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November 30, 2006

あれこれ

 昨日と今日で買った本。

■杉浦茂「杉浦茂傑作選集 怪星ガイガー・八百八狸」
 杉浦茂の描いたSF……と言えなくもないですが、もちろんいつもの杉浦茂です。

■相原コージ「真・異種格闘大戦」3巻
 おもしろいよ、燃えるよ、格闘大戦。

■浦沢直樹「20世紀少年」22巻
 いよいよ最終章がスピリッツに連載開始だそうです。「ともだち」はもう倒されちゃったみたいだから、あとは種明かし。大傑作となるか、大がっかりのオチとなるか!? 刮目せよ!

■上村一夫/小池一夫「修羅雪姫 復活之章」(上)(下)
 本編は「週刊プレイボーイ」1972年2月から1年間連載。この作品は第二部として同誌に1973年11月から半年間連載されました。映画化の時期に合わせて描かれたもので今回初めての単行本化ですが、解説がまったくないのが困りもの。今度の敵は日本陸軍、憲兵隊となってます。

 かつて「修羅雪姫」本編のほうは、かなはゴシック、漢字は明朝という、マンガで通常使われるのと逆パターンの読みにくいフォントを使用してましたが、この第二部は全部明朝。これも変わってます。

■とみ新蔵/南条範夫「無明逆流れ-駿河城御前試合第一試合」
 「シグルイ」と同じ原作。脚色の違いを見るのも楽しいっす。

■みなもと太郎「極悪伝-みなもと太郎の任侠・男の劇場」
 みなもと太郎は「ホモホモ7」「風雲児たち」が有名ですが、忘れちゃならないのが平凡パンチに長期連載されたギャグ作品「男の劇場」(1974~1982年)。でも最近は、あまり著者略歴にも記載されないんですよねー。1979年に朝日ソノラマサンコミックス全三巻で出版。1986年には笠倉出版社カルトコミックスから「男の劇場+あどべんちゃあ」出版。B5版平綴じの平凡パンチ増刊号「新男の劇場」(1978年)なんつー総集編もありました。

 で、この作品は「漫画ピラニア」に1981年から1985年に連載されたもので、「男の劇場」の続編みたいなお下劣短編ギャグ(登場キャラクターは違いますが)。「脳みそを使わないことに必死で」描いたそうです。わはは。

 ちょっとびっくりするような誤植ふたつ発見。

■大石まさる「続水惑星年代記」
 これから読みます。

■二階堂黎人「僕らが愛した手塚治虫」
 でもこっちを先に読んでる最中。

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November 28, 2006

なぜキルスティン・ダンストがスパイダーマンのヒロインなのか

 今回はマンガの話じゃありません。

 日本人にとって、映画「スパイダーマン」の最大の謎は、なぜヒロイン役がキルスティン・ダンストなのかという点でありました。日本人の好みから言って、美人かどうかが微妙なところ。アッチじゃああいうのが美人なのかな、金髪碧眼はやっぱ強いなー、なんて考えておったのですが、どうやらそうでもなかったらしい。

 この謎にすっぱり答えてくれる名著が、長谷川町蔵/山崎まどか「ハイスクールU.S.A.-アメリカ学園映画のすべて」であります。

 「学園映画」というジャンルが確立されているわけではありませんが、その傾向を持つ映画をできるだけ集めてアメリカのティーン文化を読み取ろうという試み。著者たちの対談で構成されており、めったやたらとくわしく膨大な脚注も付いていて、楽しくかつ役に立ちます。

 アメリカのハイスクールといえばあれですね、ジョックスとかナーズとかギークとかゴスとか呼ばれる学内ヒエラルキー。日本じゃ考えられないくらいシビアな現実があって、グループをこえて交流することはありえないらしい。こういうことはやっぱきちんとお勉強しておかないとわかんないなあ。

 そこでキルスティン・ダンスト。彼女は子役時代からCMや映画「インタビュー・ウイズ・バンパイア」に出演して活躍してきた女優さんですが、長じてからの学園映画では「ルックスは勝ち組女子なのに向こうから勝手に今の自分(=シャイな文化系男子)を好きになって告白までしてくれる」役ばかりを演じてきたらしい! 彼女は「体育会系・勝ち組・でも偏見のない良い子」なのです。

 「スパイダーマン」でも主人公の隣に住む貧乏人でありながら、美貌の持ち主で学校では勝ち組グループ。それなのにもともと負け組の主人公に優しくしてくれるし、「スパイダーマン2」ではエリートをフッて主人公のもとに戻ってくる。まさにオタク系男子にとっては夢のような女神であります。

