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November 26, 2006

わたしはきっちり終わるほうが好き

 もともと記憶力がよくない上に、最近、物忘れがやたらとひどくなりまして、ひとにものを伝えようとしても、あれあれ、あのほれ、あのひとの描いたあの作品、などとなってしまい、もうあきません。

 で、「ドラゴンボール」の最後はどんなんだっけ、という話になって、これがもう、きれいさっぱり忘れてます。さっき読み直してみたら、最後の敵は魔神ブウでした。ブウのあともあったような気がしてたんだけどなー。で、そのブウの生まれ変わりを悟空が弟子にして終わり。覚えてました?

 まして「北斗の拳」のラストなんて、記憶の彼方。連載最後の展開は強敵が登場するわけでもなく、ケンシロウが記憶をなくして……という、テレビ版エピソードのひとつみたいな話でした。覚えてるひとはエラい。というか、いるのか?

 この二作とも、終わりどころを逸した作品と言われてますから、記憶に残らないラストはしようがない。最高に盛り上がったところで終わることが可能だったら、作品の完成度としてはどうだっただろうと想像してしまいます。「ヒカルの碁」も佐為がいなくなってからはやっぱ違う作品で、これもきちんと終わったとは言い難い。もし、「サイボーグ009」があのシーンで終わってたら…… 

 他方で、「幽遊白書」や「スラムダンク」みたいに伏線や広げた風呂敷をまったく無視して、ばっさり中断みたいな終わり方をしちゃった例もあります。これも作品として幸せな結末ではありませんでした。

 小エピソードの繰り返しを特徴とするキャラクターマンガは別として、長編としてのストーリーを持ちながら、きちんと終わることのできた大長編マンガは、希有な例として賞賛の対象となります。「タッチ」や「めぞん一刻」、「沈黙の艦隊」などがそれですね。“大”長編とは言えませんが、「デスノート」もそう。

 とまあ、このように終わらせかたを気にするのも、日本マンガの特徴かもしれません。世界のマンガの趨勢は、オルタナティブ系を別にして、ほとんとがキャラクターマンガの永劫回帰エピソードの集積。というか、終わらせることをまったく考えていないみたいです。

 テレビドラマも、人気があるかぎりいつまでも続きます。何年でも何シーズンでも人気がなくなるまで、えんえんと終わることがない。「ER」とか、いつまでもやってますね。マンガもどうもそうらしく、終わるのは人気がなくなったときで、マンガそのものが発売されなくなってしまう。

 ところが日本マンガは、人気がないのが理由の打ち切りであっても連載マンガが終わるときは一応の形をつけて終わるんですよね。大団円じゃなくてもそれなりに。

 この彼我の違いは、アチラでは著作物の最終的な権利を持っているのが出版社であるという点も大きいと思います。日本では作家が最終決定権を持ってるから、「スラムダンク」の終わりかたが存在しえました。でも、出版社に権利がある場合、一度つくったキャラは将来また使えるかもしれないから、一時人気がなくなってもお話は終わらせずに貯めておく。

 日本でもキャラクターをビジネスとして広く展開したり、作家自身が亡くなってプロダクションがキャラクター管理を始めたりしてます。出版社主導で制作される作品も増えてきましたが、今後ますます、お話はきちんと終わらなくなる傾向が強くなるのじゃないでしょうか。これまでマンガの世界では、日本の出版習慣の中で作家主義とビジネスのバランスが微妙かつ絶妙にとれていましたが、これから後者に傾いていきそうな予感がします。

 と考えておったのですが、現在そんな傾向が顕著に見えるわけではありません。ま、ケロロは今のところ終わる気配はないようですけど。作家主義は生き残ってほしいなあ。わたしお話はきっちり終わるほうが好きなんですよ。実はきっちり終わることが日本マンガのアドバンテージじゃないかとも思ってます。

