました。PS2ゲーム『ワイルドアームズ ザフォースデトネイター WILD ARMS the 4th Detonator』のオープニング画面に、その英訳が流れているぞと。どうもありがとうございます。

 ゲームを年間に1本ぐらいしかしないワタクシではありますが、日本でただひとり、梶原一騎/ネルーの関係を調べてる人間としまして、この情報は無視できません。

 というわけで、買ってしまいました。PS2ゲーム。何やってんだろうね。

 モトネタのエピグラフがこれ。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである——
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)

 以前にも書きましたように、わたしはこの言葉、ネルーの書いたものではなく、梶原一騎の創作と考えております。

 そして、『ワイルドアームズ ザフォースデトネイター WILD ARMS the 4th Detonator』のオープニング画面を何回も見直して、読み取った英訳がこれ。一瞬しか流れないし、フリーズとかできないんですよ。

Love is no peace.
Love means fighting.

Fight desperately by the faith,
instead of weapons.
'Cause love is the most intense in this world.

Children,
engrave it on your heart.

 おお、なかなかにかっこいいぞ。

 でも、さすがにこれがネルーの書いた文章とは思えません。だいたい、「children」と複数形はなかろう。ネルーにとって、わが子はひとりだけのはず。この英文から和訳して、上の日本語の文章になるとは思えないし。やっぱ、ゲームを作るときに、日本語から「英訳」したものでしょう。

 でもゲームの発売が2005年。梶原一騎の文章が、実に30年ぶりに復活してるんだから、たいしたものであります。

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March 21, 2007

少年倶楽部のマンガ

 昭和前期の有名雑誌「少年倶楽部」には、どんなマンガが掲載されていたか。これを、尾崎秀樹『思い出の少年倶楽部時代 なつかしの名作博覧会』(1997年講談社、4000円+税)の年表から抜粋してみました。この本、『少年倶楽部』に掲載された作品以外の作品・作家も多く紹介されていて(もちろん、マンガ以外のほうが多いです)、わたしのような戦前子ども文化初心者にとってはたいへんありがたい。

・山田みのる『漫画日記』:大正9年10月号口絵、とじこみ付録
・「滑稽実話珍妙漫画展覧会」:大正12年9月号とじこみ付録
・宮尾しげを『鼻尾凸助漫遊記』:大正12年10月号(~大正14年6月号)
・宮尾しげを『孫悟空』:大正14年7月号(~大正15年8月号)
・宮尾しげを『坂田の金時』:大正15年9月号(~昭和2年12月号)

 大正期の子どもマンガ家といえば、『正チヤンの冒険』の樺島勝一と、この宮尾しげを。代表作は『団子串助漫遊記』などです。

・「初夏マンガ祭り」:昭和2年6月号特集:マンガがはじめてカタカナ表記される。
・田河水泡『目玉のチビちゃん』:昭和3年2月号(不定期連載)
・田河水泡『のらくろ二等卒』:昭和6年新年号(タイトルを変えながら、昭和16年10月号まで)
・宮尾しげを『三人三太郎』:昭和6年新年号(~6月号)
・「漫画大進軍」:昭和6年2月号付録
・「漫画愉快文庫」:昭和7年新年号とじこみ付録、色刷り32ページ
・「漫画愉快文庫」:昭和7年2月号特集

 昭和6年に『のらくろ』の連載開始。10年におよぶ長期連載になりました。昭和7年の「漫画愉快文庫」以来の短編マンガ特集は、こののちも繰り返しなされています。編集者の座談会によると、当時は子どもマンガ家が少なくて苦労したと。

連載『のらくろ』で人気上昇中の田河水泡先生に、四ページものの新連載を頼みました。これが『神州桜之助』です。これをこの企画の柱におくこととして、その他の多くは、外国雑誌から探した漫画をヒントに、軽妙なタッチの画家に頼んで、日本の子ども向きにまとめてもらったりしました。(元「少年倶楽部」編集部 松井利一)

 昭和初期の日本子どもマンガのお手本が、外国マンガだったことがわかります。これ以後、少年雑誌界にマンガブームというべきものが起きたそうです。

・田河水泡『漫画ブックのらくろ突進隊』:昭和8年2月号付録
・田河水泡『のらくろ大事件』:昭和8年5月号付録
・島田啓三『冒険ダン吉』:昭和8年6月号(~昭和14年7月号)
・「漫画学校」:昭和9年新年号付録
・「漫画列車」:昭和9年2月号(~8月号)
・島田啓三『冒険ダン吉海賊島の秘密』:昭和9年3月号付録
・吉本三平『ハヤブサ小探偵』:昭和9年4月号(~12月号)
・吉本三平『漫画遊戯ブックハヤブサ小探偵』:昭和9年7月号付録
・田河水泡『漫画ブック大暴れ猿飛佐助』:昭和9年10月号付録
・「漫画大行進」:昭和9年10月号(~昭和10年12月号)
・中島菊夫『日の丸旗之助』:昭和10年新年号(~昭和16年9月号)
・『のらくろ軍事探偵・ダン吉島の暴れ正月』:昭和10年新年号折り本付録

 「少年倶楽部」マンガのもうひとつの柱、島田啓三『冒険ダン吉』の連載開始が昭和8年。吉本三平は、幼年倶楽部『コグマノコロスケ』が人気だったマンガ家。昭和10年には中島菊夫『日の丸旗之助』の連載が開始され、少年倶楽部マンガのビッグ3が勢ぞろいします。

・田河水泡『のらくろ小犬時代』:昭和10年7月号付録
・田河水泡『のらくろ士官学校の巻』:昭和11年新年号付録
・島田啓三『漫画講談真田大助暴れ漫遊記』昭和11年新年号付録
・「漫画大進軍」:昭和11年新年号(~昭和15年12月号)
・「漫画の爆弾」:昭和11年5月号付録
・田河水泡『のらくろ鬼少尉』昭和12年付録
・石田英助『弥次さん喜多さん滑稽道中記』:昭和12年4月号(~昭和13年12月号)
・井上一雄『愉快小僧』:昭和13年新年号(~昭和16年12月号)
・田河水泡『のらくろ剛勇部隊長』:昭和13年新年号付録
・「少年漫画劇場/田河水泡『のらくろ肉弾中隊』・島田啓三『冒険ダン吉動く日の丸島』」:昭和14年新年号付録

 昭和13年には戦後に『バット君』を描いた井上一雄の『愉快小僧』が続き、昭和13年はじめには、『のらくろ』『ダン吉』『旗之助』『愉快小僧』『弥次さん喜多さん』、短編マンガ集の「マンガ大進軍」というラインナップ。それぞれが短いページとはいえ、マンガのスペースが相当量占めていたことになります。

 しかしすでに、マンガ・少年読物に対する国家統制が始まっていました。昭和13年10月、内務省より「児童読物改善に関する指示要綱」が通達されます。少年雑誌界で「内務省通達」とか「雑誌浄化運動」と呼ばれるものです。

 そこでは「廃止すべき事項」として、「小さな活字」「フリガナ」「懸賞」「自家広告」「次号予告」「連載予告」「ふろく(オマケ)、ただし正月号を除く」「卑猥な挿画」「卑猥俗悪ななマンガ、赤本マンガ」などがずらずら挙げらていました。

 さらに編集上の注意事項としては、

「フィクションを現在の半数以下にする」
「時代小説を、小国民の生活に近い物語か、日本史を題材にしたものに変更」
「冒険小説を、探検譚あるいは発見譚に変更」
「これによって得たページを科学、歴史、古典の記事に振り分ける」
「マンガを減らす、とくに長編マンガを減らす」

