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March 18, 2007

「9-11」とアメリカンコミックス

 小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』(2007年NTT出版、2500円+税)読みました。

 (1)アメリカンコミックスに対する日本における理解不足・誤解の蒙を啓き、(2)「9-11」により、アメリカンコミックスがいかに変化したかを論じ、(3)ひるがえって日本マンガの状況はどやねん、という本です。

 冒頭にこうあります。

まず最初にはっきりいっておきたいのは、私たちはアメリカンコミックスというメディア、文化について知っているような振りをするのはいい加減やめるべきだ、ということである。

 この部分を読んで、アメリカンコミックスについてほとんど知らないわたしの同居人も、「ケンカ売ってる?」と言っておりましたが、そのとおり、これはまちがいなくケンカを売ってる本であります。

 あとがきにはこのように。

本書で書かれている事柄の多くは熱心なマンガ読者にとってすら聞いたこともないようなことが多いだろうが、それはわたしのアドバンテージではなく、第一章で述べたように「手塚治虫はアメリカンコミックスに影響を受けている」と記述しながら比較対象であるアメリカンコミックスについてはほとんど検証してこなかった日本のマンガ研究、批評の側の問題に由来する。この点に関しては改めてはっきりと批判しておく。

 わたしは研究者でも何でもないですが、ネット上とはいえ、たまーに海外マンガの紹介を書いてますし、「9-11」についてのコミックスにも触れたことがある者としまして、やっぱ批判されてるよなー。上記(1)の啓蒙の部分に関しては、もうなんといいますか、膨大な文献(もちろん英語文献)を引用して、こちらの考え違いをことごとく正してくれます。

○コミックブックとコミックストリップは、「ジャンル」が違うのではなく、「メディア」が違う、文化的地位が違う。
○子ども向けアメリカンコミックスは、全体のごく一部。
○アメリカンコミックスにも、ポルノコミックスはいっぱいある。
○流通の問題により、かつてアメリカンコミックスは読者が手に入れること自体に苦労していた。
○アメリカンコミックスにおける出版社・作家の対立は、作品の表現の問題ではなく、商業的権利の対立である。
○コミックスコードはマッカーシズムの時代の産物で、他のすべてのメディアでも同じような規制があった。コミックスコードがアメリカンコミックス衰退の原因ではない。
○日本の少女マンガの特徴と思われているモノローグは、アメリカンコミックスでも多用されている。
○日本マンガのアメリカ進出は、「日本産コンテンツのソフトパワー」によるものでなく、関係者の地道な努力によるもの。

 わたしにとってもっとも興味深かったところは、冷戦とアメリカのコミックスコードの話です。日本では、戦争中の統制による抑圧→敗戦による解放→マンガにおける作家性の獲得。これがアメリカにおいては、冷戦によるコミックスコードでの抑圧→カウンターカルチャーとしてのアンダーグラウンドコミックスによる作家性の獲得、という形に対応する、という説。

 日米のこういう比較ははじめて読みました。そしてその結果、アメリカンコミックスは極度に商業主義的なものと極度に表現主義的なものに二極化。これに対して日本では、この抜け落ちた中間部分のマンガ、商業性と作家性を両立させた作品群が爆発的成長を遂げました。

 著者は、アメリカンコミックスはその後、この中間を埋める作品をゆっくりと生み出していくと語ります。ならば、日本マンガがアメリカで受け入れられつつあるのもこの流れなんだろうなー、と考えるのですが、著者の筆はそこまでは進みません。このあたり、実に慎重。

 で、本論に入ります。(2)の「9-11」後のアメリカンコミックスの、とくに作家のとまどいが多数レポートされ、圧巻。そして(3)の日本マンガ/アニメの状況、作品、批評について語られます。著者の問題意識はここに重点があります。

 アメリカンコミックスは現在、明らかに戦時下にあります。そして、戦時下で作家たちがどのように行動したか、行動しているか、わたしたちが範とするものがそこにある、はず。著者は現在の日本も準・戦時下にあるとの認識です。

 本書は政治とマンガのあるべき姿、さらには政治・社会とマンガ批評のあり方を考える書でした。著者の立場は、マンガ作家は戦争/政治に対し「踏みとどま」り、マンガ批評は逆に政治/社会を取り込むべき、というものです。その意味では本書自体が、かつての「自分語り」マンガ批評に対する批判であり、後者の実践でもあります。

 アメリカンコミックスについての啓蒙の書であり、かつ戦時下のマンガのあり方を考察した欲張った本です。状況の解説から一歩踏み出し、問題意識に満ちた意欲作。そして著者の自信が示すように、アメリカンコミックスについての日本での必読書になるでしょう。感心して読みました。

 ひとつだけ。著者の疑問、手塚治虫がきちんとした自伝を書かなかった理由について。おそらくは、彼が年齢詐称と学歴詐称、二重のウソを生涯つきとおしていたからじゃないでしょうか。えらく下世話な理由ではありますが。医学生時代、インターン時代のマンガ家との二重生活は、おもしろい話がいっくらでもありそうなのに、ご本人が封印してますし。

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Comments

著者からのコメント、恐縮です。このあいだ教えていただいた、John J Muthの『空想の大きさ』はあのあと手に入れて読みました。今回もこの本に掲載されてる洋書をいくつか注文してしまいました。スコット・マクラウドの『マンガ学』の続編は、英語が難しそうなので敬遠してたのですが、ルーブ・ゴールドバーグの似顔絵にひかれて思いきって買うことに。←読めるのか、自分。

Posted by: 漫棚通信 | March 19, 2007 08:32 PM

著者です。
ご紹介ありがとうございます。
「アメコミの話」ではなく、日本マンガに対する問題提起として読んでくれたひとが少なくともひとりはいるということがわかって心底ほっとしました。
この本はもちろん「ケンカ売ってる」本なんですが、べつに自信があってケンカ売ってるわけじゃなくて、単に書いたひとがヤケになってるからケンカ売る形になってるだけです。書いてる間中こんなものは誰も必要としていないんじゃないかとずうっと思っていましたし、いまもそう感じている部分はあります。
だから、ホント救われました。ありがとう。

Posted by: Hiroshi Odagiri | March 19, 2007 04:55 AM

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