 しかもボーイフレンドとしてウワサされたのが文科系男子ばかり。

そんな私生活を知るほどに、全米男子は「キルスティンなら俺のことをきっと分かってくれる」とますます妄想の翼を羽ばたかせてしまうのである。

 そうだったのかっ。「スパイダーマン」に至るまでにはそういうこれまでのバックグラウンドがあったのね。キルスティン・ダンストのアメリカでの愛称はキキ。「魔女の宅急便」米国公開版のキキを吹き替えたのも彼女でした。

 でも学内カーストが行くところまで行っちゃうと、現実ではコロンバイン高校事件がおこってしまうわけです。この本ではコロンバイン高校事件が学園映画に与えた影響についても細かく語られております。

 ほんとなら、今、学校という檻に閉じこめられている日本の子どもたちにも読んでほしい本。いじめも自殺もしちゃダメ。学校が世界のすべてじゃないんだよ。

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November 26, 2006

わたしはきっちり終わるほうが好き

 もともと記憶力がよくない上に、最近、物忘れがやたらとひどくなりまして、ひとにものを伝えようとしても、あれあれ、あのほれ、あのひとの描いたあの作品、などとなってしまい、もうあきません。

 で、「ドラゴンボール」の最後はどんなんだっけ、という話になって、これがもう、きれいさっぱり忘れてます。さっき読み直してみたら、最後の敵は魔神ブウでした。ブウのあともあったような気がしてたんだけどなー。で、そのブウの生まれ変わりを悟空が弟子にして終わり。覚えてました?

 まして「北斗の拳」のラストなんて、記憶の彼方。連載最後の展開は強敵が登場するわけでもなく、ケンシロウが記憶をなくして……という、テレビ版エピソードのひとつみたいな話でした。覚えてるひとはエラい。というか、いるのか?

 この二作とも、終わりどころを逸した作品と言われてますから、記憶に残らないラストはしようがない。最高に盛り上がったところで終わることが可能だったら、作品の完成度としてはどうだっただろうと想像してしまいます。「ヒカルの碁」も佐為がいなくなってからはやっぱ違う作品で、これもきちんと終わったとは言い難い。もし、「サイボーグ009」があのシーンで終わってたら…… 

 他方で、「幽遊白書」や「スラムダンク」みたいに伏線や広げた風呂敷をまったく無視して、ばっさり中断みたいな終わり方をしちゃった例もあります。これも作品として幸せな結末ではありませんでした。

 小エピソードの繰り返しを特徴とするキャラクターマンガは別として、長編としてのストーリーを持ちながら、きちんと終わることのできた大長編マンガは、希有な例として賞賛の対象となります。「タッチ」や「めぞん一刻」、「沈黙の艦隊」などがそれですね。“大”長編とは言えませんが、「デスノート」もそう。

 とまあ、このように終わらせかたを気にするのも、日本マンガの特徴かもしれません。世界のマンガの趨勢は、オルタナティブ系を別にして、ほとんとがキャラクターマンガの永劫回帰エピソードの集積。というか、終わらせることをまったく考えていないみたいです。

 テレビドラマも、人気があるかぎりいつまでも続きます。何年でも何シーズンでも人気がなくなるまで、えんえんと終わることがない。「ER」とか、いつまでもやってますね。マンガもどうもそうらしく、終わるのは人気がなくなったときで、マンガそのものが発売されなくなってしまう。

 ところが日本マンガは、人気がないのが理由の打ち切りであっても連載マンガが終わるときは一応の形をつけて終わるんですよね。大団円じゃなくてもそれなりに。

 この彼我の違いは、アチラでは著作物の最終的な権利を持っているのが出版社であるという点も大きいと思います。日本では作家が最終決定権を持ってるから、「スラムダンク」の終わりかたが存在しえました。でも、出版社に権利がある場合、一度つくったキャラは将来また使えるかもしれないから、一時人気がなくなってもお話は終わらせずに貯めておく。

 日本でもキャラクターをビジネスとして広く展開したり、作家自身が亡くなってプロダクションがキャラクター管理を始めたりしてます。出版社主導で制作される作品も増えてきましたが、今後ますます、お話はきちんと終わらなくなる傾向が強くなるのじゃないでしょうか。これまでマンガの世界では、日本の出版習慣の中で作家主義とビジネスのバランスが微妙かつ絶妙にとれていましたが、これから後者に傾いていきそうな予感がします。

 と考えておったのですが、現在そんな傾向が顕著に見えるわけではありません。ま、ケロロは今のところ終わる気配はないようですけど。作家主義は生き残ってほしいなあ。わたしお話はきっちり終わるほうが好きなんですよ。実はきっちり終わることが日本マンガのアドバンテージじゃないかとも思ってます。

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November 23, 2006

「真・異種格闘大戦」でシロクマが戦ってました

 わたしのオールタイムベストワン映画は、先日亡くなった田中登監督「○秘色情めす市場」でして、マイフェイバリット映画シリーズは長谷部安春/藤田敏八「野良猫ロック」なもんですから、今月号(2007年1月号)の「映画秘宝」は落涙ものの一冊でありました。ビンボくさい好みと言わば言え。

