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November 13, 2006

黄金バットとGHQ

 角川文庫の水木しげる「貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎」も3巻まで発売。今回は三洋社版「鬼太郎夜話(三)」と「鬼太郎夜話(四)」が収録されてます。

 この巻には大空ひばりという人気歌手が登場して、彼女、妖怪・水神に吸収されて溶けてしまいます。もちろん彼女は美空ひばりがモデルなのですが、このマンガが描かれた当時1960年には23歳で人気絶頂期。今でいうなら、あややをマンガに登場させて殺しちゃうみたいなもので、水木先生カゲキです。

 わたしはこの時期の東映・沢島忠監督と組んだ、ひばりのポップなミュージカル時代劇が大好きで、ちょうどコンビ第一作1958年の「ひばり捕物帖 かんざし小判」をレンタルで借りてきて見てたものですから、ひばりつながりの偶然の一致に、自分ひとりでウケてました。

 で、当時のひばり映画を調べてたら、あらら、1950年に「黄金バット 摩天楼の怪人」という映画に美空ひばりが出演しています。これは見てみたい。13歳のひばりが見たいのと同時に、どんな黄金バットの造形だったのかなあ。

 以前にも書きましたが、黄金バットの成り立ちはかなり複雑。

加太こうじ版「黄金バット」
加太こうじ「紙芝居昭和史」

 黄金バットはまず、戦前に紙芝居で大人気。

 戦後は、加太こうじが1946年1月から紙芝居を復活。自分で「黄金バット」紙芝居版を描き始めましたが、このときの黄金バットは戦前版のガイコツじゃなくて、仏像顔にパーマの長髪というデザインでした。GHQが、ガイコツは悪のシンボルだからと主張してOKを出さなかったからだそうです。

 永松健夫も戦後ちょっとだけ(三巻=三日分ぐらいだったらしい)紙芝居の黄金バットを描きますが、明々社の単行本版「黄金バット」第一巻を1947年に出版。このときのスタイルはガイコツに大きな帽子、首には大きな襟飾り。

 手塚治虫の東光堂「怪盗黄金バット」が1947年の12月。ガイコツが帽子をかぶってますが、首にはネクタイ、拳銃かまえて自動車を運転してます。この黄金バット、実は正体は女性で、名前とデザイン以外は本家とは別物の設定ですね。

 1948年には永松健夫の単行本版黄金バットの二・三巻が発売され、「冒険活劇文庫」1948年8月創刊号から黄金バットの連載。連載は単行本より前の時代を描いたものでした。

 いっぽう、加太こうじは「冒険ロマン」1949年1月創刊号から「黄金バット マゾー編」を連載。これは数号で休刊となったそうです。どんなデザインだったかはわかりません。ともかく、手塚治虫を含めて、あっちでもこっちでも黄金バットがいっぱい活躍してたことになります。

 永松健夫は1949年には単行本第四巻を刊行。「冒険活劇文庫」1950年1月号からは、単行本版の続編となる「科学魔編」を連載開始。ところがこのもっとも人気だった1950年5月号(すでに雑誌名は「冒険活劇文庫」から「少年画報」に改名してました)で、黄金バットの連載は突然に中断してしまいます。

 連載最後はこんなふう。

モーグリ博士がジグザグコースをとって、方向を変更しても、光の環はG・M号をしつようにとりまいて離れない。光りのつぶては益益雨あられと襲いかかる。おお、流星の大群が、G・M号の外装を覆う特殊合金に時期を合わせて襲いかかったのである。
    <次号に続く>
恐るべし、見えざる敵の魔手は第二の攻撃にうつった。G・M号は如何にしてこの場を逃れんとするか?
マサル少年の運命は?
黄金バットの活躍は?

 ところが、次号1950年6月号に黄金バットが掲載されることはありませんでした。

 この中断の経緯は、わたし知りませんでした。わたしの持ってる桃源社の復刻版では、「状勢の変化もあり、惜しくも中絶」と記されているだけでしたし。

 今回発売された小学館「現代漫画博物館」でびっくりしたのが以下の記述。

50年、正義の味方がなぜドクロの仮面かと問題にされ、GHQの指令で途絶した。

 おーっ、そうだったのか。加太こうじ版黄金バットのデザインを変更させただけじゃなくて、GHQ、こんなころまで口出してたのか。この話、有名?