 などなど。これでもかというくらいこまごまと指導されています。この指導要綱が出されたのは昭和13年10月ですが、「少年倶楽部」では、すでにその前年、昭和12年7月号を最後にふろくが消えていました。日中戦争勃発とほぼ同じ時期。出版用紙の節約が要請されたとのことですが、内務省通達以前から国家統制が始まっていました。国家総動員法の成立が昭和13年の4月。以後、終戦までの少年倶楽部に付録がついたのは、昭和13年の1・7・10月号と夏休み増刊号、そして、昭和14・15・16年の1月号だけでした。

 昭和14年2月号より、総ルビが廃され、一部のむずかしい漢字にルビがふられるだけになりました。雑誌の内容も変化していきます。山川惣治による絵物語の登場は昭和14年7月号からですが、紙芝居で人気だった『少年タイガー』を描いたわけではなく、『宣撫の勇士』『幻の兄』『ノモンハンの若鷲』『われ等の大地』『戦死した唐犬』『軍馬を育てる人々』『愛路少年隊』『間宮林蔵』『この国土のために』『北里柴三郎博士』『国友藤兵衛』『砂糖に打ち込む魂』『郡司大尉』『和井内鱒』などの作品。一部に内容が想像できないようなタイトルもありますが、いかにも内務省のOKが出そうな気がします。ただし山川惣治の執筆も昭和16年まで。

・島田啓三『カリ公の冒険』:昭和14年8月号(~昭和15年2月号)
・林田正『ほがらか王君』:昭和15年新年号(~昭和17年12月号)
・吉本三平『銃後の健ちゃん』:昭和15年5月号(~6月号)
・島田啓三『困らぬ小父さん』:昭和15年10月号(~昭和16年7月号)

 昭和16年10月号、『のらくろ』の長期連載終了。その前月号では、これも長期連載だった『日の丸旗之助』が終了しています。

 『思い出の少年倶楽部時代』の編集者座談会によりますと、田河水泡は内務省通達に対して、先頭に立って漫画擁護論をぶったため当局ににらまれていた、とあります。連載末期では、のらくろはすでに軍隊をやめていました。それにもかかわらず、『のらくろ』は情報局の命令で執筆中止になりました。

 田河水泡の義兄に当たる小林秀雄のエッセイ『考えるヒント』の、『漫画』の項(執筆は1959年)によりますと、

「のらくろ」大尉は、悶々として満州に渡った。大東亜の共存共栄が、当時の政府のかかげた理想であり、「五族協和」は満州国の憲法であった事は、誰も知るところだ。勢い、「のらくろ」も、満州に行くと、仲間以外の附き合いもしなければならず、と言って、作者としては、漫画の構成上、人間を出すわけには行かず、ロシヤ人めいた熊や朝鮮人めいた羊や中国人めいた豚を登場させる仕儀。或る日、作者は、情報局に呼び出されて、大眼玉を食った。ブルジョア商業主義にへつらい、国策を侮辱するものである。とくに最友好国の人民を豚とは何事か。翌日から紙の配給がなくなった。

 小林はこのことを「のらくろ発禁事件」と呼んでいます。

・井上一雄『健ちゃんの鍛錬』:昭和17年新年号(~12月号)
・島田啓三『ダンちゃんの荒鷲』:昭和19年新年号(~昭和20年7月号)

 敗戦まで続いたのは、島田啓三『ダンちゃんの荒鷲』だけ。その次の昭和20年8月9月合併号は敗戦後の号、表紙には「仰げ日の丸、新日本の門出だ」という文字がありました。

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March 18, 2007

「9-11」とアメリカンコミックス

 小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』(2007年NTT出版、2500円+税)読みました。

 (1)アメリカンコミックスに対する日本における理解不足・誤解の蒙を啓き、(2)「9-11」により、アメリカンコミックスがいかに変化したかを論じ、(3)ひるがえって日本マンガの状況はどやねん、という本です。

 冒頭にこうあります。

まず最初にはっきりいっておきたいのは、私たちはアメリカンコミックスというメディア、文化について知っているような振りをするのはいい加減やめるべきだ、ということである。

 この部分を読んで、アメリカンコミックスについてほとんど知らないわたしの同居人も、「ケンカ売ってる?」と言っておりましたが、そのとおり、これはまちがいなくケンカを売ってる本であります。

 あとがきにはこのように。

本書で書かれている事柄の多くは熱心なマンガ読者にとってすら聞いたこともないようなことが多いだろうが、それはわたしのアドバンテージではなく、第一章で述べたように「手塚治虫はアメリカンコミックスに影響を受けている」と記述しながら比較対象であるアメリカンコミックスについてはほとんど検証してこなかった日本のマンガ研究、批評の側の問題に由来する。この点に関しては改めてはっきりと批判しておく。

 わたしは研究者でも何でもないですが、ネット上とはいえ、たまーに海外マンガの紹介を書いてますし、「9-11」についてのコミックスにも触れたことがある者としまして、やっぱ批判されてるよなー。上記(1)の啓蒙の部分に関しては、もうなんといいますか、膨大な文献(もちろん英語文献)を引用して、こちらの考え違いをことごとく正してくれます。

○コミックブックとコミックストリップは、「ジャンル」が違うのではなく、「メディア」が違う、文化的地位が違う。
○子ども向けアメリカンコミックスは、全体のごく一部。
○アメリカンコミックスにも、ポルノコミックスはいっぱいある。
○流通の問題により、かつてアメリカンコミックスは読者が手に入れること自体に苦労していた。
○アメリカンコミックスにおける出版社・作家の対立は、作品の表現の問題ではなく、商業的権利の対立である。
○コミックスコードはマッカーシズムの時代の産物で、他のすべてのメディアでも同じような規制があった。コミックスコードがアメリカンコミックス衰退の原因ではない。
○日本の少女マンガの特徴と思われているモノローグは、アメリカンコミックスでも多用されている。
○日本マンガのアメリカ進出は、「日本産コンテンツのソフトパワー」によるものでなく、関係者の地道な努力によるもの。

 わたしにとってもっとも興味深かったところは、冷戦とアメリカのコミックスコードの話です。日本では、戦争中の統制による抑圧→敗戦による解放→マンガにおける作家性の獲得。これがアメリカにおいては、冷戦によるコミックスコードでの抑圧→カウンターカルチャーとしてのアンダーグラウンドコミックスによる作家性の獲得、という形に対応する、という説。

 日米のこういう比較ははじめて読みました。そしてその結果、アメリカンコミックスは極度に商業主義的なものと極度に表現主義的なものに二極化。これに対して日本では、この抜け落ちた中間部分のマンガ、商業性と作家性を両立させた作品群が爆発的成長を遂げました。

 著者は、アメリカンコミックスはその後、この中間を埋める作品をゆっくりと生み出していくと語ります。ならば、日本マンガがアメリカで受け入れられつつあるのもこの流れなんだろうなー、と考えるのですが、著者の筆はそこまでは進みません。このあたり、実に慎重。

 で、本論に入ります。(2)の「9-11」後のアメリカンコミックスの、とくに作家のとまどいが多数レポートされ、圧巻。そして(3)の日本マンガ/アニメの状況、作品、批評について語られます。著者の問題意識はここに重点があります。

