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January 31, 2007

「マエストロ」印刷の謎

 さそうあきら「マエストロ」2巻がようやく発売されてます。1巻の発行が2004年8月ですから、2年半かあ。さすがに登場人物の名前とか忘れてまして、これ誰だっけ状態。1巻を発掘して読み直し、やっと納得できました。

 で、印刷の話。さそうあきらが原稿にどの程度コンピュータを導入してるかわからないのですが、少なくとも「マエストロ」1巻では、仕上げにコンピュータを使っていたと思われます。枠線とか主線にかすかにジャギーが見えますし。

 ところが、「マエストロ」2巻になると、これがなぜかそうとうヘンなことに。

 最初のほう、網点の大小で濃淡をつける処理をしてますから、きっとここもコンピュータによる仕上げなんでしょう。主線はジャギーのほとんど見えない印刷で、くっきりきれいだなー、と思っていたら、14ページになって突然、ジャギーありまくりのギザギザ線に変化。

 あまりに解像度が低く、枠線なんかけっこう荒い点の集合で、「線」ですらありません。読んでてちょっとびっくりしました。ところが17ページになって、突然、もとのくっきり線に戻るんだこれが。

 そして20ページになってまたギザギザ。これが23ページまで計4ページの間、続きます。この4ページは途中から回想シーンになるのですが、21ページ最終コマ、23ページ最終コマだけは、くっきり線で描かれた「回想している現在の多田さん」の絵が挿入されています。

 となると、このジャギーのあるなしは、現実と回想の効果をねらったもの? というわけでもなさそうで、まったく統一感のない処理です。しかも21ページと23ページの多田さんの絵は、同じ絵を大きさを変えてコピーしたもの。なぜか縦横の比率を変えてあるから、23ページのほうの多田さんはかなり太ってますけど。

 この先もこの印刷の混乱は続いていて、具体的に言いますと、67、71、80-81、84-87、89-93、95-100ページは荒いジャギー絵です。ところが、いちばんよくわからんのが78ページで、上半分がジャギー絵で、下半分がくっきり絵。どうなってんのこれ。

 なんでまたこんなヘンな印刷になってるんでしょ。推理としては、(1)出力のとき解像度を間違えた。(2)作者が仕上げの効果をいろいろ試している。(3)「マエストロ」2巻は雑誌連載じゃなくてウェブ連載でしたから、こういう可能性もあるかな。編集が原稿を無くしてしまい、一部をウェブから再録した。さあどれだ。

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January 29, 2007

「ひまわりっ 健一レジェンド」70年代ギャグの再現

 東村アキコ「ひまわりっ 健一レジェンド」は、主人公の父・健一のスカタンな言動にずっこけましょう、という展開で開始されましたが、実際のところ大きく笑いをとっているのは、猿渡副主任を中心に演じられる仮装コントであります。

 お話の途中で、謎の女性・猿渡副主任が主人公・アキコをからかうため、突然変身してお芝居を始めます。彼女は、大奥に忍び込んだ忍者、明智に倒される織田信長、風紀委員の女学生、アニーのオーディションを受ける少女、マンガ家A先生、などに変身するのですが、同じ会社の主任やエビちゃん、さらには他の登場人物も巻き込み、時空を飛び越えて衣装や背景も自在に変化。いや、笑わせてくれます。

 これをマンガ以外でやろうとすると、どれだけたいへんか。演劇ではまずムリですし、映画でやるのは手間がかかってしょうがない。アニメならどうだろうか、コマごとに衣装や背景が変化するのを再現できるかな。東村アキコの場合、古い少女マンガのタッチや演出も再現してくれてて、まさにマンガじゃなければできない表現でしょう。

 東村アキコの仮装コントは、すでに「きせかえユカちゃん」で始まっています。モデルなみのスタイルの小学生・ユカちゃんは、登場したときからコマごとにとっかえひっかえ衣装を着替えていました。これが伏線。そのうち、1巻7話では、空想シーンでユカちゃんや友人のみどりちゃんが、ホントのモデルや会社社長を演じるように。

 その後2巻16話の、みどりちゃんのママの古典的少女マンガタッチの妄想を経て、ユカちゃんは3巻おまじないスペシャル編で独身貴族の女王様と昼休みのOLに、3巻22話で戦国武将に、3巻23話でスケバンと反抗期の娘を持つ父親に変身するようになります。ついに出た、現実世界を浸食する仮装コントの始まり。

 こういう仮装コント、登場人物の自由な変身は、さかのぼればもちろん手塚治虫や杉浦茂や赤塚不二夫に先例があるでしょう。さらには落語の中には突然芝居や浄瑠璃口調になる登場人物がいましたし、もちろん現実に日常会話の中で芝居や浄瑠璃を引用するようなヤツはいたでしょうから、そのあたりが源流か。

 でも直接のお手本として思いうかぶのは、パタリロとかパイレーツとかマカロニほうれん荘とかがきデカとか、1970年代の狂騒的ギャグのかずかずです。最初は代官と越後屋のちょっとした会話で笑わせていただけだったものが、どんどん衣装や背景を整えて、過激なナンセンスとパロディに突き進んでいきます。「萩尾望都描くところの阿修羅王」に扮したこまわり君には、大笑いしましたねえ。