 その後1950年12月になって、新映画社制作・東映配給で公開されたのが「黄金バット 摩天楼の怪人」。広告によりますと「男装の麗人川路龍子、世紀の鳥人上田龍児、特別出演美空ひばり」でありました。川路龍子はSKD出身の踊れる女優さん。上田龍児(竜児)についてはよくわかりませんでしたが、「少年ケニヤ」などにも出演してますから、アクション系のひとだったのでしょう。

 永松健夫の子、谷口陽子によりますと、

年末に「明日おモチのお金を払わなければいけないからどうしようか?」と話してたら、映画会社の人が企画書を持ってきて、その頃のお金で50万円の臨時収入があったそうです。

 でも映画公開のとき、黄金バットはもう雑誌連載が終わっていたことになります。だからこそ、この映画での黄金バットのデザインが見てみたくなるでしょ。GHQの指導があったのなら、どんな黄金バットだったのかしら。

 永松健夫の黄金バットが復活するのは2年後、「少年画報」1952年8月号からです。「新黄金バット」として約1年間連載されました。悪役ナゾーの正体があかされ、物語はきちんと完結しています。デザインは大きな帽子のガイコツで、以前のまま。GHQの日本占領は1952年4月まで。これを待っての黄金バット復活だったのでしょうか。

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Comments

すこし時期はずれるかもしれませんが、小松崎茂の「地球SOS」も連載を中絶していますね、「冒険活劇文庫」から「少年画報」に変わる前後でなにかイロイロと起きていた雰囲気は感ぜられますね。

Posted by: 流転 | November 15, 2006 at 12:30 AM

小松崎茂「地球SOS」は「冒険活劇文庫」創刊2号、1948年10月号から連載開始。この作品も人気絶頂期の1951年10月号で突然に連載中断しています。こっちのほうは、編集の平木忠夫(小学館時代の永松健夫の同僚で、彼に「黄金バット」を描かせたのもこの人)が少年画報社社長の今井堅と衝突して退社し、それに小松崎が殉じた形。平木忠夫は「地球SOS」を中心に新雑誌を創るつもりだったが果たせなかった、ということだそうです。

Posted by: 漫棚通信 | November 15, 2006 at 02:42 PM

はじめまして。たまたま検索に引っかかって読ませていただきました。「黄金バット」の連載打ち切りも、平木氏の退社と関係があります。他にも、伊藤彦造をはじめ初期の「冒険活劇文庫」のメンバー(画劇文化社系メンバー)が抜けます。戦前の華宵事件のようなことが起こったようです。
平木氏は退社後、集英社に行き、「おもしろブック」の増刊号を編集して、「地球SOS」の最終回を掲載させることになります。
平木氏が抜けたことで、昭和26年の11月号は出版できずに、昭和27年になっても「少年画報」の紙面はガタガタしています。巻等作品に、原研児や永松健夫、岡友彦とコロコロと変化して、落ち着きを見せるのは、やはり河島さんが登場してくる当たりからではないでしょうか?
では!

Posted by: 冒険活劇文庫HP・管理者です | November 17, 2006 at 01:23 AM

コメントありがとうございます。冒険活劇文庫HPはときどき参照させていただいてました。大量のコレクション驚きです(かつ、うらやましい)。古いマンガをよくご存じのかたには、わたしの文章、マチガイも多いと思います。よろしくご指摘お願いします。

Posted by: 漫棚通信 | November 17, 2006 at 03:57 PM

「冒険ロマン」の黄金バットは、仏像顔のいつもの加太こうじ版です。(こちらは3号まで発行されたようです。)
昭和25年の美空ひばりが出演していた映画版の黄金バットは、私もみてみたいのですが、フィルムが現存してないようです。でもポスターが残っていますので、こちらをみると、黄金バットのデザインは、ガイコツと仏像の中間のような?人間が覆面して演じた実写版ですからね。

Posted by: 冒険活劇文庫HP・管理者です | November 20, 2006 at 09:25 PM

ほー、やっぱり映画版はドクロっぽくなかったのですか。わたしは後年のアニメ版と千葉真一映画版の黄金バットのデザインが大好きなのですが。あれはかっこよかった。

Posted by: 漫棚通信 | November 21, 2006 at 11:37 AM

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