「妖怪と歩く」:水木しげるの自伝じゃないのも読んでみる
水木しげるは、自伝およびそれに類する作品を、マンガも文章もむっちゃたくさん描いてます。
●娘に語るお父さんの戦記:河出書房新社1975年・1985年、河出文庫1982年・1995年
●のんのんばあとオレ(文章版):筑摩書房1977年、ちくま文庫1990年
●のんのんばあとオレ(マンガ版):講談社/コミックス1992年、講談社漫画文庫1997年
●ほんまにオレはアホやろか:ポプラ社1978年、社会批評社1998年、新潮文庫2002年、ポプラ社2004年
●ねぼけ人生:筑摩書房1982年、ちくま文庫1986年・1999年
●コミック昭和史(1)~(8):講談社/コミックス1988年~1989年、講談社文庫1994年
●ぼくの一生はゲゲゲの楽園だ マンガ水木しげる自叙伝(1)~(6):講談社/コミックス2001年、「コミック昭和史」の自分史の部分を再構成
●水木しげる伝(上)(中)(下):講談社漫画文庫2004年~2005年、「ぼくの一生はゲゲゲの楽園だ」の文庫版
●水木しげるのラバウル戦記:筑摩書房1994年、ちくま文庫1997年
●トペトロとの50年:扶桑社1995年、中公文庫2002年
●カランコロン漂泊記-ゲゲゲの先生大いに語る:小学館文庫2000年
●生まれたときから「妖怪」だった:講談社2002年、講談社プラスアルファ文庫2005年
●水木しげるののんのん人生-ぼくはこんなふうに生きてきた:大和書房2004年
●水木サンの幸福論:日本経済新聞社2004年
フハッ。
ほかにも「水木しげるのカランコロン」(作品社1995年、のちに河出文庫で「妖怪になりたい」「なまけものになりたい」として2003年文庫化)、「妖怪天国」(筑摩書房1992年、ちくま文庫1996年)などもあって、これにも自伝的エッセイが含まれてますし、マンガ「敗走記」(1970年)もそうですね。
さすがに全部は読んでません。こんなふうに大量にチェックすべき本があるものだから、実はこんな本が出てるのを知りませんでした。不勉強ですみません。
●足立倫行「妖怪と歩く 評伝・水木しげる」文藝春秋1994年(のち文春文庫1997年、その時のタイトルは「妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる」)
いやー、これがまたなかなかの本でした。
1992年から1994年にかけて、著者が水木しげるの取材旅行(鳥取県境港、アメリカ、ラバウルなど)に同行した記録、および水木しげる、家族、周辺のひとびとへのインタビューを通じて水木しげるの実像にせまろうとしたものです。
自伝というのは、一面の真実でしかないというのが、この本を読んでよくわかりました。妻や娘たち、兄弟、友人たちに目を向けることで、水木しげるがさらに立体的に浮かんできます。
基本的には、マンガ家じゃなくて、人間・水木しげるに焦点をしぼった本です。それでも、W3事件のあと、手塚治虫と入れ違いに少年マガジンが水木作品を掲載した経緯など、宮原照夫にインタビューしてかなり詳しく書かれてますし、つげ義春や池上遼一へのインタビューなど、マンガ史方面の部分もおもしろい。
サンフランシスコのホテルで偶然、水木とは初対面の米沢嘉博と出会うシーンもあって、今や感慨深いですなあ。あと若いころの松田哲夫が「ゲゲゲの鬼太郎」の脚本を書いたことがある、という記述には驚きました。
宮原照夫によりますと、宮原に水木しげるをすすめたのは、当時マガジンに「風の石丸」を描いていた白土三平であったと。しかし貸本版「鬼太郎夜話」はあまりに強烈だったので、別冊少年マガジンには水木の新作(「テレビくん」ですね)を依頼し、マガジン本誌ではアレンジした鬼太郎モノを読みきりで三本載せ、様子を見る形での出発だったそうです。
たしかに今の目から見ても、水木作品はマンガとして異端です。細密な背景に単純な線、等身の小さな人物。なぜこのような作品を水木しげるが描くようになったのか、この異端のマンガがなぜ日本で大人気を得たのか、これはこの本でわかることではありませんが、こういうヒントもあります。水木しげるによると、