 東村アキコの作品は、1970年代末から1980年代初期のギャグマンガ、多士済々のあの時代を再現しているように感じられます。おちょくられる主人公・アキコ、謎の人・猿渡副主任、美人だけど性格がアレなエビちゃんのトリオは、じつは着ぐるみ。背中のチャックを開けると、それぞれ「マカロニほうれん荘」のそーじ、きんどーさん、トシちゃんが出てくるに違いない。そう考えると、「ひまわりっ」でときどきトビラページに描かれる登場人物のコスプレも、「マカロニほうれん荘」のトビラを意識してるのかな。

 ああ、こんなところで再会できるとは。

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January 27, 2007

どろろネタふたつ

■「どろろ」の発音は、平坦に高低無く「ど・ろ・ろ」と発音するのが通常のようです。たしかかつてのアニメ版でもそうだったような。ところが、白取特急検車場によりますと、手塚治虫自身は「ど」を高く、あとを低く、「・ろろ」と発音していたそうです。

 そうだったのかあ。でも今、この発音で「どろろ」と言うと、ケロロ軍曹の「ドロロ兵長」と同じになっちゃいますので、登場人物が「であります」とか言いだしそうです。


■関西にお好み焼きソースで有名な「オリバーソース」という会社があります。ここが映画「どろろ」とタイアップして、TVでCMを流しています。

 どろ、どろ、どろろのどろソース。

 最初見たときは脱力しました。

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January 24, 2007

近過去イッキ読み

 今年の第52回小学館漫画賞が発表されておりますが、審査委員特別賞として、ホイチョイ・プロダクションズ(以前は“ズ”なしの表記だったのにいつのまにか変わってる)「気まぐれコンセプト」が選ばれております。

 思えばバブル期のホイチョイには、「見栄講座」とか「極楽スキー」(←ビデオがおまけについてる本もありました)とか映画とか、いろいろ楽しませてもらいました。でも、なんでまた今ごろ漫画賞? と思っておりますと、書店には「気まぐれコンセプトクロニクル」というぶ厚い本がどーんと積んであって、そのオビには「バブルへGO!!」の文字が。なーるほど、ホイチョイ/馬場康夫監督の新作映画に合わせたプロモーションというか、タイアップというか、オトナの事情による漫画賞受賞のようですね。

 で、この「気まぐれコンセプトクロニクル」ですが、広告業界を舞台にしたおちゃらけ四コマ「気まぐれコンセプト」がビッグコミックスピリッツに連載開始されたのが1981年。以後、連載は現在まで続いていますが、単行本になったのが1984年の一回きり。今回の「クロニクル」では、1984年以来23年間の連載分の抄録です。

 抄録とはいえ、1000ページ弱の大著であります。1ページに2本の四コマ漫画が載ってますが、文字が多いマンガなので1ページ読むのに30秒かかるとしても、読破するのに500分=8時間。これをイッキ読みするヤツ(←わたしのことです)は、バカです。読んでも読んでも終わりません。

 で、その感想。バブル期→不況という近過去を、流行したものを中心にだだーっとふり返る読書体験は、なかなかけっこうなものでした。

 将来作品が古びるからハヤリモノを題材にしないというのは、たしか星新一の方針だったと思います。最近なら、いしいひさいち「ののちゃん」も、あえてハヤリモノを廃しているような印象があります。ところがこの作品、流行だけを追いかけるという、真逆の方針で描かれておりまして、これはこれでいさぎよい。

 テレビドラマや流行りの飲食店など、ほんっとに上滑りの流行のこと“だけ”しか描かれていませんが、ま、この手のものがいちばん歴史から消えてしまいそうな気がしますから、それなりに貴重な記録になるかもしれません。ケータイが出まわり始めたたころ、とか、嫌煙がしきりに言われ出したころ、とか、こうした形でまとめられることで、そうそう、そんなのあったあったという気分にさせられる年寄り向けマンガでもあります。

 マンガとしましては、とくに前半、なぜかダジャレネタがやたらに多くてデキが悪いのですが、後半、ハヤリモノ紹介と業界の裏話に徹しているほうがよろしいようです。いやー、それにしてもわたしのようなイナカのおっちゃんにとっては、トーキョーは別世界ですなあ。

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January 22, 2007

下品語はムズカシイ

 買いためてある英語のマンガもときどき読もうと試みるのですが、やっぱ英語は難しくて、時間がかかってしょうがありません。さらにスラングが混じりますと何が何やら。

 でもさすがにアメコミでは下品なセリフは比較的少ない。映画のセリフのほうがずいぶんと下品です。セックスがらみの罵倒が多くて、日本語の悪口なんかおとなしいもの。日本語はいわゆる罵倒語が少ないほうだと思いますが、アメリカ映画とか見てますと、登場人物がファッキン、ファッキンとうるさいぐらい言ってますねえ。こいつらはファッキンをはさまずには会話ができんのか。

 で、スパイク・リー監督の「インサイド・マン」というケッコウなサスペンス映画をレンタルで見ておりましたところ、弁護士のジョディ・フォスターがニューヨーク市長に圧力をかける。ま、脅迫してるのですが、そのシーン。ここで市長がジョディ・フォスターに対して

You are a magnificent cunt.