 アメリカンコミックスは現在、明らかに戦時下にあります。そして、戦時下で作家たちがどのように行動したか、行動しているか、わたしたちが範とするものがそこにある、はず。著者は現在の日本も準・戦時下にあるとの認識です。

 本書は政治とマンガのあるべき姿、さらには政治・社会とマンガ批評のあり方を考える書でした。著者の立場は、マンガ作家は戦争/政治に対し「踏みとどま」り、マンガ批評は逆に政治/社会を取り込むべき、というものです。その意味では本書自体が、かつての「自分語り」マンガ批評に対する批判であり、後者の実践でもあります。

 アメリカンコミックスについての啓蒙の書であり、かつ戦時下のマンガのあり方を考察した欲張った本です。状況の解説から一歩踏み出し、問題意識に満ちた意欲作。そして著者の自信が示すように、アメリカンコミックスについての日本での必読書になるでしょう。感心して読みました。

 ひとつだけ。著者の疑問、手塚治虫がきちんとした自伝を書かなかった理由について。おそらくは、彼が年齢詐称と学歴詐称、二重のウソを生涯つきとおしていたからじゃないでしょうか。えらく下世話な理由ではありますが。医学生時代、インターン時代のマンガ家との二重生活は、おもしろい話がいっくらでもありそうなのに、ご本人が封印してますし。

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March 16, 2007

『虹をよぶ拳』はエヴァの先駆である

 つのだじろう/梶原一騎『虹をよぶ拳』全四巻がマンガショップから復刊されております。

 「冒険王」1969年6月号から1971年6月号連載。かつて発売されていたサンデーコミックス版が長らく品切れとなっていましから、ずいぶん久しぶりのお目見えです。わたし、このマンガ、月刊マンガ誌時代末期の連載中にリアルタイムで読んでおりまして、実を言いますと、梶原一騎の最高傑作ではないかと考えておりました。

 勉強はできるけどひ弱な中学生・春日牧彦が同級生に影響されて空手道場(極真会館がモデル)に入門し、日本を代表する空手家に成長してゆく物語。

 週刊少年マガジンで1966年に始まった『巨人の星』の連載が1971年3号までですから、その連載末期に重なるころ、すでに梶原一騎ブランドは確立されていました。1968年開始の『あしたのジョー』が連載ど真ん中。そんな時代。週刊少年マガジンの『空手バカ一代』の連載開始が1971年22号。『虹をよぶ拳』は『空手バカ一代』と入れかわる形で終了したことになります。

 『虹をよぶ拳』は、「協力・空手八段 大山倍達」とありまして、梶原一騎にとってはまさに極真会館、空手モノのマンガとしての第一作。いっぽうのつのだじろうにとっても子どもマンガタッチから劇画タッチへの移行期作品でした。

 今回読み直してみて、前半に限れば、やっぱ梶原マンガの最高傑作ではないかと。どこがいいかと言いますと、主人公の造形がすばらしい。主人公・春日牧彦は、梶原マンガの他の主人公と違って、ケンカが苦手の「運痴」(←梶原特有の言い回しですが、この言葉、梶原マンガ以外では見かけたことありません。これって一般的な言葉なんですか?)であります。その彼が空手修行そしてタコ部屋に放り込まれて、野獣として目覚めてゆく物語です。

 主人公が最初からケンカが強いわけではない。むしろ、いじめられっ子で腕立て伏せ一回もできないようなヤツ。梶原一騎としては、『巨人の星』の牧場春彦、『愛と誠』の岩清水弘を主人公にして作ったマンガということになり、きわめてイレギュラーな作品です。

 主人公の中学生・春日牧彦(←この名前からして『巨人の星』に登場するマンガ家志望の同級生・牧場春彦のアナグラムのようなものです)は、飛び箱が跳べない、懸垂ができない、女の子にもてない、マイホームパパの父親が尊敬できない、教育ママの母親が嫌い。彼は空手道場に通い始めますが、両親からはあいかわらず反対され、先輩からはシゴかれ、ヤクザとケンカしてみるけど「ごめんなさい」「ゆるして」と泣きながら土下座する。

 この主人公を見て、誰かを思い浮かべませんか。そう、エヴァのシンジであります。世界が破滅しようがどうしようが、自分と親、自分と友人、自分と彼女の関係しか考えないシンジくん。『虹をよぶ拳』の主人公・春日牧彦は、自分の周辺のあらゆることに対して不満ばかり。世界国家社会を考えるわけではなく、自分の周囲での上下関係、強弱関係を考えているばかりです。まさにシンジと同じ。

 これは若き日のわたしです。そしてかつてのあなたかもしれない。自分の周囲のことにしか頭が回らず、自分と親、自分と級友との関係でしか世界を考えられなかったころのわたしとあなた。だからこそ読者の共感を得ることができるし、読んでいて身につまされる。

 この主人公設定は、現代にも十分通用します。この作品での梶原一騎は、古い浪花節的作品を書いていたとの世評は逆に、まさにその後の時代に通じる最先端の主人公を造形していたのではないか。

 『虹をよぶ拳』の舞台はそこそこ安穏な1970年代日本ですが、エヴァのシンジは破滅を目前にした世界に生きていました。そのぶん後者の設定はずいぶんと進歩していますが、主人公の心性はほとんど同じ。

 『虹をよぶ拳』の後半は、強くなってしまった主人公の物語となり、姿三四郎以来のありきたりの展開。最後は『空手バカ一代』と重なったため中途半端な未完として終わりました。ですから完成度としては低い作品ではありますが、その目指していたところはきわめて高いものだったと考えます。そして、現在のマンガ・アニメの先駆となった典型的梶原作品は、まさにこの作品ではないでしょうか。

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March 14, 2007

表記のモンダイ

 このブログでは、漫画・マンガ・まんが・劇画・コミック・コミックス・アメコミ・カートゥーン・カリカチュア・バンドデシネなど、世界じゅうのマンガ的なものすべてを総称して、カタカナで「マンガ」と表記してきました。読むひとにとってはどうでもいいことでしょうが、書くほうはけっこう気にするんですよ(←わたしだけか?)。ところが、どうも最近、これではちょっとマズイかな、と思うようになってきました。

 その理由の最大のものは、ここ数年で「manga」が欧米では、「日本マンガスタイルで描かれたコミック」の意味になっちゃったから。つまり「manga」といえば、かつて日本製コミックという意味で使われていたのが、「ジャパニーズマンガスタイル」という単にコミックのスタイルを示すように変化してきたことによります。

 ですから、「アメリカンマンガ」というようなものも出現するわけで、これは「アメリカ人がジャパニーズマンガスタイルで描いたコミック」を指します。こんな日が来ようとは、だれが想像したか。

 わたしが3年半ぐらい前からネットで文章を書き始めて以来、ずっとカタカナで「マンガ」と書いて、すべてのマンガ的なものをこの言葉で表現してきました。「マンガ」という言葉で世界じゅうのものを代表できたらいいなという、ちょっと国粋主義的な気分もあったかもしんない。

 しかし、日本マンガが世界に進出するいっぽうで、「マンガ」は世界じゅうののマンガ的なものを指す言葉になることはなく、逆に英語に取り込まれてしまい、「マンガ」といえばコミックのいちジャンルを示すにすぎなくなってしまいました。

 ですから「アメリカではマンガはどのように読まれるか」という文章があったとして、ここで言う「マンガ」とは、「アメコミを含めた一般的なマンガ的なもの」なのか、「日本マンガあるいは日本マンガスタイルのコミック」なのかの注釈が必要となります。最近ではふつう、後者として受け取られるようになってしまいました。ホントこんなニュアンスになったのはごく最近ですよ。こんな日が来ようとは。