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Comments

北斗の拳は覚えてますよ。リンと最初に出会った場所で記憶を無くして再会。それを企画したバットはケンシロウの為にと死を賭して戦いに挑む。が、それをバットの意図と反して助けるケンシロウ。関わった奴が全て死んでいくという中でバットは生き残る。これからの世界の担い手として。

最後は名も無き雑魚を「お前はもう死んでいる」の台詞で撃破して締め。確かに猛者が最後の敵ではありませんでしたが、今後も戦い続けるという形は有りだったと思う人も居ると言うことで。

本題は激しく同意なのですが、北斗の拳の終わり方は好きた為コメントしてみました。

Posted by: 名無し | November 27, 2006 12:55 AM

「お前はもう死んでいる」ははじめの一回しか使わなかったような?
「すでに」じゃなかったかなぁ?(曖昧)
アニメ版って「お前はもう死んでいる」ばかり言ったりするのだろうか。
いつも妙に強調されているもんで

バトル系は『ラスボス』がいない限りは、際限なく敵が出る。
だから切り所が無いんじゃないかなぁと思う。
恋愛ものは、キッチリ終わらしてほしいと思う。
スクランとか、スクランとか…

Posted by: ばっちゃん | November 27, 2006 07:58 AM

初めまして。

確かに海外の漫画は終わらせないようなイメージがありますね。言われて気づきました。

長編だと個人的に「ダイの大冒険」「サザンアイズ」の終わりが印象にあります。前者は1巻の時からラスボスの存在が明らかであること、後者はタイトルにきちんと意味があったことから。どちらも途中に回り道がありましたけど・・・。

Posted by: itsuki | November 27, 2006 09:55 AM

同感です。アメリカのドラマなんか人気があれば何シーズンでもやりますし、漫画もキャラクターが何度も生き返ったり、今までの話がなかった事にされたりするのが当たり前ですね。
ファンなら話がたくさん続くのは嬉しいのかもしれませんが、無理矢理続ける事で物語と物語の世界が整合性を失い破綻していくのを見るのは嫌なものですよね。金銭面や時間面でも無駄に長く続く物語に付き合うのは難しいです。
 

Posted by: 2364 | November 27, 2006 09:20 PM

長編作品をきっちり終わらせるのってきっと難しいのでしょうね。私にとっては、その終わり方に意味があるのか?ということが一番重要で、「判りやすく纏まった終わり方」(最大のクライマックスを引き継いだ終わり方など…)でも「大体布石は解消したぞ!」的な終わり方でもどっちでもいいと思うわけです。
たしかにクライマックスが幾つもある漫画(主に週刊)はその一つ一つにきちんと意味があるのかが重要になってくるわけで、終わり方はその作品全体の世界観を引き継いでいればいいのだとも思いますが、やはり「終わり良ければ」の「終わり」は大方記憶に残るものにしてほしいですね。(^^

Posted by: くもり | November 27, 2006 10:03 PM

みなさま、コメントありがとうございます。ちょっと追加。創作者としての性格上、物語をきっちり終わらせたいっという欲望が抑えきれないひとというのがいまして、この代表が曲亭馬琴。「八犬伝」の執筆・刊行期間は28年。長期にわたる連載小説と言えるでしょう。馬琴は、この因果がめぐる複雑な構成の大長編の、膨大な登場人物の端役に至るまですべてにきっちりとした結末をつけて終わらせたと言われてます。物語をどう終わらせるかは、やはり作者の内的欲求が第一の要因ですね。

Posted by: 漫棚通信 | November 27, 2006 11:15 PM

スラムダンクは1部が終わったということで完全に終わっているとしていなかったような。。。

Posted by: 11 | November 27, 2006 11:57 PM

私は、「男組」の終わり方が、話の収拾がつかなくなって終わりにしたマンガナンバー1だと思います。風呂敷を広げすぎた結果ですね。ダイナミックプロは、描きっぱなしですね。「そうだったのか」「俺たちの戦いはこれからだ!!」

Posted by: momotarou | November 28, 2006 10:05 AM

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