 とまあ、こういうことを言うわけです。

 すぐには反応できず、しばらくしてから思わず一時停止ボタンを押して、いっしょに見ていた同居人と顔を見合わせました。今、ごっついこと言うたんとちゃうん? 

 字幕には「見上げたゲス女」と出ましたが、直訳すると「壮大な女性器」ですな。これに対してジョディ・フォスターが複雑な顔をして、サンキューと答える。

 さて、ここで家族と議論になりまして、これは悪口やろー、でっかい○○○、つまりおまえのはゆるゆるだぞ、とけなしておるのデハナイカ。いや、さすがに“maginificent”であるから、ここは下品ながら誉めてるね。日本語で言うところの「でっかいきんたま」に対応していて、根性すわっとんのー、ぐらいの意味ではアルマイカ。そうか、だからジョディ・フォスターが、いやな顔をしながらも、サンキューで返したか。

 とまあ、わが家では一応納得したのですが、ホントに正解かどうかは謎です。この部分、吹き替えでは「人の弱みにつけ込みおって」と訳されてます。

 その後、ネットで映画評を読んでたら、ジョディ・フォスターの役を“bitch on wheels”と表現してるところがありまして、「車に乗った、あるいは自転車に乗った、あるいはローラースケートをはいたメス犬」? さてこれもわからん。

 ある説明によりますと、「いっしょに働いている人間に対して、クレームをつけたりいやがらせをせずにはいられない、ほんっとに失礼なヤツ(主に女性)」とありまして、なぜこれが“on wheels”なのか。ああ、わからんことばかり。

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January 19, 2007

目覚めないネオの物語「イキガミ」

 なーんかこう、やーな読後感のマンガ、間瀬元朗「イキガミ」について。

 パラレルワールドの現代、日本。国家繁栄維持法は、国民に命の尊さを認識させるため、無作為に選ばれた国民を1000人にひとりの確率で死亡させるという法律。小学校入学時に注射されたナノカプセルが肺動脈にひそみ、18歳~24歳で破裂して若者を突然死させる。本人にその死亡予告証=「逝紙」が届くのは死亡の24時間前です。

 主人公は死亡予定者に「イキガミ」を届ける公務員。24時間後の自分の死を知った若者たちは、どのような行動をとるのか。主人公はそれを目撃してゆきます。

 既刊三巻に描かれたエピソードは六つ。自分をいじめた同級生に仕返しをする男。ラジオで歌うミュージシャン。恋人が帰るのを待つ女性。迷子の老人を捜す介護士。母親を殺そうとする息子。妹に自分の角膜を移植する兄。

 限られた時間の中で生きる若者たちの姿に感動……って、おいっ。

 ヤングサンデーのサイトの広告。

編集部に届いた前代未聞の大反響── “思い切り泣いて、胸をふるわせた…… 明日から強く生きようと思う──”という声、声、声。

 第二巻と第三巻のオビより。

「漫画で初めて泣きました(24歳会社員)」
「“これは凄い!”とホントに思った(19歳学生)」
「命の大切さと生きる意味を教えてくれる(31歳主婦)」
「熱いものが込み上げてきて、生きるということを考えさせられた(19歳学生)」

 うーむ、どうもみんなホントに泣いたり感動したりしてるみたい。

 「イキガミ」の日本は、明らかにアンチ・ユートピアです。法律のおかげで犯罪は減り、出生率も上昇したでしょうが、イキガミを批判する人間は「退廃思想者」として処刑され、報道も規制されている。

 アンチ・ユートピアをテーマにした作品なら、まずオーウェルの「1984年」、そのリメイクともいってもいい映画「未来世紀ブラジル」や、アラン・ムーア/デヴィッド・ロイドのマンガ「Vフォー・ヴェンデッタ」、さらに映画「マトリックス」など。ちょっと方向性が違うけど「バトル・ロワイヤル」もそうか。これらの作品で、主人公たちは巻き込まれ型に国家から追われたり、テロリストとして国家と対立するようになり、個人と国家/社会のかかわりを考えるようになります。

 ところが、「イキガミ」は同じようなアンチ・ユートピア、超管理社会を描きながら、主人公がヘタレ。彼はひたすら忠実に公務をこなす人間です。社会を肯定し、積極的に「イキガミ」を受け入れる。三巻にいたって彼がめざすのは、死亡予定者の心のケアをして安らかな死を与えること。そしてひたすら泣けるお話を読者に提供すること。

 つまり映画「未来世紀ブラジル」で、もし主人公、ジョナサン・プライスがただただ公務を続けていたら。映画「マトリックス」で、主人公・ネオがいつまでたっても目覚めなかったら。「イキガミ」はそういうお話であります。

 自分のできる範囲内で精一杯生きよう、ってのはけっこうですが、このマンガ、いつ社会システム批判に向かうのかと思えば、三巻まで待ってもその気配がありません。この方向性はそれなりに新しいとは言えますが、これは違うやろ。