「私は、風景については人が驚くほど自信を持ってるんです。小学生の頃に親父とたった一度訪ねたことがある豚小屋でも、“描け”と言われれば今すぐにでも描けます。どんなところ、どんな風景でもたちどころに描けるという自信があります」
これに対して、
「人物が苦手だったんです。風景画は好きだけど人物画が嫌いだったんです」
「私、人より自然が好きなんです」
実際、プロダクション制となっても水木しげるがアシスタントに何を描かせたかというと、やっぱ細密な背景に力を入れている。人物、とくに女性なんかはまるきり他人(たとえばつげ義春)にまかせきり。手塚治虫がマンガを記号の集合と言ったのに対し、水木しげるの場合、人物は記号だったかもしれませんが背景はそうではなかった。
手塚治虫が記号で物語を語るのに対し、水木しげるは背景でこの世の成り立ちを語る。
この本では、水木しげるの姿が活写されています。突然大声で笑い出す奇行ともいえる癖。手塚治虫との確執。南洋で遊んで暮らしたいと言いながら実は仕事中毒。コレクションの鬼。妖怪への執着。水木しげるの人間的魅力がよく伝わってきます。
著者の観察眼は鋭く、長時間をかけて取材していますし、水木からホンネを引き出すのにも成功している。それでもやっぱり水木しげるの底は見えません。融通無碍、正体不明の人物ですねえ。
タイトルの「妖怪と歩く」ってのは、水木しげるが妖怪を友として人生を送ってるというより、著者が妖怪のような水木しげると歩いた、という意味を込めているのでしょう。
Comments
角川文庫の貸本版鬼太郎、わたしも読んでます。今後発売される全冊をそろえるかどうか悩ましいところですが、きっと買っちゃうんだろうなあ。
Posted by: 漫棚通信 | October 07, 2006 09:17 AM
ああ、なるほど。了解いたしました。
最近、角川文庫で貸本時代の『鬼太郎』が復刻されていて、懐かしく読みました。
貸本時代の水木氏の作品の中に、「どっちつかずの民社党」という張り紙が電柱に貼られた絵があったはずなんですが、あれは『鬼太郎』じゃなかったのかなあ……? 角川文庫版では見つけられませんでした。
Posted by: すがやみつる | October 07, 2006 01:07 AM
この本によりますと、宮原氏は水木しげる採用を提案し、一度編集会議で却下されてます。その後内田編集長時代になってから再提案してOKが出たらしいです。1960年ごろといえばガロ創刊よりずっと前で、水木しげるはまだ貸本のひとだったですから、これが実現してたら、ずいぶん早いですね。
Posted by: 漫棚通信 | October 06, 2006 01:45 PM
『風の石丸』が「少年マガジン」に連載されたのは1960年頃のことです。これがあとでアニメ化され『風のフジ丸』(マンガは久松文雄氏で「ぼくら」連載)になります。
『テレビくん』が「別冊少年マガジン」に掲載されたのは、1965年の夏の号だったはずですが、その頃、「週刊少年マガジン」に連載されていた白土三平氏の作品は『ワタリ』です。このあたり、本の記述が確かなら、宮原氏の記憶ちがいかもしれませんね。
『テレビくん』が掲載されたときは、すでに貸本店と焼きそば店(こういう店に貸本がドッサリと置いてあった)で水木作品のファンになっていたぼくは、「『少年マガジン』えらい!」と狂喜乱舞し、この号は、しっかり購入しました。しかも『テレビくん』1作で講談社漫画賞を受賞し、手塚先生の選評の言葉を読んで、「手塚治虫えらい!」と思ったのを今も憶えています。
『テレビくん』が「別冊少年マガジン」に載った翌月(8月)くらいに『マンガ家入門』が発売になったりします。ぼくが中学3年生の夏のことでした。
Posted by: すがやみつる | October 06, 2006 11:52 AM