 とは関係ないのですが、この号で大西祥平が相原コージに小インタビューしてます。実はこれで初めて知ったのですが、「真・異種格闘大戦」3巻がとっくに発売されとるっ。調べてみると、今年の7月にはもう発売されてたみたい。明日書店に探しに行かなきゃ。実は以前、2巻も発売されてるのに気づかず、すっごく遅れて購入しました。

 はっきり言いまして、「もにもに」も「漫歌」もアレでしたが、「格闘大戦」はイケます。最近、職場にだれかが置いてあったアクションを読んで、あの「かってにシロクマ」のシロがこうきたかーっとひとりで興奮してたのはわたしです。相原先生、「格闘大戦」がWebマガジンに移行してしまったことに落ち込まれず、どうかこの意欲的な連載をお続けください。「野良猫ロック」シリーズも、公開時には評判にならなかったのですから。って励ましにはならないか。

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November 21, 2006

のだめのラフマニノフ

 昨日放映してたテレビドラマ版「のだめ」は、二週続けてラフマニノフでしたね。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は、わたしみたいにクラシックに不案内な人間にとっては、これはもう、マリリン・モンローの映画「七年目の浮気」であります。この映画でのモンローは、「マリリン・モンローにそっくりなやたらと色っぽい女性」という役でして、セルフ・パロディここにきわまれり。

 主人公(♂)が、この触れなば落ちんという風情のモンローとなんとか浮気してやろうと画策するのですが、彼女を自分の部屋に招いて、かけるレコードが、「ラフ……マニナフ……」であります(←いや、主人公が思いいれたっぷりにこういう言い方をするのよ)。

 この映画は大ヒットしましましたから、世界じゅうのひとに「ラフマニノフはエロい」というイメージが刷り込まれてしまいました。ですから「のだめ」5巻で、ミルヒーが千秋に「色気」とか「くねくね」と言ってるのは、このエロいイメージ全開ですね。のだめと千秋がラフマニノフをピアノ連弾するところも、エロエロであるべきなのですが、うーん、二ノ宮知子ではそうはならんなあ。

 このラフマニノフのピアコン二番の最初はピアノ独奏から始まります。ピアニッシモで「ツーンタン」「ツーンタン」で始まり、七回繰り返されるうち音がだんだん大きくなり、八回目で「ツーン、タ、タ、タータターン」のあと「ドロロロロロロ」となって、その後オーケストラが重なります(←曲を知らんひとには何を書いておるのかわからんと思いますがご勘弁)。この場面、マンガでは二回出てきます。ともに音符つき。

 千秋が弾くときは、ピアニッシモと音符が描いてあって「チャーン」「ダーン」「チャーン」「ダーン」と始まります。さすがに繰り返しは二回だけしか描かれません。そのあと手のアップで音符がでっかく描かれる。これが音が大きくなった表現。

 これに対してのだめは、「バーン」「ドコーン」「バーン」「ダーン」と二回繰り返されたあと、三回目は擬音なしの右手のアップ(音符つき)、左手のアップ「ドン」(音符なし)と描かれます。三回目は表現を変えたわけです。

 ともに七回繰り返すことはさすがにしません。というか、マンガでは無理。ま、テレビの演奏でも曲を思いっきり省略してましたから似たようなものではあります。

 実はわたし、テレビ版のラフマニノフのシーン、かなり期待してたのですが、あんまり感心しなかったのですよ。音がねー。もうひとつ厚みがない。Sオケのラプソディ・イン・ブルーもそうでした。って、テレビのスピーカーだからしょうがないのかもしれませんけど。今回は、マンガの勝ち。

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November 19, 2006

滝田ゆう十七回忌

 滝田ゆうは、その和服と丸坊主の風貌もあって、マンガ家というより文士みたいに思われてたのじゃないかしら。田河水泡の弟子→貸本マンガの「カックン親父」→ガロの「寺島町奇譚」。ここまではマンガ家コースですが、有名になったあと活躍したのはマンガ誌よりも文芸誌が中心でした。

 ですから、滝田ゆうを語るのはマンガ誌系編集者じゃなくて、文芸誌の編集者です。校條剛「ぬけられますか-私漫画家滝田ゆう」という評伝が発売されてます。もう亡くなって十七回忌なのですね。著者の校條剛は、もと「小説新潮」編集者で、滝田ゆうと濃密にかかわったひと。飲んでばかりで締め切りをまったく守らない滝田ゆうに、なんとか作品を描かそうと四苦八苦してます。