 マンガ内で描かれるこの社会は、すでに現実の風刺ですらなく、「イキガミ」のせいでゆがめられた奇妙な戯画的世界です。国家が国民を無作為に処刑する、これはフィクション内においても、否定されるべき倒されるべき社会システムでしょう。死亡予定者たちの怒りは、いじめた同級生より冷たい母親より、このシステムに向かうべきじゃないのか。

 もともとシステムを云々する話じゃなくて、もし命があと24時間だったら、という思考実験なんだよ、というエクスキューズがあるのかもしれません。でも、それにしてもこのあまりに納得しづらい世界設定はどうよ。

 ネオは目覚めるべきなのです。こういう世界を設定し、その世界のお話で、泣いたり感動したりしてる場合じゃないだろうと。

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January 17, 2007

マンガを買う

 かつてマンガとの出会いは一期一会でした。

 出版の情報も、雑誌や新聞の広告しかない時代、マンガを買うには書店での偶然の出会いに期待するしかありませんでした。ですから、毎日のように本屋さんに通っていたこともあります。当然店によって品ぞろえが違いますから、複数の書店をチェックするのは基本ね。

 ちょっと気になる本を見かけたら、迷わず買うべし。次に行ったときはその本は「必ず」存在しなくなっています。そこで買いのがしたらもう終わり。

 あとから、あんなの出てたんだーと知ることがあっても、さすがに次々と新刊が出ますから、わざわざ注文してまで買うことはそんなにありません。というわけで、根性のないわたしの本棚は、欠けてる本や巻ばかりです。

 20世紀末にアメリカのアマゾンを使用し始め、いやー便利なものができたなあと感心してました。リトル・ニモのコンプリート版とかタンタンの未邦訳モノとかアメコミのTPBとか、けっこう買ったのですが、なんせトラックと船便をつかうものですから注文から到着まで1か月。忘れたころにやってくる感じ。

 そして21世紀になってアマゾンが日本に進出してから状況が激変しましたね。

 ネット書店の発展と共に、各種出版情報がネット経由でどんどん手にはいるようになりました。出版社もそうですし、情報をまとめたサイトもあります。個人サイトのクチコミも役に立つ。

 で、その場でネット書店に注文してしまえば早ければ2日で手もとに届いちゃうのですね。買いのがし率は思いっきり減りました。もちろんリアル書店にも行くのですが、そこで見かけた本の情報をネットで調べてから後日買う、なんて行動もとるようになりました。市中の本屋さん、もうしわけないっす。過去に通ってた書店もずいぶんつぶれちゃったなあ。ちょっとはわたしにも責任あるかしら。

 古書店にも行きますが、以前より頻度が減りました。マメに通ってお宝本をさがそう、という気力が乏しくなってますね。古本屋さんに行くからには何か目的をたてるほうがいい。

 初期の内田春菊は全部集めてましたが、彼女の絵が変わっちゃったとき、目の輪郭を閉じるようになったときですね、そこからどうも違うような気がして買うのをやめちゃった。でもある時、やっぱ内田春菊は読んどかなあかんやろ、と思い直しました。そこで、内田本は古書店で集める、と決心しまして、ブックオフとかに行くたびにチェックして、さすがベストセラー作家ですから古書店でもよく見かけます。ほぼそろったかな。著者にはすみませんねえ。今ではちゃんと新刊本を買ってます。

 古書店でもどうしても手に入らないのもけっこうあります。サラ イネスがサラ・イイネスだった時代の「大阪豆ゴハン」全12巻のうち、欠落してるのが数巻ありまして、後半の巻はなかなか古書店では見つからない。かといって、数冊だけネットオークションで落とすのもむずかしいなあ、と数年来さがしておりましたところ、昨年秋からコミックパークでオンデマンド出版されることになりました。

 ちょっとお高いけど、ぽつんと欠けてるマンガを手に入れるにはいいサービスです。というわけで、「大阪豆ゴハン」最終12巻ゲット。次女・美奈子とオオシミッサンの恋愛の結末をやっと読むことができました。

 マンガの買い方にもいろんなバリエーションができたものです。次に来るのは、オンラインでマンガを買ってモニタ上で読む、というやつでしょうか。まだやったことないけど。

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January 13, 2007

物語の終わらせかた

 物語といってもノンフィクションまで含めてしまうとそれこそ無限に存在するのでしょうが、これまで紙媒体に記録された創作に限っても、世界じゅうで何千万という物語があったはず。

 それらの物語を人間の一生になぞらえてみると、幸せな一生を送ったものもあれば、誰にも顧みられずに不幸な転帰となったものもあるでしょう。物語の終わりかたは、こんな感じに分類できます。


(1)お話がきっちり終わって、もう書かれなくなる。「あしたのジョー」とか「アキラ」とか。
(2)きっちり終わってないけど、書かれなくなる。「幻魔大戦」ってどうなったんだっけ。「カムイ伝」第三部はほんとに書かれるのか。
(3)きっちり終わったけど、続編やら番外編やらが書かれていく。「巨人の星」とか「子連れ狼」とか。
(4)いつまでも終わらない、あるいは完結させるつもりがない。「ゴルゴ」とか「こち亀」とか。


