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December 07, 2006

メメント・モリ「最強伝説黒沢」

 ごぶさたしてます。ココログメンテ長かったなあ。でも結局メンテ失敗だったとは……

 福本伸行「最強伝説黒沢」が11巻で完結しました。

<以下ネタバレしますので、未読のかたは要注意>

 最終10・11巻は同時発売で、最近のマンガにはめずらしい結末、と言っていいのかな、「主人公の死」でありました。

 かつてお気楽な笑いを提供していたマンガというジャンルに悲劇を持ち込んだのは、よく言われるように手塚治虫です。彼は登場人物を死亡させるだけでなく、結末で主人公までも殺してしまう。

 初期のものでも「ジャングル大帝」はレオの死で終わりますし、「ロック冒険記」は単行本化されたときラストに主人公の死が描き加えられました。アトムだってTVアニメ版は、人類のために太陽に突っ込むという、アトムの死で終わっていたのです。

 手塚にとって主人公の死は、読者を泣かせるためのテクニックでした。彼は石上三登志との対談でこう語っています。「僕には泣かせるコツが三つあるわけです。一つは、死なないだろうと思っていた主人公を、最後に殺すこと」 読者はなじみのある登場人物の死、ましてマンガではそれまでありえないと思われていた「主人公の死」に驚き、涙し、感動してしまいます。

 以後日本マンガでは、主人公の死が多く描かれるようになります。石森章太郎「サイボーグ009」少年マガジン版のラストで009と002は流れ星となって死んだはずでした。ちばてつや「紫電改のタカ」の主人公は特攻隊の一員として死んでゆく。「あしたのジョー」のラストでジョーは死んでるか生きてるかわかんないけど、まっ白に燃えつきます。永井豪「デビルマン」のラストは、あれやっぱデビルマン死んでるでしょう。

 当然、劇画では主人公、普通に死にます。台風五郎も拝一刀もラストで死にました。その後、もう読者も最後に主人公が死ぬのはアタリマエ、みたいな感覚になってしまい、いつのまにやら主人公が死んでもあんまり驚かなくなっちゃった。F1レースという危険な世界を扱いしかも主人公が特殊な血液型をしてるという、村上もとか「赤いペガサス」のラスト、主人公が死ななかったのに、逆にびっくりしたものです。

 さて、ところがっ。マンガはキャラクターが命。一度つくりあげたキャラクターを完全に捨てるのはもったいない。読者の人気もあることだし、生き返らせちゃえ。

 というわけで、アトムは堂々と生き返ってきます。というか、アトムはアニメが終わっても雑誌連載は続いてましたし、だいたいがあれ、アニメの最終回でマンガとは違うし。アニメの最終回を引き継いだエピソードでは、溶けかかった状態で宇宙をさまよっていたアトムの残骸を、宇宙人が修理した、などとされました。

 009も宇宙から流れ星になって落ちてきたけど、001のテレポーテーション能力でもって実は生きていたってことになりました。カムイは死んだけど双子の弟があとを継ぐ。「カムイ伝」の正助は第一部でまさに凄惨な死を迎えたと長らく思ってたんだけどなー。第二部で、実は生きてましたと知ってからは、もはや第一部を読み直してもあの感動はよみがえりません。マンガじゃないけど「宇宙戦艦ヤマト」のみなさまがたも、死んだと思えば生きかえり、死んだと思えば生きかえり。「聖闘士星矢」あたりになりますと、もう何が何やら。

 こうなりますと読者としましては、マンガ上で死んだと言われても、もうまったく信用してません。どうせ生き返ってくるんだろー。ストーリー展開における「主人公の死」の価値は、かなり下がってしまいました。

 さて、「最強伝説黒沢」であります。ホームレスをひきいて暴走族との戦いに勝利した黒沢が、仲間に看取られながら死んでいきます。死に際にはながながと独白があり、最後の意識の中で「あったけぇ」と、人生に満足しながらの死。この10巻・11巻だけを読みますと、思わず目頭が熱くなっちゃうんですよ。黒沢、おまえはよくやった、なんてね。かつて人望が欲しくてみんなの弁当にアジフライを押し込んでたおまえがなあ。

 でもね、たしかに黒沢は中学生や暴走族とケンカして勝ったから伝説になったのですが、自身ではそれに満足していたのではないらしい。

 黒沢が死に臨んで見た幻想の中で、彼はケンカを回想していません。彼は「オレは抗った…!」「戦ったっ……!」と言っていますが、そのシーンで回想されるのは地道に「働く」自分です。黒沢にとって、著者にとって、戦いとは、ケンカなどではなく、「働く」ことでした。

 そもそも黒沢は著者と同年齢、同じ誕生日。連載開始時期に黒沢44歳。だいたい40歳を越えたあたりから、人間、自分の死を考え始めます。知り合いが突然病気になったり、亡くなったりするのもこのころから。ラストシーンで著者の分身である黒沢の死を描くことは、著者にとって自分の死を投影して考えていたはずです。死は必ず平等に訪れるもの、ここで「理想の死」を描いておきたかったのじゃないか。

 成功は得られなくとも、最期のときに精一杯生きたことを自覚できる死。多くの友人たちに見守らながらの死。最後に笑って迎えられる死。

 全編をとおして読むと、黒沢の死は、それまでの情けない現実→ケンカの高揚感→でもやっぱり情けない現実、の繰り返しから、えらく唐突な展開を見せました。構成としてもどうかと思われ、最初の構想どおりの結末だったのかどうか。さらに現在「主人公の死」の価値は下がっています。

 それでもあえてこのラストを選んだのは、作劇テクニックの問題ではありません。死に臨んで一所懸命「仕事」したという自覚が持てるような、こういう理想の死を迎えたいという著者の希望、そして読者へのメッセージでもありましょう。

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Comments

私もまんが紹介Blogを行っている田尾と申します。


貴殿のコメントを拝読し、メッセージを書かさせていただきます。最強伝説 黒沢を読み終わりました。

今時の漫画にはない、きちんとした終わり方をしていて、すがすがしかったです。

仰るとおり、この漫画で主人公が死ぬというのは作品上意味があり、最初からこのラストのメッセージを伝えたくて作者は描いたと私も思います。

私は最終巻は特に夢中になってこの作品を読み、読了後、現実の世界に戻ってからぼ~~~っと、作品と自分自身を反芻してしまいました。

素晴らしく良い作品です。苦労してきた大人がわかる漫画です。


この作品の私のコメントもBlogにありますので、良かったらお読みください。http://d.hatena.ne.jp/tao8/20061106

かしこ

Posted by: 田尾 晃一 | April 30, 2007 07:34 PM

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