 編集者の回顧録といったものかと思ったら、これがなんと、作家論、作品論を含んだちゃんとした評伝でありました。滝田ゆうの日記も紹介されており、取材は家族、友人、文壇、マンガ関係者など広範囲に及んでいます。「漫画少年」に掲載された滝田ゆう作品を、1955年夏の増刊号掲載の「クイズ 滝田まん平」ではないかと推理したりもしています。

 実はわたし自身は滝田ゆうのあまりいい読者じゃなかったです。貸本の「カックン親父」(1959年~)はさすがに読んでない(ちなみにタイトルは由利徹のギャグ「チンチロリンのカックン」からのイタダキ。1959年には映画「カックン超特急」なんつーのがありました)。1968年からガロに連載された傑作「寺島町奇譚」のころはまだコドモ。滝田ゆうはすぐに文芸誌を主戦場にしちゃったから、わたしはしばらくしてから過去にさかのぼって「寺島町奇譚」とその他の短編を読んだだけです。この本に大きくとりあげられてる1971年からの「泥鰌庵閑話」あたりはまったく知りません。だって、中間小説誌に連載された酒場の話だもんねー。オトナの、オヤヂのための作品だったはず。

 でも今回、この決定版といえる評伝を読んでから、あのふるふるした線のマンガがやたらと読みたくなりました。いいかげん自分もいい年のオトナですし。でも今買える滝田ゆう作品はちくま文庫の「寺島町奇譚」と「落語劇場」だけみたい。フランスで滝田ゆう作品が訳出されるらしいし、この本がきっかけに「泥鰌庵閑話」再刊してくんないかな。

 著者は、滝田への愛憎混じった複雑な思いを抑え、できるだけ冷静に作家を見つめようとつとめています。そのバランスがいい感じの本でした。

 ただしやや疑問なのが、細かい事実関係。

 さいとう・たか“お”という表記が複数回登場するのは論外としても、山根赤鬼「よたろうくん」が週刊少年マガジンに掲載されたことがあるとはあまり聞いたことがありません。創刊したばかりの少年マガジンに「ロボット“上”等兵」を掲載してほしいという読者の子どもからのリクエストがあった、などというエピソードがありますが、少年マガジン創刊時には「ロボット三等兵」はとっくに少年クラブで大人気連載中だったはずですよ。

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November 16, 2006

鉄チン28号と鉄マン28号

 夏目房之介に「鉄のギャンブラー」というマンガ作品がありまして、「漫画スーパーギャンブル」1979年5月号掲載。鉄人28号が股間より波動砲型のペニスを出して「鉄チン28号」と叫ぶオチのパロディマンガ。

 これをもっと過激にエロく描いたのが石川賢。夏目のマンガとほぼ同時、「週刊漫画ゴラク」1979年4月から6月にかけて連載された「宇宙長屋」の一篇に、「鉄マンロボット」という回があります。ここに登場するのが鉄マン28号。この巨大ロボット、鼻が鉄のペニス、股間に鉄のペニス、手の十本の指がすべてペニス。敷魔博士のつくったこのロボットが、ヌードの女性型巨大ロボット(←ダイナミックプロ系セルフパロディ)とくんずほぐれつして戦うお話。

 わたしはこの「宇宙長屋」が大好きでした。SF、パロディ、ギャグ、エロという当時のニューウェーブは、石川賢にとっても居心地が良かったのじゃないかしら。しかもこの作品、著者が青年誌で楽しみながらのびのび描いてるのが伝わってきます。最近のシャープな線のマンガとはまた違った魅力がありました。

 石川賢が亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。

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November 15, 2006

評伝「異能の画家 小松崎茂」

 わたしは絵物語を雑誌で読んでいた世代ではありませんので、小松崎茂作品のうち、きちんと読んだ作品といえば「大平原児」ぐらいです。むしろ、雑誌口絵の未来都市や、イマイのプラモデル「サンダーバード」の箱絵のほうがおなじみ。

 前回エントリのコメント欄に小松崎茂「地球SOS」がなぜ連載中断したかを書きこむため、小松崎茂の評伝、根本圭助「異能の画家 小松崎茂」(光人社1993年、新装版1998年、文庫版2000年)をぱらぱらと読み直してて気づいたエピソードなど。根本圭助は小松崎茂の弟子のイラストレーターで、最近の小松崎画集の編集を多くされてます。

■小松崎茂も戦後すぐ、紙芝居を描いてみたことがありました。ヒットラーの亡霊が出てくるもの。「かなりの自信作だったが、内容を検討する前にGHQ側では、ヒットラーはだめ! ということで、あっさり没になった」

■海野十三がなくなる少し前、1949年の初めごろ。小松崎茂が世田谷の海野十三邸を訪れたときの海野のことば。「文と絵を書けるというのは特殊な才能で、これからは君と山川惣治の時代がくるなあ」 もひとつ、「大阪に手塚という若い漫画家がいるが、弟子にしたい」