 多くのお話が(1)に属します。短編のほとんどはこれでしょう。

 ジャンプの打ち切り作品とかは(2)になりますか。「戦いはまだまだ続く」 死屍累々ですな。

 (3)になるのは大ヒット作品です。お話は終わってたはずなのに、続編などが書かれてしまう。物語よりもキャラクターの人気を再利用するわけです。

 シリーズキャラクターが活躍する作品は(4)ですね。ホームズ、ルパン、007。

 とくに(3)(4)はキャラクターが人気にならなきゃありえないのですから、幸せな物語やキャラクターであるといえます。選ばれたほんの一握りの作品。作者以外のファンが二次創作に参加しやすいのも(3)(4)じゃないかしら。

 人気のあるキャラクターは作者より長生きしたりします。ドイルやルブランが死んでも、ホームズやルパンは別人の手で繰り返しパロディになったりパスティーシュになったりして新作が出現します。著作権保護期間をこえて作者より長生きするようなキャラクターは、すでに作者のものじゃなくて、堂々とみんなのものでしょう。人類の共有財産と言ってもいい。

 で、作者は亡くなってるけど、著作権保護期間がまだ残ってる作品やキャラクター。ここが微妙でして、著作権管理者が新作を別人に依頼して書かせる、なんてことがときどきあります。「風と共に去りぬ」の続編とか、「ピーター・パン」の続編とか。公式の許可を得た続編のデキがよいかどうかはまた別の話です。アングラでも「ドラえもん最終回」みたいな傑作もありますし。

 石ノ森章太郎/小野寺丈「2012 009 conclusion GOD’S WAR サイボーグ009完結編 I first」という本が発売されてます。石ノ森章太郎が残した構想をもとに、実子の小野寺丈が小説化した作品です。全三巻になる予定だそうです。

 009は基本的にはシリーズキャラクターなので上記(4)ですが、「天使編」「神々との闘い編」という未完作品をかかえてましたから、(2)でもあります。今回の作品は内容よりもその創作の経緯が興味深い。

 作品のもとになっているのは、小野寺丈が石ノ森章太郎から聞いたあらすじ、石ノ森が一部小説の形で完成させていた部分、書きためた膨大なメモ。これを解読して父の未完作品を息子が補完して完成させる。これはめずらしい。

 病室で「俺に何かあったら、完成させてくれよ」と息子に伝える石ノ森のエピソードは感動的ですが、なんせ小説を書くのが初めての著者。読み始める前に期待より不安が先に立ちます。怖いもの見たさ、みたいな感じで読んでみましたが、この巻ではまだまだ物語の本筋は現れてきていません。

 おそるべしなのは、おそらく意識的にしているのだと思いますが、とくに00ナンバーたちについて、人物の外見描写が「まったく」ありません。すべて読者にまかせっきり。マンガを頭に思い浮かべるように、ということなのでしょう。その意味では小説として単独で成立している作品ではありません。映画やマンガのノヴェライズにうといのですが、こういうものなんですか?

 あと、こんな描写も。

 神皇とやらも驚き、あせったのか、慌てて両手を上げ、鈎爪状に指先を折ると、その先の爪が発行し、イナズマを放った。
 神の武器!(略)俺の足の下で、ギザギザの光の帯が走っていた。

 この部分の第一稿は石ノ森によるものだそうですが、「ギザギザの光の帯」とは、なんとマンガ的であることよ。

 さて、今回の小説で、009は大団円を迎えるのでしょうか。それとも単にいちエピソードをかたづけるだけなのか。不安を感じながら完結を待ってみます。

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January 11, 2007

かわいくないカワイイ「バカ姉弟」

 奇妙なマンガ、安達哲「バカ姉弟」5巻が発売されました。これで完結、なのかな。この巻では成長したその後のバカ姉弟も描かれてます。

  双子(←とは知らなかった)のバカ姉弟は3歳で幼稚園児。姉弟の生活は謎に満ちています。彼らは親から完全に放任されていて、ほとんどふたりだけで生活してるのですが、実は大金持ちらしい。そして奇妙な才能によって地域社会でサバイバルしている。その才能は何かと言いますと、「かわいがられること」であります。

 ご近所の人たちは、彼ら姉弟がかわいくてかわいくてたまらない。さわりたい、なでたい、食事をさせたい、かまいたい。じじばばだけじゃなくて若い連中も世話をやきたくてたまりません。

 ふたりともビジュアル的にはずいぶん年少に見えます。ほぼ二等身で、手足は極端に細く短い。臼井儀人「クレヨンしんちゃん」も、いがらみきお「3歳児くん」も、子どもをかわいく描こうとすると、こんな感じのプロポーションになりますが、バカ姉弟は大きなぽっこりしたおなかが特徴。そうそう、腹筋の弱い子どもはあんなカエルみたいなおなかしてるんだ。

 そしてその顔は客観的に見てカワイイかというとこれがまた微妙です。目鼻口は頭の下方三分の一に集中しています。とくに口は思いっきり下に描かれ、両ほっぺたに隠れています。おねい(♀)は、限りなく額が広くハゲ頭に近い。きっと髪の毛も薄いのでしょう。