 さあ、困っちゃったな。今後どうするか決めかねているのですが、他の文章書くひとはどうしてんのかしら。このあたり、意識的なひと、無意識なひと、いろいろです。

 「劇画」はもう歴史のかなたに去ってしまったのかな。劇画は、確かにある種のムーブメントで言葉の起源もはっきりしてます。しかも成功してこの言葉、大流行したわけですが、現在からさかのぼって考えると、水木しげるも白土三平も小島剛夕も「劇画」と称するのはどうだったでしょうか。みんな紙芝居出身者だし、関西系貸本とは別の出自ですから、ちょっと違うんじゃないかなあ。

 いずれにしても、今、劇画という言葉をつかうひとは、よっぽど意識して使うひとか、逆にまったくなーんにも考えずに使うひと、のどっちか。ただしエロ劇画は別で、美少女系エロマンガと区別するために、まだジャンルを示す言葉として残ってるようですね。

 漢字の「漫画」は根強いです。多くの批評文が、「一般的なマンガ的なもの」として「漫画」を使ってるみたい。「マンガ」とカタカナで表現するときは、「ジャパニーズマンガスタイル」であるか、そこまで世界を意識してなくても、手塚以後の戦後マンガ、とか、ストーリーを重視したマンガ、の意味で使ってることが多いような(気がします)。

 ひらがなの「まんが」はどうかなあ。字面が柔らかくていい感じなので今後も使用されるでしょうが、これ、という意味は与えづらいかしら。ま、このあたり流行によりますが。

 石ノ森章太郎が提唱した「萬画」は定着しませんでしたね。梅原克文の「サイファイ」みたいなものか。

 「コミック」は、小学館系があいかわらず使ってます。「小学館コミック大賞」がありますし。オヤジ向け週刊誌も、無意識でしょうけど、コミックって使ってるよなあ。ココログの分類でも「アニメ・コミック」です。

 だいたい出版や書店の用語として、「コミック」というのがすでに存在するようですし、日本で「コミックス」と言えば主に「マンガ単行本」を意味します。「今月のコミックス」とかね。

 ただ「漫画」をあえて使用せず日本マンガを「コミック」と呼ぶ、という選択は、かつてはそれなりに意味があったかもしれませんが、今はどうなんだろ。わたしには、ひと回りしてしまって、かえって時代遅れみたいに感じられてしまうのですねー。

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March 11, 2007

梶原一騎とネルー(その3)

(前回からの続きです。今回でおしまい)

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)


■インディラの結婚

 若きネルーは「愛のない結婚はすべきではありません。ただ子どもを作るためだけで結婚するのは、罪悪だと思います」と手紙に書いていました。しかし当時のインドでは当然のように、自身はお見合い結婚。

 かなりスキャンダラスに書かれたネルー家の伝記には、ネルーは「結婚をしぶしぶ承諾」したもので、インディラが幼いころ、「両親の間に愛はない」状態だったと書かれています。ネルーの妻、カマラ夫人にとって、夫はいつも政治活動をしているか投獄中。姑や小姑との関係にも苦しんだ彼女は、娘に対して、女性の幸不幸を決定するのが男であるという現状を語り、それを打破するためには女性の自立の必要であることを説いたそうです。いかにも戦前のアジアですなあ。日本にも似た話がありそう。

 「愛は戦いである」が書かれたとするなら、それはネルーではなく、カマラ夫人の言葉であるべきだったかもしれませんね。

 カマラ夫人は、1936年に36歳で亡くなりましたが、その後のインディラの結婚はインドの慣習を破るものでした。

 インディラはイギリス留学から1941年に帰国しました。彼女は留学中に知り合ったゾロアスター教徒のフェローズ・ガンジーと婚約します。彼はゾロアスター教徒。1000年前にインドに移住したイラン系の子孫になるそうです。マハトマ・ガンジーとの縁戚関係はありません。

 フェローズはヒンズーではない異教徒ですから、カーストもなし。ネルー家は最高カーストのバラモンの名家です。彼らの結婚は家族(ネルーとその妹たち)から強い反対を受けました。宗教の問題というより、富裕層だったネルー家と、中産階級のフェローズの社会的階級の違いが大きかったようです。

 それでも、インディラとフェローズはがんばって結婚することが決まりましたが、今度はこれが報道され国民から非難されることになります。なぜネルー家の娘がゾロアスター教徒と結婚するのか。これはヒンズーへの侮辱である。これに対し、ネルーは新聞に釈明のための声明文を出さなければなりませんでした。

 ふたりは1942年に結婚。その後インディラはインディラ・ガンジーを名のることになります。

 インディラはずいぶんと「愛の戦い」をしました。それに父親であるネルーも、インディラの結婚を承認していたマハトマ・ガンジーも、彼女の結婚を国民に説明するのにたいへんなエネルギーを使わなければなりませんでした。

 ホントにネルーが「愛は戦いである」と書いてたとしたら、彼女の結婚のときネルーは、ああ、あんなこと書くんじゃなかった、なんて頭をかかえたかもしれません。


■英語で書くとどうなるか

 ネールはインディラに対する手紙を、いつも英語で書いていました。ならば、「愛は平和ではない 愛は戦いである」はどう書かれていたのでしょうか。

 「Love is not peace. Love is fight.」になるのかしら。あるいは「Love does not mean peace. Love means fight.」てのはどうか。でもこれ、文意としてずいぶんヘンな英語じゃないかなあ。「Love is not peaceful.」ではますますヘンだし。「To love is to fight.」ならちょっとましか。これらの訳文を「Nehru」と並べてググってみましたが、残念ながら何もヒットしません。

 「武器のかわりが誠実」は、「sincerity instead of weapons (arms)」になるのでしょうか。こういう言い回し自体が存在するのかどうかわかりません。なんとも、もとの英文に戻しづらい日本文のように思われます。英文の名文家として有名なネルーの文章にしてはどんなもんでしょ。

 さらに「誠実」と書いて「まこと」と読ませる、このあざとさは、英文を日本語に訳したもののようには、どうも思えません。

 そして、ネルーのインディラへの手紙をずいぶん読んできましたが、「わが子よ」あるいは「わが娘よ」という呼びかけは、見たことがないのでした。


■梶原一騎はなぜネルーを選んだのか

 さて、ネルーの著書から「愛は平和ではない」を見つけることができなかったからと言って、この言葉を梶原一騎の創作と断定できるわけではありません。雑誌に掲載された記事かもしれないし、日めくりカレンダーの「今日の名言」に書いてあったのかもしんない。

 ですから、ここから先は、仮定の上に立った想像です。

 梶原一騎は『愛と誠』連載開始にあたり、エピグラフを使ってみたかった。そのほうが、何かかっこいい「文学的」なマンガに見えるからです。そしてエピグラフにはその作品の主人公と同じ「愛」と「誠」という言葉がぜひ欲しい。でもそんな文章がすぐに見つかるわけはありません。そこで「愛」と「誠」が書かれたネルーの手紙を創造したのじゃないか。でも、なぜネルーなのでしょう。

 日本人はネルーにどのようなイメージを持っていたのか。

 戦後のネルーは、アジア・アフリカの良心の具現であり、平和思想のチャンピオンでした。理想主義を掲げた政治家であり、かつすぐれた思想家でもありました。1955年、インドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議では中心的指導者として、東西冷戦のなかでの非同盟を主張。