 手塚治虫は自分の作品に「海野十四」というキャラクターを登場させるくらい海野十三のファンでしたから、この話を知ってたらどれほど喜んだか。海野十三もかつてマンガを描いていたことがあるひとでした。

■1954年元旦。手塚治虫からの年賀電報来たる。「コトシハ コマツザキイヤー ワタクシモセンセイヲオイカケテ イイトシニスルヨウハリキッテイマス」

■根本圭助によりますと、雑誌の絵物語時代にとどめを刺したのは、1957年1月の「赤胴鈴之助」ラジオ放送開始であったと。もちろん象徴的に語っているのですが、1955年ごろからマンガが絵物語を駆逐しつつありました。

■1959年から1960年にかけて、水木しげるが編集・執筆していた「少年戦記」という貸本マンガ短編集のシリーズがありました。この表紙を描いていたのが小松崎茂。水木しげるも画稿をもらうために、毎月小松崎邸を訪れていました。1960年ごろから貸本ブームが衰退して、「水木は雑誌への転進を決意。茂に少年マガジンへ紹介してくれるように頼みこんだ」 少年マガジンは1959年創刊。水木しげるの講談社デビューは1965年です。

■小松崎茂が円谷英二に請われて東宝特撮映画に協力していたことは、そっち系のかたならご存じでしょう。メカデザイン、キャラクターデザイン、衣装デザイン、ストーリーボードなどを担当。別の本ですが「小松崎茂 絵物語グラフィティ」(人類文化社/桜桃書房2000年)では、「地球防衛軍」(1957年)、「宇宙大戦争」(1959年)、「ガス人間第一号」(1960年)、「海底軍艦」(1963年)などのデザイン画が見られて、感涙ものです。轟天号の断面図なんかかっこいいぞー。

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November 13, 2006

黄金バットとGHQ

 角川文庫の水木しげる「貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎」も3巻まで発売。今回は三洋社版「鬼太郎夜話(三)」と「鬼太郎夜話(四)」が収録されてます。

 この巻には大空ひばりという人気歌手が登場して、彼女、妖怪・水神に吸収されて溶けてしまいます。もちろん彼女は美空ひばりがモデルなのですが、このマンガが描かれた当時1960年には23歳で人気絶頂期。今でいうなら、あややをマンガに登場させて殺しちゃうみたいなもので、水木先生カゲキです。

 わたしはこの時期の東映・沢島忠監督と組んだ、ひばりのポップなミュージカル時代劇が大好きで、ちょうどコンビ第一作1958年の「ひばり捕物帖 かんざし小判」をレンタルで借りてきて見てたものですから、ひばりつながりの偶然の一致に、自分ひとりでウケてました。

 で、当時のひばり映画を調べてたら、あらら、1950年に「黄金バット 摩天楼の怪人」という映画に美空ひばりが出演しています。これは見てみたい。13歳のひばりが見たいのと同時に、どんな黄金バットの造形だったのかなあ。

 以前にも書きましたが、黄金バットの成り立ちはかなり複雑。

加太こうじ版「黄金バット」
加太こうじ「紙芝居昭和史」

 黄金バットはまず、戦前に紙芝居で大人気。

 戦後は、加太こうじが1946年1月から紙芝居を復活。自分で「黄金バット」紙芝居版を描き始めましたが、このときの黄金バットは戦前版のガイコツじゃなくて、仏像顔にパーマの長髪というデザインでした。GHQが、ガイコツは悪のシンボルだからと主張してOKを出さなかったからだそうです。

 永松健夫も戦後ちょっとだけ(三巻=三日分ぐらいだったらしい)紙芝居の黄金バットを描きますが、明々社の単行本版「黄金バット」第一巻を1947年に出版。このときのスタイルはガイコツに大きな帽子、首には大きな襟飾り。

 手塚治虫の東光堂「怪盗黄金バット」が1947年の12月。ガイコツが帽子をかぶってますが、首にはネクタイ、拳銃かまえて自動車を運転してます。この黄金バット、実は正体は女性で、名前とデザイン以外は本家とは別物の設定ですね。

 1948年には永松健夫の単行本版黄金バットの二・三巻が発売され、「冒険活劇文庫」1948年8月創刊号から黄金バットの連載。連載は単行本より前の時代を描いたものでした。

 いっぽう、加太こうじは「冒険ロマン」1949年1月創刊号から「黄金バット マゾー編」を連載。これは数号で休刊となったそうです。どんなデザインだったかはわかりません。ともかく、手塚治虫を含めて、あっちでもこっちでも黄金バットがいっぱい活躍してたことになります。

 永松健夫は1949年には単行本第四巻を刊行。「冒険活劇文庫」1950年1月号からは、単行本版の続編となる「科学魔編」を連載開始。ところがこのもっとも人気だった1950年5月号(すでに雑誌名は「冒険活劇文庫」から「少年画報」に改名してました)で、黄金バットの連載は突然に中断してしまいます。

 連載最後はこんなふう。

モーグリ博士がジグザグコースをとって、方向を変更しても、光の環はG・M号をしつようにとりまいて離れない。光りのつぶては益益雨あられと襲いかかる。おお、流星の大群が、G・M号の外装を覆う特殊合金に時期を合わせて襲いかかったのである。
    <次号に続く>
恐るべし、見えざる敵の魔手は第二の攻撃にうつった。G・M号は如何にしてこの場を逃れんとするか?
マサル少年の運命は?
黄金バットの活躍は?

