スキンください
渡辺和博の訃報に接して、ずいぶんと驚きました。イメージの中ではこのかた、もっとお若いと感じていたのですが、56歳かあ。それにしても早すぎる。「キン・コン・ガン! ガンの告知を受けてぼくは初期化された」(2004年二玄社)という闘病記も出版されていたのですね。
渡辺和博を最初に読んだのが、「ガロ」1975年8月号。入選作品として「私の初体験」が掲載されました。
「その日は四月ごろのすずしい日でした」「私は明子さんとゆう女の子が6ヵ月ぶりに私のアパートへ来るとゆうので」「へやをかたずけたり」「カーテンをひいてみたり」「水道の水を出してみたりして」「待っていました」
主人公のモノローグで始まる、エッセイなのかフィクションなのか、迷わせるようなマンガ。いや、このころはエッセイマンガなんて言葉はなかったから、私小説マンガか。「いう」を「ゆう」と書くことばづかいが、奇妙になまめかしい感じです。絵は、のちのナベゾ作品とほとんど変わりません。安西水丸を思いっきりヘタに模写した感じ。最初から完成されたヘタウマ(ヘタヘタ?)絵柄でした。
このマンガ、このあとアパートで、昼間から主人公と明子さんがセックスを始めちゃうのですが、明子さんが「今日、ヤバイからサ……。」と言いだしたので、セックスを途中でやめた主人公がコンドームを買いに行くという展開になります。
で、コンドームを自動販売機で買おうとしたけど、人通りが多くて恥ずかしい。そこで薬局にはいって白衣のオバサンに言うわけです。「スキンください」
このムズムズするようなあっけらかんとしたような、奇妙な読後感が渡辺和博作品の特徴でした。当時わたしはガロを熟読してた時期だったので、この「スキンください」は記憶に残るフレーズになりました。
その後、1975年12月号に第二作「公園の夜」を発表。そして「ガロ」1976年1月号、南伸坊による編集後記。「新人・渡辺和博氏は容貌、言動が面白いので、当社に、アルバイトとして採用された」 容貌、言動ってあなた。
以後、渡辺和博作品はガロに精力的に発表されていきます。わたしにとっては、「金魂巻」より、エンスーエッセイより、やっぱりマンガのひとでした。ご冥福をお祈りします。
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