 ネルーは、日本にとっては1949年、上野動物園にゾウの「インディラ」を贈ってくれた恩人でもありました(ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、というあの歌はインディラを歌ったものですね。上野動物園での「象呈式」には、吉田茂首相やら都知事やらが出席して、それはもう大騒ぎ)。1957年、ネルーが、娘のほうのインディラを伴い国賓として来日したときは、ふたりとも「どんな映画スターもかなわない」ほどの大人気だったそうです。

 ただし、1960年代になるとチベット反乱と中印国境紛争のため、ネルーの国内指導力は急速に低下。ネルーは1964年に亡くなっています。インディラは父親の死後、1966年にインド首相になりましたが、父親と異なりかなりの強権政治をやってまして、1971年印パ戦争とか1974年地下核実験とかもこのひとの時代のもの。

 梶原一騎がネルーに対して、ある種の共感を感じ、理想像を見ていたのは確かでしょう。

 ガンジーの非暴力・不服従、ネルーの非同盟。この思想は『愛と誠』のなかでは、岩清水弘と早乙女愛の行動に現れています。

 岩清水は、非力な身でありながら、主人公・太賀誠と対等の決闘をしてみせました。それは暴力によるものでなく、勇気を比べるもの。地面に突き立てたナイフに後ろ向きにどれだけ近く倒れることができるか、という勝負です。早乙女愛は、集団によるケンカのど真ん中に出て行き、無防備に双方から投石を受けて大ケガをしながらケンカをおさめようとします。

 ともにキリスト教的博愛よりも、ガンジー・ネルーによる、非暴力・不服従・非同盟の影響を強く感じてしまいます。

 男礼賛、暴力礼賛と思われている梶原一騎にして、これは奇妙なこと。でも人間、ヒトスジナワではいかないものです。梶原一騎の心の中に住むもうひとりの梶原一騎は、ガンジーのような、ネルーのような思想や行動を、理想と考えていたのかもしれません。

******************

 このあたりでオシマイです。ひととおりネルーの文章にあたってみたつもりですが、「愛は平和ではない」は見つかりませんでした。わたしにとって、この言葉は梶原一騎の創作なんじゃないかという疑惑は、ほぼ確信となっています。

 ほとんどすべての梶原一輝作品には、平和な日本、マイホームパパ、教育ママ、すなわち堕落した日本への怒り、そして「現在」への不満がみちみちています。「愛は平和ではない 愛は戦いである」 常識の裏をいくようなこの表現。この言葉も、ネルーが娘に向けて言ったものではなく、梶原一輝が1970年代の日本人に向けて投げかけた言葉であると考えます。

 でも、証明できたわけではなく、すべては可能性にすぎません。もしまちがってたらゴメンナサイ、先にあやまっておきますね。

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March 10, 2007

梶原一騎とネルー(その2)

(前回からの続きです)

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)


■ネルーの書簡集

 さて、ネルーから娘への手紙。ネルーの書簡は、書物としてまとめられているものがあります。

○古代史物語 父から娘への手紙
○父が子に語る世界歴史
○忘れえぬ手紙より

 『古代史物語 父から娘への手紙』(1955年日本評論社)は、1928年ネルーが投獄されたとき、監獄から10歳の娘に宛てて書いた30通の手紙をまとめたもの。地球の誕生、生物の誕生、文明の誕生をわかりやすく説いたものです。

 内容は、理科と社会科が混ざった小学校の副読本、といった感じ。ま、娘はまだまだコドモですからねー。愛だの何だのは出てきません。

 ネルーの書簡として最も有名なのが、『父が子に語る世界歴史』です。これもネルーが獄中にあるとき、インディラに出した書簡集。『古代史物語』の続編にあたります。現在も大山聰訳でみすず書房から全八巻で刊行されていますが、これは名著との評判高く何度も再版されてまして、日本での初版は1954年に日本評論新社から出版された全六巻のものです。子ども向けに編集された『父が子に語る世界史物語』(1976年あかね書房)というのも出版されてます。

 書かれたのが1930年から1933年まで。インディラが1917年生まれですから、まだローティーン。けっこうな大著で、梶原一騎がこれを読んでたとしたら、たいしたものです。ただしこれはまじめに歴史を語った本。ネルーは娘にこういう手紙を書いています。

しかし、たとえどんなことがあろうとも、われわれはわれわれの運動の大目的をうらぎったり、われわれの人民の不名誉になるようなおこないをすることは、けっしてゆるされないのだということを、よくよくおぼえておこう。われわれがインドの戦士であるべきである以上は、われわれはインドの名誉をあずかっているのだ。そしてその名誉こそは神聖なあずかりものなのだ。(誕生日を祝う手紙、1930年10月)

おまえはしあわせな少女だ。ロシアにあたらしい時代をみちびきいれた大革命とおなじ年の、おなじ月に生まれたおまえは、いま眼のまえにじぶんじしんの国に革命が進行するのをみまもっている。そしてやがて、おまえじしんがその中に参加することだろう。(生存のためのたたかい、1932年3月)

 このようにネルーはインディラに、まず戦士たることを望んでいました。その目指すところはあくまでもインド人民の解放です。

 ネルーがこれらの書簡を書いていた1930年代はじめとはどんな時代だったでしょうか。日本は満州国を建国し、同時代のネルーから「かいらい」であると指摘されています。ヒトラー台頭のためにドイツを追われたユダヤ人アインシュタインは「現代最高の科学者」とみなされている、スペインでは革命と反革命の大きな戦いがあり、ドイツではナチスが政権をとる、そんな時代。そしてインドはあいかわらず、貧困の代名詞とも言える国でありました。

 この本で語られる愛は、まずインド人民への愛です。インド人民の解放=独立の闘士であったネルーにとって、人民への愛はもちろん平和じゃなくて戦いでありました。「愛は戦いである」と言われればそのとおりですが、アタリマエといえばアタリマエ。あらためて宣言するようなことでもなさそうです。

 その他に愛についてはこんなふうに触れているところもあります。

家族や、友人の間の愛情があり、共通の大目標のためにはたらく人たちの同志愛があり(最後の手紙、1933年8月)

 しかしさすがに男女の愛については語っていません。

 さらにネルーの書簡集といえば、『忘れえぬ手紙より』というのがあります。全三巻で、みすず書房から1961年から1965年にかけて出版されたもの。多くは、ネルーがもらった書簡(マハトマ・ガンジーとかチャンドラ・ボースのが多いです)を集めたものです。毛沢東からの手紙とか、蒋介石からの手紙なんかも混じってて、ちょっとびっくりします。

 一部にネルー自身が書いた手紙もあるので読んでみましたが、娘に出した手紙は含まれていませんでした。


■その他の著作

 書簡集じゃないのを探してみますと、自伝があります。『ネール自叙伝』(国際日本協会1943-1948年、竹村和夫/伊与木茂美訳)、『ネール自伝』(東和社1953年、平凡社1955年、立明社1961年、角川文庫1965年、磯野勇三訳)などが刊行されてます。また中央公論社『世界の名著』シリーズにも『ネルー自叙伝』(蝋山芳郎訳)が収録されてます。旧版の63巻、今は中公バックス版の77巻。何度も再刊されてますが、最初のものは1967年刊です。