 ところが、次号1950年6月号に黄金バットが掲載されることはありませんでした。

 この中断の経緯は、わたし知りませんでした。わたしの持ってる桃源社の復刻版では、「状勢の変化もあり、惜しくも中絶」と記されているだけでしたし。

 今回発売された小学館「現代漫画博物館」でびっくりしたのが以下の記述。

50年、正義の味方がなぜドクロの仮面かと問題にされ、GHQの指令で途絶した。

 おーっ、そうだったのか。加太こうじ版黄金バットのデザインを変更させただけじゃなくて、GHQ、こんなころまで口出してたのか。この話、有名?

 その後1950年12月になって、新映画社制作・東映配給で公開されたのが「黄金バット 摩天楼の怪人」。広告によりますと「男装の麗人川路龍子、世紀の鳥人上田龍児、特別出演美空ひばり」でありました。川路龍子はSKD出身の踊れる女優さん。上田龍児(竜児)についてはよくわかりませんでしたが、「少年ケニヤ」などにも出演してますから、アクション系のひとだったのでしょう。

 永松健夫の子、谷口陽子によりますと、

年末に「明日おモチのお金を払わなければいけないからどうしようか?」と話してたら、映画会社の人が企画書を持ってきて、その頃のお金で50万円の臨時収入があったそうです。

 でも映画公開のとき、黄金バットはもう雑誌連載が終わっていたことになります。だからこそ、この映画での黄金バットのデザインが見てみたくなるでしょ。GHQの指導があったのなら、どんな黄金バットだったのかしら。

 永松健夫の黄金バットが復活するのは2年後、「少年画報」1952年8月号からです。「新黄金バット」として約1年間連載されました。悪役ナゾーの正体があかされ、物語はきちんと完結しています。デザインは大きな帽子のガイコツで、以前のまま。GHQの日本占領は1952年4月まで。これを待っての黄金バット復活だったのでしょうか。

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November 10, 2006

「現代漫画博物館」はエンサイクロペディアたりうるか

 やっと発行されましたね、小学館の「現代漫画博物館」。英文タイトルが「The Encyclopedia of Contemporary MANGA」です。1945年から2005年までの60年間、主要マンガ700作を紹介したもの。とりあげられた作家は350人に及びます。労作です。貴重な本の書影もいっぱい、雑誌連載時のトビラページも多く収録されてます。

 でも、350人じゃやっぱ無理なんですよ。アレがない、コレがない、あの人はどうした、そもそもオレがはいってないじゃないかっ、なんてね。もともと万人を納得させるのは不可能な企画ではあります。誰を残して誰を削るか、編集作業はむずかしかっただろうなあ。編集委員は、竹内オサム、故・米沢嘉博、ヤマダトモコ。ごくろうさまです。

 この本での選考は、マンガ各賞を重視した形になってます。妥当といえば妥当。個性に欠けるといえばそうかもしんない。そこが不満な点でもあります。

 赤本・貸本マンガ系は、大野きよし「鉄仮面」、手塚治虫の各作品、高橋真琴「パリ~東京」、前谷惟光「ロボット三等兵」、さいとう・たかを「台風五郎」、白土三平「忍者武芸帳 影丸伝」、水木しげる「墓場の鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」、佐藤まさあき「黒い傷痕の男」、永島慎二「漫画家残酷物語」、山本まさはる「中村くんシリーズ」、みやわき心太郎「ハートコレクション」、平田弘史「闘魂」、園田光慶「アイアンマッスル」、矢代まさこ「ようこシリーズ」。ま、これじゃ足りないけどしょうがないか。わたしの好きな下元克己あたりまで望むのは無理かなあ。

 おとなマンガ系のミーム=文化遺伝子(←これ便利なことばですね)を持ってるひとびとは以下。横山隆一「フクちゃん」、南部正太郎「ヤネウラ3ちゃん」、秋吉馨「轟先生」、小島功「仙人部落」、園山俊二「がんばれゴンベ」「ギャートルズ」、東海林さだお「新漫画文学全集」、砂川しげひさ「寄らば斬るド」、秋竜山「ギャグおじさん」、谷岡ヤスジ「ヤスジのメッタメタガキ道講座」、植田まさし「フリテンくん」。