 眉毛はほとんどありません。彼らはつねにうつむき加減で、目だけで上方にいるおとなを見つめています。おねいの目は大きく目尻の上がったつり目。瞳は大きく黒目がち。黒目には光が描かれないので表情が読めず、ブキミと言ってもいいくらい。

 このふたりの顔は、まさに背の高いオトナが上方から見おろした子どものリアルな顔です。何を考えてるのかわからないのも、いかにも子ども。彼らは、通常の日本のカワイイ記号を持っていません。

 でも、物陰からじっと大人たちを観察しているバカ姉弟。手をつないで歩いてるバカ姉弟。ヘンな顔でスネてるバカ姉弟。このバカ姉弟がかわいいっ。その言動だけでなく、たたずまいもなぜかかわいく見えてしまう。子どもだから? いえ、これが作品のちからというものでしょう。

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January 09, 2007

松本かつぢのカワイイ

 最近買った本のなかで、これはいい本だなあとつくづく思ったのが、弥生美術館 内田静枝編「松本かつぢ 昭和の可愛い!をつくったイラストレーター」であります。

 松本かつぢ(1904~1986)は、昭和初期から少女雑誌の挿絵画家として活躍。のちに少女マンガの先駆的作品「くるくるクルミちゃん」でも知られるようになります。日本の叙情画、少女画といえば、竹久夢二、高畠華宵、蕗谷虹児、中原淳一、加藤まさを、あたりが挙げられますが、松本かつぢもその代表的作家のひとり。

 この本は、昨年、弥生美術館で開催された企画展をきっかけに発行されたものです。松本自身のエッセイや弟子にあたる上田トシコらの文章もあり、資料性も高く読んでおもしろい本でもありますが、なんといっても図版が美しい。

 八頭身の少女たちを描いた叙情画は、同時代の他の作家に比べてモダン、ポップでとても明るい。自身のサインを含めたレタリングがまたすばらしい。さらに、マンガタッチの子どもの絵が、まさにこの本のタイトルにもあるように「可愛い!」のであります。

 この本の表紙カバーに描かれている絵が、「くるくるクルミちゃん」です(ええーい、アマゾンの画像にリンクしちゃえ)。これは昭和10年代に描かれたもの。広い額、ぱっちりした目は頭部の上下二等分線よりさらに下にあり、思いっきり左右に離れて描かれます。眉は目よりかなり上にあり、鼻は一本の線。手足は先端になるほど太く、アトムやウランみたいですね。この絵の子羊の目はパイカットで、ディズニーの影響なのでしょう。

 彼の絵はまさに日本のカワイイの原点。のちの東映動画のキャラクターがこんな感じ。一時期の高野文子もこういう絵を描いてたっけ。

 わたしの松本かつぢ体験は、「講談社の絵本」やグッズに描かれたキャラクターだったと思いますが、「松本かつぢ的なもの」は、あちこちで見かけていたように思います。

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January 06, 2007

どろろ対鬼太郎

 世間では今、スピリチュアルブームで、妖怪ブームなんだそうです。

 と言っても、霊能者たちは過去に誰かが言ったようなことを繰り返ししゃべっているだけですし、フィクションでも過去の遺産の再利用ばかり。今ひとつ新しくないなあ。

 かつて、1968年をピークとして妖怪ブームというのがありました。やっぱいつの時代も、日常の影に潜む超常なるものは怖いけどおもしろいのですね。

 妖怪マンガの代表作はこんなところ。

■藤子不二雄:怪物くん
 1965年から「少年画報」に連載開始。のち「週刊少年キング」にも。
■水木しげる:墓場の鬼太郎
 鬼太郎が「週刊少年マガジン」に登場したのが1965年。
■水木しげる:悪魔くん
 マガジン登場は1966年。
■水木しげる:河童の三平
 これももとは貸本版ですが、1966年から「ぼくら」、1968年から「週刊少年サンデー」に連載。
■ムロタニ・ツネ象:地獄くん
 わたしがいちばん怖かったのがこれ。1967年から「週刊少年サンデー」。のち「少年」に連載。
■手塚治虫:バンパイヤ
 狼男ネタですが、どちらかというとSF風味かなあ。1966年から「週刊少年サンデー」連載。のち第二部が「少年ブック」に連載。
■手塚治虫:どろろ
 1967年から「週刊少年サンデー」。のちアニメ化のときに「冒険王」連載。
■楳図かずお:猫目小僧
 1967年から「少年画報」連載。のちに「週刊少年キング」「週刊少年サンデー」にも連載。昨年、実写映画化されました。

 この時期の妖怪モノは、正義の妖怪ヒーローが悪の妖怪をやっつける、という勧善懲悪パターンが主でした。貸本時代の水木しげる作品は、妖怪ヒーローの活躍、というのとはちょっと違いますので、このフォーマットの先駆は藤子不二雄『怪物くん』ということになるのでしょうか。