 わたし個人的にこの本なつかしくてねー。『世界の名著』にはガンジーとネルーの自叙伝がならんで収録されてますが、これってわたしが若いときに読んだことのある本でして、とくにガンジーの自叙伝は、会話文が多くて読みやすいし波乱万丈の生涯だし、おもしろいんですよ。

 『世界の名著』なら梶原の書斎にあってもしかるべしの本。もしかしたら。ただし『世界の名著』の『ネルー自叙伝』は抄録です。

 で、『世界の名著』の『ネール自叙伝』と角川文庫『ネール自伝』を並べてぱらぱらと。この自伝も1934年から1935年の投獄中に書かれたものです。ネルーは生涯何回も獄中生活を経験していますが、投獄されるたびに著作を執筆しています。

 ここに一部、ネルーが性愛について語った部分があります。マハトマ・ガンジーは性愛に対してかなり極端な意見を持っていて、「子孫を持つ欲望のない男女の結合は罪悪」で、男女が性的に結びつけられようとする力は「夫婦の間においてでも自然なものではない」と断言してます。産児制限にも当然反対。実際にガンジーは、結婚してたし子どももいっぱい作ったのですが、そのあと完全な禁欲生活にはいっちゃったというひとでした。

 理性のひとネルーは、ガンジーのこの考え方に反論しています。「私は自分を通常の個人と考え、性は私の生活にその役割をはたした。しかしそれは私をなやましたり、他の活動から私をそらしたりすることはなかった」

 さらに妻への愛情を語った箇所があります。自身の結婚のときの記述はさらっと流されてますが、自伝のあちこちで妻への感謝が表明されています(妻カマラは、自伝刊行時にはすでに亡くなっていました)。

妻は矜持高く、敏感であったが、私のきまぐれを耐えてくれたばかりでなく、慰安を一番必要とするおりには私に慰安をもたらしてくれた。(『自伝』疑惑と闘争)

 そして病床の妻を前にして。

私が妻を必要とすること今より大なるはないときに、私を置いてきぼりにするようなことがあってはならない。今やっとお互いが真に相知り理解するようになったばかりではないか。私たちの結合した生活は、これから本当に始まろうとするところである。私たちはこれほど頼り合い、これから一緒にすることがこんなにたくさんある。(『自伝』十一日間)

 こういうネルー自身が男女の愛について書いた部分を読むと、彼にとって男女間の愛は、互いに安らぎを与えあうことを理想にしていたと思われるのです。ネルー自身もお見合い結婚でしたしね。

 もともとネルーの時代のインドでは、恋愛結婚は通常ありえません。ネルーは最高カーストのバラモンでしたが、当然ながら彼の結婚も父親が決めたもの。炎のような恋愛のすえ、結婚したわけではないのです。彼にとって男女の愛は「戦い」だったかどうか。

 そしてネルーと宗教。インドは宗教の国です。しかしネルーは社会主義者として常に宗教とは一定の距離を置いていました。ここが宗教家であるマハトマ・ガンジーと違うところ。ネルーの生涯はずっと宗教に悩まされてきました。インド独立への道はヒンズーやイスラムによる宗教民族運動の暴走と対立をなんとか抑えまとめようとすることでしたから。

 ネルーの宗教観については、『父が子に語る世界歴史』にも以下のような文章がありますし、『自伝』などは、宗教に対するグチがずっと続いているような本でもあります。

わたしはどうも来世などということにはさらに関心を持たないらしい。(略)おまえがおとなになったら、おまえは宗教的な人々や、反宗教的な人々や、そのどちらにも無関心な人々や、あらゆる種類の人々にであうだろう。大きな財力と権力とを所有する大きな教会や宗教団体がある。ときにはそれらはよい目的に、またときにはわるい目的のためにつかわれる。宗教的な人で大へんりっぱな、高潔な人にあうこともあろうし、また宗教の衣にかくれて他人を搾ったり騙ったりするならずものや、山師にあうこともあるだろう。(『父が子に語る世界史』宗教の世紀、1931年1月)

ことに種々さまざまな宗教は、おそらくは、それが生まれた時代や、国では、いくらか効用があるかもしれないが、われわれの時代にはまったく通用しない、ふるい信仰や、信念や、慣習の保存をたすけたものであった。(『父が子に語る世界史』最後の手紙、1933年8月)

お互いの感情に気をくばってすこしばかり手加減すれば解決できるような問題が、はげしいにらみあいや暴動をひきおこすとは驚くべきことだと思う。しかし宗教的な熱情は理性とか、配慮とか、手かげんとかの余地を、ほとんどあたえない。(『自伝』猛りたつ宗派主義)

組織された宗教は、その過去がどんなものであったにしろ、今日では、おおかた実質的な内容の抜けてしまった空虚な形式となっている。(『自伝』宗教とは何ぞ)

 ネルーの文章中には「神」ということばがけっこう出現するにもかかわらず、信仰についてネルーが説くことはありません。キリスト教的な神にしても、ヒンズーの神にしても、神への愛について彼が語るとはほとんどありえないことでしょう。

 その他のネルーの著書といえば、『インドの発見』(岩波書店1956年)という名著があります。これも投獄中に書いたもの。インドの歴史をネルー流に語りなおしたもので、愛の登場するような本でもなし。

 あと『Soviet Russia』という1927年モスクワを訪れたときの訪問記(邦訳があるのかどうなのかわかりませんでした)や、『自由と平和への道 アメリカを訪れて』(社会思想研究会出版部1952年、アメリカ訪問は1949年です)という本、さらに演説集『アジアの復活』(文芸出版社1954年)などの著作があります。一部は読んでみましたが、ま、愛なんてことばは出てきませんわね。

 というわけで、ネルーの語る「愛」がどういう意味であるにしろ、ネルーの著作に「愛は平和ではない」を発見することはできませんでした。

 以下次回。

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March 09, 2007

梶原一騎とネルー(その1)

 川崎のぼる/梶原一騎『巨人の星』に登場する、星一徹が語る坂本竜馬のエピソード。飛雄馬が大リーグボール一号を開発する直前のお正月のことです。

「坂本竜馬は封建時代の日本に新しい日の出をもたらすために命をかけた‥‥」
「そのため かの新選組はじめ当時の幕府側に命をねらわれ いつ死ぬかわからなかった しかし竜馬はこういった」
「いつ死ぬかわからないがいつも目的のために坂道を登っていく 死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい‥‥と」

 これを聞いた飛雄馬、がーんがーんがーん。

 これに川崎のぼるが、ホントにどぶの中で倒れる竜馬の絵を描いちゃったものだから、イメージの刷り込みというのはおそろしい、竜馬がどぶで死んだ、と思いこんでる読者もいたりして。もちろん、竜馬は近江屋で暗殺されたのであります。

 それは別にして、この竜馬の言葉、すごくかっこいいです。飛雄馬もずいぶんに感銘を受けたらしく、この言葉を胸に大リーグボール一号を開発するわけです。さらに全編のラスト近くなって大リーグボール三号で腕を壊しても、こんなことを言ってます。

「前のめりに死ぬ道をえらんだのです!」
「‥‥死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死んでいたい」
「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて 後退しての死よりも前進しての死をえらんだのだ」

 おお、青春を支配したことば。そして飛雄馬は破滅への道を選びます。

 でも、坂本竜馬が「どぶ」とか「前のめり」なんてことを言ってないのは、みなさん、ご存じのとおり。飛雄馬、すっかり信じちゃって。すべては星一徹=梶原一騎の創作、ホラ話であります。