 戦後派に限ってるとしても、加藤芳郎はどうした福地泡介はどうした、という話は出てくるわけです。高橋春男はオレはどうなってんだと言いたいだろうし、最近おとなマンガ系でもっとも出版の多い二階堂正宏だっているはずです。おとなマンガに関しては、この本のもっとも弱いところ。

 ガロ系が、楠勝平「おせん」、つげ義春「紅い花」「長八の宿」「ねじ式」「無能の人」、滝田ゆう「寺島町奇譚」、林静一「赤色エレジー」、赤瀬川源平「櫻画報」、安部慎一「美代子阿佐ヶ谷気分」、つげ忠男「無頼の街」、佐々木マキ「ピクルス街異聞」、鈴木翁二「東京グッドバイ」、やまだ紫「性悪猫」、蛭子能収「地獄のサラリーマン」、ガロ時代じゃないけど杉浦日向子「風流江戸雀」と近藤ようこ「見晴らしガ丘にて」、そして内田春菊「南くんの恋人」。テリー湯村は? 根本敬は?

 エロ系は、石井隆「天使のはらわた」と山本直樹「あさってDance」だけで、その他の作家はほとんど無視です。ダーティ・松本みたいなベテランはどうか、ケン月影はどうか。

 相原コージ/竹熊健太郎「サルまん」を選んだのはなかなかの見識です。でも、安彦良和が「王道の狗」でいいのかとか、福山庸治が「F氏的日常」でいいのか。いしかわじゅんはまったく無視されてるがどうか、「超人ロック」はどこ行った、とかね。もっとも手薄なのが2000年以降の今、活躍中の現代作家ですが、これはしょうがないかなー。

 最大の欠落は、長谷川町子「サザエさん」が、ないっ。誰がどう考えても掲載すべき作家と作品ですから、これはもう、凡例に書いてあるとおり、「作者の希望で今回は掲載を見合わせた」例に違いないと考えますがどうか。

 もしかすると、エンサイクロペディアのコンプリート版は、ネットの中でこそ可能となるのかもしれません。日本語じゃないですが、わたしがよく参照する英語のマンガ家紹介サイトはこのあたり。

http://www.bpib.com/illustra.htm
http://www.lambiek.net/artists/index.htm

 前者は出版社が運営してまして、現在は100ちょっとの作家の紹介。それぞれかなり詳しい記述です。後者は書店が運営してるサイトで、なんと8000以上の作家が紹介されています。日本人作家も多く解説されている。小学館もこれくらいやってくんないかなあ。

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November 09, 2006

サントリー学芸賞

 いやーおどろいちゃったな、ぽりぽり(←頭をかく音)。竹内一郎「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」が、第28回サントリー学芸賞を受賞しちゃいました。

 わたしがこの本を思いっきりケナした評はコチラ

 朝日新聞の書評欄でで中条省平がほめたときもおどろきましたが、今回のほうがびっくり。選評を読んでまたびっくり。どうも文系の論文作法てのがよくわかりません。こんなのでOKなのか。はー。

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November 08, 2006

日常雑記

■白土三平「カムイ伝全集」第二部12巻が刊行されてたのに気づくのが遅れ、書店を数軒めぐってみたのですが、第二部12巻だけ、ないっ。

 ゴールデンコミックス版「カムイ伝第二部」は2000年に22巻が発売されましたが、最終刊となるべき23巻は発売されずじまい。残りの雑誌連載分が単行本にまとまるのは今回の全集版が初めてとなります。だもんで、みんなわたしと同じように、この巻だけねらってたのかなあ。というわけで、アマゾンに注文。

■講談社の新少女マンガ誌「Beth」を買ってきて読んでみたところ、巻頭カラーの小川彌生作品が、なんと脱力系ギャグ。創刊号だよー。巻頭だよー。そういう雑誌なのか。あと幸村誠インタビューで、「ヴィンランド・サガ」のルーツが、アニメ「小さなバイキング ビッケ」だった、というのがちょっといい話。

■遅ればせながら、映画「シン・シティ」をレンタルで借りてきて見ました。評判どおりまるっきりフランク・ミラーの原作マンガと同じ。構図とかそのまんまです。わたしは楽しみましたが、ちょっとグロい描写があるので同居人には不評。マンガと映画の大きな違いは、映画ではヌードのお姉さんが歩くとき、オッパイがゆれるのね。さすがにこの微妙な表現はマンガじゃ無理だわ。

 ジャイブが原作マンガの日本語版を出版したとき、第一作の「ハード・グッドバイ」を出版したあと、主要登場人物が勢ぞろいする第二作の「A DAME TO KILL FOR」じゃなくて、その次の第三作「ビッグ・ファット・キル」を邦訳したのは、映画のエピソードに合わせてだったのかー。