 アニメ作品が以下。

■悟空の大冒険:1967年1月から
 後半の敵は「妖怪連合」でした。
■ゲゲゲの鬼太郎:1968年1月から
■怪物くん:1968年4月から
■妖怪人間ベム:1968年10月から
 昨年アニメがリメイクされました。
■どろろ:1969年4月から
 妖怪ブームの最末期作品。ちょっとブームに乗り遅れてます。後半はタイトルが「どろろと百鬼丸」に変更されました。

 実写がこちら。

■ウルトラQ:1966年1月から
 ウルトラQが妖怪モノかと言われれば、ホントは違いますが、ま、その手の番組の先駆として。
■悪魔くん:1966年10月から
■怪奇大作戦:1968年9月から
 これも、妖怪モノとはちょっと違いますが、一応「怪奇」ですし。
■河童の三平 妖怪大作戦:1968年10月から
■バンパイヤ:1968年10月から


 1965年の「W3事件」で手塚治虫が少年マガジンから少年サンデーに移ったあと、マガジンで始まったのが水木しげるの「鬼太郎」。そして1967年、大人気の鬼太郎に対抗してサンデーで開始されたのが手塚治虫「どろろ」であると言われてます。で、その「どろろ」は1968年夏に未刊のまま終了。入れかわるようにサンデーで始まったのが水木しげる「河童の三平」、という因縁であります。

 この「どろろ」と「鬼太郎」ですが、もうすぐ実写映画「どろろ」が公開ですね。予告編とか見ると、けっこうお金かかってそうで、ちょっと期待。

 いっぽう実写映画「ゲゲゲの鬼太郎」のほうは今年のゴールデンウィークの公開ですが、予告編によるとかなり子ども向けみたいです。おいおい大丈夫かよー、という不安がいや増しますな。

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January 04, 2007

1969年の風林火山

 ことしのNHK大河ドラマは「風林火山」。主人公は山本勘助。彼は武田信玄の名軍師として知られ、日本の諸葛孔明、みたいな感じで語られる人物です。すでに江戸時代には有名キャラクターになってたそうですが、ホントは「軍師」じゃなかったらしい。

 かつて武田信玄/上杉謙信ブームというのがありました。それが1969年。NHK大河ドラマで海音字潮五郎原作の「天と地と」が放映された年です。主役の上杉謙信を演じたのは石坂浩二。1969年3月1日には映画「風林火山」も公開されています。

 映画は、三船プロ製作、原作は今年の大河と同じく井上靖。山本勘助が三船敏郎、武田信玄が中村錦之助、上杉謙信が石原裕次郎という豪華キャストでした。日本映画は斜陽で映画会社の枠が崩れ、独立プロの勢いがまだあったころ。

 映画宣伝の一環として、山本勘助が主人公の「風林火山」もマンガ化されました。これが競作になってまして、ひとつは週刊少年サンデー1968年49号から1969年1号まで連載された、横山まさみち「風林火山」。もひとつは週刊少年キング1969年2号から14号に連載された、平田弘史「片目の軍師」。両方とも、映画公開より前に連載されてます。

 今年の大河に合わせて、前者は講談社漫画文庫から別作品といっしょに「風林火山・武田信玄」として昨年9月に刊行、後者は少年画報社からB5判で復刻されていまして、今なら両方読めます。

 で、読んでみました。横山まさみち版は堅実な仕上がりなのですが、平田弘史版はこれがまた、あれ? あれれれ? 風林火山ってこんな話だったっけー、とびっくりするような作品でありました。

 両作品とも、井上靖原作に沿ったお話、というよりも、映画に沿ったお話で、主人公・山本勘助のカブトや羽織のデザインは、映画そのままです。山本勘助も、原作では異相と書かれており、「身長は五尺に充たず、色は黒く、眼はすがめで、しかも跛である。右の掌の中指を一本失っている。年齢は既に五十歳に近い」のですが、両マンガ作品とも三船敏郎に似た偉丈夫で、貫禄ありまくり。映画の三船敏郎は片目ではありませんでしたが、マンガ版は両作品とも左目を失明してるように表現されてて、ほとんどそっくりに描かれてます。

 原作と映画の山本勘助は、信玄の忠実な家来。信玄の側室となる由布姫をひそかに愛してて、その子・武田勝頼の立派な成長を願ってる、という設定です。権謀術数にたけた信玄と対等に会話できる男、という感じで描かれます。

 たとえば親戚にあたる諏訪頼重と和議を結んだあとに、宴会の場で暗殺しちゃいますが、これも信玄と山本勘助の共犯関係からなされたこと。いかにも戦国の世、という感じのエピソードですが、後味はよくないなあ。

 さらに原作や映画にもありますが、勘助が武田に仕官する計略を仕掛けるとき、自分を恐喝していた浪人をだまして殺してしまう、というエピソードもちょっとアレ。どうもこの山本勘助、もともと主人公らしからぬ怪しげなところを持っていました。

 で、平田弘史版山本勘助は、さらにキャラクターをふくらませて、とにもかくにも極悪非道な人物として描かれます。彼はまじめに信玄に仕えようという気がまったくありません。当然ながら、由布姫を慕うなんてこともありません。