 かように、星一徹というか梶原一騎の語るウンチクは怪しい。常に創作、ホラじゃないかと考えてなきゃいけません。だいたいが梶原一騎の語るプロレスや空手のエピソードも、ことごとく怪しいからなあ。

 さて、わたしが昔から怪しいとにらんでたのが、これ。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――
わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)

 ながやす巧/梶原一騎『愛と誠』第一巻、巻頭のエピグラフであります。エピグラフってのは、ほら、本のはじめにあって、他の本から引用されてきたちょっといい言葉、というやつね。

 この『愛と誠』連載第一回の雑誌掲載が1973年初頭。池上季実子主演のテレビドラマ版では、「愛は平和ではない」と毎回冒頭で朗読されてたらしいですから、岩清水弘の「きみのためなら死ねる」と並んで、『愛と誠』全編を象徴するような言葉です。

 ネールは、ネルー、ネールーなどとも表記されますが、インド初代首相のジャワハルラル・ネルーのこと。その娘といえば、これもインド首相になったインディラ・ガンジーです。『愛と誠』が描かれたころは、インディラがインド首相でした。

 このネルーの手紙からの引用というのが、怪しさ全開、と言っていいくらい、アヤシイ。

 なぜこの言葉がアヤシイかといいますと、この文章中の愛とは何を意味しているか。

 「愛」ったって、いろんな愛があります。男女の性愛、神への愛、同胞への博愛、愛国、家族への愛、などなど。この後展開される『愛と誠』という作品のストーリーを思い浮かべますと、梶原一騎は「愛」を男女間の愛として書いています。この文章も男女の愛としてとらえるべきなのか。しかーし。

 ネルーが男女の愛を娘に語るというのがどうもしっくりこないのです。ネルーはインド独立の闘士であり、現代史の偉人のひとり。独立運動時代には頻回に投獄されています。宗教家のガンジーとは違い社会主義者であり、首相になってからは反米親ソの非同盟中立路線。ですから、梶原一騎とネルーのつながりというのもよくわからない。むしろ強権的な政治をしたインディラのほうが梶原的かもしれません。

 で、今回のお題がこれ。

 ほんまにネルーはそんなことゆうたんか?

 わたしの推測は以下のとおり。梶原一騎は、ネルーの手紙の本来の文意をねじ曲げてエピグラフにしちゃったか、あるいは、そんな手紙ははじめっから存在しない、梶原一騎が創作したウソ八百じゃないのか。というものであります。

 この疑問を持ち始めて、ン十年。ネルーについてちょっとだけ調べたこともありました。ただし、この調査って、もひとつモチベーションが上がらないのです。

 だいたいが『愛と誠』のエピグラフ、すっごく有名な言葉とは言えません。それにもしかしたら、そんな手紙は存在しないという可能性もあります。ないことを証明するのは、たいへんむずかしい。ネルーのすべての手紙を調べて、やっと「ない」と言えるわけですから、最終証明は厳密には不可能です。労多くして功少なし。

 で、このネタ、ずっとお蔵入りにしてたのですが、昨年、ネルーの全著作がそれほど多くないこと、そしてネルーの書簡がまとまった形で刊行されていることを知りました。

 『愛と誠』が描かれてから30年以上たちましたが、世間では「愛は平和ではない」はすっかりネルーの言葉として定着しているようです。いつまでたってもこのことについて、誰かが調べて教えてくれる気配もありません。だったら自分でやってみようか、と。

 毎度毎度、結論がきちんと出ない話ばかりですみませんねえ。今回もはっきりしないオチになりますがどうぞご寛容に。

 以下次回。

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March 06, 2007

過剰な『鈴木先生』

 いやー、武富健治『鈴木先生』2巻(2007年双葉社、819円+税)読んでて、何にびっくりしたかというと、裏カバーソデの作者紹介。

 まず、これが1巻の作者紹介↓。

昭和45年8月21日生。獅子座O型。佐賀生まれ、主に東京育ち。幼少時よりメジャー漫画家を目指しオリジナル漫画を製作するが、10代半ばより「文芸漫画」を模索。大学在学中にいくつかの新人賞で佳作などに入賞するが掲載には至らず、中山乃梨子氏のアシスタントを務める。母校の中学校で教育実習を体験。卒業後、投稿活動を続ける傍ら、個人サークル「胡蝶社」を旗揚げし同人活動を開始。『掃除当番』『蟲愛づる姫君』などを発表。27歳時に『屋根の上の魔女』で商業誌デビュー。その後高田靖彦氏のアシスタントを務めながら一年に1本のペースで『シャイ子と本の虫』などの短編を数編発表するも読み切り短編『鈴木先生』の案が通らず精神的疲労から休筆。『まんぼう』で2年ぶりに商業誌復活を果たすが、『鈴木先生』のボツをきっかけに再び沈黙。2年間演劇活動に没頭の後、漫画活動の本格的復帰を目指し、多田拓郎氏の紹介で、『鈴木先生』を漫画アクション誌に持ち込み、掲載が決定。現在、実話誌などで原作付の仕事をしながら、長編『鈴木先生』に全力を注ぐ。

 ↑これでもそうとうな量で、イッタイドウシタンダと思ってしまうのですが、2巻ではこうなります↓。

昭和45年8月21日生。獅子座O型。佐賀生まれ、父の仕事の関係で、愛知県豊川、東京都小平市、北海道倶知安町などを転々とし、転園・転校を重ねる。小5末に目黒区に越してから後は、現在に至るまで東京在住。目黒区東山中学校卒業。幼少時は、虫捕りとともに、テレビまんがや特撮ヒーロー番組の鑑賞に熱中。藤子不二雄・手塚治虫・松本零士・石森章太郎などの作品と出会い、小3の頃よりヒーロー漫画を描き始める。その後、少年漫画を中心に、楳図かずおや古賀新一などの恐怖漫画や萩尾望都や竹宮景子(ママ)などの少女漫画などにも触れ始め、影響を受ける。当時全盛だった劇場大作アニメや富野由悠季などの制作するロボットアニメにも熱中。中3の頃から、白土三平・村野守美・永島慎二・つげ義春などの異色作品に出会い、高2の頃より、志賀直哉・横光利一・森鴎外などの近代日本文学に親しみ、浪人時には世界文学に興味の中心を移す。20歳前後では、チェーホフ・トーマス・マン・ガルシン・シュティフターなどの作品に傾倒。その頃より、文芸漫画の道を探り始める。大学在学中にいくつかの新人賞で佳作などに入賞するが掲載には至らず、コミケやコミティアなどの即売会に参加しつつ投稿活動を続ける。27歳時の商業誌デビュー後、数作の短編を発表するも力尽き再び数年間沈黙。その間に、ドストエフスキー・川端康成などの作品の魅力に気付くと共に、かつて熱中した小説作品と出会い直す。その後、現代演劇の世界に縁を持ち、ハイナー・ミュラーやベケットなどの戯曲や、実際の演劇家の舞台活動に強い影響を受け、漫画制作に復帰。現在では、実話誌などでの原作付漫画の仕事を縮小し、長編『鈴木先生』に全力を注ぐ。

 青にした部分が新しく追加された部分で、ほとんどが書き直されております。こんなに長い作者紹介は、めったにお目にかかれません。おそらく自筆でしょう。

 この過剰さが『鈴木先生』の特徴ですね。登場人物の感情や行動がみんな過剰。梶原一騎マンガの登場人物がすべて梶原一騎の分身であるのと同じく、『鈴木先生』の登場人物は、教師も生徒も親も、みんな作者であることがよっくわかります。過剰な赤面、過剰な汗、過剰な会話、過剰な感情、過剰な妄想。

