高畠華宵大正ロマン館
仕事のシフトの関係上、連休となることはめったにないのですが、ひさしぶりに二日連続の休みがとれたので、愛媛県にある「高畠華宵大正ロマン館」に行ってきました。
昭和3年の流行歌「銀座行進曲」で、「華宵ごのみの君もゆく」とまで歌われた超人気イラストレーター、高畠華宵(たかばたけかしょう)。彼のコレクションは東京の弥生美術館が有名ですが、華宵が生まれた愛媛県にも「高畠華宵大正ロマン館」という施設があります。かつては愛媛県温泉郡重信町という住所でしたが、町村合併の結果、今は「東温市」という地名になってます。読みは「とうおんし」、ローマ字で書くと「Toon City」でして、おお、トゥーン・シティじゃないか。
なーんてお気楽なことを言ってる場合ではなく、「高畠華宵大正ロマン館」は、今、風前の灯の状態になっております。
「高畠華宵大正ロマン館」は1990年に開館。華宵のご親戚による経営だそうですが、同じ住所の「足立の庄」というテーマパークの一部としてオープンしました。こちらは、日本のあちこちでテーマパークを展開してる、あの悪名高い株式会社ファームによるもの。日本庭園や祭りの資料館、観光闘牛が売りだった「足立の庄」は2001年に閉園。2002年に「愛媛わんわん村」という犬のテーマパークに衣替えしましたが、これもあっというまに2006年に閉園。「高畠華宵大正ロマン館」だけが残されるということになってしまいました。
高速道路のインターを降りて、南へ。田んぼと農家以外に何もない、という数年前までわたしが住んでた地域と同じなつかしい田舎風景の中を車で10分ほど走った高台、旧「四国わんわん村」のでっかい駐車場に到着します。車のない駐車場はさむざむしい。駐車場の左手の奥から、広大なわんわん村の廃虚、誰もいない庭と犬舎と道を右手に見ながら、外側の細い道をぐるっと回っていきますと、わんわん村の最奥に「高畠華宵大正ロマン館」が見えてきます。
ここに至るまでに、どんどんと気分が沈んでいきますなあ。連休まんなかの日曜日、午後の早い時間帯でしたが、わたしたち以外の客は若い女性二人組だけでした。そうとうに集客力は落ちているようです。
「高畠華宵大正ロマン館」は定期的に展示を変更しているそうですが、今はいわゆる「華宵便箋」の展示が主。女性の絵が多くて、わたしが見たかった美少年の絵が少なかったのでちょっと残念。
ミュージアムショップで買ったのは、図録はちょっと買う気が盛り上がらなかったので、以下の三冊。
・中村圭子「昭和美少年手帖」(2003年河出書房新社『らんぷの本』1400円+税)
・松本品子「高畠華宵 大正・昭和☆レトロビューティー」(2004年河出書房新社『らんぷの本』、1500円+税)
・高畠麻子「華宵からの手紙」(1997年愛媛県文化振興財団『えひめブックス』新書判、952円+税)。
はじめの二冊は全国どこでも買えるのに、しかもいっぽうは読んだことがあるのに、なんでまたここで買うか、というものではありますが、これはやっぱ旅行先だからですねえ。気持ちが大きくなってる。
で、「華宵からの手紙」、これがもうけもの。地元ローカルで刊行された高畠華宵の評伝。華宵の兄、高畠亀太郎が残した華宵の書簡から多くの引用がされています。
華宵の絵の特徴は、なんといってもなまめかしい美少年たち。今の眼で見ると、マチガイナシ、これはエロい、ホモっぽい臭いがぷんぷんする絵です。ところが、大正から昭和初期の読者には、華宵の絵はなんだかよくわからないけどすごく魅力のある絵、であったらしい。その華宵のホモセクシャルな嗜好について他書より(比較的)はっきり書いてあり、華宵作品への影響(とくに華宵の弟子にして養子の高畠華晃との関係)について考察してあるのが、この「華宵からの手紙」です。
著者は、華宵の親戚で「高畠華宵大正ロマン館」の学芸員のかた。親戚なのにちゃんとしていますし、華宵の手紙が貴重な記録です。あと、華宵といえばなんつっても「華宵御殿」での豪華な暮らし。
海が蒼く夏の光りを反射している。みどり色の風が、白いカアテンをゆする。セセッション式の絨毯に足をなげ、深く腰の入るアームチェアで、華宵先生はしづかにエヂプトの莨(たばこ)を口からはなして語られる。(「少女の国」昭和2年9月号の記事)
「華宵御殿」とは、大正13年、講談社とのいわゆる「華宵事件」(講談社側からは「華宵問題」。原稿料のトラブルから華宵がライバル誌に移籍した)のあと、華宵が鎌倉に建築して移り住んだ和洋折衷の家。残された見取り図や写真を見ると、バルコニーを持ったスゴク広い洋室に続くトルコ風洋室の書斎。さらにそれに続くトルコ式入り口を持った「アラビアンナイトの世界を再現したような」寝室。
華宵はここで「美少年の愛弟子たち」をかしずかせ、まるで王様のように暮らしていた。
来客があると食事が冷めないように、近所の洋食屋から一品一品を順番に運ばせたり、ラジオ放送が始まってすぐのころは、最新式の高価なラジオを早速購入し、近所中に聞こえるほどボリュームをあげてみたり、
常に美少年の弟子をお供に外出し、数百メートルの距離でもタクシーに乗った。自分が食べたいときには温かい食事が出来ていないと機嫌が悪く、せっかく弟子がつくった食事も冷めたものはひっくり返し、新しいものを作らせた。(「華宵からの手紙」)
いや、たいしたものです。やっぱスターはこれだけ豪快なことやってくれなくちゃね。
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