 訪ねてきた昔の知り合いを、自分の過去を知ってるという理由で殺す。自分を疑ってる武田の重臣・甘利虎泰と戦場で斬り合う。さらに自分をつけねらう甘利の家来も殺してしまう。もうひとりの重臣・板垣信方、彼は勘助を武田に仕官させてくれた恩人なんですが、このひとも戦場で暗殺しちゃう。

 彼の秘めたる目的がすごい。(1)武田の盛名を馳せてから、(2)武田信玄を毒殺し(!)、(3)「バカタレ」の武田勝頼を自在に操って、(4)武田の重臣をひとりずつ消してゆく。(5)さらに勝頼も暗殺して、(6)甲斐の国を支配する。(7)そして、臣民に重税を課し死ぬほど働かせ、かつて自分をあざけった世間に復讐することであります。うわぁ、なんという深謀遠慮。いかに戦国の世といえ、これは悪人ですよ。

 これではまったく、別の作品。

 同じ原作で、しかも映画宣伝の作品でありながら、主人公をここまで極悪でエゴイスティックな現代的人物に改変しちゃう平田先生。すっごいわ。

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January 01, 2007

リウマチの理解は難しい

 あけましておめでとうございます。あいも変わりませず、どうでもいいこまかいことをぽつぽつと書いていく予定です。本年もどうぞよろしく。

 リウマチは理解するのがかなり難しい病気であります。現代ではけっこう整理されてきているのですが、この言葉、歴史的に複雑な経緯をとってきました。

 もともとリウマチとはギリシア語の「Rheuma」から来ていると言われます。古来より関節炎という意味でリウマチということばが使われていたそうです。現在で言う変形性膝関節症(←加齢に伴うもの)も痛風(←血液中の尿酸過剰)も、かつては「関節の病気」という意味で広義のリウマチ性疾患でありました。ルネッサンス期になると、現在の関節リウマチを代表とする一連の全身性疾患を、リウマチと呼ぶようになります。

 19世紀になると、ひとつの疾患としての関節リウマチが確立されます。20世紀、1942年になって膠原病という概念が提唱されるようになり、関節リウマチは全身性エリテマトーデスなどといっしょにこのグループにはいり、「関節の病気」という意味が薄れ「全身の病気」と理解されるようになります。この結果、リウマチ性疾患というくくり方は次第に時代遅れになっていきます。

 というわけで、時代によってリウマチという言葉の意味が微妙に異なります。現代でもリウマチという言葉は「関節リウマチ」「リウマチ熱」「リウマチ性多発筋痛症」という病名に残っていますが、関節リウマチは膠原病の一種、リウマチ熱は細菌による感染症、リウマチ性多発筋痛症は原因不明の筋肉痛。それぞれリウマチという名がついていますが、現代ではまったく別の病気と考えられています。全部「リウマチ」という言葉がはいってるので混乱のもと。

 このうち、リウマチ性多発筋痛症は言われ出してからまだ50年ほどしかたっていませんが、関節リウマチとリウマチ熱の歴史は古い。関節リウマチは有名。関節の痛みと変形を特徴とする、現代でも難病のひとつです。

 いっぽうのリウマチ熱は、A群溶連菌感染が原因で発熱と関節炎を伴います。基本的には子どもの病気で現在は抗生物質で治るのですが、将来的に心臓弁膜症、とくに僧帽弁狭窄症という病気をおこすことがあるので、それを予防するため長期間にわたって薬を飲むそうです。日本では減りましたが、東南アジアではまだまだ若年での僧帽弁狭窄症発症が多いらしい。

 さて、やっとマンガの話であります。みなもと太郎「風雲児たち 幕末編」10巻、時代は安政の大地震(1855年)前後。ここに登場する、福沢諭吉の兄が「リウマチ」で苦しんでいる描写が出てきます。

 現代日本人であるところのわたしとしましては、江戸時代にすでにリウマチという言葉があったことに驚くのですが、考えてみれば緒方洪庵などは洋書で医学書いっぱい読んでたでしょうから、当時最新の知見であった関節リウマチという病名は知ってたはず。それ以前の日本にも関節リウマチは存在したはずですが、どんなふうに呼ばれてたのでしょうね。

 ただ、福沢兄の病気が、現代でいう関節リウマチだったのか、その他のリウマチ性疾患のひとつだったのかは今となってはわかりません。

 で、ちょっとアレなのが緒方洪庵のこの言葉。「おまはんのリウマチはな」「知っての通り心臓からくる病で全快というのが無い」 あれれ、これでは福沢兄の病気はリウマチ熱だということになってしまいます。

 まずリウマチと心臓病については、原因と結果が逆です。関節リウマチでも心症状をきたすことがありますが、これはまれなこと。リウマチ熱には関節症状とのちに出現する心症状がありますが、通常、成人には発症しないはず。ここは緒方先生、あるいは当時の日本人蘭学医が、関節リウマチとリウマチ熱を混同してるみたいですね。

 大昔にはリウマチ熱が慢性化したのが関節リウマチという説もあったらしいのですが、19世紀半ばの日本ではどのように考えられていたのか。ううーん、こんなひとことでも、調べ出すときりがありません。考証はたいへんだ。

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