 1巻の表カバーソデには、エピグラフとして、ルソー『エミール』からの引用がフランス語付きで書いてありました。2巻になると、ドストエフスキー『カラマーゾフ兄弟』からの引用がロシア語で。これはかっこいいな。

 さて、わたし、うかつながら、この作品が短編連作じゃなくて、長編であることに2巻ではじめて気づきました(←著者が最初っからそう書いてるってば)。このあと長編としてのストーリーが展開され、「近代文学的な重厚な成熟をみせる」(『映画秘宝』2006年1月号のインタビューより)結末が、本当に待っているのか。

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March 04, 2007

タンタンのコンゴ探検

 エルジェのタンタンの冒険旅行シリーズ、福音館書店版の最新刊、『タンタンのコンゴ探検』(2007年福音館書店、1600円+税)が発売されてます。

 いやー、感慨深いなあ。この作品が日本語で読める日がくるとは。なんせ日本でも、上の書影と同じデザインのポスターですら、売られるときはこっそりとだったんですから。

 この作品については以前から何回か書いてきました。

このページの「タンタンはコンゴで何をしたのか」
日本におけるタンタンの現在(その1)
日本におけるタンタンの現在(その2)

 エルジェのタンタンシリーズは、もともとモノクロで雑誌連載されたものが、そのままモノクロで単行本化されていたのですが、戦後の1946年から、それまで出版されていたものもカラーで描き直され刊行され始めました。これが現在ふつうに流通しているタンタンです。

 このカラー版の第一作が『タンタンのコンゴ探検』のフランス語版でした。しかしタンタンシリーズのうちこの作品だけは、植民地主義という批判を受け、英語版は出版されないまま(スペイン語版やドイツ語版はふつうに存在します)。わたしはその他にも、黒人のマンガ的表現(とくにぶ厚い唇)が問題になったと考えておりますが。

 というわけで、英語でコンゴのタンタンといえば、ちょっとつたない絵のモノクロ版を英訳した『The Adventures of Tintin in the Congo』(1991年Casterman)しかありませんでした。もちろん子どもが楽しく読むようなものではなく、コレクターズアイテムです。

 そういう状況のなか2005年、ついに、という感じでイギリスのEgmont社よりカラー版『Tintin in the Congo』の英語版が発売されました。なんとフランス語版が発売されてから、59年後のことであります。長かったね。

 しかし、アメリカではまだまだコンゴのタンタンはおおっぴらに歩けません。

 アメリカでも、このイギリスのエグモント社の『コンゴ』を買うことは可能なのですが、アメリカアマゾンではこの本の取り扱いをしておらず、マーケットプレイスにおまかせの形。エグモント社の『コンゴ』以外のタンタンシリーズは、もちろんアメリカアマゾンでもあたりまえに買えます。『コンゴ』だけが特別扱いです。

 エグモント社版『Tintin in the Congo』のカスタマー・レビューを読んでみると、故意となのかどうなのか、モノクロ版『コンゴ』と、エグモント社版『コンゴ』の評をごちゃごちゃに並べています。あるひとは、エグモント社版はえらい長いこと"out of stock"が続いとるやないかー、と怒ってますが、アメリカアマゾンはまったく取り扱うつもりがないみたいです。

 実はこのエグモント社版『コンゴ』、アメリカアマゾンではついこの間まで、"book"じゃなくてなぜか"home & garden"に分類されてまして、通常のブックサーチではヒットしなかったんですよ。

 もうひとつのアメリカ書店の大手、バーンズアンドノーブルではどうでしょうか。こっちでもエグモント社版『コンゴ』は取り扱われていません

 この調子だと、アメリカでタンタンシリーズを発行しているHachetteグループのLittle, Brown Books for Young Readersが、『コンゴ』を出版するのはまだまだ先になりそうですね。

 このように今も複雑な問題をかかえてる『タンタンのコンゴ探検』。やっと日本語で読めることになりました。みなさま、ココロしてお読みください。

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March 03, 2007

『あしたのジョー』原作原稿

 昨日夜のNHKニュースを見ていたら、梶原一騎自筆の『あしたのジョー』原作原稿発見! なんてニュースが流れてびっくり。20年前に水害で消失したと思われてたそうです。ちばてつやが原稿をながめてるシーンもありました。これってNHK BS2で3月に放映されるはずのあしたのジョー特集番組の番宣なのか?

 すでに『愛と誠 梶原一騎直筆原稿集』という本が刊行されてますが、それと同じように、銘入りの原稿用紙に鉛筆で勢いよく書いたものでした。

 『愛と誠』は基本的に梶原原作を忠実にマンガ化したものですが、『あしたのジョー』はちばてつやがそうとう脚色したらしいですから、これは読みくらべてみたいなあ。

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March 02, 2007

読者はだれ

 マンガ誌以外の雑誌に連載されたマンガふたつ。

 ひとつは、とり・みき『時事ネタ』(2007年文藝春秋、1048円+税)。『オール読物』に10年間連載されたもので、連載中のタイトルは『とり・みきの時事方眼』。

 ネタはタイトルどおり「時事ネタ」であります。対象となる読者層はもちろん『オール読物』を読むようなオヤジなのですが、いつのまにやらオヤジたちも、とり・みきの手練のギャグを受け入れるまでに成長したんだなあ、と感慨しきり。

 というか、マンガ読んでた世代がいつのまにやら中間小説誌を読むようなオヤジになっちゃったというのが正解でしょう。じゃ下の世代は、とり・みきを読むのか、というのが謎です。若いひとも、とり・みきや唐沢なをきなら読んでるんじゃないのか、と思う反面、あんなのもう古い、あるいは、わけわかんないしー、とか思われてたりして。ううーん。

 ちなみにわたしは「向井千秋が出題した『宙がえり何度もできる無重力』の下の句」ネタで大爆笑しました。


 もいっこ。古屋×乙一×兎丸『少年少女漂流記』(2007年集英社、1200円+税)。こっちは『小説すばる』に連載されたもの。古屋兎丸と乙一の合作です。

 高校生を主人公にした短編連作。登場する主人公はみんなイタイ。我が身をふり返って、身を切られるようです。「自分が魔法少女だと妄想する少女」「銀河鉄道999のごとくネジの体を得た同級生を救おうとする少年」「ホームルームで青春を語りあいたい学級委員」 ああ、何やら全身が熱くてかゆいぞ。

 ラストでは、それぞれの短編の主人公たちが一同に会して大団円に向かいます。だれもが経験してきた、自意識で頭がぱんぱんになっている中高生、を肯定してあげる、癒しの書。傑作と考えます。

 ただ気になるのが、この作品を読むのはどんな層なのか。著者たちが読者対象にしてるのは、まさに中高生に違いない。このマンガは彼らに向けて描かれたメッセージです。しかし掲載誌が『小説すばる』だよ。連載中に中高生が読むはずもなく、単行本化されたら著者たちのファンは読むでしょうが、それってすでに中高生を卒業してる層じゃないのか。

 このメッセージはいちばん読んで欲しいはずの現役中高生に届くのかどうか。そこが心配。いや、わたしが心配してもどないもならんのですけどね。

 ひとつだけ。巻末の著者ふたりの対談は、まったくの蛇足。そこまでこまごまと自作解説してどうしますか。読者に親切すぎますよ。

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