■永山薫「エロマンガ・スタディーズ」を読み進めています。まだ途中ですが、後半の各論になると知らない作家ばっかりで、いやー勉強になります。ただ前半の歴史編では、現在主流となっている「美少女系エロ漫画」に至るまでのミーム(=文化遺伝子)を念頭に書かれているので、残念ながらあえて無視されちゃってる作家もあります。

 ひとりはモンキー・パンチ。劇画とは異なる絵で積極的に性的描写を取り入れてきたひとですが、彼のタイプの絵を描く後継者は現在日本にはまったく存在しません。もうひとりは棚下照生。出自は子どもマンガですが、おとなマンガふうの絵で劇画型のストーリーを展開していました。代表作は「めくらのお市物語」。このスタイルは劇画隆盛の直前にかなり流行しエロチックな作品も多かったのですが、短期間で絶滅しました。とくに棚下のほうは、あれほど一世を風靡したのに、ふつうのマンガ史でもあまり語られない傾向にあるようですね。

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November 05, 2006

普通の人の普通の人生「兄帰る」

 ビッグコミックに連載されてた、近藤ようこ「兄帰る」が単行本化されてます。

 オープニングはこんなふう。実家の寝具店で働いている主人公・真樹子に、元婚約者・功一の家族から連絡がはいります。三年前、真樹子との結婚を目前に功一は失踪。家族とも連絡がとれなくなっていましたが、東京で交通事故にあい死亡したと。なぜ功一が失踪したのか真樹子には納得がいかず、功一の遺品を手がかりに、真樹子と功一の残された家族(妹・弟・母)が協力して、失踪後の功一の足跡をたどることになります。

 ミステリふうの始まりにわくわく。功一の遺体の顔が事故で腫れてて識別できなかった、なんてひとことがありますと、おお、「顔のない死体」か、なんて考えちゃいますが、近藤ようこですからそんな展開にはなりません。

 功一が出会ったひとびとを訪ねて話を聞き、功一の心の中が次第に明らかに。その旅をとおして、主人公や功一の家族は自分の人生や心の中を見つめ直すことになります。劇的な展開があるわけではありませんが、きちんとおもしろい。

 近藤ようこのマンガを読んでていつもうまいなあと思うのは、小さなエピソードでもって主要登場人物だけじゃなくてちょっとした脇役の人生まで意識させられるところ。彼女のマンガには普通の人しか出てきませんが、彼らの普通の人生はそれぞれにやっぱり重いのです。

 最終章のタイトルは「許す日」。ラストは心が暖かくなります。

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November 03, 2006

アヅマギャグ復活

 ぶんか社からの吾妻ひでお単行本も五冊目。「便利屋みみちゃん」1巻が発売されてます。「Oh!アヅマ」が1995年、「クラッシュ奥さん」1巻が1998年、「エイリアン永理」が2000年。「クラッシュ奥さん」2巻が2002年。

 「Oh!アヅマ」が刊行されたときのオビに「10年ぶり スイマセン!」とありますが、この本の前が失踪で、この本のあとがアル中時代ということになります。実をいいますと、これまでのぶんか社刊四冊の絵はどうもやっぱ荒れてる感じがありました。2004年から連載のこの「みみちゃん」あたりから、絵の密度が濃くなっていい感じ。ギャグ引退なんて言ってますが、今回おもしろかった。

 「みみちゃん」は月4ページ連載。描いていたころ、2004年の状況が「うつうつひでお日記」で読めます。二冊並べて読み比べてみますと、9月20日、いったん寝たあとも、「夜中『みみ』のギャグ気に入らない所が気になって切り貼りし描き直」したりしてて、たいへんだなあと。9月24日、連載誌が廃刊になって商業誌の仕事がほとんどなくなってますが、これもたいへん。12月13日、「みみちゃん」の続きの依頼あり、めでたい。

 日記のほうでフィギュア雑誌の「レプリカント」買ってると「みみちゃん」に人形ネタ出てくるし、日記で早川義夫のCD聞いてると思ったら、「静かだなー海の底ー」なんて出てくるし。そういや日記にデスノート読んでるとこがあったけど、「みみちゃん」でもパロってました。だれか対応表でも作ってくれんかな。

 26話ではデトロイト・メタル・シティみたいな歌詞で歌うバンドも出てきてますが、吾妻先生、これもパロディなんでしょうか。「キモイ童貞アイドルオタクせんずりこいて死んじまえ」「おまえら行く末犯罪者ハードゲイ親父に犯される」 クラウザーさん真っ青。

 今ネットでやってる「漫画検定」初級コースは、難易度があまりにアレすぎるので、「吾妻ひでお『便利屋みみちゃん』1巻21話で、みみちゃんが『きぐしねくてやんだ』と言ってますが、このモトネタは何?」という問題はどうか。

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